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2011年東北地方太平洋沖地震の今後を平安時代の地震から推測すると。
(*地震年表からの引用が読みにくいはずです。時間のない方はその部分を飛ばして読まれることをお勧めします。)
ウィキペディアの「地震の年表(日本)」( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC) )から、東北地方太平洋沖地震の前回版とされる貞観地震の前後の地震を以下に引用します。ちょうど平安時代に相当します。
(*以下引用開始:)
平安時代(794年 - 1190年頃)
818年8月頃(弘仁9年7月) 弘仁地震 - M 7.9、北関東で地震。死者多数(『類聚国史』)。
827年8月7日(8月11日)(天長4年7月12日) 京都で地震(『類聚国史』) - M 6.5?7。
830年1月30日(2月3日)(天長7年1月3日) 出羽で地震(『類聚国史』) - M 7?7.5。
841年前半(承和8年5月3日以前) 伊豆地震 - M 7、死者多数(『続日本後紀』)。丹那断層の2つ前の活動と見られている。
850年11月23日(11月27日)(嘉祥3年10月16日) 出羽国地震 - M 7、死者多数(『文徳実録』、『日本三代実録』)。
863年7月6日(7月10日)(貞観5年6月17日) 越中・越後地震 - 圧死者多数(『日本三代実録』)。直江津付近にあった数個の小島が壊滅したと伝えられる※。記録は疑わしいとする見解もある。
(864年(貞観6年5月)富士山噴火(『日本三代実録』)(青木ヶ原樹海を作った貞観大噴火)、阿蘇山噴火)
867年11月16日(貞観9年10月13日)- 陸奥国大地震
868年7月30日(8月3日)(貞観10年7月8日) 播磨国地震(『日本三代実録』) - M 7台[39]。兵庫県の山崎断層帯の活動によるものと思われている。
869年7月9日(7月13日)(貞観11年5月26日夜) 貞観地震 - M 8.3?8.6(Mw >8.7)、陸奥国地大震動、地震に伴う津波(貞観津波)の被害が甚大で死者約1,000人(『日本三代実録』)。多賀城損壊。津波堆積物調査から震源域が岩手県沖?福島県沖、または茨城県沖の連動型超巨大地震の可能性も指摘される[注 6]。東北地方太平洋側で繰り返し発生していると推定されるM 9クラスの地震の候補とされる。
878年10月28日(11月1日)(元慶2年9月29日) 相模・武蔵地震 - M 7.4、死者多数。京都でも揺れが感じられる(『日本三代実録』)。伊勢原断層の活動時期に合致するとする説と、館山市の海岸で見出された900年頃と推定される津波堆積物から相模トラフのプレート境界地震とする説がある。
880年11月19日(11月23日)(元慶4年10月14日) 出雲で地震 - M 7(『日本三代実録』)。
886年6月29日(7月3日)(仁和2年5月24日) 伊豆諸島噴火。安房の国で降灰と地震(『日本三代実録』)。
887年
7月29日(8月2日)(仁和3年7月6日) 京都で地震 - M 6.5(『日本三代実録』)。越後西部で津波による溺死者は1000人にのぼったとされる※。
8月22日(8月26日)(仁和3年7月30日) 信濃北部地震 ※ - 『扶桑略記』の山崩れ・洪水の記述から今村明恒が唱える。河内晋平が日付の誤記があり存在しない地震であると指摘し、その見方が強い。
8月22日(8月26日)(仁和3年7月30日) 仁和地震(南海トラフ連動型地震説あり) - M 8?8.5、五畿七道諸国大震、京都・摂津を中心に死者多数。津波あり(『日本三代実録』)。南海地震の記録だが地質調査によればほぼ同時期に東南海・東海地震も発生。津波堆積物からM 9クラスであったとする説もある。石橋克彦は、この地震によって八ヶ岳が山体崩壊を起こし、形成された堰止湖が888年6月20日(仁和4年5月8日)に決壊したと、仮説を唱えた。
10世紀
938年5月17日(5月22日)(承平8年4月15日) 京都などで地震 - M 7、死者あり。高野山でも建物損壊。その後も余震が多く、8月6日に大きな余震。
976年7月17日(7月22日)(天延4年6月18日) 山城・近江地震 - M 6.7以上、死者50人以上。
11世紀
