http://www.asyura2.com/15/kokusai10/msg/107.html
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私の知る限りだが、バグダディ氏のものとして世に出た動画映像は2種類ある。
一つは、ロシアRTRが昨年7月にニュースで流した戦闘服に身を固めているバグダディ氏の映像で、もう一つが、モスルにあるとされるモスクで説教を行っている姿の映像である。
前者(戦闘服姿)の映像はその後まったく流れていないが、後者の映像(説教シーン)は、日本人人質事件があったこともあり、日本のテレビ番組でも時々流れている。
しかし、その映像で説教を行っている男は、ロシアRTRで流れた映像の男や昨年夏までセピア色の粗い写真でバグダディ氏として報じられている男とは別人と判断している。
ロシアRTRが流した兵士たちと並んでいるバグダディ氏の映像は、セピア色の粗い写真でしか見ることができなかった男が鮮明でかつ動いていると思うものだったが、説教をしている男にバグダディ氏の面影はない。
先ほども二つの映像を見比べてみたが、どうしても同じ人物には見えない。バグダディ氏とされる男が二人いる可能性があると押さえながら今後の推移を見ていきたいと思っている。
※ 参考投稿
「ISIS指導者バグダディの謎に満ちた素顔:5年前米軍は4年間拘留後あっさり釈放:露RTRが本人の最新ビデオ映像を放送!」
http://www.asyura2.com/14/kokusai9/msg/103.html
「山本太郎参議院議員が賛成できず退席した「テロ行為に対する非難決議」はタイトルの表現に違和感」
http://www.asyura2.com/15/senkyo179/msg/527.html
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『ニューズウィーク日本版』2015−2・3
P.27〜29
自称カリフの平凡な素顔
指導者:ISISの恐怖支配の頂点に君臨するバグダディは「聖人君子」を周囲が演出するただのテロリスト?
ジャニーン・ディジョパンニ(中東担当エディター)
イスラム教スンニ派テロ組織ISIS(自称イスラム国、別名ISIL)の指導者アブ・バクル・アル・バグダディはめったに人前に姿を見せない。登場するときには、大統領かマフィアのボス並みに警護の男たちに囲まれている。
「彼が現れた瞬間、携帯電話が通じなくなった」と言うのは、シリアのラッカに住む29歳のアブ・アリ(仮名)だ。アリはバグダディが礼拝に来たときに、たまたまモスクに居合わせた。
「武装した男たちが一帯を封鎖し、写真も動画も撮影は一切禁止だと警告した。恐ろしくビリビリした雰囲気だった」
アリによると、最も異様だったのは、「黒ずくめ」のバグダディが入ってくるなり「警備の男たちが一斉にアラー・アクパル(神は偉大なり)と叫びだした」ことだ。「それでますます怖くなった。その場にいた者はバグダディに忠誠を誓わされ、彼が去った後も30分ほどモスクに足止めを食らった」
バグダディはマフィアの首領並みに手下に忠誠を求め、恐怖支配を敷いていると、アリはみる。「彼は軍事戦略にたけ、実に端密に組織を統率している」
バグダディの出身地は、バグダッド北方のスンニ派三角地帯に位置する都市サマラだ。近所の人々が覚えているバグダディは冷徹な指導者とは違う。「とてもおとなしく、声を問いたことがないほどだった」と、元隣人のタリーク・ハミードは話す。
イラクとシリアの一部地域を占領し、預言者ムハンマドの後継者(カリフ)の統治下に置いたと主張するISIS。自称「カリフ」の少年時代を知る人々は、勉強家で信仰にあつい静かな子だったと口をそろえる。
