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日本、超速の近代化は偶然&ドイツのお陰だった?なぜ明治維新直後にアジアの頂点に?(Business Journal)
http://www.asyura2.com/15/hasan98/msg/771.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 7 月 15 日 22:45:35: igsppGRN/E9PQ
 

               岩倉使節団(左から、木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通)


日本、超速の近代化は偶然&ドイツのお陰だった?なぜ明治維新直後にアジアの頂点に?
http://biz-journal.jp/2015/07/post_10753.html
2015.07.15 文=熊谷充晃/歴史探究家 Business Journal


 明治維新の立役者たちが中心となって成立した明治政府。その主導で、欧米列強に追いつけ追い越せとばかりに、さまざまな分野で近代化を強力に推進していたのが明治初期の日本だ。スローガンとして有名なのは「富国強兵」や「殖産興業」だろう。
 
 その成果は、1894年に勃発した日清戦争、続いて1904年に開戦した日露戦争に相次いで勝利を収めることで、世界中に証明してみせたといわれる。

 しかし、日本の近代化は決して、ときの政府の慧眼だけで、はたまた日本人の勤勉実直な国民性だけで成し遂げられたものではない。「日本史」という枠を飛び出してみると、欧米列強を中心に回っていた当時の国際政治とも無縁ではいられなかった。開国して世界に扉を開いた日本は、その瞬間から国際情勢の影響も色濃く受けているのだ。

●幸運

 日本が明治維新をゴールとする内乱に明け暮れていたころ、ナポレオン旋風の後を受けて19世紀中盤のヨーロッパは、自他ともに「大国」と認める5つの国が会議などで協調体制を維持する「ウィーン体制」が敷かれていた。構成国はイギリス、フランス、プロイセン、オーストリア、ロシア、これら「五大国」だった。

 このうちプロイセンは周辺国家を統合してドイツとなり、19世紀後半には「鉄血宰相」とのニックネームを持つ首相ビスマルクがけん引するようになっていた。彼が国際政治の舞台で目指したのは、不安定だったウィーン体制の強化。それも自国優位のかたちを取るものを理想とした。

 周辺諸国にモノいうために必要としたのは実力だ。そしてドイツの世界一といわれた陸軍力を背景に、ビスマルク自身の卓越した政治手腕も手伝って、当時のヨーロッパは「戦間期」ともいえる一時的に平和な時代を謳歌していた。経済的にも心理的にも各国が余裕を持っていたということだ。

 そこに近代化を目指す日本が入ってくる。あちこちの国に打診して技術供与や人的支援を願い出るのだ。仮に打診された国が戦争当事国だったらどうだろう。極東の後進国に、手取り足取り指導を施す余裕などなかったはずだ。そもそも交渉のテーブルすら用意されなかったかもしれない。

 しかし実際には、援助の申し出を受けた各国が、専門家を「お雇い外国人」として日本に派遣してくれたり、借款による経済支援を引き受けてくれたり、日本人一行の視察団を迎え入れてくれたりした。例えば、鉄道ならイギリスの全面的なバックアップを受け、昨年世界遺産に登録された富岡製糸場は、建設にも運営にもフランス人の多大な尽力があった。

 もちろん、極東地域への影響力拡大などという国益を見据えて「恩を売って」いた側面もあるだろうが、鉄道にせよ法制度にせよ何にせよ、世界の最先端をいく技術や思想の導入がスムーズに運んだことは、日本のスピーディな近代化に大きな役目を果たした。当時の日本は少なくとも、欧米列強に師事することなく独力で近代化を果たせるようなレベルにはなかったし、ナポレオンが活躍した時代に明治維新が重なっていたとしたら、日本は近代化を急ぐことなど不可能だったかもしれない。

●「陰の立役者」はビスマルク

 さらに、当時の日本は数多くの面でドイツを手本にしている。明治憲法がドイツ的な立憲君主制を参考にしていることは有名だが、陸軍のありかたなどドイツに学んだジャンルは幅広い。それはひとえに、当時のドイツが世界をリードする強烈な存在感を放っていたからで、国家を強大化させる成功例として見習うべき点が多いと明治日本の政治家たちに認識されたからだ。その意味でビスマルクは、日本近代化の「陰の立役者」ともいえるのだ。

