2. 2015年7月28日 00:28:34
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「東芝だけじゃない!」 ノーと言えない部下と無能な上司の因果応報「不適切会計問題」はどうすれば防げたか 2015年7月28日(火)河合 薫 「ノーと言えない組織風土って……。フツー言えないだろ?」 「だよなぁ。所詮、サラリーマンだし」 「会議とかで意見求められたときなんて、思わず死んだフリ(笑)」 「言うだけ損ってか?」 「ハハハハ」――(一同悲しい笑い)。
例の東芝“不適切会計問題”に関する報告書は、ついこんなシーンを思い描かせる内容だった。 え? 「そこじゃないだろ! 注目すべきところが。ガバナンスが◎△※●××〜〜???」って? はい。そうかもしれません。会計処理やら監査やらに詳しい方たちには、叱られてしまうかもしれません。が、所詮、餅は餅屋。 世の中で生じる問題の9割は、人のココロが影響すると確信している私には、 「コレじゃダメだ! どうにかしろ!」と厳しく迫る上司と、 「………」と口をギュッとへの字にして貝になる部下。 で、その部下が自分の部署に戻り、 「コレじゃダメだ! どうにかしろ!」と自分の部下に迫り、 「……わ、わかりました」と眉間にシワを寄せる部下。 そんなどこの会社にもある風景が、300ページ近い第三者委員会の報告書を読んでいて、浮かんでしまったのである。 人は権力の階段を上るにつれ、自分に甘く他人に厳しくなる。 “権力者”は自分がいつも中心になるから、人の話を聞かなくなる。相手の意見を聞いちゃいないから、自分の欲求の押し付けを、ちっとも悪いと思わない。 一方、「権力がある」と見なされている上司に、すり寄る部下はいるし、どんなにいい人であっても、権力のない上司は、無能とみなされがち。 権力にマイナスのイメージがあるにもかかわらず、人は権力を好む。人は権力を嫌うくせに、権力に群がる。 その結果、「残り3日間で120億円の営業利益の改善をせよ!」なんて真っ黒な要求がまかり通り、「そんなことあり得ないでしょ?」ってことが平気で起こるのである。 「単なる組織論ではなく、どうやって魂を入れた経営をしていくべきか、我々もちょっと気を許したら同じ問題に陥るであろう。自身も戒めていきたい」 経済同友会の小林喜光代表幹事は日本記者クラブの会見で、こう語っていたけど、 「どんなに魂を入れたところで、上司部下の関係が変わらなければ、同じ問題に陥るであろう。みなさま、どうか戒めてください。明日は我が身――」だ。 そもそも、“魂”ってナニ? って感じだが、いずれにしてもチャンレジという名の数値目標も、ひとつの業務に長年従事するといった異動のない人事ローテーションも、魂という名の精神論だけで、解決できるものでもなければ、東芝が特殊というわけでもない。 そこで今回は、東芝問題から「上司部下の関係」をアレコレ考えてみようと思う。 まずは、ご存じの方も多いと思うが、今回の“不適切な会計処理”第三者委員会の報告書に書かれていた東芝の“上司部下の関係”から紹介する。 300ページの端々に上司からのプレッシャー わずか2カ月(←なんだか意地悪な書き方ですね)でまとめられた300ページ近い報告書の端々に、プレッシャーだの、要求だの、上司の発言や態度に関する記述が散見される。で、それらを総括したものが、「第7章 原因論まとめ」と「第8章 再発防止策(提言)」に書かれている(以下、上司部下の関係の部分から一部抜粋)。 「第7章 原因論まとめ」 【上司の意向に逆らうことができないという企業風土】 東芝においては、上司の意向に逆らうことができないという企業風土が存在していた。経営トップからの「チャレンジ」は、経営トップ→CP→事業部長→その下の従業員へと、不適切な会計処理を引き起こした。 【業績評価制度】 東芝の役職員の報酬・賃金は、役位に応じた基本報酬と職務内容に応じた職務報酬から構成。このうち職務報酬の 40%から45%は期末業績に応じて0倍(不支給)から2倍で評価される。これらが「当期利益至上主義」や「チャレンジ」達成のプレッシャーにつながった。 【人事ローテーション】 財務・経理部門に配属される従業員は、入社から退社まで継続して同部署に在籍。また、一部の従業員は、コーポレートの財務部長、CFOに就任し、その後は監査委員に就任していた。 このような人事ローテーションの結果、不適切な会計処理に気づいても、仲間意識によりこれを是正することは困難な状況にあった。 「第8章 再発防止策(提言)」 【経営トップ等の意識改革】 まず経営トップ自らが、コンプライアンス重視の姿勢を堅持し、確固たる企業倫理(企業理念)を策定・構築すること。 