ハミードの記憶にあるのは、イラク人男性の伝統的な服装で自転車に乗っていたバグダディの姿だ。「自転車の荷台にいつも本を数冊積んでいた。サマラの男たちはたいがいズボンにシャツのスタイルだったが、彼がそんな服装をしているのは見たことがない。カフェにたむろしたりせず、モスクで知り合った少数の友人と付き合っていた」
報道によると、バグダディは71年生まれ。家は裕福ではなかったが、親戚にはサダム・フセインの秘密警察に勤務する男が2人いた。「貧乏だが、礼儀正しい一家だった」と、一家を知る通訳のハシュムは話す。
バグダディは幼少期から信仰に身をささげていたと、ISISは盛んに宣伝している。サマラの住民イェシェル・ファフミも、「家族ともども、敬慶なムスリムだった」と証言する。
敬虔なイメージは偽りか
しかし、イラク経済改革研究所のロンドン在住アナリスト、サジャド・ジャドは、「バグダディが宗教的な人物なら驚きだ」と言う。「ジハード(聖戦)組織に入ったイラク人の大半は、03年以前は世俗的なバース党の党員だったからだ」
近所の人々によると、バグダディはスポーツ好きでもあり、家の近くのグラウンドでよくサッカーをしていたという。「試合中に誰かがぶつかったり、汚い手を使ったりしても、感情的になることはまずなかった」と、ハミードは言う。
ISISが発表している経歴では、バグダディはサマラのモスクでコーランを学び、イスラム科学とハディス(ムハンマドの言行録)の講義を受けたことになっている。
その後、サマラのモスクで導師を務め、バグダッドの大モスクで金曜礼拝を執り行ったという情報もある。しかし、ジャドらはこうした話はすべてISISのプロパガンダだとみている。
より信憑性が高いのは、高校卒業後フセインの軍隊に入り、兵役義務を果たしたことだ。彼はそこで銃の使い方を覚え、軍事戦術のイロハを学んだだろう。
18歳前後でバグダッドに出て教育を受けたとされるが、学歴についても諸説ある。宗教学の博士号を取得したとハミードらは言うが、親族に確認しようにも、サマラに残っている人はいない。「彼の身内と見られるのを恐れて、みんな逃げてしまった」と、ファフミは言う。
ファフミの知る限り、バグダディは03年以降、サマラには一度も戻っていないという。
バグダディの残虐性の原点はイラク戦争にある。フセイン政権を倒すためにイラクに侵攻した米軍は03年4月9日、バグダッド中心部を占拠。その後間もなく、イラク全土は無政府状態に陥った。
フセインと側近たちはすぐさま逃亡し、スンニ派三角地帯近辺の村に潜伏するか、シリアに向かった。残ったスンニ派の武装組織のメンバーは当初は米軍を標的にテロ攻撃を開始した。
当時バグダディはスンニ派のテロ組織の設立に関与したとみられている。04年か05年か、時期は不明だが、彼はイラク中部のファルージャで米軍に拘束された。ヨルダン人のテロリスト、アブ・ムサブ・アル・ザルカウィとの関係が疑われたようだ。ザルカウィは「イラク・アルカイダ機構」の指導者で、06年に米軍主導の作戦で殺された。
逮捕後、バグダディは米軍がイラク南部に設置していた収容所「キャンプ・ブッカ」に拘束された。アブグレイプ刑務所の元収容者も大勢いた。ただしバグダディの場合は、実際のテロ行為で拘束されたわけではない「民間人拘束者」の扱いだった。
拘束期問についてはさまざまな説が飛び交う。あるシリア人活動家は、04年1月〜06年12月とみる。一方、米シンクタンク「中東フォーラム」のフェロー、アイメン・ジャワド・アルタミミは、05年の活動状況から見て04年後半には釈放されたはずだと主張する。
収容所での日々はバグダディにとって有益だった。キャンプ・ブッカはいわば野心に燃えるテロリストのサマーキャンプ。収容者は米軍の監視の目を盗んで、情報交換や将来のための人脈づくりに励んだ。「テロリスト大学のようなもの」だと、歴史家のジュレミ・スリは言う。