 明治維新から四半世紀。日本は日清戦争でアジアの頂点と認められる勝利を得た。さらに10年後、五大国の一員だったロシアを打ち破ることで、アジア初の新たな五大国のメンバーとして国際社会から一目置かれる存在となっていく。

 こうして「世界史の中の日本」を意識してみると、教科書的なイメージとは異なる、ひと味違う明治日本の姿が見えてくるのではないだろうか。
(文=熊谷充晃/歴史探究家)

 

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コメント
 
1. 2015年7月15日 23:43:12 : N4qwxcBMP6
明治維新時までは白人による世界支配はロスチャイルドしかいなかった。
ヨーロッパからの陸続きでアジア圏が植民地化される流れの中で最後に手を出してきたのが島国の日本だった。

白人至上主義の彼らは当然に有色人種の日本も植民地にしたかったはずで、恐らく有色人種の独立国は世界で日本だけだった。

明治維新の裏にロックフェラーもいたなんて新説を出す奴もいるが、まだスタンダードオイルが設立されてもいないのにあり得ないので、資金源はロスチャだった。

日本にとって幸いだったのは明治維新成立後にロックが成立して日本に食指を伸ばしてきたので他のアジア諸国と違いロスチャの独断で植民地化できなかったこと。

結論的に言えば、日本を取り込むためにロスチャとロックが三菱系と三井系に分かれて競ってくれた偶然が日本の急発展に繋がったと考えている。
戦前までは日本国通貨よりも三菱・三井の手形の方が海外では信用があったことからも繋がりの深さが判る。

欧米を除く他の国は植民地なんだから発展するわけがない。


2. 2015年7月16日 01:28:43 : yy7D5jhcis
三菱重工やキリンビールの生みの親と言われ、グラバー亭でもしられるグラバーは基本的に死の商人であった。日本を軍事大国にすることは当時の先進国にとって兵器の有力なマーケット開拓だったということだ。

3. mikan 2015年7月16日 02:01:39 : KpeFTWwMvOlGA : eCRtEI0DWQ

恐らく、明治新政府が、ドイツを日本近代化の手本にしたのは、他のヨーロッパ列強の中で、ドイツが自らと重なる点が多かったからだろう。

多数の領邦の集まりからドイツが統一をした時期は、江戸時代の幕藩体制から藩籍奉還をして中央集権体制を実現した日本の明治維新と時期が重なっていた。共に中央集権化した帝国主義国家の成立が遅れ、英仏などと比べ植民地をほとんど持たず、近代化に出遅れていた。そのドイツが強敵だったフランスを普仏戦争で破り、工業化をすすめ、ヨーロッパの後進国から列強へ、めざましく国力をつけてきた姿が、上からの改革で富国強兵政策を押し進める手本になったのだと思う。

しかし、ビスマルクの後のドイツも、そして日本も、ビスマルクの卓越した外交政策に学ばず、自由主義が軽んじられ軍部に発言力が増す一方で、外交的には孤立主義を歩んでドイツは第一次大戦と第二次大戦で敗北し、日本も同じような道を歩んだ。

冷戦はあったものの、ドイツが戦後、こうした反省から周辺国との関係に気を配っているように見える半面、日本が力を失いつつある米国との同盟関係を強くする一方で、東アジアで再び孤立主義に陥ろうとしている事が気になる。

多分、日本人の欧米崇拝、周辺国蔑視の原点は、この明治維新の近代化への成功にあると思うが、今後の日本の外交や内政で日本人が道を誤らない為に、明治維新に関して一人ひとりが、正しく自覚を持つ必要があると思う。


4. 2015年7月16日 03:29:09 : w3M1BHSquE
「欧米を見本」 それは、良い意味もあり 悪い意味もある

【良い意味】とはもちろん、速やかな近代化 諸外国の技術や文化を 積極的に取り入れた柔軟さがそうである
日本らしさ という面を 置き忘れてしまった嫌いはあるものの、この近代化がなければ欧米列強の植民地と
なった可能性は、やはり否定は出来ない事 あの幕藩体制で 国際社会を生き残るのは難しいと思われます

