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ビッグデータ信奉は国をも亡ぼす 手っ取り早い金儲け手段と思ったら危険水域(JBpress)
http://www.asyura2.com/15/hasan99/msg/544.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 8 月 07 日 17:47:30: igsppGRN/E9PQ
 

              フランスの経済学者トマ・ピケティ氏〔AFPBB News〕


ビッグデータ信奉は国をも亡ぼす 手っ取り早い金儲け手段と思ったら危険水域
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44480
2015.8.7 伊東 乾 JBpress


 ビッグデータという言葉が人の口に上るようになって、どれほどが経つでしょうか? 

 私自身、比較的最近まで、その意味するところをきちんと理解していなかった面があると、このところ反省しています。

 「デファクト・スタンダード奪取」としての「ビッグデータ」の持つリスクに今回は注目してみましょう。

 この原稿はベルリンからアムステルダムへの移動中に書いていますが、フィレンツェ、ミュンヘン、ベルリンなど各地で、問題意識の共通する議論を立て続けに耳にしました。

■インターネット事始め

 やや古い話から説き起こしてみましょう。1995年、私は当時30歳でしたが、喧伝され始めた「IT革命」なる言葉に、様々な思惑を感じつつネットユーザとして環境に順応していったのを覚えています。

 素粒子物理実験の国際ネットワークにつながっていたので、電子メールやチャット、現在使っているようなSNSに近い感覚を1980年代半ばから経験していたので、システム自体には違和感はありませんでした。

 ただ、当時はすべてのドメインがほぼ明らかで、

 「ああ、ブルックヘブンのAさんがこんなことを言ってるんだな」とか、「CERNに行ってるBさんはシスアドとして優秀かつ親切だ」なんてことが分かった。文字しか扱えない時代でしたがはるかに「人の顔が見えた」グローバルネットワークの牧歌的な揺籃期でした。

 翻って95年以降の「インターネット」はどうだったか? 
 いまだ文字が大半でせいぜい静止画という時代でしたが、画面はカラフルになり、何より電話回線などで町の中からでもアクセスできるようになった・・・。

 と、書きながら、エラい昔やなぁと思いますが、実際1999年に初めて慶應義塾大学で教えるようになったとき、「音楽への今日的アプローチ」教材はすべてネット上に上げ、毎週の更新は演奏現場近くの電話ボックス(!! )にノートパソコン(といっても電話帳ほどの厚さはあったマッキントッシュ)を接続して送っていたのを思い出します。

 しかし、私が東京大学に最初の音楽実技教官として着任した2000年4月、「IT革命は終わった」と国際的に広くアナウンスされるわけです。

 私は学内非常勤として教養学部で全学必修の「情報処理」を担当するようになったので、いわば『グローバルにはIT革命のおいしいコアが終わった』直後から、関連で大学の教壇に立つようになったわけです。

■Eラーニングはちっともラーニングではない(かもしれない)

 さて、実のところ上記の「IT革命が終わった」というのは、ネットワークのインフラを整えるという意味で主要な出費がほぼ完了してしまった、という意味で言われていたものでした。

 しかし、いったん拡大した店の構えは縮小することが容易ではありません。端的に、先進各国政府が自国の情報化に向けて主要インフラ整備の峠を越した2000年、その後もネットにぶら下がってくれた「顧客」を「リピーター」につなぎとめる意味で喧伝されたのが「Eラーニング」の1つの横顔だと言うことができます。

 Eラーニングなるものの価値を全面的に否定するつもりもありませんが、率直に全面的に称揚することも(自分自身、関連のプロジェクトに多数、長年関わってきた経験を踏まえ)できません。

 「あと余命いくばくもない」というようなとき、遺言代わりにコンテンツを遺すことはあると思いますが、私はリアル・スペースの充実、いわば「リア充」を第一に優先して考えます。

