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「体の痛み」が消えた!自宅で簡単、鍼灸師が伝授する「刺激で痛みをとる技術」 頭痛、肩こり、腹痛、膝や首の痛み……
http://www.asyura2.com/15/health17/msg/396.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 11 月 08 日 09:00:00: igsppGRN/E9PQ
 


「体の痛み」が消えた!自宅で簡単、鍼灸師が伝授する「刺激で痛みをとる技術」 頭痛、肩こり、腹痛、膝や首の痛み……
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/46169
2015年11月08日(日) 週刊現代 :現代ビジネス


ペットボトルを当てれば痛みが消える—帯にこんな魔法のような惹句が書かれた本『痛くない体のつくり方』(光文社新書)がいま話題だ。著者で鍼灸師の若林理砂氏が、痛みを消す秘訣を伝授する。


■やり方はすごく簡単


「患部に効くツボをピンポイントで刺激する鍼灸師の技術を、一般の方が自分で真似るのは難しい。それでも、鍼灸の『刺激で痛みをとる技術』には大きな効果があるので、家庭でもなんとか実践可能な形にアレンジできないかと考えていました」


そもそも、鍼灸とはどういうメカニズムで痛みに効くのだろうか。若林氏が解説する。


「火をつけた米粒大のもぐさや髪の毛ほどの細さの鍼で、ツボに『一瞬の刺激』を与えて、患部の血流を改善し、痛みを解消するのです。この一瞬というのが、鍼灸の大きな特徴です。体は、熱いものでもずっと触れていれば慣れてきて、刺激を感じなくなるもの。逆に、刺激を感じた瞬間に離せば、繰り返し刺激を与えることができます」



『痛くない体のつくり方』(光文社新書)


鍼灸師による施術ほどの効果はなくとも、家にあるもので鍼灸の「痛みを消す技術」を手軽に再現できる手立てはないのか。試行錯誤の末に、若林氏がたどり着いたのが「ペットボトル温灸」と「つまようじ鍼」だ。


「当てる範囲を広げてあげればいいのだと気づいたのです。お灸一個、鍼一本で正確にツボを刺激するのは無理でも、面積の広いペットボトルや、それなりの本数をまとめたつまようじを使えば、技術がない人でもなんとなくツボに当てることはできますよね」


2つのうち、初めてでも確実に効果を実感したいという人に、若林氏がまず薦めるのが「ペットボトル温灸」だ。


「ペットボトル温灸で狙うのはあくまで『ツボ付近』。面で捉えるぶん、ツボに当てるのが比較的簡単なのです」


使うのは、コンビニ等のホットドリンクコーナーで売られている、キャップがオレンジ色の耐熱ペットボトルだ。


「普通のペットボトルは、お湯を入れると破損するので絶対に使ってはいけません。耐熱ペットボトルも破損しないよう万全を期すため、必ず最初に水道水を100ml入れてから、沸騰したお湯を200ml入れましょう」


準備ができたら、ペットボトルのキャップの部分を握り、該当するツボ付近を狙って押し当てる。1回に押し当てる時間はほんの数秒。


「『アチッ』と思ったらすぐ離し、また押し当て、また離す……これを3回から5回ほど繰り返しましょう。『アチッ』という感覚が刺激となり、患部の血流を促すのです」


ペットボトル温灸の準備ができたところで、具体的な「痛みに効くツボ」を解説していこう。最初は、重いと歩くのも辛くなる、腰痛のツボ。



「まず、(1)ヘソから股を結ぶラインにあて、それから(2)委中に当てます。最後は、痛みを感じるところに直接当てましょう。腰の痛みは冷えてくると慢性的に出やすいもの。痛みを感じない日でも定期的に当ててケアしてやると、だいぶ和らぎます」(図1参照)


また、ペットボトル温灸は、下痢によるお腹の痛みや、胃痛など、内臓の痛みにも効果的だ。


「腹痛や胃の痛みを感じた時は、まず、(3)関元に当て、(4)梁丘、(5)裏内庭と続けて温めましょう」(次ページ図2参照)


