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1855年の安政江戸地震を伝える瓦版(東京都立中央図書館特別文庫室所蔵)
安政地震が示す首都直下型の恐怖 震源浅くても強い揺れ遠くまで伝わるメカニズム
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20151127/dms1511270830008-n1.htm
2015.11.27 警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識 夕刊フジ
11月は日本の内陸で起きた地震としては最大の人的被害を生んだ安政(あんせい)江戸地震が起きた月だ。
1855(安政2)年に起きて、江戸(いまの東京)を襲ったこの地震の死者数は、阪神淡路大震災(1995年)を超える1万人以上だったのではないかと考えられている。
地震のマグニチュード(M)や震源の場所や深さは正確に分かっているわけではない。
日本で地震計による観測が全国をカバーして始まったのは1926年だから、それ以前の地震の震源の位置や深さ、Mを決めるのは多くの地震史料を集めて推定しなければならないので大変なことなのだ。
震源は被害の広がりから決めた。安政江戸地震では被害が大きかったのが江戸城の外堀に囲まれた区域で、老中や大名の屋敷が立ち並んでいたところだった。液状化の被害もあった。研究では、震源は隅田川の河口付近とされた。被害は直径20キロほどの狭い範囲に集中していたが、そこにちょうど江戸の下町があったのが不幸だった。
安政江戸地震のMは以前は6・9とされてきたが、近年の研究ではMはもっと大きく、7・1〜7・2クラスではないかと考えられるようになっている。つまり阪神淡路大震災よりわずかに小さいだけの、直下型地震としては大きな地震だった。
首都圏は北米プレートに載っているが、そこに東から太平洋プレートが潜り込み、その2つのプレートの間に南からフィリピン海プレートが潜り込んでいるという複雑な構図になっている。つまり「地震を起こす理由」が多い。
このうちのどのプレートが安政江戸地震を起こしたのかはナゾだった。震源の深さを正確に知らなければそのナゾがとけない。
一般には震源が深いほど、遠くまで強い震度が伝わる。70キロ離れたところでも震度5相当の揺れだったことや、震度4相当の揺れだった地域が500キロ以上も離れたいまの宮城県、新潟県、岐阜県、愛知県といった範囲に広がっていたことから、震源は深かったという説が強かった。
また歌舞伎役者の中村仲蔵の手記に、地震動の初期微動の継続時間が数秒以上と長かったと読み取れるような記載があったことが、震源が深い説を補強した。
他方、この地震では、地下水の異常や地鳴りや発光など、当時は地震の前兆とされていた現象が多く記録されている。これらの現象は震源が浅いために起きると考えられていた。史料とその読み方によって、震源のデータが違ってきてしまっていたのだ。
しかし最近の研究で、この地震は震源が浅かったことが明らかになった。震源が浅くても強い揺れが遠くまで伝わる新しいメカニズムが発見されたのだ。
こうして、首都圏が直接載っている北米プレートのごく浅いところでも内陸直下型地震が起きたことが分かった。震源が浅ければMのわりに揺れが大きくなり、被害も増える。
昔起きたことは、将来も起きる可能性がある。今後首都圏を襲う直下型地震を知るために大事なことが分かった。
■島村英紀(しまむら・ひでき) 武蔵野学院大学特任教授。1941年、東京都出身。東大理学部卒、東大大学院修了。北海道大教授、北大地震火山研究観測センター長、国立極地研究所所長などを歴任。著書多数。最新刊に『火山入門−−日本誕生から破局噴火まで』(NHK出版新書)。
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