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日経によるFT電撃買収は、うまくいくのか わずか2カ月で大型買収を決めた事情とは?
http://toyokeizai.net/articles/-/78135
2015年07月24日 小林 恭子 :ジャーナリスト 東洋経済
英高級紙フィナンシャル・タイムズ(FT)を買収するのが日本経済新聞社だった、というニュースにイギリスのジャーナリズム周辺は騒然としている。
それは、「まさか日本の新聞が買うとは!」という反応である。この日、どこかがフィナンシャル・タイムズを買収するという記事はあちこちに出てはいたが、どの報道も日本の新聞は想定外だった。プレスリリースや記事を何度か読み直さないと、その事実が頭に入ってこないぐらい、あっと驚く買収劇だった。
プレスリリースや日経を含む数紙の報道によると、今回の買収の概要は次のようなものだ。
上のビデオはロイターによる報道
英出版大手ピアソンは、傘下のフィナンシャル・タイムズを発行するフィナンシャル・タイムズ・グループを日経に売却することを決定。金額は8億4440万ポンド(約1620億円)。「日本のメディア企業による海外企業の買収案件として過去最大」(日経)で、「読者数では世界最大の経済メディア」(同)となる。
日経によれば、買収の目的は「メディアブランドとして世界屈指の価値を持つFTを日経グループに組み入れ、グローバル報道の充実をめざすとともに、デジタル事業など成長戦略を推進する」である。
■「グローバル企業の一部になることがFT成功の道」
ピアソン側のFT売却の理由は、「私たちは、モバイルとソーシャルが中心となる、メディアの転換期にいる」、FTの「ジャーナリズムや商業的成功にとって最善なのは、グローバルなデジタル・ニュース企業の一部になることだ」(ピアソンCEOジョン・ファロン氏)。
このオフィスビルは買収対象に含まれない
今回の買収には、フィナンシャル・タイムズ・グループの中にあって、ピアソンが50%出資する世界最大規模の経済誌「エコノミスト」や、ロンドンにあるFTのオフィス自体は含まれていない。「バンカー」「インベスター・クロニクル」などの媒体は買収対象に含まれている。
ピアソンによると、FTグループは昨年の決算で、3億3400万ポンドの売り上げと2400万ポンドの営業収益を生み出している。激変するメディア界にあって、ちゃんと稼ぐことができている会社だ。日経による買収金額は35年分の営業利益相当であり、今後の利益成長を見込めば、決して高すぎるような買い物ではないだろう。
「絶対に、ない」−−。2013年までピアソンCEOだったマジョリ・スカルディノ氏は、幾度となくあったFT紙の売却話に対し「私がいる限り、売らない」と常に否定してきた。ネットニュースが人気を得て、紙の新聞が苦戦している時代に、歴史もブランド力もあるFTでさえ、売却の噂が絶えなかった。スカルディノ氏から現CEOファロン氏の移行で、売却話に道が開いた格好だ。
これまでにFTを買収するのではないかと言われたのは、米ニュース社のルパート・マードック会長や米通信社ブルームバーグを立ち上げたマイケル・ブルームバーグ氏などである。トップの顔が思い浮かぶ、そうそうたる名前ばかりが出ていた。
ちなみに、アマゾンのジェフ・ベゾス氏が2013年に米ワシントン・ポスト紙を買収した時の価格は2億5000万ドル、マードック氏が米ウオール・ストリート・ジャーナルを所有するダウ・ジョーンズを2007年に買収した時は約50億ドルだったといわれる。
アクセル・シュプリンガーが有力視されていた
23日朝(ロンドン時間)、過去58年間FTを所有してきたピアソンがいよいよ「売却について高度な段階の交渉に入った」とロイターが報じた。これに続いて「ブルームバーグが買い手だ」という記事もあったが、数時間後に、正式な買収リリースが出たことになる。