【企業の実力に即した予算の策定と「チャレンジ」の廃止等】 「チャレンジ」は、内部統制制度の枠外からの不適切なプレッシャー(指揮・命令)に該当するものがあり、必ず達成すべき目標としてその達成を強く迫られるものと受け止められていた。 【企業風土の改革】 上司の意向に逆らうことができないという企業風土を改革する。 【適切な人事ローテーション等】 内部監査部門の責任者や監査委員についても適切な人事ローテーションを実施し、外部専門家の意見を聞くなど改革に努める。 ――以上です。 さて、と。いかがだろうか。 絵に描いた餅……。申し訳ないけど、そうとしか私には思えなかった。私は餅屋で、提言も餅。なんだかんだで餅餅だらけ、だ。 ちなみにこれらの報告書を受け、フィナンシャル・タイムズやブルームバーグ・ビューは、「年功序列の賃金制度がその一因になっている」とし、 「彼らがいつまでも存在していることで、社内に憎悪に満ちた党派対立が生まれ、事業部間で、より破壊的に争う羽目になった。彼らの存在が、部下にプレッシャーを感じさせる一因になったかもしれない」と、退任した経営陣が、経営に関与し続けることを問題視する内容の記事を掲載している。 つまり、今回の報告書の成果は“旧世代の経営陣”を一掃させたこと。それ以外は、「それで?」という原因総括と、「で、どうすりゃいい?」という提言で締められていた。調査委員の方たちには申し訳ないけど、少なくとも上司部下の関係や、組織風土に関しては、ちっとも納得できる内容にはなっていなかったのである。 実は、かつて何回か、東芝の方たちとお仕事をさせていただいた経験がある。講演会だったり、ちょっとした打ち合わせだったり……。 そのときの印象の記憶を掘り起こして見ると、やはりどこにでもあるごくフツーの会社だった。 例えば、講演会では大抵の場合、主任や課長クラスの方に出迎えられ、控室に通された後に、責任者や上司が挨拶にいらして話をする。 そこでのやり取りは、先方のニーズを知るための大切な時間であるとともに、そこにいる社員の方たちの何気ないやり取りは、上司と部下の関係の“素”が垣間見られる瞬間でもある。 満点ではないが合格点の「究極のサラリーマン」 そこで見た東芝の方たちは――、 正直、「究極のサラリーマン!」だった。部下は、私より上司の顔色を見ていたし、上司の強引な見解や部下に対する愚痴に、サラリーマン特有の“薄ら笑い”(申し訳ない)でやり過ごしていた。 だが、微妙な空気が上司と部下の間に存在はしていたけど、決して悪い空気ではなかった。ちょっとしたきっかけで、もっと温かい空気になりそうだった。満点ではないけど、合格点。あとひと押し!で、もっともっといい会社になる。そう感じたのを記憶している(上から目線の文章をお許しくださいね)。 強いて言えば、体育会系のノリが少しばかり強かったことくらいだ。 もちろんこれは、私が接したごくごく一部の東芝社員の方たちであり、ごくごく一部の空気感でしかない。でも、この一瞬で放たれる空気に、意外と真実が隠れているのも、また事実だ。 「でもさ?、東芝のガチガチの年功序列が、不正の温床になったって説もあるっしょ?」 確かに、今回の一件が明るみになってから、そういった見解は東芝の外からも中からもある。 フラッシュメモリーの発明者である舛岡富士雄氏が、社内人事などの待遇を不服とし1994年に東芝を退社したのは有名である。同氏は、2004年に自身が発明したフラッシュメモリーの特許で、会社側が得た200億円の利益のうち、10億円の支払いを求めている。また、舛岡氏にあこがれ東芝に入社したという、『世界で勝負する仕事術 最先端ITに挑むエンジニアの激走記』の著者竹内健氏も、東芝の年功序列を痛烈に批判している。 だが、その一方で、東芝はいち早く年功序列の弊害に手を付けたと、評価されている。90年代以降、東芝は高度経済成長の下で形成された年功をベースとした賃金制度を見直し、能力や成果を重視する制度に組み替えた。業績連動賃金を増やし、それを団体型に特化させるという制度も、日本企業の賃金制度再編を考える上で一つの方向を提示したとして、“東芝モデル”と呼ぶ研究者もいる。 最近は何かと問題が起こると、高度成長期の日本型経営を引きずった年功序列や終身雇用を批判し、諸悪の根源であるがごとく扱うけれど、ホントに問題は“ソコ”なのか? 組織がうまく回らない時、自分たちのやりたいことができない時、うまくいかないジレンマが組織の空気に漂うと、上司やリーダー批判が始まり、その部分さえどうにかすれば、そこにある問題が“すべて”解決されるような錯覚に陥っていくが、ホントにそれで解決されるのだろうか? 不安という魔物に襲われた時、人は過ちを犯す 当然ながら、経営トップを含めた上司が、いかなる“魂”(おお! ここで使えばいい言葉だったのか!)を持つかは、極めて重要で、組織の行方、部下のやる気や職務満足感に多大な影響を及ぼす。 