ペットボトル温灸よりややコツがいるものの、より高い効果と即効性を求める人には「つまようじ鍼」がおすすめだ。


■偏頭痛にも効く


つまようじ鍼の作り方は簡単。市販のつまようじを10本から20本用意し、尖っている方を水平に揃えて、輪ゴムで縛るだけだ。このつまようじ鍼を、それぞれの痛みに効くツボに「軽く押し当てては離す」。これを数回繰り返せばよい。


「押し当てる力の目安は、跡がポツポツ皮膚上に残り、すこし赤くなるくらいで十分。つまようじの先が潰れるほど押し付ける必要はありません」


では、つまようじ鍼が有効なツボを、痛みの部位別に見ていこう。



50歳以上の実に6人に1人が痛みを抱えると言われる、膝の場合はどうだろうか。


「膝は、全体重を支えている負担の大きい関節です。歩行が困難になる前に、きちんとケアしてあげましょう。ツボとしては、(6)内膝眼、(7)外膝眼、(8)委中に順番に鍼をあててあげます」


次に、老若男女問わず、日常生活で避けては通れない肩と首の痛み。


「これらの部位の痛みは、運動不足や姿勢の悪さが原因で引き起こされます。つまようじ鍼でツボを刺激し、血流を良くしてあげましょう。肩の痛みを和らげるには(9)天柱、もしくは(10)風池に当ててから、(11)肩井に当てます。合わせて首にも痛みがあれば、部位によって(12)合谷、(13)労宮、(14)大陵を使い分けます」


頭痛は、痛みの種類によってペットボトル温灸と、つまようじ鍼の使い分けが必要なため、少々コツがいる。


「頭痛は、『筋緊張性頭痛』と『偏頭痛』にわかれます。感覚的にいって、『頭がギュッと締め付けられるような痛み』があるのが前者、『ズキンズキンと断続的に痛む』のが後者です」


筋緊張性頭痛の場合は、ペットボトル温灸で(15)申脈と(16)三陰交を温めてから、一番痛む部位がこめかみ付近のときは(17)太陽を、額付近のときは(18)顖会を、後頭部のときは(19)風池を温めてやればよい。偏頭痛の場合は、温めると逆効果になるので、頭の上、耳と耳を結んだ頂点、首の後ろの髪の生え際などを、つまようじ鍼で押すと効果がある。


ここまで紹介してきた他にも、若林氏の著書には、痛みを消す呼吸の仕方や適切な睡眠のとり方など、様々な養生法が掲載されている。


「ペットボトル温灸やつまようじ鍼は、あくまで一時的に痛みを取るための『応急処置』。痛みを和らげた後は、姿勢や食事など、痛みを発生させる根本的な原因となっている習慣を改め、体をいたわってこそ、健康な毎日を送れるのです」


痛みを消す技術は、本当に痛みから解放される体を作るための「第一歩」なのだ。


「週刊現代」2015年11月7日号より


 

