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高橋是清(1854〜1936年)、出所:Wikipedia
1930年代に似てきたアベノミクスの運命
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44588
2015.8.20 池田 信夫 JBpress
安倍首相の政策は1930年代に似てきた・・・といっても、安保法案が「戦争法案」だという類の話ではない。莫大な国債を発行して日銀にファイナンスさせ、それを財源として政府支出を増やす「アベノミクス」は、1930年代に高橋是清蔵相の行った財政政策によく似ている。
これは同時期のナチスの経済政策とともに、30年代の大恐慌に対して国家社会主義が有効だった事例とされている。高橋を「日本のケインズ」と賞賛する向きもあるが、その後の日本とドイツがどういう運命をたどったかはご存じの通りだ。それが失敗した原因も、アベノミクスと似ている。
■ 高橋財政が放漫財政の呼び水になった
高橋が1932年に蔵相に就任して最初にやったのは、大恐慌の最中の1930年に金輸出を解禁して金の大量流出を招いた浜口内閣の政策を止めることだった。高橋はデフレに陥った日本経済を建て直すために金輸出を再び禁止し、農村救済のための景気対策を行なった。
これによって歳出は前年比32%増になったが、その財源は国債でまかなわれ、それを高橋は日銀に引き受けさせた。こうした政策でデフレは止まり、1932〜36年に卸売物価指数は6%上昇し、鉱工業生産は10%伸びた。
しかし高橋は、政府が財政赤字で有効需要を創出すべきだとは考えていなかった。彼は均衡財政主義であり、高橋財政は基本的には健全財政だった。総予算は増えたが、軍事費を除く予算は33年以降は減少した。財政が膨張した最大の原因は、軍事費だったのだ。
日銀が国債を引き受けたのも意図的にインフレを起こすためではなく、世界恐慌の最中で銀行に国債を買う体力がなかったからで、日銀は引き受けた国債を徐々に市中に売却しており、結果的には市中で消化した。
市中消化が滞り始めると、高橋は国債を減らそうとしたが、これが軍部の反発を招き、1936年に二・二六事件で暗殺された。この結果、国債発行は歯止めを失って軍事費は際限なく膨張した。価格統制が行われたため、戦時中は物価はそれほど上がらなかったが、敗戦とともにハイパーインフレになり、国債は紙切れになった。
高橋財政の教訓は、放漫財政は元に戻せないということだ。高橋自身は最終的には国債を償還して均衡財政に戻そうと考えていたが、日銀引き受けという「打ち出の小槌」をもった政治家や軍部は、それを離さないのだ。
■ 社会保障の削減なしで財政は削減できない
日本の財政の現状はすでに高橋蔵相のころより悪く、政府債務はGDP(国内総生産)の230%にのぼる。これは第2次大戦末期を超える「戦時経済」状態だが、安倍首相には危機感が見られない。6月30日に閣議決定された「骨太の方針」で示された中期財政健全化計画で、彼は歳出を削減しないで「成長戦略」で財政を健全化する方針を表明した。
今年2月の内閣府のシミュレーションでは、図1のように名目成長率3%以上の「経済再生ケース」と1.5%程度の「ベースラインケース」が想定されていたが、前者でも2020年度にプライマリーバランス(PB)は黒字にならず、後者ではPBの赤字は拡大する。
残る手段は歳出(特に社会保障)の削減しかないので、それを安倍政権がどう打ち出すかが注目されていたが、今度出た骨太方針では歳出削減は打ち出されず、将来予想は図1のままで、「名目GDP成長率3%程度を上回る経済成長の実現を目指す」という経済再生ケースだけが想定され、ベースラインケースは消えてしまったのだ。
名目3%という成長率は、バブル華やかなりし80年代が最後で、90年代以降の平均成長率は約1%、ここ10年平均の名目成長率は0.6%である。あるシンポジウムで「この3%という数字は非現実的ではないか」と経済財政諮問会議の民間議員に質問したら、「実質1%成長で、日銀のインフレ目標2%が実現すれば名目成長率は3%になる」と答えた。
まるで「神風が吹くから戦争には勝てる」とでもいうような話だが、そのインフレ目標は実現するのだろうか。日銀の指標とするコアCPI(生鮮食品を除く総合)の上昇率は、図2のようにほぼゼロで、これが黒田総裁のいうように今年度中に2%まで上がることは考えられない。
これに対して日銀もいろいろ苦しい言い訳を考え、一時は「帰属家賃(持ち家の価格を家賃に換算したもの)には下方バイアスがあるので、それを除くと2%は達成されている」という話があった。たしかに図2のように、帰属家賃を除くと2014年半ばにはCPIは2%を超えたが、その後は下がって、今はこれもほぼゼロだ。
最近は黒田総裁も「そもそもインフレ目標というのは期限を切るものではないない」と言い始めた。その通りである。私を含むほとんどの経済学者が2年前から指摘してきたように、もともとインフレ目標というのは、金融政策が裁量的に行われないように縛るルールなので、「2年で実現する」というように積極的に目指すものではない。
■ 希望的観測に基づく放漫財政は「いつか来た道」だ
黒田氏があえて「2年でマネタリーベース2倍」という積極的な目標を設けたのは、心理的な偽薬効果を狙ったのだろう。その狙いは資産市場では当たり、大幅な円安と株高が実現したが、肝心の消費者物価は上がらなかった。
しかし黒田総裁の作戦は、半ば成功したといえよう。彼の本来の狙いは、おそらく円安にあったと思われる。彼は財務省の財務官のとき「円高ファイター」として知られたが、政府が過度な円高を止めることは許されても、「円安で景気刺激を目指す」と言うことは外交的にはタブーである。そこで「インフレを目指す」という言葉で、間接的に円安誘導したのだろう。
これによって偽薬効果はあり、大幅な円安が実現したが、輸出はほとんど増えず、貿易赤字も減らなかった。東証1部上場企業の収益は増えたが、今年4〜6月期のGDPは前年比マイナス1.6%と予想以上の落ち込みになった。
これは、ある意味では当然だ。労働人口が毎年1%以上も減る日本で、長期的にはゼロ成長(あるいはマイナス成長)になることは避けられない。黒田総裁の金融政策は、民主党政権の「アンチビジネス」政策で沈滞していた経済に活気をもたせることには成功した。あとは彼も言うように「長期的な潜在成長率を上げる改革が必要」で、それは日銀の仕事ではない。
残ったのは日銀の保有する225兆円にのぼる国債と、財政規律のゆるみだ。これが日銀の実質的にやっている財政ファイナンスの最大の副作用である。安倍首相も、日銀が「輪転機をぐるぐる」回して国債を引き受ければ、いくらでも財源は出てくると錯覚しているように見える。
彼が30年代のような侵略戦争をやることはありえないが、そのときのような放漫財政をやる可能性はある(というか、すでにやっている)。その結果、いずれは金利が上昇して物価が上昇し、激しいインフレで国債が実質的に踏み倒される――というのが歴史の教訓である。
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