 閑話休題。2000年春以降、にわかに掲げられるようになった「Eラーニング」という旗印は、国連加盟各国が年間国家予算の中に一定以上含むべきと目安が立てられている「安全な得意先」を念頭に仕かけられた面があると、2003年頃でしたが、親しくなった世銀の首脳から伺って、なるほどそういうシナリオか、と感心してしまいました。

 「世銀は本当に役立つ遠隔教育地域の実体経済を育てるものに投資する」と、その首脳は言いました。

 「例えばチリの高山地帯では、地図上での距離は数キロなのに、途中を断崖絶壁の谷が隔てているようなエリアがある。教師不足に悩むそういう地域では、CD-ROMの郵送、ファクスから電話まで駆使して遠隔教育で人材を育てようとしている。世銀はそういう所に、小額でも明らかに確かな効果が上がるサポートをしたい。肥大化した多国籍企業の回転を助けるつもりはないんだよ(笑)」

 と、紛争地域出身で苦労を重ねてきたであろう彼は、微笑みを浮かべて説明してくれました。

 2000年までは「インターネット」という、いわば「情報のアウトバーン」を作ること、それ自体がうまみのある公共事業だった。

 「これからはインターネットはそれを通じて儲ける道具になるのだ」という、まあ今から考えればまだまだ長閑な時代でした。

 そこで「間違いのない客筋」として選ばれたのが、各国予算の中に占める様々な割り振りであり、軍事・防衛などは当然第一に来るわけですが、民生対象で確実に商いが続くジャンルの1つとして「これからはEラーニングでっせ」という算盤が弾かれた。

 そういうドライな観点に立つと、同じネットワーク曼荼羅から別の模様が見えてくるようになるわけです。

■「情報地主」と植民地

 で、ここで「ビッグデータ」のリスク、もっとはっきり書くなら、ビッグデータビジネスの持つメリットと罠を、グローバルな観点から考えてみたいと思うわけです。

 例えばハードウエアやソフトウエアを考えましょう。「デファクト・スタンダードを取ってしまえ! 」というのはよく言うところでしょう。

 「インテル入ってる? 」と尋ねるようなものであって、マイクロソフトなども端的ですが「情報地主」としてプラットホームを押さえてしまえば、後は顧客を放さないよう営業戦略を考えていくことになる。大きく言ってそういう面があるでしょう。

 世界の様々なテレビ局やラジオ局で番組に出ましたが、どこに行ってもプロの機材はソニーの見本市みたいになっている。米国でも欧州でも、アフリカの最貧国と言われる所でも例外がほとんどない。

 例えばソニーはプロフェッショナルの放送機材で十分に広範な根を張り巡らすことに成功している。誰も否定するところではないでしょう。

 さて、ここで問題になるのが「ビッグデータ」なるもので、端的に言えばグーグルであり、あるいはフェイスブックでありツイッターであり・・・。

 つまり「情報フリーウェイ」として敷設されたネットワーク上で、顧客の行動や商取引の記録などの「ログ」が残る。これをともかくアーカイブしてライブラリ化しましょうというのが「ビッグデータ商法」の第一の発想と言えるでしょう。

 情報トラフィックが少なかった時代は、こうした商法は成立しなかったでしょう。しかし、いまや日本で考えても国民の大半がネットワーク・ユーザとなり、一国の社会経済の大半をインターネットがカバーするようになると、状況は全く変わってきます。

 わざわざ新たに国勢調査などしなくても、民間保有の形で膨大な商取引のファクトが「データ」として残されている。いわばその「情報強者」がさらに「情報地主」となるうえで、魔法の呪文となるのが「アルゴリズム」という言葉になるわけです。

 「ビッグデータ」を押さえた者が適切な「アルゴリズム」さえ開発・適用すれば、そこから知財は湧き出てくる・・・。

 そういうシナリオが描かれ、また事実その方向で物事が動いている。

 ミュンヘン工大のクラウス・マインツァー教授から示唆され、私もいくつか関係している政府系事業などが念頭にあったので、「これは危ない! 」と思わないわけにはいきませんでした。

