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東芝の事業所(「Wikipedia」より/Waka77)
危機・東芝、暴走を招いた“老害”経営陣の内部抗争 危険かつ無謀な経営の末路
http://biz-journal.jp/2015/07/post_10768.html
2015.07.18 Business Journal
巨大企業の粉飾が今、その全貌を明らかにしようとしている。
不適切会計問題で揺れる東芝の第三者委員会は、西田厚聰相談役、佐々木則夫副会長、田中久雄社長の歴代3社長に対する調査を進め、上層部の関与をすでに把握しており、佐々木氏と田中氏はすでに引責辞任の意向を固めたとも報じられている。
東芝は経団連会長も輩出してきた日本を代表する総合電機メーカー。2003年には委員会設置会社にいち早く移行し、社外取締役制度も積極的に取り入れてきた、大手上場企業の中でもコーポレートガバナンスを推進するモデル企業のような存在だった。その東芝で経営陣主導による不適切会計が行われていたということになれば、日本のコーポレートガバナンスのあり方が根幹から崩れていく。日本取引所グループの清田瞭最高経営責任者(CEO)は「進捗や最大限の修正額を適時開示するよう再三お願いしている」と語る。
その東芝で、いったい何があったのか。
■前代未聞の事態
東芝の事件が発覚したきっかけは、証券取引等監視委員会への内部通報だった。2月12日には同委員会が同社を開示検査した。同社もまた3月下旬に独自調査で一部インフラ関連の工事で調査の必要性が判明したと発表し、4月3日には室町正志会長を委員長とした特別調査委員会を設置し調査を開始した。
調査を進めていく中で、工事以外にも調査の必要な事項が判明したため、日本弁護士連合会の定めるガイドラインに従い5月8日、外部専門家による第三者委員会の設置を決定した。22日に具体的な調査対象として4つの会計処理を決定し、調査を開始したという。
調査の対象となったのは(1)電力システム、社会インフラシステム、コミュニティーソリューションの3社内カンパニーの工事進行基準に関する会計処理、(2)映像事業における経費計上に関する会計処理、(3)ディスクリート、システムLSIを主とする半導体事業の在庫の評価に関する会計処理、(4)パソコン事業における部品取引等に関する会計処理の4つの不適切会計処理だ。東芝の中核事業のほとんどで不適切会計処理が行われていたということになる。
一方で東芝側も第三者委員会の調査と並行して、東芝本体とその連結子会社584社の会計処理の適切性について09〜13年度分を調査し、12の案件で問題が判明した。定時株主総会に決算を上程できないことが判明すると、5月29日の取締役会で株主総会の開催を行うかどうかが検討され、「長期間総会が開かれないのは問題だ」(東芝広報担当者)という判断から株主総会の開催を決定した。
「東芝のような大手の上場企業が決算を上程できないまま総会を開くという事態は、これまで聞いたことがない」(東京証券取引所関係者)
積極的に企業統治に関する最先端の制度を導入してきた東芝は、なぜ正常な内部統制が機能しなかったのか。
「『仏つくって魂入れず』ではないが、どんなに進んだコーポレートガバナンスの制度を導入しても、中身が日本固有のムラ社会的な体質のままで、実態は変わらない日本企業が多い」(経営コンサルタント)
■高リスクだった事業構造
東芝の不適切会計のきっかけをつくったのは、西田社長時代だといわれている。
西田氏は「10年遅れの新入社員」から社長に上り詰めた異色の経営者だ。東京大学大学院時代にイラン人女性と結婚、そのままイランに渡り、東芝と現地法人の合弁会社に就職。そこで才能が評価され、東芝に入社したのは31歳のとき。92年に東芝アメリカ情報システム社長に就任すると、業績不振だったパソコン事業を1年で立て直し、95年にはパソコン事業部長、03年に執行役専務に就任してからは赤字に転落したパソコン事業をわずか1年で黒字化、その手腕が当時の岡村正社長に買われて05年6月、社長に就任した。
