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低収益は病気か合理か―ROE至上主義の落とし穴【最終回】
2015年07月14日 岩村 充 早稲田大学ビジネススクール教授バックナンバー プロフィール
日本企業のROEは米国に比べて低く、その改善が急務であるという意見もある。このような格差が果たして本当に問題なのか、最終回ではこの問題を考える。
ROAにおける日米格差
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岩村 充(いわむら・みつる)
早稲田大学ビジネススクール教授。東京大学経済学部卒業。日本銀行勤務を経て1998年より現職。主としてファイナンス関連の講義および演習を担当しているが、物価理論などマクロ金融関連の論文著作も多い。主な著書に『貨幣進化論』(新潮選書・2010年)、『コーポレート・ファイナンス』(中央経済社・2013年)など。早稲田大学博士。
日本企業が経済の成熟度としては似通った状況にあるはずの欧米企業に比べ、その収益力という点で大きく見劣りするということは、従来から多く指摘されてきた。しかし、この問題を、ROEという指標と日本企業のあり方全般についての問題意識に結び付けて論じることで、各方面に大きなインパクトを与えたのは、取りまとめに当たった伊藤邦雄一橋大学教授の名を取って伊藤レポートとも呼ばれる経済産業省プロジェクトの報告書「持続的成長への競争力とインセンティブ〜企業と投資家の望ましい関係構築〜」だろう。このレポー トでは、2000年から2010年までの日本企業のROEが中央値で4.97%であったのに対し、米国は7.72%だったというような数字をあげて、その改善が急務であると説いている。
今回は、こうした収益率における内外格差の存在をどう理解すべきかについて考え、連載を締めくくることにしよう。
まず、企業の収益性を考えるための指標に何を使うかを整理しておこう。収益性指標としてのROEの問題点についてはこれまでの連載で述べたので、繰り返す必要はないだろう。ROEは、リスクを考慮していない一方でレバレッジを効かせた後の数字であり、株式投資家にとっては重要な指標ではあるが、企業活動の本質的なパフォーマンス指標としては使いづらいからである。したがって、企業の収益性を比較するときにはROA(Return On Assets)と呼ばれる指標を使う方が一般的であろう。改めてROAの定義式を書いておこう。
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ここでEBITとは、Earnings before Interests and Taxes、つまり「税引前当期利益に支払利息を差し戻したもの」という意味だが、そう考えないで「営業利益に受取利息を加えたもの」と考えてもらっても構わない。要するに、ROAとは、企業が保有する全部の資産(使用総資本)を元手に、どのくらいのリターンを得ているかを測る指標なのである。外部債権者に支払われるリターンと株主に帰属するリターンの合計額なのだから、これこそが「パイの大きさ」であり、レバレッジつまり梃子の効果を使う前の企業の本質的な収益を測るのに近いものと言ってよいと思われる。
それではROAの国際比較を行った結果を概観してみよう。この問題を早くから指摘していた平成22年度の政府年次経済財政報告では、図1のようなグラフを示して、日本企業のROAとROEがともに欧米企業のそれと比較し約3%程度の幅で低水準に推移してきたことを指摘している。すなわち、伊藤レポートに改めて指摘されるまでもなく、日本企業の特性は何よりもそのROAの低さであり、日本の低いROEはその反映の一つに過ぎないということ自体は、日本のエコノミストたちの常識でもあったわけだ。
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図1
もっとも、こうした数字だけで日本企業を低パフォーマンスと決めつけることはできない。何度も議論してきたリスクの問題を別としても、日本と米国あるいは欧州は産業の立地条件が違うということも関係あるかもしれないからだ。たとえば、海外から原材料を輸入し精製加工した製品を輸出することを主としている国は、純粋のアイディアや感性から価値を作り出すような産業が主体になっている国よりも、平均的にみた資産収益率は低くなりがちだろう。これは産業特性の違いであって、企業パフォーマンスの違いではない。言い換えれば、いくらコーポレート・ガバナンスを強化しても逆転できるような違いではないのである。