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コメント
 
1. 2015年11月09日 22:03:08 : jXbiWWJBCA
2015年11月09日(月) 光岡英稔,尹雄大
江戸時代は誰もが、60キロの米俵をヒョイと持ち運んでいた!〜なぜ私たちは「身体」を見失ったのか?
独占・最強インタビュー(3)
光岡英稔(みつおか ひでとし) 1972年岡山県生まれ。日本韓氏意拳学会(http://hsyq-j.blogspot.jp/)代表、および国際武学研究会(http://bugakutokyo.blogspot.jp/)代表。多くの武道・武術を学び11年間ハワイで武術指導。 2003年2月、意拳の創始者、王向斎の高弟であった韓星橋先師と、その四男である韓競辰老師に出会い、日本人として初の入室弟子となる。 現在、日本における韓氏意拳に関わる指導・会運営の一切を任されている。〔撮影〕講談社写真部
武術家・光岡英稔の最強インタビューシリーズ
(1)教育すると、人間は「弱く」なる! はこちら
(2)なんだって? 現代人には「足腰」がない!? はこちら
私たちが持て余しているエネルギー
−−古(いにしえ)の身体観と今の身体観のもっとも大きな違いはなんでしょうか?
いちばんの違いは生活観でしょう。かつては体は生活の中で養われていくので、わざわざ鍛えるまでもありませんでした。
たとえば米俵一俵は60キロの重さがあります。いまの人にとっては持ち上げるのに一苦労、一日中あっちからこっちへと運ぶとなるとさらにたいへんです。けれども江戸末期に書かれた文書にはこう記されています。
「一俵の重さがいまのように決められたのは、成人した大人なら男女問わず誰でも持ち運べる重さだからだ」と。
米俵5俵300キロ(!)を担ぐ女性。現代人にこういう体の使い方はできなくなっている(山形・山居倉庫資料館)
−−60キロを、誰でも手軽に! 現代人が60キロを苦もなく持ち上げるためには、それなりの鍛錬が必要です。ひょっとしたら現代人がウエイトトレーニングをしたがるのは、本来もっているポテンシャルを確認したいという思いがあるのかもしれませんね。
「本当ならこれだけのエネルギーをもっているから発散したい」という本能的な衝動があるでしょう。いまは環境が整えられているため、エネルギーを発散させる場所が仕事作業や労働の他に必要になっています。だからわざわざジムにいったり、ランニングしたりとエネルギーを昇華させようとする。
−−頭脳労働が増え、体を用いなくても生きられる社会になった。それが身体観に大きな影響を与えている。
便利で快適な生活になったおかげで、労働と労力が分断されたと言えます。労働に「労力」を必要としないようになっているため、労力の行き場がない。この力を持て余しているのが私たち近代から現代にかけての現状でしょう。
60キロの米俵を軽々担いでいるように見える。秋田県仙南村、昭和30年ごろ(出典:http://www.pref.akita.jp/fpd/towns/sennan/tougenkyou.htm
その反面、いまの私たちは60キロの米を運ぶだけの集注観を体から失っています。ようするに、そのような身体観、体の捉え方が無自覚に失われて来ているわけです。
−−ネット上では冷笑や嘲笑、いがみ合いに相当なエネルギーが注がれています。これも持て余した力のひとつの発散に思えます。
機械に頼らず農作業を一日でもしたらわかると思います。おそらく疲れ果てて寝るだけでしょう。食べて寝ることに傾注した暮らしでわかるのは、人の諍いや争いは人間社会の中で争えるだけのゆとりや余裕があって生じるということです。
手をかけた米や野菜ができる。それを食べて成立する暮らしがあって日々生きているのなら、すべての労力をそこに費やしたほうがいい。そのほうが快適に暮らせる。そんなふうに意識して思うまでもなく行えるのは、それが暮らしの成り立ちに沿った自明の理だからでしょう。
なぜトレーニングに取り憑かれるのか?
−−私たちの生活環境は自然と直接的に結びついておらず、情報によって形成されています。現実と呼んでいるもののほとんどは「概念」です。ウエイト・トレーニングも一見すると体を使っていながら、「理想の体」を追求しているのですから、概念的な行為と言えます。
自分が思い描いた理想と目的に自分を合わせようとする。ウエイト・トレーニングがまさにそうです。それが概念で構築した身体でしかないのは、「理想と目的通りの自分になりたい」といった心理傾向、精神構造がもたらしているからです。
概念は想像の枠内のことだから、やろうと思えばいつまでも何処までもやれて制限がない。だからトレーニング中毒になる人も多いし、「怪我をする」といった身体からの信号も無視できてしまう。
