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沖縄の石垣島など先島諸島周辺に、巨大津波の痕跡…2000年前から4回
http://www.asyura2.com/15/jisin21/msg/850.html
投稿者 怪傑 日時 2017 年 6 月 02 日 14:23:04: QV2XFHL13RGcs ifaMhg
 

沖縄の石垣島など先島諸島周辺に、巨大津波の痕跡…2000年前から4回
http://gansokaiketu.sakura.ne.jp/newsindex5-2-naiyou-1.htm#2017-06-02-沖縄の石垣島など先島諸島周辺に、巨大津波の痕跡

石垣島、巨大津波の痕跡…2000年前から4回
http://www.yomiuri.co.jp/science/20170529-OYT1T50105.html?from=y10


 沖縄県の石垣島で、約2000年前から現在までに巨大津波が計4回起きたことを示す地層の痕跡を発見したという調査結果を、静岡大学の研究チームがまとめた。

石垣島など先島諸島周辺には、1771年に巨大津波の記録があり、最大30メートル弱の津波が押し寄せたとみられている。研究チームは石垣島の牧場に長さ約150メートル、深さ約3メートルの溝を掘り、地層に津波の痕跡があるかどうかを調べた。

 その結果、1771年の痕跡のほかに計3回の巨大津波の痕跡を見つけた。約600年に1回の間隔で、巨大津波が繰り返し起きたと考えられるという。  

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コメント
 
1. taked4700[6222] dGFrZWQ0NzAw 2017年6月02日 22:49:11 : 3GkFAgPDPs : u8vJQWSvjCQ[2]
>石垣島など先島諸島周辺には、1771年に巨大津波の記録があり、最大30メートル弱の津波が押し寄せたとみられている。

八重山地震のことですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E9%87%8D%E5%B1%B1%E5%9C%B0%E9%9C%87
>東北大学遠藤和久准教授らが奄美大島から南西諸島へ至る10島で2,900個のサンゴを放射性炭素年代測定法で調べた結果、浜辺や陸地にあがったのは1,000個で、石垣島付近の2島に限られ、それより北では発見されなかった[8]。地震による津波の範囲が限定的であったことが明確となり、過去2,400年間で9回津波が来襲したという別の調査の結果が裏付けられた[9]。

ということで、石垣島近辺限定といっていい津波被害でした。しかし、1707年
10月28日(宝永4年10月4日) 宝永地震(南海トラフ全域が震源域)ですから、八重山地震発生までには宝永地震から70年程度が経過しています。
しかしながら、
>新燃岳の1716-17年(享保元-二年)の噴火は,それぞれの火山体の地形を一変させるほどの規模
http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/etc/abstracts.html

ということで、この時期に南九州付近で大きな地震があったことが推測できます。少なくとも、この時期の前、数百年に渡り、相当にフィリピン海プレートの沈み込みが南九州から西南諸島で活発であったのです。

そして、ここが肝心ですが、869年の貞観地震で東日本の東方の海溝(日本海溝)から太平洋プレートの沈み込みは原則としてストップしていたわけであり、1700年頃はほぼ日本海溝からの太平洋プレートの沈み込みが完全停止した後の時期であるわけです。

つまり、フィリピン海プレートは伊豆小笠原海溝以南の海溝での太平洋プレートの沈み込みで生成されますが、1700年頃以降は、太平洋プレートの日本海溝からの沈み込み停止の効果が伊豆・小笠原海溝付近にも及び、結果的にフィリピン海プレートの生成が低下し、1700年頃以降は南西諸島での大規模なフィリピン海プレートの沈み込みは起こっていないのです。南西諸島付近で次の大地震が発生するには、より南の地域で大規模にフィリピン海プレートの沈み込みが起こるか、または、伊豆・小笠原海溝からの太平洋プレートの沈み込み活発化の効果がフィリピン海プレートの生成の増加へとつながり、少なくとも数メートルのフィリピン海プレートが新たに生成されてこないと大きな沈み込みは起こりようがありません。M7程度であっても沈み込むプレートの量は数メートルです。年に普通はせいぜい10cm程度しかプレートは生成されないので、仮に20cmが一年間で生成されると考えても2mには10年間かかりますし、仮に年に5cmの生成であれば2mの長さを生成するためには40年かかります。ですから、少なくとも、今後10年程度は八重山地震の再来となるような大地震は起こらないと思います。

なお、桜島は、不思議なことに、1700年ごろの大噴火はありません。
>1471年(文明3年)9月12日に大噴火が起こり、北岳の北東山腹から溶岩(北側の文明溶岩)が流出し、死者多数の記録がある。2年後の1473年にも噴火があり、続いて1475年(文明7年)8月15日には桜島南西部で噴火が起こり溶岩(南側の文明溶岩)が流出した。さらに翌1476年(文明8年)9月12日には桜島南西部で再び噴火が起こり、死者多数を出し、沖小島と烏島が形成された[12]。

とか、

>1779年11月7日(安永8年9月29日)の夕方から地震が頻発し、翌11月8日(10月1日)の朝から、井戸水が沸き立ったり海面が紫に変色したりするなどの異変が観察された。 正午頃には南岳山頂付近で白煙が目撃されている。昼過ぎに桜島南部から大噴火が始まり、その直後に桜島北東部からも噴火が始まった。夕方には南側火口付近から火砕流が流れ下った。夕方から翌朝にかけて大量の軽石や火山灰を噴出し、江戸や長崎でも降灰があった。
11月9日(10月2日)には北岳の北東部山腹および南岳の南側山腹から溶岩の流出が始まり、翌11月10日(10月3日)には海岸に達した(安永溶岩)。翌年1780年8月6日(安永9年7月6日)には桜島北東海上で海底噴火が発生、続いて1781年4月11日(安永10年3月18日)にもほぼ同じ場所で海底噴火およびそれに伴う津波が発生し被害が報告されている。一連の海底火山活動によって桜島北東海上に燃島、硫黄島、猪ノ子島など6つの火山島が形成され安永諸島と名付けられた。島々のうちいくつかは間もなく水没したり、隣接する島と結合したりして、『薩藩名勝志』には八番島までが記されているという[33]。死者は150人を超えたが、最も大きい燃島(現・新島)には1800年(寛政12年)から人が住むようになった。

とされていて、1700年前後は空白期です。これは、多分、1476年の噴火でマグマの多くを使ってしまい、その後の120年ぐらいでは十分なマグマを蓄積できなかったからでしょう。

なお、1907年の桜島大正噴火は直前の時期(すいません、年月日を覚えていません)に大隅半島付近で深発地震、深さが確か50キロ程度のM6以上地震が起こっていたと記憶しています。


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