1026年6月10日(6月16日)(万寿3年5月23日) 万寿地震 - 石見国(島根県益田市)の日本海沖で巨大な地震津波が発生し、沿岸の各村落に襲来して未曾有の被害をもたらしたとの口碑がある。益田川沿いにて同時期の津波堆積物と思われる層を確認。
1088年6月4日(6月10日)(寛治2年5月13日) 宮古の辺に20時頃から翌朝まで9回地震、大津波が13時頃までに3回来襲(『奥南見聞録』)。
1096年12月11日(12月17日)(嘉保3年11月24日) 永長地震(嘉保地震、東海・東南海地震) - M 8?8.5、死者1万人以上と推定。東大寺の鐘が落下、伊勢・駿河で津波による大きな被害など。
1099年2月16日(2月22日)(承徳3年1月24日) 康和地震(承徳地震、南海地震) - M 8?8.5、興福寺、天王寺に被害。死者は不明。地殻変動により土佐で田畑海没。津波被害は不明。土佐の地盤沈下記録の日付は康和2年1月X4日。
(*以上引用終わり)
貞観地震は869年ですから、上の引用部分は、貞観地震前50年程度と貞観地震後の200年の合計250年程度の期間の地震と言うことになります。この時期の日本の人口は400万人から700万人程度とされていますから、M6程度以下の地震は全く記録に残っていないでしょうし、海域での地震や離島に被害を与えた地震も記録には残っていないはずです。なお、現在の日本の人口は約1億2000万人ですから、平安時代は現在の20分の1以下程度の人口であったことになります。現在の四国の人口が400万人程度ですから、今の四国の人口が全国に散らばっていたという状況が平安時代の人口のイメージです。当時は識字率もあまりなく、また通信手段も手紙以外はほぼなく、たとえ被害を受けた人々が居ても記録に残すこと自体が出来なかった時代です。
まず、貞観地震が発生する前の地震を、年代と地域、マグニチュードだけを抜きだして整理してみます。
818年8月 北関東 M 7.9
827年8月 京都 M 6.5?7。
830年1月 出羽(秋田県あたり) M 7?7.5。
841年 伊豆地震 - M 7
850年11月 出羽(秋田県あたり) M 7
863年7月 越中・越後(富山県から新潟県あたり)
864年 富士山噴火 阿蘇山噴火
867年11月 陸奥国(福島県、宮城県、岩手県、青森県、秋田県あたり) 大地震
868年7月 播磨国(兵庫県あたり) M7
869年7月9日 貞観地震
一見して分かることは、東日本の地震が多いことです。九州での地震は一つもなく、関西から中部地方での地震が一件ずつ発生しています。また、貞観地震の前50年間に8個の陸域での地震が発生しています。
上の期間を東北地方太平洋沖地震に置き換えてみましょう。2011年のおよそ50年前ということで1960年以降の地震を「地震の年表(日本)」から以下に引用します。但し、海域での地震は省略します。海域での地震は、平安時代の記録として残っていないことがほとんどだからです。
(*以下引用開始:)
1961年2月 長岡地震 - Mj 5.2、新潟県長岡市で最大震度 4。
8月 北美濃地震 - Mj 7.0、中部地方から近畿地方にかけて最大震度 4。
1962年4月 宮城県北部地震 - Mj 6.5、岩手県、宮城県、山形県、福島県で最大震度 4。
1964年6月 新潟地震 - Mj 7.5(Mw 7.6)、死者26人。新潟県、山形県、宮城県、福島県で最大震度 5。
1965年4月 静岡地震 - Mj 6.1、神奈川県、山梨県、静岡県で最大震度 4。
8月?1970年6月 松代群発地震 - 最大Mj 5.4(1966年4月5日)、全地震のエネルギーの総計はM 6.4相当。
1968年2月 えびの地震 - Mj 6.1、熊本県人吉市で最大震度 5。
9月 岐阜県中部地震 - Mj 6.6、長野県三岳村で最大震度 5。
1971年2月 新潟県上越地方で地震 - Mj 5.5、新潟県上越市で最大震度 4。
1980年9月 千葉県北西部で地震 - Mj 6.0?6.1、
1983年8月 山梨県東部で地震 - Mj 6.0、東京都、神奈川県、山梨県、静岡県で最大震度 4。
1984年9月 長野県西部地震 - Mj 6.8、長野県王滝村で推定震度 6、山梨県、長野県、京都府で最大震度 4。
1995年1月 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災、阪神大震災) - Mj 7.3(旧Mj 7.2)(Mw 6.9)、