しかし、体のほうは「関節はここまでしか曲がらないし、ここまでしか伸ばせない」といったような制限があったり、頭が決めるペースではなく身体のペースやリズムといったバイオリズム(生命のリズム)があり“いつまでも何処までもできないよ”と体が教えてくれます。でも概念はいくらでも想像で飛躍できるからきりがない。
トレーニングに取り憑かれた人は、「一日でも休んだら筋肉は衰える。トレーニングを毎日行わないと現状維持できない」といった脅迫観念で続けている人も少なくありません。こういう発想も想像上のことです。なぜなら、それは現状維持ではなく過去の持続を試みているからです。
「トレーニングしないとこれまでという持続性がなくなる」という不安で、つい翌日も同じことをするわけです。
−−しかし、過去は過ぎ去ったことで持続のしようもありません。持続しようのないものを願えば、いっそう不安になります。
根本的な自信のなさと不安は現代人の身体観の特徴です。
「明日もまたやろう」という取り組みが、不安からではなく前向きなもので、しかも労働や仕事に向かうならまだいい。たとえば田んぼを耕さないと来年の米が収穫できないのは、不安になりようもない、どうしようもない現実です。それに意気込みが向けられたら、実りもあるでしょう。
でも脅迫的な思いをトレーニングに向けたところで、不安が解消することはなく、確認できるのはせいぜいが筋肉の太さや持ち上げられるウェイトの重さくらいです。その反面、不安や脅迫観念は積もる一方です。
−−光岡さんご自身は、ウエイト・トレーニングを経験したことはありますか?
ハワイにいたころ、試しに2年間だけ当時最新式のトレーニングを徹底してやりました。始めた当初はやっていくうちに前よりもっと重たいものを持ちあげられたらいいぐらいに思っていたのですが、武術の稽古中に怪我をしやすくなりました。突き指したり、肩が脱臼したりと節々がどんどん弱くなる。
一般的には、ウエイト・トレーニングはいいと言われていたし、周りもそうだと言っていました。確かに見た目は筋肉がついて強そう見えていても、私の実感はそれとは真逆で身体がどんどん弱くなって行き気持ちも不安定になって行きました。
そうしたら、周囲の人が「最近いいのが手に入ったんだけど、そういう弱さを克服するにはこれがいいよ」とステロイドやホルモン剤を勧めてきました。素人同士が売買するのは非合法のものです。
ハワイの田舎のジムの方にまで普通に出回ってるんですよ。当時のアメリカでは筋力を鍛えることによって得られる強さは、ステロイドなどの薬を伴うというのがトレーニング界隈で常識になっていたわけです。
行き着く先が薬物だとわかり、拍子抜けしたのと、この業界に対する気持ち悪さも生じて、トレーニングを止めました。
−−何が実りあることかわからないまま、ともかく数値上の向上を目指して突っ走る。産業社会にふさわしい身体観だと思います。
もちろん、産業が発展したからこその恩恵はたくさんあります。一方で成長や獲得、理想といった概念を体にまで当てはめて「身の程」がわからなくなっているのも確かです。
現代人の「身の程」とは、ハードなトレーニングと薬物がもたらす、ボロボロの心と身体でしかないと思います。
仮に薬物を使わなくても、脅迫観念でトレーニングに取り組む限り、概念を先に立てて取り組んでいるわけです。あらかじめ「身の程」を知るために必要な「体の声」を聴く耳を持ちたくないと宣言しているようなものです。
近代日本の「自己植民地化」
−−産業の発達とともに足腰が消え、生身が弱くなっているのが現状として、日本の場合、いまにつながる道を歩み始めたのは近代に入ってからです。
明治になって生活様式と言葉の変容があったのが大きな変化をもたらしたと思います。言葉のすり替えは植民地政策の常套です。固有の言語を奪い、新たな言語を教育する。そこで意味の共有が生じます。すると魔法がかかります。
−−魔法とは、前々回の話に登場した喧嘩屋ジェームスが、”近代的な社会のルール”といった教育を受けたことで、弱くなったようなことですね。
はい。日本の場合は自ら求めて西洋の文明を学び始め、自国に取り入れました。他の文化を一方的に学ぶということは、異文化の概念を共有することになります。その途端に相手と同調し、共感できる感情や思考に介入されるようになります。心情的、心理的に互いが影響し合える前提条件がここで構築されます。
−−「介入」とは、西欧という他者の視点で自らを捉えることで、それは客観的になるとも言えます。と同時に、自分のありようを疑い始めるということでもあります。
それが隙になっていくわけです。ハワイで起きたことが日本では明治に起きました。といってもハワイと違って日本の場合は「自己植民地化」です。

