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円安と日本経済(下)
好業績・資産効果生かせ
竹中正治 龍谷大学教授
交易条件悪化招かず 将来の円高回帰に備えを
円安の悪影響を懸念する声が増えている。ドル円相場はインフレ調整後の実質相場指数でみると、1980年代前半の超ドル高時代と同程度の円安水準だ(図参照)。
最近「円安が日本の交易条件を悪化させ、実質で計った国民所得を損なっている」との主張をよく聞くが、事実に基づいていない。国民経済全体の交易条件は「輸出物価指数/輸入物価指数」で示される。輸出物価が輸入物価に対して相対的に上昇すれば交易利得を生じ、逆の場合は交易損失となる。この交易利得・損失の変化は国民経済計算の一部として公表されている。
安倍政権の経済政策「アベノミクス」下での円安が交易条件を悪化させたとの見方も多い。もしそれが正しければ、「円安(円高)=交易条件の悪化(改善)」という相関関係が計測できるはずだ。
ところが2005〜15年の期間で、交易条件の変化と日銀が公表する名目実効円相場指数(主要通貨と円の加重平均で計算された相場指数)の変化(いずれも前年同月比)の相関関係を計測すると(単回帰)、相関係数は0.287、決定係数は0.083と極めて低い。これは交易条件の変化を円相場の変化で8%しか説明できないことを意味する。さらに12〜15年については、相関係数も決定係数もほぼゼロ近傍となり、両者の関係性は全くみられない。
90年代以前にはもう少し高い相関関係があったが、現在ではとても希薄だ。その一方、交易条件と原油などドル建ての資源エネルギー価格指数の相関性は極めて高い。
なぜだろうか。単純化して輸出も輸入もすべて外貨建てと想定して説明しよう。
円安は外貨建て輸出・輸入双方の円貨額を増やすので、円換算の「輸出物価/輸入物価」で計算される交易条件は変わらない。円安で交易条件が悪化するのは、輸出企業が外貨建て価格を下げる場合だ。90年代以前の日本の輸出企業は量的拡大志向が強く、円安になると外貨建て価格を下げ、交易条件悪化を伴った輸出数量の増加が生じた。
しかしその後、日本の輸出企業の行動は次第に量的拡大から採算重視にシフトし、円安で外貨建て価格を引き下げる度合いはかなり低下した。
一方、輸入サイドで大きな比率を占める資源エネルギーは、国際市場でドル建ての価格が形成されており、もとより円相場の変化がドル建て価格の変化を引き起こすことはほとんどない。こうした事情から「円安(円高)=交易条件の悪化(改善)」という関係性は極めて弱くなった。
円相場と関係なく、昨年後半からの原油など資源価格の急落は、日本の交易条件の大幅な改善をもたらし始めている。「円安でなければ原油価格の下落の恩恵はもっと大きかったはずだ」との声もあるが、その場合は輸出側の利益が犠牲になっただけである。
もちろん円相場の変化は国内の所得分配にも影響を与えるので、円高や円安いずれでも行き過ぎた変動は望ましくない。とはいえ、今次の円安も長期的には持続せず、いずれ調整局面を迎えるだろう。その理由は、円高局面の11年9月の本欄で、目先1〜2年は円高が持続する可能性が高いが、長期では2国のインフレ率の格差で計算された理論値である相対的購買力平価への円安回帰が起きると述べたことと同様である。
図は、日本の企業物価、米国の生産者物価で計算した相対的購買力平価(73年起点)に基づいたドル円の実質相場指数の推移である。市場相場(名目相場)は、相対的購買力平価からの乖離(かいり)と回帰を繰り返す。そのことは、市場相場を相対的購買力平価で割って算出した実質相場指数が、長期の平均値を中心に変動を繰り返すことを意味する。平均値も時間の経過で変動するが、73年を起点に10年経過後から計算すると平均値は極めて安定している。
図中に描いた上下の平行線は、実質相場指数が3分の2の確率でとどまる範囲(平均値から1標準偏差で上下に乖離した水準)である。目下の円相場は実質でみて「超ドル高」といわれた80年代前半とほぼ同じ円安水準にあるが、当時と要因は大きく異なる。
80年代前半には米連邦準備理事会(FRB)のボルカー議長の下で、高インフレを沈静化するため、マネー供給量の伸びを一定に抑制する一種の「量的金融引き締め」が断行された。レーガン政権による財政赤字の急増も加わり、ドル金利は短期・長期ともに10%を超えた。円や欧州通貨との金利差の拡大で、日欧からのドル債投資が急増。さらに80年の対外取引を原則自由とする外為法改正に伴い、機関投資家が外貨建て資産比率を高める動きも重なった。
しかし、85年のプラザ合意を契機にしたドル急落で、外債投資を積み上げた機関投資家は莫大な為替損失に直面した。リスク回避のため先物取引でドル売りに走り、ドル下落に拍車をかけた。「インフレ率格差を反映した金利差は長期的には高金利通貨の為替相場の下落で相殺される」という国際金融論の基礎的な命題を学び直す結果になった。
現下の日米経済は、物価、金融政策ともに当時と正反対の状況にある。日本はデフレからの脱却、米国は低インフレ回避が課題であり、景気浮揚のため名目政策金利がゼロ近傍という状況下、非伝統的な量的金融緩和を導入した。
アベノミクスと黒田東彦・日銀総裁の量的・質的金融緩和が、円高基調から円安への転換を実現した理由は、80年代のような名目金利差の拡大ではない。市場参加者の将来予想(期待)がデフレ継続からインフレへと転換し、それが外為市場での円売りの動きを引き起こしたからだ。
今後の日本経済の望ましい道が、過度なインフレ誘発もデフレへの逆戻りも回避しながら、景気回復の持続と穏やかなインフレの達成にあることはいうまでもない。筆者はこの楽観的なケースの実現可能性が高まっていると思う。
円安を背景にした企業利益の急伸や、株価や不動産など資産価格の上昇による消費拡大(正の資産効果)に支えられ、日本経済は消費増税後の低迷から抜け出しつつある。
原油価格の下落で消費者物価指数(総合)は前年同月比で当面ゼロ近傍の伸びとなろう。しかし、原油価格下落に伴う交易条件の改善もあり、実質国民総所得(年率換算)は14年10〜12月が6.3%増、15年1〜3月が5.2%増と、国内総生産(GDP)より高い伸びとなった。遅ればせながら賃金も増加し始めれば、穏やかなインフレへの移行がようやく見えてくるだろう。
ただし、インフレ率2%が安定的に実現された状況下では、長期国債利回りの2%、ないしそれ以上の上昇(価格の下落)が最終的には不可避である。また、現在の行き過ぎた円安の調整(円高)も避けられないだろう。
まだ1〜2年以上先のことだろうが、そうした調整が急激なものになれば、景気や株価への負の衝撃を与えかねない。80年代後半の円急騰を教訓に、いずれは円高への揺り戻しが不可避であることを想定すべきだろう。日本企業による海外での積極的な事業買収は大いに結構だが、買収資金は現地通貨で調達し、外貨建て純資産(外貨資産と負債の差額)を抑制すること、あるいは先物取引などによる円高方向への為替リスク回避が長期的には報われるだろう。
〈ポイント〉
○輸出企業は円安でも量拡大より採算重視
○円安は長期的に続かずいずれ調整局面に
○原油価格の下落が実質国民所得押し上げ
たけなか・まさはる 56年生まれ。京都大博士(経済学)。専門は国際金融論、米国経済
[日経新聞6月30日朝刊P.28]
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