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『ニューズウィーク日本版』2015−2・10
P.40〜43
「反イスラムの波を「預言した」男
反移民感情を背景に勢力を拡大した極右ウイルダースはパリ襲撃事件を追い風にどこまで影響力を強めるのか
ウィンストン・ロス(ジャーナリスト)
ポケットの中身をすべて出し、金属探知機を通り抜け、バックパックを2度にわたりチェックされた末にようやく、カードキーで管理された部屋に通されると、そこにヘールト・ウィルダース(51)がたった1人で待っていた。
オランダで最も強硬な反イスラムの極右政党である自由党の党首。事有るごとに過激派だけでなく、イスラム教全体を激しく非難してきた男だ。
取材は1月8日で、パリの風刺週刊紙シャルリ・エプドがイスラム過激派に襲撃された翌日のこと。このとき殺害された1人であるステファン・シャルポニュ編集長は、ウィルダースと共にアルカイダの「殺害リスト」に名前が載っていた人物だった。
フランスを襲った悲劇は、早くもウィルダースのような政治家の影響力と存在感を強めている。事件後、自由党の支持率は過去1年余りで最高を記録。現時点で、オランダで最も支持率の高い政党になっている。
取材の日のウィルダースは、トレードマークのモーツァルト魂の髪形に、光沢のある黒のアルマーニのスーツと、明るいグリーンのネクタイといういでたちだった。調子はどうかと挨拶代わりに尋ねると、「どうにか生きているよ」という言葉が返ってきた。
芝居掛かった言葉だが、そういう発言が飛び出すのも理解できなくはない。何しろこの10年ほど、自らの過激な発言のせいで度重なる殺害予告を受け、ほとんどの時問を厳重警備の下で防弾チョッキを着て過ごしているのだ。
おまけに、パリの事件後はますます発言が過激になっている。襲撃事件のわずか数時間後には、「これは戦争だ」とツィッタ一に書き込んだ。イスラム教全体との戦争という意味だと、ウィルダースは私に説明した。
ウィルダースは、「それ見たことか」と言いたいのだろう。ヨーロッパの政治家たちはテロの脅威を真剣に受け止めてこなかった、というわけだ。「(政治家たちは)イスラムという問題から目をそらしてきた。社会のイスラム化がこのような事態を招いた。すべてはコーランに触発されたものだ」
今回の事件をきっかけに自らの影響力が強まることを喜んではいないと、ウィルダースは強調する。実際、事件の前から自由党はオランダの政党支持率でトップに立っていた。いま選挙が行われれば、自由党が議席を大きく増やし、連立協議次第ではウィルダースが首相に就く可能性もある。
ヨーロッパの人々は次第に、中東の国々から大量に流入してくるイスラム教徒の移民に対して寛容さを失いつつある。スウェーデンでモスク(イスラム礼拝所)が相次いで焼き打ちに遭ったり、ドイツで何万人もの人が反移民デモに参加したり。強硬な反イスラム的発言をする政治家や政党に対する支持も高まっている。
10年前、モスクの新規建設を禁止すべきだというウィルダースの主張は、極右政治家の妄言と見なされていた。コーランをヒトラーの『わが闘争』と同類視し、半分のページの破棄と販売禁止を訴えるような主張は、あくまでも極端なものと考えられてきたのだ。
しかし、いまメディアは、ウィルダースを「ポピュリスト」と位置付けるようになり、その主張をたわ言とは片付けなくなっている。ウィルダースは昨年3月の政治集会で、「(この町から)モロッコ人が増えたほうがいいか、減ったほうがいいか」と問い掛け、何千人もの群衆が「減ったほうがいいー」と答えると、「そのようにしよう」と約束してみせた。
ポピュリズムと排外主義を合体
この集会で憎悪をあおった容疑でウイルダースは訴追され、今年裁判にかけられる。だが、本人は問違ったことはしていないと言う。「ここ数十年、ヨーロッパをむしばんでいる最大の疫病は文化的相対主義だ。リベラル派や左派は文化に優劣はないと吹聴しているが、それは違う。キリスト教、ヒューマニズム、ユダヤ教に基づく私たちの文化は高尚な文化だ」
ウィルダースは63年にオランダ南東部の都市フエンロで、4人きょうだいの末っ子として生まれた。カトリック教徒として育てられたが、その後教会から離れ、今は不可知論者を自称している。オランダ公開大学で学び、青年時代にイスラエルとアラブ世界を広く旅した。
17歳のときにはヨルダン地溝帯で暮らした。パレスチナの町エリコを数キロ先に見下ろす場所だ。こうした経験から、彼はイスラム諸国は最悪の機能不全国家であり、暴力国家だと考えるようになり、ムスリムの移民流人に警鐘を鳴らすようになった。「移民は悪人だから、規制しろというのではない。問題は移民が異質な文化を持ち込むことだ。イスラムは他の文化と融合せず、支配しようとする」
ウィルダースは自由民主国民党から政界に打って出たが、同党がトルコのEU加盟を支持したことに不満を持って脱退。06年に自由党を結成し、同年の稔選挙で9議席を獲得してオランダ中を驚かせた。