社長就任後は積極戦略に舵を切り、06年には原子力事業の実質トップだった佐々木氏とともに米ウエスチングハウスの買収を成功させ、原子力発電プラントの世界3大メーカー入りを果たす。
一方で、08年にはソニーのブルーレイとの戦いで劣勢に立たされたHD・DVD事業から撤退し、約1兆7000億円を投入してNANDフラッシュメモリ工場を建設。その後、原発事業と半導体事業が東芝の成長戦略の柱となっている。
「原発などのインフラ開発は、資金が長期間寝てしまうし、政治的なリスクやイベントリスクも大きい。半導体事業もボラティリティ(浮き沈み)の高い事業で、大きな資金を必要とする。そうしたリスクの高い事業を2つも抱えるというのは、極めて危険な構造といえる。例えば、米GEもボラティリティの高い事業を抱えているが、安定的なキャッシュフローを生む事業も抱えている。取締役会では当然、そうしたリスクが議論されるべきだが、十分に検討された形跡が見えない」(金融に詳しい経営コンサルタント)
東芝の方向性を大きく変えたのはリーマンショック(08年)と東日本大震災(11年)だ。リーマンショックで半導体を中心とした電子デバイス部門、デジタルプロダクツ部門、家庭電器部門などの業績が大幅に悪化し、東芝は09年3月期、2329億円の営業赤字に転落。その年の7月、西田氏は責任を取るかたちで社長を退任して会長に就任した。
後任社長には原子力事業のトップを務めていた佐々木氏が就任。西田氏の積極路線から構造改革路線に転換し、3000億円を上回る固定費の削減を行い、09年度にはV字回復を実現した。
■西田氏と佐々木氏の確執
ところが西田氏と佐々木氏の蜜月は、いつまでも続かなかった。
11年の東日本大震災による東京電力福島第一原発事故で日本中の原発が停止。東芝の原発事業も大打撃を受ける。
「これ以降、国内の原発はすべて停止し、新規の建設もなくなったため、国内の原発事業の収益はほとんどなくなってしまった。おそらく東芝はその原発事業の穴をインフラ関連事業全体で埋めるために、不適切会計に手を染めることになったのではないか」(大手総合電機メーカーに詳しい事情通)
確かに11年以降、原発事業が大きく収益を落としているにもかかわらず、原発を含むインフラ事業全体としては相変わらず安定した収益をあげていた。
「東芝は事業部が一つの派閥になっており、会社全体の利益よりも事業部を守ることが優先されるような構図がある」(同社関係者)
そして佐々木氏は、デジタルプロダクツ事業や電子デバイス事業を再編・統合し、社会インフラ事業へ経営資源をシフトすることで難局を打開しようとした。こうした動きに対し西田氏は、佐々木氏が自身の出身母体を守り、今後の事業の芽を摘んでいるとして、憤りを感じていたようだ。
当時、西田氏は週刊誌の取材に応えて、「カットすべき無駄なコストはありますが、東芝の礎だったり、将来の成長の芽となる固定費もあります。それを4年間ずっと、削っていく。これでは将来の芽を摘んでいるのも同然です」と厳しく非難した。
その後、佐々木氏は13年6月、社長退任に追い込まれ、副会長に棚上げされる。そして新たに社長に就任したのが、パソコン関連事業で西田氏の腹心として尽力してきた田中氏だった。西田氏は、田中氏の社長就任会見で、佐々木氏時代に2期連続減収が続いていることを問題視して「(新社長には)もう一度、東芝を成長軌道に乗せてほしい」と語っている。
「成長軌道に乗せられなければ、佐々木氏の二の舞いになる」――
田中氏には、そんな思いがあったのではないか。本来なら財務基盤の強化をしなければならない状況の中で無謀な成長戦略を描き、自縄自縛に陥ってしまった。
東芝は14年3月期までの5年間にわたる利益減額修正幅は、1700〜2000億円になるとみられ、傷口はさらに大きく広がることが予想されている。今後は監査体制の抜本的な見直しと経営陣の刷新が求められる。取締役は半数以上が退任するとみられている。
果たして東芝は、経営を刷新して生まれ変わることができるのか――。課題は山積している。
(文=松崎隆司/経済ジャーナリスト)
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