1997年5月 鹿児島県北西部地震 - Mj 6.4(旧Mj 6.3)(Mw 6.2)、川内市で最大震度 6弱。
1998年9月 岩手県内陸北部地震 - Mj 6.2(旧Mj 6.1)(Mw 5.9)、岩手県雫石町で最大震度 6弱。
2000年10月 鳥取県西部地震 - Mj 7.3(Mw 6.8)、鳥取県境港市・日野町で最大震度 6強。
2001年3月 芸予地震 - Mj 6.7(旧Mj 6.4)(Mw 6.8)、広島県河内町・大崎上島町、熊野町で最大震度 6弱、死者2人。フィリピン海プレート内部の地震。
2002年7月 宮城県北部地震 - 0時13分にMj 5.6、7時13分にMj 6.4(Mw 6.1)、16時56分にMj 5.5。
2004年10月 新潟県中越地震(新潟県中越大震災) - Mj 6.8 (Mw 6.7)、新潟県川口町で最大震度 7。
12月 留萌支庁南部地震 - Mj 6.1(Mw 5.8)
2005年7月 千葉県北西部地震 - Mj 6.0(Mw 5.8)、深さ73km、東京都足立区で最大震度 5強。東京大学地震研究所助教授の古村孝志らは、1894年の明治東京地震(M7)と類似していると指摘している。
2007年3月 能登半島地震 - Mj 6.9(Mw 6.6)、石川県穴水町・輪島市・七尾市で最大震度 6強。
7月 新潟県中越沖地震 - Mj 6.8(Mw 6.7)、
2008年6月 岩手・宮城内陸地震 - Mj 7.2(Mw 7.0)、岩手県奥州市と宮城県栗原市で最大震度 6強。
7月 岩手県沿岸北部で地震 - Mj 6.8(Mw 6.8)、深さ108km。青森県八戸市・五戸町・階上町、岩手県九戸郡野田村で最大震度 6弱。死者1人。なお、岩手・宮城内陸地震との関連性は薄いとされている。
2011年3月 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災) - Mw(モーメントマグニチュード) 9.0
(*以上引用終わり)
以上の地震からM7以上のものだけを次に抜き出します。平安時代に起こったM7未満の地震は記録として残っていない可能性が強く、それに対応させるためです。
1961年8月 北美濃地震 - Mj 7.0、中部地方から近畿地方にかけて最大震度 4。
1964年6月 新潟地震 - Mj 7.5(Mw 7.6)、死者26人。新潟県、山形県、宮城県、福島県で最大震度 5。
1995年1月 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災、阪神大震災) - Mj 7.3(旧Mj 7.2)(Mw 6.9)、
2000年10月 鳥取県西部地震 - Mj 7.3(Mw 6.8)、鳥取県境港市・日野町で最大震度 6強。
2008年6月 岩手・宮城内陸地震 - Mj 7.2(Mw 7.0)、岩手県奥州市と宮城県栗原市で最大震度 6強。
2011年3月 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災) - Mw(モーメントマグニチュード) 9.0
M7以上が5個発生していることが分かります。地域の推移としては、大まかに、関西ー東北ー関西ー中国ー東北となっています。
ここで貞観地震発生前の50年の地震をもう一度引用します。
818年8月 北関東 M 7.9
827年8月 京都 M 6.5?7。
830年1月 出羽(秋田県あたり) M 7?7.5。
841年 伊豆地震 - M 7
850年11月 出羽(秋田県あたり) M 7
863年7月 越中・越後(富山県から新潟県あたり)
864年 富士山噴火 阿蘇山噴火
867年11月 陸奥国(福島県、宮城県、岩手県、青森県、秋田県あたり) 大地震
868年7月 播磨国(兵庫県あたり) M7
869年7月9日 貞観地震
地域の推移としては、ごく大まかに、関東ー関西ー東北ー関東ー東北ー東北ー関西 となっています。
これと、先ほど作った2011年までのM7地震推移を比べてみましょう。
869年までの50年間:関東ー関西ー東北ー関東ー東北ー東北ー関西
2011年までの50年間:関西ー東北ー関西ー中国ー東北
まあ、当たり前かもしれませんが、発生パターンはかなり似ています。東北でM7規模が続くわけではなく、関西とか中国地方までが東北でのM7地震の間に挟まっているのです。