【悪い意味】 それはやはり、欧米のように 武力を背景にした大陸進出 いわゆる侵略を是とした事
欧米諸国を見本としたからこそ、アジアの侵略に罪悪感を持つ人間が ごく少数でしかなかった事実
結局、最後は 「バスに乗り遅れるな」 の合言葉で、飛ぶ鳥を落とす勢いのナチスドイツに誘惑され
破滅的な戦争に突き進んだのも これまた否定のしようがない事実

まあ、良くも悪くも いろんな意味で 「ドイツのお陰」 なのでしょうけど

しかし、冷静に客観的に よーく考えてみましょう 明治以降の近代化を成し得た日本の文化で
世界に誇れるものは、戦後の日本を除けば ほとんど無きに等しい訳じゃないですか
世界中から注目され羨望を集める日本の文化 それは殆ど 江戸時代以前のものばかりです
歌舞伎 能 狂言 浮世絵 伝統工芸 世界中から憧れを集めるものは、すべて明治以前である事実

さらにあの葛飾北斎など ピカソやダビンチと 並んで称されると言う事が 日本人が知ったのも最近の事

日本の近代化は 避けては通れぬ道だったとはいえ 欧米諸国の真似事は 世界に誇れるものは
ほとんど何も 無きに等しい訳でもあります。


5. 2015年7月16日 10:17:46 : 62QaAmZ1Pg

この文章を書いた熊谷充晃は『米欧回覧実記』を読んだのか

 確かに岩倉使節団はビスマルク主宰の晩餐会に招かれ

  「弱小国だったプロイセンが 強国になれたのは富国強兵政策のおかげだ」

     鉄血宰相にそうアジテーションされ その気になったことは事実だ

  しかし その結果 日本は戦争に明け暮れ ヒロシマナガサキに行き着く

     プロシャ陸軍の背嚢をモデルにした小学生のランドセルは 

        一五〇年も続く 愚かな遺産だ 

 岩倉使節団以来の既得権益によって日本を牛耳る 欧州と米国の手先

    「薩長土肥」を東京からたたき出さない限り 

            日本は本当の意味で独立できない

  


6. 2015年7月16日 19:15:10 : vzIXAnQUvA
日本の地理的な位置も重要ですよね。欧米列強にとっては東アジアを制圧する拠点として香港だけでは心もとない。日本も拠点として利用したい。日本は資源も無く土地も肥沃ではないので植民地として経営する魅力は無く、さらに鹿鳴館などで西洋人の御機嫌を取っていたので忠実な飼い犬として利用したかった。ちなみに鹿鳴館のような施設を政策として実行したのは世界で日本だけである。

ところが日本側は日露戦争に勝つと列強と対等な立場が要求できると勘違いし始めた。膨大な犠牲を払いながら日清戦争のように賠償金や領土を得られなかったのも不満であった。しかし欧米列強にしてみればオマエは元々飼い犬であり、犬をやれと命令されれば犬になり猿をやれと命令されれば猿になるのが仕事なのだ。それができないと言うのなら不良品として処分せねばならない。したがって第二次大戦での敗戦は欧米側にしてみれば当然の処分なのである。

運の良さだけでのし上がって来た結果リスクの評価ができなくなり、行け逝けドンドン一本道で敗戦や原発爆発など重大な不利益を日本民族にもたらしてしまう、例え一時的に戦争や経済成長に成功しても、こんな想定外だらけの重荷を背負っていたのでは国家の持続は難しいだろう。



7. 2015年7月16日 19:42:47 : hUkJW5PNLO
まずおだて 次に肥らせ 高転び

8. 2015年7月16日 21:34:34 : 3EgwMxC9Tk
ビスマルクもユダヤ系だとどこかで見ました。ドイツといえども
殆どといっていいほど、近代以降、力を持っているのは、
ユダヤ系や隠れユダヤでしょう。

ドイツも日本も中国も、朝鮮や満州でさえも、
国でみるより族譜や家譜という「血の流れ」でみるほうが
わかりやすいと思いますよ。
日本や中国も、一枚岩ではない理由がわかります。