だが、組織運営においてリーダーの及ぼす影響力は10%程度で、残りの90%は、部下であるフォロワーの人々の力が左右する。 トップにはトップ直々のフォロワー、部長には部長のフォロワー、課長にもフォロワーがいる。組織とは、いわば上からリーダー・フォロワー、そのフォロワーをリーダーとするフォロワーで構成され、フォロワーの行動や心の有様が、組織のパフォーマンスの係数として存在する。 世の中には、部下が突っ立ってるだけでも、部下といい関係を築き、部下の能力を引き出すことできる“すっばらしい上司”もいる。でも、それをすべての上司に期待するのは無理。危険なほど非現実的。まさしく絵に描いた餅。 上司がそうであるように、部下だって上司とうまくやるための労力を割かなければならない。 ちょっとしたきっかけで権力に溺れてしまうこともあれば、批判を恐れて過度な要求を部下に強いることもある。なんらかの不安感から不適切な判断に走ったり、間違った判断を下すことだってある。だって、上司だって人間だもん(と、いきなりあいだみつおになってみる)。 念のため断っておくが、何も東芝の経営陣の肩をもっているわけじゃない。上司部下の関係であれなんであれ、いかなる人間関係も相互依存で成立し、不安という最大の魔物に襲われたとき誰しもが過ちを犯すリスクを持つのだと、言いたいだけ。どんなエリートも、どんな新手の上司も、どんな強者も、所詮、人間なのだ。 ボス・マネジメント――。これは1980年にハーバード・ビジネススクールのジョン・ガバロ教授とジョン・コッター准教授が実施した、人間関係に軸を置いた組織風土研究で導き出した言葉である。数少ないフォロワー研究の中でもっとも広く知られている“Managing Your Boss”という論文で使われている。 ガバロ教授らは、適切な上司と部下の関係は善意ある相互関係の上に成立し、上司が部下を助けやすくなるよう、部下の方からも働きかける責任があると主張している。 そのために部下は 上司の目標 上司の強みや弱み 上司が組織内でどんなプレッシャーを受けているか 上司のワークスタイル 上司の自分への期待 などの理解に努めなければならない。 これらを把握し、自らにとっても、上司にとっても、そして、会社にとっても最も望ましい結果となるように、意識して上司と一緒に働くプロセスを作り上げていく必要がある。 と同時に、自分自身のニーズ、強みと弱み、ワークスタイルを知る努力をする。実は、この部分が“肝”。ボス・マネジメントがうまい、できる部下は、自らを理解することで、上司との関係を円滑にしていることが、フォロワー研究から明らかになっているのである。 不毛な時間をなくすボス・マネジメント 教授らの主張の背景には、組織は無能な上司を排除することに、必ずしも大きな関心を持たないという悲しい現実がある。 フォロワー研究を進める研究者たちに共通する思いは、「上司を無能扱いしたり、上司に屈したりする前に、自分のあり方にも責任を持て!」と。だって、それが結果的に、「あなたに大きな利益をもたらすのですよ!」と。 「ノーなんて言ったら損」などと、上司に身を委ねることがいかに危険か、と。 ボス・マネジメントを実践することで、不正や悪事などの大きな問題が起こるリスクは最小限に抑えられ、日常の仕事もスムーズになる。上司との間に生じるささいなもめ事に、時間を消耗される不毛な時間をなくすためにも、企業だけでなく、自分に降り掛かる火の粉を避けるためにも重要なのだ。 だいたい上司、部下という言葉が示すように、上意下達が当たり前と考えられているが、マネジャー(あるいはリーダー)と、フォロワーの仕事は全く別。求められる能力も別。フォロワーは、フォロワーとしての仕事に精を出さなければならない。それはゴマをすることでも、ヨイショすることでもない。 「上司の意向に逆らうことができないという企業風土を改革する」のではなく、「上司も部下も自分の仕事への責任を負うのは最終的に自分であると考える人材を育成する」。上意下達という考えを、いい仕事をするためのパートナーとしての、上司部下の関係に改める。 仕事をうまくやり遂げるには、関わる様々な人たちと例外なくいい関係が求められる。上司もその一人に加えてもいいと思いますよ。だって、上司は敵でもなければ、悪魔でもない。不安もたくさんある一人の人間なんですから。 このコラムについて 河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学 上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。 http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/072400006 |