07年には、「絶妙のタイミングでメディアに受ける発言をする」才能が評価され、オランダの有力ラジオ局から「今年の政治家」に選ばれた。08年にはコーランの一節やイスラム過激派の声明を抜き出して、イスラムの暴力的なイメージを強調した17分のプロパガンダ映画『フィトナ』を制作、インターネット上で公開した。
09年には、イギリスでこの映画を上映しようとして、英政府に入国を禁止される。この年オランダの検察当局は民族的憎悪と差別をあおった容疑でウィルダースを起訴したが、2年後に無罪の判決が下った。特定の民族を標的にしたのではなく、宗教を批判しただけだという弁護側の主張が通ったのだ。オランダの法律では宗教を批判することは言論の自由として認められている。
10年には9・11同時多発テロで倒壊したニューヨークの世界貿易センタービル跡地「グラウンド・ゼロ」を訪れ、近くにイスラム・センターを建設する計画に反対する演説をぶった。
アムステルダム大学の政治学者マタイス・ローデュインによると、ポピュリズム政党の特徴は、政治的エリートへの反発や政治不信をバネに支持を広げること。ウィルダースのやり方もこれに当てはまるが、政治に対する不満を難民の大量流入やテロに対する不安と結び付けて怒りをあおるのが、彼の率いる自由党をはじめとするヨーロッパの反イスラム政党の常套手段だ。
フランスでも、反移民を掲げるマリーヌ・ルペンの極右政党「国民戦線」がいま最も支持率が高い。今の政治的な空気では、ポピュリズムと排外主義を組み合わせれば一気に支持を伸ばせると、ローデュインは指摘する。グローバル化に対する不安の高まりを背景に、「職を奪い、テロを起こす」移民と、移民を擁護する既成政治家を悪玉に仕立てることで有権者の共感を得られるからだ。ウィルダースは07年にはルペンを「最悪だ」とこき下ろしていたが、13年には欧州議会で影響力を増すためにルペンと会派を組んだ。
支持率が議席数につながらず
移民政策をめぐるウィルダースの主張は簡潔だ。オランダはイスラム圏からの移住を完全に禁止する。ジハード(聖戦)に身を投じたい者はよその国に行けばいいが、戻ってくることは許さない。EU域内の移動の自由を定めたシェンゲン協定から離脱して、国境に検問所を設ける。「民主主義は、国境が管理された民族国家でのみ栄える」というわけだ。
ただし、ウィルダースはいかなる相手に対するいかなる暴力も擁護しない。法律を遵守する平和的なイスラム教徒が攻撃されても、自分は責任を問われるような発言はしていないと強調する。
「モスクに火を付けるのは犯罪であり、刑務所に入って当然だろう。私たちに寛容な人々には、私たちも寛容であるべきだ。私たちに不寛容な人々には、私たちも不寛容であるべきだ」
このような主張にとって、パリの事件がどこまで追い風になるかは未知数だ。実際、自由党はこの10年問、世論調査で度々高い支持率を得ているが、必ずしも議席に結び付いていない。
10年の総選挙では、中道右派のキリスト教民主勢力(CDA)の支持層を取り込んで150万票を獲得。9議席から24議席に大きく伸ばし、閣外協力の形ながら政権入りを果たした。選挙前に中高生を対象に行われた世論調査では「第1党」に輝いている。しかし2年後の稔選挙では15議席まで減らし、連立政権にも加われなかった。
次の選挙で最多の議席を獲得しても、政策を変えるような影響力を持つためには、連立政権を組む党を説得する必要がある(オランダの現行の選挙制度では、単独政党が過半数を確保したことはない)。そして本人の言葉を借りれば、ほかの政党は「(ウィルダースが)最大勢力になったとしても、関わりたくないと思っている」。
名前を売るために吠え続ける
パリの襲撃事件は、ウィルダースが持論を展開する格好の機会に思えるかもしれない。しかし人類学者のリジー・ファン・レーウエンは、ウィルダースのこれ見よがしの振る舞いが反動を招くだろうと指摘する。犠牲者の屍を踏み台に権力を握ろうという卑劣な試みと見なされるというのだ。
「この時期に彼の言動はリスクが高い。すべてのイスラム教徒が過激派でテロリストだと決め付けるのは安直過ぎる。もっと慎重に振る舞うべきだ」
一方で、ウィルダースにとって政界での地位は二の次になりつつある、という見方も広まっている。議席を増やすより、イスラム教と移民を声高に非難して悪い意味で注目を集めるほうが、移民をめぐる議論に対してはるかに大きな影響力を持てるからだ。
だからウィルダースは集会での憎悪発言をめぐる裁判の開始を待ち望み、パリの襲撃事件の直後だったこの時期に、進んで今回の取材に応えたのだろう。オーストラリアを訪れ、自由党を手本に政党を立ち上げようとしている右派勢力を支援する計画もある。
「有名になるほど、彼にとって政治家である必要性は小さくなる」と、アムステルダム大学のローデュインは言う。
ウィルダースのオフィスの壁には、彼が僧奏するウィンストン・チャーチルの等身大の肖像画が掛けられている。チャーチルもイスラム教を厳しく批判していた。
その横にもう1人、アクリルケースの中に、ウィルダースが愛してやまない人物の像が飾られている。最近の選挙で勝ったお祝いに同志から贈られたという、漫画のキャラクターを思わせる小さな彫刻は、ヘールト・ウィルダースその人だ。」
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