■「財テク感覚」は国を滅ぼす

 端的な例で考えてみましょう。株式というのは本来、有効な成長を遂げるであろう企業に融資して、実際に事業が大きく育ったとき、その実りを分け合いましょうという、本来は極めて牧歌的なものとして発達してきました。

 今日でもエンジェルとして知られるファンドで、良心的な金主も多数知られています。また同時に「ハゲガカファンド」と目されるものも決して少なくない。

 金融〜資産経済は、いかに社会経済の実体を育てるか否かが「バブル」となる分岐点になるう言っても大げさではないでしょう。

 さて「情報地主」ばかりが支配する未来というものが仮にあるとすれば、いったいどういうことになるか? 

 グーグルでもフェイスブックでもよろしい、あるいは帝国データバンクみたいな企業がしっかり持っているデータ、これさえあれば、またそこで「適切なアルゴリズム」という呪文を唱えれば、根拠不明の無定形な資産経済が回転し、またその自働を容易に止めることができない・・・。

 前回記した「子孫のために美田を残さず」と通低する問題、もっと言えばフランスの経済学者トマ・ピケティの言う「格差の世襲化」に近い小数の情報強者と圧倒的多数の情報弱者という強い非対称の関係が、ある種の封建制に近い非生産的なデバイドを固定化する可能性があるのではないか・・・? 

 そういう懸念が予想されるわけです。

 本当に新しいモノを作ること。困難な基幹開発に取り組み、試作を繰り返し、技術を堅牢化するとともに原料から在庫まで様々なリスクを抱えながら、果敢に新製品を作り出し世に問うていくこと・・・。

 そんな危なっかしく「労多くして利ザヤの定かでない」仕事には手を出さず、堅実な実体経済の育成と無関係に、「情報資本を持てる者」が相場の風向きだけでより多くの利ザヤを抜いて行く社会・・・。

 これはメーカーの経営など考えれば分かりやすいでしょう。長年培ってきた基幹開発部門、コアコンピタンスの源泉のような部署が赤字の元とみなされ、マネジャーが容赦なく整理することで帳簿上は経営が改善したように見えた。

 ところがメーカーとして持っていた決定的な実力を大きく損ねて、その後の展開が不可能になった・・・。

 個別の例は挙げずとも、多くのケースが思い浮かぶことと思います。ものづくりの内側にタッチせず、数字上の利益をドライに見るマネジメントの観点からは、決して新しいものを生み出す本当の力は出てこない・・・。

 そういう議論を欧州各地でいくつか立て続けに耳にしたわけです。

■「デジタルおみくじ」は信じられるか? 

 仮に国家がそのような感覚で、もっぱら資産経済ベースでの営利を追求するようになってしまえば、まずもって亡国一直線ということになるでしょう。

 先頃、不正が発覚し一部で問題になっている「ビットコイン」など、ネット通貨の信用創造にも通底するいくつかの問題がありますが、これは別の機会に考えましょう。

 「何であれ、ともかくまずデータを押さえてしまおう」「その後は適切なアルゴリズムの呪文でなんとかなるだろう」的な発想でビッグデータを空転させてしまうなら、悪くすると「内容無関係に手っ取り早く儲けた者が勝ち」的な方向に社会経済が転落してしまう危険性がある。

 そういう「デジタルおみくじ」をどこまで信じるか? 

 有用なものもあると思います。ただしごく一部に。大半は「子孫に残された美田」に多くがぶら下がった構造をしている、と疑ってかかった方が安全でしょう。

 質実剛健な産業の体力が育たないまま、資産上「負け」が混んでいる国の実例として、私たちはギリシャやユーロ圏で厳しい状態にある国々を現在進行形で見てもいるわけです。

 もって他山の石とするばかりでなく、手堅い対策を立てていくべき問題だと思います。

 

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