しかし、これは日本の企業人にとってはやや残念な結果かもしれないが、産業別にみたROAを日米比較しても、やはり大きな差が存在するのである。こちらは、平成25年度の年次経済報告に印象的なグラフが掲載されているので、これを図2として紹介しておこう。こうした図を見れば、日本企業の低収益性は単なる産業構造の差だけではない、やはり企業ガバナンスを含む経営体質の問題がもたらしたものという気がするかもしれない。だが、そう結論付けるのも早計なのである。
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図2
低金利あるいは低資本コストの問題
投資決定の基本に戻って考えてみよう。もしあなたに、年利2%でいくらでも資金を融資してくれる懇意な銀行が存在したとしよう。そのあなたの前に年利5%相当で資金を運用できる投資機会が現れたとしよう。そんな話が存在したら、それでROEがどうなろうと、あなたはその投資機会を掴もうとするに違いない。もし、あなたの昨日までの平均的な資金運用成績は年利7%だったとすれば、その投資機会を掴むことにより平均的な資金運用成績つまりROAは低下するし、そこで企業が資本政策を特に変更しなければROEも低下することになるが、しかし富全体は大きくなるからである。
言うまでもないことだが、こう考えるのが、経済学で考える合理的な意思決定である。合理的な意思決定とは、平均的な収益率を上げることではなく、限界的な運用レートが限界的な調達レートと等しくなるまで、目の前の機会を掴むことだからである。
そこに気が付けば、ROAとかROEとかの表面的な高低、とりわけ内外格差を論じるときに何に注意しなければならないかも明らかになるのではないか。ROAやROEの高低を論じるときには、その企業が立地する国や地域の資金調達レートの差を忘れてはならないのである。
その観点から日本企業の資金調達環境を振り返っておこう。もちろん、考えるべきは企業の資金調達と事業機会への投資の問題であるから、資金調達レートも「リスク込み」で考えなければならない。つまり、ファイナンス理論で言うWACC(Weighted Average Cost of Capital)で考えなければならない。だが、日米の差を議論するのであれば、この問題はあまり重大ではないと割り切って良いだろう。個別企業のリスクは、市場における分散投資によって全体として見れば大方は解消されているはずだし、市場全体としてのリスク・プレミアムも、東京市場とニューヨーク市場の株価の連動性の高さなどからみれば、そう大きなものではないように思えるからである。
ここで問題の正体が半分ほどは見えてきただろう。1970年代つまり世界が変動相場制に移行してから、多くの金利為替ディーラーたちは、日米金利差につき概ね3%程度という「相場観」を持っていたと言われる。また、実際の市場金利を観察してみても、そうした相場観は大きくは間違っていないように思われる。そうすると、日米の資本コストには概ね3%程度の差が存在し、そうした差が長期的に維持されていたとするならば、日米の収益性格差の大半はそれで説明できてしまうことになる。日本企業のROAやROEの低さは、その経営体質の違いというよりは、置かれた資本市場環境の違いがもたらしたもの、具体的には金利を低めに維持することを基調とした日本銀行の金融政策がもたらしたものと考えた方が良いのではないだろうか。
資本コストと為替レート
ところで、こう説明すると、それでは日本企業の低ROA体質は日本の金融政策が作り出したものか、相対的に低金利という意味で「企業にやさしい金融政策」は、実は「企業を甘やかす金融政策」だったのではないか、そういう疑問あるいは意見を持つ読者も出るだろう。だが、それも単純に言えることではない。なぜなら、その議論は為替レートの変化の問題を見落としているからだ。
これは裁定と呼ばれる考え方の入門編だが、長期的に予想されている金利の内外格差は、同じく長期的な為替レートの変動予想と整合的でなければならない。たとえば日本円建ての金利が米ドル建ての金利より1年間で3%ほども低いのであれば、円の対ドルレートは1年間で3%程度は切り上がっていないと、日米の金融市場と為替市場は同時には均衡しないからである。短期的には金利と為替は別々の動きをするが、人々の期待の背後に長期的あるいは安定的な金利差予想が存在する限りは、長い目で見た為替レートはそれと整合的に変化しなければならないのである。
実は、このことは実際に起こってきた事実とも整合的である。円の対ドルレートは、360円/ドルの固定為替相場が崩壊した1971年以降、例のリーマン・ショックで米国が大規模な金融緩和を打ち出した2008年に至るまでの間に、だいたい年率で2.5%から3%程度のスピードで長期的な上昇トレンドを示していたからである。日本の金融政策は、確かに金利という面では日本企業にやさしかったのだが、傾向的な円高を作り出したという意味では、「企業に厳しい金融政策」であり、それで日本企業とりわけ日本の輸出型企業は鍛え続けられてきたともいえるわけだ。