なぜそうなるかと言えば、貞観地震も東北地方太平洋沖地震も、マグニチュード9という非常に規模が大きい地震のため、単に太平洋プレートの西への押しと北アメリカプレートのそれへの抵抗で起こったわけではなく、西日本全体が乗っているアムールプレートの東進が関係していたり、または、フィリピン海プレートの関東地方への北進圧力が必要であったりするからです。
そうであれば、M9地震が発生した後の状況もある程度似ている可能性があります。貞観地震後の200年で起こった地震からM7以上のみを抜き出してみます。
869年7月9日(7月13日)(貞観11年5月26日夜) 貞観地震 - M 8.3?8.6(Mw >8.7)、
878年10月28日(11月1日)(元慶2年9月29日) 相模・武蔵地震 - M 7.4、
880年11月19日(11月23日)(元慶4年10月14日) 出雲で地震 - M 7(『日本三代実録』)。
887年
8月22日(8月26日)(仁和3年7月30日) 仁和地震(南海トラフ連動型地震説あり) - M 8?8.5、五畿七道諸国大震、京都・摂津を中心に死者多数。津波あり(『日本三代実録』)。南海地震の記録だが地質調査によればほぼ同時期に東南海・東海地震も発生。津波堆積物からM 9クラスであったとする説もある。石橋克彦は、この地震によって八ヶ岳が山体崩壊を起こし、形成された堰止湖が888年6月20日(仁和4年5月8日)に決壊したと、仮説を唱えた。
10世紀
938年5月17日(5月22日)(承平8年4月15日) 京都などで地震 - M 7、死者あり。高野山でも建物損壊。その後も余震が多く、8月6日に大きな余震。
11世紀
1096年12月11日(12月17日)(嘉保3年11月24日) 永長地震(嘉保地震、東海・東南海地震) - M 8?8.5、死者1万人以上と推定。東大寺の鐘が落下、伊勢・駿河で津波による大きな被害など。
1099年2月16日(2月22日)(承徳3年1月24日) 康和地震(承徳地震、南海地震) - M 8?8.5、興福寺、天王寺に被害。死者は不明。地殻変動により土佐で田畑海没。津波被害は不明。土佐の地盤沈下記録の日付は康和2年1月X4日。
貞観地震の9年後に相模・武蔵地震と言う首都直下地震、その2年後に出雲(島根県の中東部で、島根原発が隣接)、その7年後に南海トラフ地震が発生しているのです。その後50年程度M7規模の地震発生の空白期があり、938年に京都でM7地震発生、更に150年程度M7の空白期があり、1096年から1099年に再度の南海トラフ地震が発生しています。
2016年は既に東北地方太平洋沖地震から5年が経過していますから、数年後には首都直下が発生する可能性が高く、多分、ほぼ同時期に富士山噴火があるでしょうし、その数年後には中国地方、特に島根県でM7規模が発生する可能性が高いのです。そして、その5、6年後には南海トラフ地震として、M8規模の東海地震、東南海地震、南海地震が発生することになります。2020年以降には、中部地方から九州にかけてM6からM7の地震が少なくとも5、6個発生するでしょう。
平安時代の地震記録を見て分かることが他にもあります。貞観地震以前の50年間では東北地方の地震が、出羽、出羽、越中・越後、陸奥と続いていたのに、貞観地震以降の200年では一つも発生の記録がないことです。同様に、北海道や九州の地震の記録は平安時代を通じてありません。北海道は当時非常に人口が少なかったはずで、そのために記録が残っていない可能性が強いのですが、九州は十分に人口はあったはずですから、九州もM7規模の地震発生が貞観地震の前後を通じて無かった可能性が強いのです。
今後、M8規模の南海トラフ地震が発生することはほぼ明らかですから、西日本ではM6からM7規模の直下型の地震が発生していくことは明らかです。福島第一原発事故以降、とても不思議なことに、加圧水型原子炉が安全だとされて、再稼動が進められてきました。しかし、加圧水型原子炉は主に西日本に立地していています。ちょうど南海トラフ地震の震源域を空白域として、その周辺でM6からM7の地震が最小限でも5から6個は発生するでしょうから、西日本での原発再稼働はあまり安全ではないと思えます。
2016年02月01日04時50分 武田信弘
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