「キャンプ・ブッカで大勢の過激派同士が知り合い、旧バース党員が急進化してイスラム過激派組織と手を組んだ」と、シリア情勢を伝えるウェブサイト「シリア・イン・クライシス」のフロン・ランドは言う。「ここから巣立ったISIS幹部は大勢いる」
アルカイダの旗を捨てて
キャンプ・ブッカでの日々はバグダディにとって「反政府勢力として新たな一歩を踏み出す好機だったのだろう」とジャドはみている。ISISの報道官も当時の収容所伸問だ。
釈放されたバグダディは過激派としての活動を再開。06年にイラクで結成されたアルカイダ系過激派組織イラク・イスラム国に参加し、10年5月にはその指導者に任命された。
当初から壮大な野心を持ち、目指すものもアルカイダとは違っていたイラク・イスラム国は、結局アルカイダの旗を捨てた。
中東情勢に関するメディアサイト、アル・モニターによれば、「13年半ば、バグダディはISIS設立を発表し、アルカイダの最高指導者アイマン・アル・ザワヒリの命令に背いた。ザワヒリはISISの活動をイラク国内に限定し、シリアについてはアルヌスラ戦線に任せたがっていた」。
当時バグダディと行動を共にし、その後ISISを離脱したフセイン(仮名)は、シリアのアルカイダ系組織アルヌスラ戦線との会談を次のように振り返る。「会談はトルコ国境付近のトレーラー内の個室で行われた。バグダディは相手幹部に対してだけ名乗り、下の連中に対しては名乗らなかった。興味深かったのは、誰もどの人間が本物のバグダディか確信が持てなかったことだ。バグダディはうやむやにしたがった」
昨年1月の戦闘で、バグダディは「右腕」と頼むイラク軍元将校ハッジ・バクルを失った。「バクルはバグダディのイメージを磨き上げ、イスラム国のプリンスに仕立てようとしていた。しかし実は、バクルこそ陰のプリンスだった」とフセインは言う。今もバグダディは、忠誠を誓う元将校らに軍事面や安全面を頼る。その多くがキャンプ・プッカで知り合った人問だ。
謎めいた雰囲気を演出?
「他人に対して冷酷非情に振る舞い、口数は少ない」ということ以外、バグダディの私生活は謎に包まれているとジャドは言う。「彼は被害妄想に取りつかれている」
ソーシャルメディア上でバグダディが話題に上ることは少なく、功績や人格について語られることはめったにない。ISIS系のソーシャルメディアがバグダディに言及するのは、ユーザー登録時にカリフヘの忠誠を誓わせるときくらいだ。
バグダディは潜伏先を転々と変えている。10年頃までは恐らくバグダッドやモスルで暮らしていたのだろうが、「当時バグダディに会うことができた人間はひと握りで、その場合もバグダディは顔を覆い隠していた」とジャドは言う。「彼の前任者や同輩は密告や諜報活動によって殺された。だがバグダディは10〜14年の期間を、宗教についての知識を深め、謎めいた雰囲気を身にまとうのにも利用したのではないか」
人に会う際は顔をスカーフで隠し、自分の写真や動画が出回ることを許さないのも計算ずくだ。イラク内務省が公開した写真は拘束中の04年に撮影されたもので、「カリフではなく野心あるテロリストの顔」だとジャドは言う。バグダディのものとされる音声テープからは「優越感と非イラク人に対するかすかな軽蔑がうかがえる」。
何よりバグダディは「ウサマ・ビンラディンの後継者を自任する世界トップのテロリスト」という立場に浮かれている。「神秘と高尚さのベールを取り払えば、『カリフ』はかなり平凡な男だ。チャンスを見抜き、それをつかんだにすぎない」とジャドはみる。「バグダディも、新生イラクの破壊を試みた無数のイラク人と変わらない。名も無きテロリスト、暴力に走った犯罪者で終わったかもしれない。そんな男が今、世界の注目を一身に集めている。」
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