また、このことはROAとかROEという計算方式が持つ特有のバイアスについても、示唆を与えてくれる。たとえば一定額を日本企業に投じている米国の投資家の立場で考えてみれば容易に気が付くだろう。彼らは、その1年後には投資先日本企業が事業として稼ぎ出した利益の自己帰属分とは別に、自分の投入した金額がドル表示でみて大きくなったということから生じる利益をも得ていると評価できるからだ。もちろん、こうした評価益はいつも発生すると限らない。評価益がどのように発生するかは、実際の為替レートに依存するし、会計制度にも依存するからだ。ただ、こうした効果は長期かつ資本市場全体で見れば、必ず実現していたはずである。彼らが、日本の識者からインタビューを受ければ、必ずと言ってよいほど日本企業の低収益性と低配当に厳しく注文を付けるが、それなら日本株を売るのかと聞かれると、それはないとあっさり答えるのは、別に不思議なことではなかったわけだ。
日本企業の低収益性や株主を向かない経営姿勢を反省する声が上がり始めてから久しい。しかし、それにもかかわらず、東証上場企業の外国人持ち株比率は傾向的に上昇を続けていた。その矛盾を解く鍵は、おそらくは為替レートの長期的なトレンドに対する一定の評価があったのではないだろうか。いわゆる「失われた10年」あるいは「20年」の間における日本株への投資は、その主役の一人だった外国人投資家たちにとっては、表面的な株価収益率やROEが示すよりは有利なものだったはずである。
潮目は変わるか
この連載も今回が最終回である。今回は、ROEやROAの国際間格差を考えるときには、金利や為替の問題を見落としてはいけないことを論じ、また、そこに注目すれば、日本企業の低ROE体質と呼ばれるものが、経営姿勢や企業文化の違いから生じたものではなく、資本市場の状況やそれが為替レートに与える影響から生じたものである可能性が高いことを説明した。
しかし、ここが大事なところであるが、そうした状況はこの数年の間に大きく変わっている。変動相場制以降の世界の金融資本市場の常識だった日米金利差は、あのリーマン・ショックに対応して政策金利をゼロ近くにまで引き下げた米国の金融緩和によって、ほぼ消失してしまった。こうした状況がさらに続けば、ROAの内外格差は、官やマスコミが一丸となったかのようなキャンペーンの成果ではなく、ただ市場の合理によって解消に向かった可能性が高かったろう。しかし、潮目は再び変わりつつあるようだ。
多くのエコノミストが注目することだが、米国のFRBは大規模な量的緩和からの撤退の時期を探りつつあるようだ。いわゆる「出口」の問題である。問題は米国が出口に至ったとき、市場で何が起こるかである。
この先は単なる予想に過ぎないのだが、おそらくは米国が出口に至りつつあるということを市場が理解したとき、日米の為替相場は円安方向への不連続な変化つまりジャンプをする可能性が強いと私は思っている。そして、そうした短期間のジャンプのフェーズが終わった後には、日米金利差から来る傾向的かつ静かな円高が復活することは十分にあり得るだろう。そうなれば、ROAの内外格差もなくなりはしまい。
だが、もう改めて言うほどのこともないだろう。ROAやROEにそうした格差が残ること自体は、経済の合理であって、経営の病気ではないからだ。単純な数字信仰ほど怖いものはない。潮目が変わりつつある現在、それを肝に銘じつつ、必要な「カイゼン」に取り組むのが賢い企業人であるように私には思われる。
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• 最終回 低収益は病気か合理か ――ROE至上主義の落とし穴【最終回】 (2015.07.14)
• 第2回 ファイナンスの問題とガバナンスの問題 ――ROE至上主義の落とし穴【第2回】(2015.07.07)
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• 最終回 事業環境の変化は 3つの視点から捉えられるデルとスタバのケースで学ぶビジネスモデル・マネジメント【最終回】 (2015.06.23)
• 第3回 必ず訪れるビジネスモデルの限界に、 いかに備えるかデルとスタバのケースで学ぶビジネスモデル・マネジメント【第3回】 (2015.06.16)
http://www.dhbr.net/articles/-/3343
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