族譜も家譜も人間ごと移動しているのですから。


9. 2015年7月16日 21:37:51 : 3EgwMxC9Tk
日本という言葉でさえ、「洗脳」用語なのですから。

これからの時代、偽歴史プロパガンダに基づく

国の囲いは無意味です。麻酔(洗脳)からそろそろ覚めるべき時が

近づいているようですね。


10. 2015年7月16日 23:40:47 : vzIXAnQUvA
>>8

血の流れというよりも人間組織の系譜と言った方が正確でしょう。産業革命にしてもそれまでバラバラに仕事をしていた人間を組織化してより大きな成果を挙げたのであり、中国があれほど早く経済成長できるのも人民解放軍の組織がそのまま企業化したからなんです。

薩長の場合、それまでの幕藩体制から西洋式の軍隊組織への転換にはロスチャイルドが手を貸していたのでしょう。その借金への返済として日清と日露戦争があった。ところが戦費で逆に借金が増えてしまった。サラ金地獄から抜け出すための海外侵略が結果的に日本を敗戦へと追いやった。いずれにしてもこの140年間の出来事をふり返ると恐ろしく利息の高い借金でした。日本の戦後の教育から考えて日本の組織が再び戦前のような強さに戻るのは不可能だと思われます。


11. mikan 2015年7月17日 02:17:01 : KpeFTWwMvOlGA : 6AUvij4P1o

日本の近代史を見ていると、日露戦争を含めて、アングロサクソンに日本は利用され、利害が対立すると潰され、という歴史だったように見える。もちろん、現在もそうだが。

官主導の富国強兵策は良いが、その「強兵」がくせものだった。これは、植民地政策の欧米への後追いが動機だったが、ここをうまく乗り切るには、アングロサクソンの狡猾さに負けない、高度な外交手腕、戦略性というものが日本に決定的に欠けていたように見える。朝鮮、満州で我慢しておけば良かったのに、無節操に中国、仏印と手を出し、外交的孤立を選び、敗戦に追い込まれた。

「ビスマルク体制」と言われる、ビスマルクのとった外交政策は、植民地獲得に消極的姿勢をとる事で、英仏との軋轢を避け、ロシア、イタリア、英国などと良好な関係を持ち、ドイツの外交的孤立を避けるものだった。

今の国際情勢で、日本がここから何か学ぶならば、今のように、米国に利用される形で中国、ロシア、朝鮮半島と対立し、東アジアでの孤立の道を選ぶのではなく、むしろ、これらの国とバランス良く関係を保つ事で、昔の植民地政策からいろいろ形を変えた現在の米国による支配、暗然とした搾取の罠から脱する外交政策を探って行く事ではないかと思う。今の政権を見ていると露骨にこれに逆行する道を進んでいる。

ここで障害になるのが、日本人と中国、朝鮮半島などの間の心理的な「壁」だと思うが、日本人の反中、嫌韓感情が近年煽られ、こうした日本のナショナリズムが、今の従米外交を助け、今の政権を支えている。しかし、もし明治維新と日本の近代化という歴史をもう一度じっくり捉え直して考るなら、日本人がアジアの中で「特別」だと思っていたことは、誤解に過ぎず、歴史の偶然でこの一世紀半近くの間、たまたま彼らより優位に立てたに過ぎないという認識ができる筈だし、東アジア外交を妨げる日本人の心理的確執を和らげる事ができると思う。


12. 晴れ間 2015年7月17日 18:07:30 : FhUYgDFvAt2/E : xni5yVaf3k
少なくとも軍制に関しては、ドイツの先輩はフランスです。
フランス革命時の革命戦争のときに、ドイツ諸邦を始め周辺国で、フランスの国民軍にならって軍制改革が行われました。(これ、高校世界史で習ったでしょ?)
前近代の軍隊は、傭兵制。仏革命期以降は、徴兵制(それと志願兵)による国民軍。

ドイツ語の辞書を見て下さい。こと軍事、軍隊用語に関しては、フランス語由来の単語がゴロゴロありますよ。


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