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任天堂本社(「Wikipedia」より/Moja)
任天堂の危機 天才・岩田社長死去で深刻な後継者不在 その繁栄と没落の軌跡
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150716-00010001-bjournal-bus_all
Business Journal 7月16日(木)6時2分配信
任天堂が6月26日、京都市南区の本社開発棟で開いた定時株主総会に岩田聡社長は姿を見せた。昨年は胆管腫瘍手術後で欠席していた。2015年3月期は4年ぶりに営業黒字になったことや、ソーシャルゲーム大手のディー・エヌ・エー(DeNA)と資本提携しスマートフォン(スマホ)向けゲームに本格的に参入することなどを報告した。
その株主総会からわずか半月後の7月11日、岩田氏は胆管腫瘍で亡くなった。55歳だった。
岩田氏にとって、最後の株主総会は厳しいものだった。取締役10人を選任する2号議案で岩田氏の社長再任案への賛成率は83.45%。昨年の80.64%は上回ったが、目安ラインとされる90%に届かなかった。他の取締役のそれは、いずれも90%を上回った。任天堂の15年3月期のROE(自己資本利益率)は3.7%で昨年のマイナス2.0%より改善したが、機関投資家が厳しい判定を下したことから、岩田氏再任案への賛成率は大きく上がらなかった。
07年11月1日、任天堂の株価は上場来の最高値、7万3200円をつけた。株主時価総額は10兆3700億円と、トヨタ自動車(当時23兆円)、三菱UFJフィナンシャル・グループ(同12兆円)に次ぐ3番目の水準。当時は投資家から最高の評価を得た岩田氏だが、最近ではその支持を取り付けるのに苦慮していた。
●任天堂の最大の謎
創業家出身で元社長の故・山内溥氏が、花札、トランプをつくっていた任天堂を世界屈指の家庭用ゲーム会社に育て上げた。山内氏は「日経ビジネス」(日経BP社/07年12月17日号)のインタビューで、こう語っている。
「必需品を作っているハードの会社と(娯楽分野の)ソフトの会社というのは、体質が全然違うんですね。言い換えると、ハードで成功した経営者がソフトをやれるのかというと、とてもそうはいかないというのが僕の考えです。いったい何を基準にして任天堂に必要な人を選ぶのかといえば、果たしてその人が『ソフト体質』を持っているか否か。実際に接してみると、この人はハードの人、この人は体質的にソフトに順応できる人というのが分かってくるんですね。(中略)ハード体質の経営者がもしいたとしたら、辞めてくれと言います。そうしないと任天堂という企業はつぶれるんですよ」
山内氏の後継者と目されていたのが、娘婿の荒川實氏だった。荒川氏は京都大学から米マサチューセッツ工科大学を出た丸紅の商社マン。任天堂の米国進出に初期の「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」時代から関わり、家庭用ゲーム機を米国に普及させた功労者だ。イチローが活躍することになるシアトル・マリナーズを任天堂が買収した時、中心になって動いたのが荒川氏だった。
ところが山内氏は「彼は任天堂の社長に向かない」として、荒川氏を解任してしまった。任天堂の最大の謎とされる事件だ。先の語録に照らせば、荒川氏を後継者から外したのは「ハード体質」であったからだろうか。
●世界的優良企業へ
そこで山内氏が後継者として白羽の矢を立てたのが、岩田聡氏である。岩田氏は札幌南高校時代にゲームを数多く制作し「札幌の天才少年」と呼ばれた。「誰よりも面白いソフトをつくる」岩田氏の特異な才能を山内氏は高く評価した。
02年5月、山内氏は岩田氏に社長の椅子を譲って第一線から半歩退いた。山内氏は前出インタビューで、岩田氏を後継者にした理由をこう語っている。
「僕が岩田を社長にしたのは、いや彼だけではない、任天堂には今6人の代表取締役がいるけど、それは結局、体質がハードでないはずや、という判断をしたから」
当時、次世代ゲーム機として期待された「NINTENDO64」が不発に終わり、任天堂は深刻な事態に陥った。ソニーの「プレイステーション」に首位の座を明け渡し、大きく水をあけられた。マイクロソフトの「Xbox」にも抜かれ、屈辱の業界3位に転落した。
岩田氏は巻き返しに出た。ソニーは、ハードが主でソフトが従の路線をとっていた。任天堂は真逆で、ソフトが主でハードは従とした。先端技術を駆使し多機能性を追求しただけでは楽しさや面白さに直結しないことを、山内氏の直弟子である岩田氏は体で知っていた。
ハードの操作はあくまで簡単にして、楽しさに徹した。その第1弾が、04年12月に発売した携帯用ゲーム機「ニンテンドーDS」。第2弾が06年12月に発売した据え置き型ゲーム機「Wii」。いずれも世界的に大ヒットし、任天堂は世界に冠たる優良企業に成長した。
●失速
任天堂の09年3月期連結決算の売上高は1兆8386億円、当期利益が2790億円で過去最高を記録した。だが、10年9月中間決算は赤字に転落。任天堂の成長神話はひとまず終焉し、その後の長いトンネルに入る。
15年3月期連結決算の売上高は前期比3.8%減の5497億円、純利益は418億円の黒字(前期は232億円の赤字)。最盛期の09年3月期と比較すると売上高は3割、純利益は1割5分の水準だ。
ゲーム市場の変化は目まぐるしい。飛ぶ鳥を落とす勢いで伸びてきたソーシャルゲームのグリーなども成長が鈍化。ゲームの王者だった任天堂やソニーの家庭用ゲーム機も、かつてのような爆発的なヒットを出せていない。
13年9月、山内氏が亡くなった。任天堂は、山内氏の「鶴の一声」で決まる体制が終わり、岩田氏はいや応なしにゲーム市場の構造変化に向き合わざるを得なくなった。ゲーム市場は家庭用ゲームよりもスマホゲームが主流となり、15年3月、任天堂はDeNAと資本提携してスマホゲームへ参入。年内にも第1弾のゲームを発売する計画だ。この推進役である岩田氏の急逝で、プロジェクトが宙に浮くのではないかという懸念が出ている。
任天堂は今後の経営体制について、「社長職は竹田玄洋専務と宮本茂専務の2人の代表取締役が代行し、その後は未定」とするにとどめている。
竹田氏はWiiなどハードの設計が専門で、任天堂の事業全体に関与した経験はない。宮本氏は「マリオの父」と呼ばれる天才的なクリエーターだ。彼がデザインしたゲームソフト『スーパーマリオブラザーズ』は世界一売れたゲームとしてギネスブックに登録されている。しかし、経営者としての手腕は未知数。
「岩田氏が病気の体にむち打って社長を続投してきたのは、後継者が不在だったから。竹田、宮本の両氏は60歳を越えてており、斬新な発想が求められるゲーム業界で任天堂を再浮上に導くのは容易ではない」(業界筋)
「ソフト体質」と「経営者」という2つの才能を兼ね備えた山内氏に続いて、岩田氏も亡くなった。任天堂は船頭不在のまま、海図のない航海へ船出する。
(文=編集部)
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