もちろん世界情勢に対する危機感があったからこその文明開化でした。しかしながら、その選択によって別の危機を迎えることにもなりました。つまり異なる文化の産物をあまり理解せず、漢字の造語という言葉のすり替えで間に合わせようとした。
とはいえ、文化人の中で反対意見が起こったのも事実です。たとえば「民主主義」や「社会」と造語で置き換えるのではなく、デモクラシー、ソサエチーとそのままカタカナ表記にしようとした一派もいました。
−−カタカナ表記にすると意味の説明まで含んで教育しないといけない。造語のほうが手間がかかりません。
その利便さが物事をわからなくしたのです。明治の知識人はフランス語の“corps”を「身体」と訳しました。もとのフランス語源のルーツであるラテン語の“corpus”には軍隊や死体という意味もあります。身体と軍隊がなぜルーツにおいては同じつづりの言葉なのか。
あるいは英語の“flesh”を「肉体」と翻訳しました。これには肉、肉塊という意味もあります。身体にして軍隊、肉体にして肉塊。なぜそうなのかは文明観を理解しないとわかりません。
つまり、この発想の根底にはキリスト教があります。聖書によると人間の体は泥からできた取るに足らないものです。それを崇高な精神がコントロールして初めて意味をもつのです。
精神が崇高なのは、神から与えられたものだから。これが西洋の身体感覚の根本にあります。
「精神」はどこにありますか?
−−精神という語も明治期につくられました。非常に馴染みのある言葉であっても、西洋の身体感覚を踏まえて使ってはいません。
ある能楽師に、「精神が大事だのはいうまでもありませんが、やはり肉体を鍛えないと能はできないでしょうか?」と尋ねられたことがあります。でも、そもそも世阿弥は、「精神」も「肉体」も知らない時代に生きた人です。明治以降の新たな言葉とその定義ができたことで物事がわからなくなっているひとつの証ですね。
−−唯一の神がいてこその精神なり身体である。これが西欧文明の考えとして、それを輸入した日本には唯一神はなく、八百万の神々がいました。当然混乱が起きます。
たしかに、アメリカ人に「スピリット(精神)はどこからやってくるか」と質問したら、誰しも「神」と即座に答えるでしょう。日本人に「精神はどこからくる?」と聞いたら、考えあぐねるんじゃないでしょうか。
精神がどこにあるかわからないにもかかわらず、「精神を統一しろ、錬磨しろ」「精神修養が大事だ」と言われる。肝心の精神が何かわからないまま、精神を口にしている。こういうことが明治から改善されないまま続いています。
精神の「統一」も「修養」も教会で行うものです。ようは精神は唯一神と通信するための媒介です。コミュニケーションするために必要なもの。これが一神教の考えです。しかし、日本はアニミズムですから、唯一の神との教会での対話が成り立たない。精神(Spiritus)の持って行き場がないのです。
日本における精神の理解は、「精神主義」とか「精神を鍛える」といった表現に感じるような、「何だかよくわからないけれどがんばらないといけないそれ」といった程度ではないでしょうか。そもそも精神は錬磨したり鍛えたりできないものなのです。
−−精神がわからない。おまけに足腰が、つまりは体も消えていっているわけです。社会に適応すぎた結果、個の生命体としてはどんどん弱くなっています。
便利で体の消えていく社会ではあっても、それも多様な自然界の変化のひとつとして見たとき、生き残るための強さの獲得になるかもしれません。
暑くて乾燥した砂漠の環境に強い人が、雪国でも同様にタフかというとそうではない。オールマイティの強さはないわけです。
しかし、同時に様々な環境に適応してきて、できるのが人間です。自然に近い循環型社会と現代文明の先端である便利なネット社会。生きていく上での難易度はどちらが高いかわかりません。
