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フォルクスワーゲン「The Beetle」(「Wikipedia」より/Morio)
VW日本法人の異常事態が業界に波紋 社長辞任の背景に「ゴキゲン・ワーゲン事件」か
http://biz-journal.jp/2015/08/post_11188.html
2015.08.21 文=河村靖史/ジャーナリスト Business Journal
独フォルクスワーゲン(VW)の日本法人フォルクスワーゲン グループ ジャパン(VGJ)社長だった庄司茂氏が、任期途中で急きょ退任したことが業界で話題を集めている。
「あまりに突然だった」
VGJのある社員は、突然の社長退任にとまどいを隠せない。庄司氏は7月下旬、単身ドイツのVW本社に出向いて辞任を申し出、日本に帰国して幹部を招集し、その場で社長辞任を報告したという。何も知らされなかったVGJの社員は、「緊急ミーティングだと思って会議に集まったら、社長を辞めたと一方的に宣言され、言葉が出なかった」と振り返る。庄司氏は7月31日付けで退任したが、VGJがプレスリリースを配布したのは翌週8月3日になってからだ。
VWの国内販売が低迷しているなか、新型「パサート」の発表会で「今年のVWはこれから」(庄司社長)と販売巻き返しを誓ったその1週間後の退任に、驚いた業界関係者も少なくない。
そもそも、伊藤忠商事で自動車を担当した経験を持つとはいえ、自動車メーカー出身でもない庄司氏がVGJの社長に就任したのが異例だった。庄司氏は、VWで長年にわたって最高実力者として君臨してきたフェルディナント・ピエヒ監査役会長の子息と友人で、この人物が取り持ったことでVGJのトップに就任したといわれる。庄司氏はVGJ社長就任の2カ月前、まずVWに入社している。VWに籍を持つ日本人のVGJ社長は初めてで、特別待遇を受けていた。
その庄司氏がVGJ社長を突如として退任したのは、VWとの力関係に原因があると指摘する声がある。というのも今年4月、ピエヒ氏はマルティン・ヴィンターコルン社長との権力闘争に敗れ、会長辞任に追い込まれたためだ。庄司氏は、VGJ社長に就任するに当たって、国内販売台数を2018年に11万台にする目標を掲げた。庄司氏がVGJ社長就任時の販売台数は5万6000台で、ほぼ倍増する計画だが、これはVWが18年に世界販売台数を1000万台にするという中期目標とリンクさせたもの。
しかし、VWが計画を4年前倒しして14年に世界販売台数1000万台を達成したのに対して、国内販売は苦戦している。15年上半期(1-6月)の新車販売台数は、前年同期比16.5%減の2万9666台と低迷、輸入車市場シェアでも独メルセデス・ベンツに抜かれて16年ぶりにシェアトップの座を明け渡した。ピエヒ氏の退任で後ろ盾を失った庄司氏に「責任」を問う声が強まるのに時間はかからなかった。
■後ろ盾の不在と販売苦戦
そもそも庄司氏は、VW本社からよく思われていなかった面もある。その一つが、VGJが展開してきたブランドコミュニケーション活動「ゴキゲン●ワーゲン」(編注:●は音符記号)だ。
日本でVWは一般的に「ワーゲン」と呼称されるが、海外では「フォルクスヴァーゲン」と呼ばれ、略称で呼ばれたとしても「ファー・ヴェー」(VWのドイツ語読み)だ。「企業のブランド広告に『ワーゲン』を使うことなど考えられない」とされるが、庄司氏はVW本社の許可も得ずに独断で実行に踏み切った。この広告活動は結果的にVWに知られることになり、庄司氏は「VW本社に呼び出され釈明した」(VGJ関係者)という。
もともとVW本社からの心象が良くなかった庄司氏。そこに後ろ盾の不在、そして販売台数の低迷が追い討ちをかけるかっこうで退任せざるを得なかったとみられる。
庄司氏の後任には、VGJ副社長で財務・管理部門を担当するスヴェン・シュタイン氏が就任したが、ワンポイントリリーフと見られる。トップの急な退任で混乱する中、次のトップが就任したとしても、国内販売を立て直すのは一筋縄ではいきそうにない。
(文=河村靖史/ジャーナリスト)
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