FTによると、最終段階の交渉は日経と「欧州でもっとも成功した新聞」とされる、独アクセル・シュプリンガー社との戦いになった。シュプリンガー社との交渉は1年前から続いていたが、日経が話に加わったのは2カ月ほど前だった。つまり、後から出てきた日経が横取りをしたようなかっこうである。
■攻めに転じた日経新聞
日経は今年3月26日付で喜多恒雄社長が代表権のある会長に就き、岡田直敏副社長が社長に昇格したばかり。この新体制になってから手を染めたのが、この買収だ。幹部によると「喜多さんは『シリコンバレーの会社に出資をすることは重要』と判断してエバーノートに23億円出資。その後、国内でいくつかのベンチャーに出資するなど、新しい動きを進めてきた。今回の買収も、喜多会長が中心になって進めたもの」と解説する。24日午前に開かれる同社の臨時取締役会において、今回の買収について説明がなされるようだ。
日経はアジアを軸に英文ニュースの展開を行っている
1960年代、日経は圓城寺次郎という不世出の経営者のもとで、新聞製作の電子化、日経産業新聞発刊、マグロウヒルとの合弁会社(現在の日経BP)設立、テレビ東京買収、日本経済研究センター設立など、飛躍の基盤を作った。時を経て、2000年前後には市場取引システムにまで手を染めるブルームバーグのようなポジション獲得を目指し、大きな損失を出したことがある。それ以降はしばらく、「自前主義」のモードにあったが、喜多時代に入って、攻めに転じ、ついに圓城寺時代にもなしえなかった大攻勢に打って出ることになった。
この日経による買収をFTはどう受け止めたか。
ガーディアン紙の報道によると、リリース発表直後、FT編集室は騒然となったという。急なニュースであったことと、日本の新聞社に買われたことで、勤務場所の移動があるかどうかが懸念となった。
また、FTの編集の独立性が失われるのではないかという懸念も表されたという。FTグループのジョン・リディング会長は「編集権の独立権問題は交渉の中で重要な位置を占めた」として、保障されることを確約している。
ピアソンは米国の教育出版市場で主要位置を占める。米国市場は同社の売り上げの60%に上る。4万人の従業員が80カ国で働いている。
サーモンピンクの紙面がトレードマークだ
127年の歴史を持つFTの発行部数(紙と電子版)は73万7000部。有料購読者の70%が電子版の購読者だ。5年前は24%だった。2012年に電子版の購読者が紙版の購読者を上回った。紙版の発行部数は過去10年で半減し、最新の数字では21万部(英ABC)。電子版は急速な勢いで伸び、現在は50万4000部(前年比で21%増)。ウェブサイトへのトラフィックの半分がスマートフォンやタブレットによる。
デジタル化を進めてきたライオネル・バーバー編集長はFTに30年間勤務し、2005年から現職だ。昨年9月のガーディアン紙のインタビューで、「ジャーナリズムの中でももっとも恵まれた仕事の一つだろうと思う。すぐに辞める気はない」と述べていた。今回の日経による買収について、バーバー編集長は「FTは世界的な資産だ。新しい所有者と共に働くことによって、これを維持できることを確信している」。
■最初は別の名前だったFT
そもそもFTがどのような会社なのかも、概説しておこう。
FTは1888年、銀行家ホレイショ・ボトムリーが「正直な金融家と尊敬できる仲買者」のために、「ロンドン・フィナンシャル・ガイド」として創刊した。当初は4ページ組みで、名前を「フィナンシャル・タイムズ」に変更。ロンドンの金融街(シティー)向けの新聞で、4年前に創刊されていたライバル紙フィナンシャル・ニュースと競争関係にあった。紙面をピンク色にしたのは1893年で、ほかの経済・金融紙と差をつけるためだった。
1945年、競合関係にあったフィナンシャル・ニュースと合併。執筆陣はニュース紙から、名前とピンク色の紙面はFTからもらったという。
FTは「経済専門紙だから電子版購読者を増やせたのだ」という見方がある。日経の電子版の伸びを見ても納得が行く説明だが、単にそう結論付けてしまうと見落とす部分があるように思う。