前者のような生活がたいへんなのは確かです。ただ、そういう暮らしを支える能力は人類のベースにあるし、人間の歴史では長らくそれが「普通」でした。しかしながら、いまの社会で、まして東京でそれを「普通」というのはかなり難しい。
−−都市では、体に即して身の程を知るというのは困難でしょうか。
武術を学ぶ意味があるとしたら、私たちが普段「体(からだ)」と思っているものは、概念上のやりとりの中でのイメージされた「身体(からだ)」でしかない。それに気づくことだと思います。
気をつけたいのは、現代人の身体観が「悪い」といった単純な話ではないことです。イメージ上の身体も、武術の型が見せてくれる古の体も、どちらもあります。ここをすみ分けておかないと稽古ができません。
つまり、「ひとりの人間だから体はひとつ」というのは、物理的に体を捉えすぎています。それは概念上の身体(corps)です。
−−体を表現するのに「躰」や「體」といった様々な漢字による語があります。これも先人たちが体はひとつではなく、多様だと知っていたからこそでしょうね。
体にはいくつも層、位、所があって多様性があります。無論、人によって体の各層や位、所は観えたり観えなかったりします。観えてくると体はいくつもあり、多様な体が環境によって様々な身へと変わって行けると考えたほうがいい。
たとえば私が日本語を話すときと英語を話すときでは、同じ私でありつつ違う身体観がそこに現れてきます。私自身は変わらないけれど、感じていることや思考していることが、英語という型ないし環境を用いることで、日本語で思考していた時とは異なる身体観が自分が内側から現れてきます。その、多様性ある体を通じて日本語を身につけたり、英語を身につけたり、中国武術や中国語を身につけたりします。
現代の子供たちがゲームを懸命にしているのを見てて思うのは、今から「概念の身体」を構築する術を身に付けておかないと、これからの時代を生きるのが難しくなる。そのことを彼らは本能的にわかっているのではないか、ということです。自覚があってかはわかりませんが、概念的な身体でなければ完全に管理された社会では生きにくくなることを直感的に知っているんだと思います。
光岡氏が内田樹氏と対談した『荒天の武学』
そのとき大切になのは、イメージと実際とを使い分け、わきまえておくことです。状況に合わせて自然と言語を切り替えられるのが人間の多様性です。概念上の身体も理解しておき、それはそれとして概念の世界で用いて、これからの社会で生きて行くためには、その術を鍛えておく。
一方で、古から伝わる體(からだ)や躰(からだ)といった身体観がベースにあること知っておく必要もあります。それがあって人類は生き残ってきたわけですから。
とはいえ、時代が進むに連れて古の身体観を残すことは難しくなっています。すでに複雑で高度に管理された社会になっていますが、だからこそ古からの教えを見なおし、新たな時代には「新たな身体観」と「新たなすみ分け方法」が発見される必要があるのではないでしょうか。
(了)
インタビュー構成:尹 雄大(ユン ウンデ)
1970年、神戸生まれ。テレビ番組制作会社、出版社を経てライターに。インタビュー原稿やルポルタージュを主に手がける。10代で陽明学の「知行合一」の考えに触れ、心と体の一致をさぐるために柔道や空手、キックボクシングを始める。1999年、武術研究家の甲野善紀氏に出会い、松聲館に入門。2003年、光岡英稔氏に出会い、韓氏意拳を学び始める。主な著書に『FLOW 韓氏意拳の哲学』(冬弓舎)、『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)、『やわらかな言葉と体のレッスン』(春秋社)などがある。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/46027


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