FTと並ぶ電子版成功例の英「エコノミスト」にも同じことが言えるが、FTは経済、金融を中心としているものの、政治、国際、社会、文化、論説といった幅広い分野の記事を掲載する。英国を含む欧州では経営幹部ともなれば、経済、政治のみならず、テクノロジー、アート、音楽、ワイン、旅、健康的なスポーツ、社会貢献活動など広いテーマについて知っていることが重要だ。
1部売りが一般紙より高いこともあって、読者は一般紙の読者よりも経済的に余裕のある人になるが、FTは経済・金融専門紙であることに加え、世界中にいる知識層向けの高級紙=クオリティー・ペーパーでもある。
日本で相当する新聞を探すとすれば、誰もが真っ先にあげるのが日経だろう。FTは英語媒体ということもあって、世界中のエリート層、知識人に読まれている。「FTがなければ、コメントできない」(No FT, No Comment)は著名な宣伝文句だ。
2008年頃の世界的な金融危機で、多くの新聞が広告収入の激減に苦しんだ。FTは「広告収入の上下に左右されない経営」を率先して実行した新聞だ。オーディエンスの計測に独自の方法を導入し、電子版アプリを独自開発など、「自前主義」の新聞でもある。
「どちらも経済紙」、「電子版で成功」、「読者は企業経営者やホワイトカラーの職業人」・・・日経とFTは共通点が多いように見える。
ただし、日経とFTは新聞文化が異なる日英のメディアだ。
FTなどの「高級紙=クオリティー・ペーパー」は社会の中の一定の知識層を対象にしており、部数が非常に少ない。日本のように「1部でも多く、あらゆる種類の層の人に、という部分では勝負していない。また、「権力に挑戦するジャーナリズム」が英国の新聞の場合はデフォルトの姿勢だ。日本は是々非々での「挑戦」であり、必ずしもデフォルトではないようであること、など。
■オリンパスの不正を報じないメディア
ガーディアン紙は社説記事「メディアのグローバル化はフィナンシャル・タイムズにとって良いニュース」の中で、東芝の不正会計の話に触れ、日英の金融スキャンダルについての考え方の違いを挙げる。日本ではこのようなスキャンダルで「大体が犠牲者はいないと見られがちだが、英米では株主の利益を重要視し、正確な情報を与えられなかった株主が犠牲になったと考える」、という。
また、損失隠しスキャンダルがあったオリンパスも例に出す。このスキャンダルをスクープ報道したのはFTだったとし、日経は「報道が避けられなくなるまで、報じなかった」と断じる。
日本の大手メディアのジャーナリズムが「腐敗しているのではないが、敬意を表する」傾向があるのに対し、アングロサクソン系はそうではなく、「何物にも敬意を表さない」。
日英のジャーナリズムの立ち位置は異なるが、「それぞれの新聞社の文化の良い部分がお互いに影響を与えあうだろう」としている。
メディア環境が激変する今、どこの新聞社も生き残りをかけて必死だが、日経とFTの一体化で、互に学び合うことも多そうだ。
例えば、電子版購読者の増やし方についての情報だ。これは日本のどの新聞も欲しがる情報だろう。日経はこれから、FTに蓄積された情報をかなり共有することができるかもしれない。
記者レベル、制作レベルでの交流によって日経が得られるメリットは大きい。互いに大きな刺激になることは間違いなく、場合によっては両社の経営陣が相互に交流すれば、刺激は大きいだろう。
ジャーナリズムの面からも期待が大きい。英国の新聞記者なら誰でもやっているツイッター使いや、ウェブサイト上のブログ執筆、国際的なリーク情報を基にした調査報道、ソーシャルメディアに上がってくる生情報の検証スキル、大事件が発生したら、記者2−3人がことの経緯をどんどん綴ってゆく「ライブブログ」など、英語圏のジャーナリズムで盛んに行われている手法が日本に直に入ってくれば、これは相当おもしろい。
経営としては難題が多そうだが、ジャーナリズムの観点からは、久方ぶりに日本の"村社会"に大きな刺激をもたらすことは間違いない。
(画像はいずれもロイター)
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