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住宅扶助の引き下げが、生活扶助の引き下げに続いて始まった
生活保護削減で住めなくなる? 6児のシングルマザーを襲う危機
http://diamond.jp/articles/-/74327
2015年7月3日 みわよしこ [フリーランス・ライター] ダイヤモンド・オンライン
2015年7月1日から、生活保護の住宅扶助(家賃補助)引き下げが実施された。特に引き下げ幅が大きいのは多人数世帯。既に行われた生活扶助(生活費)引き下げともども、生活を大きく圧迫されている。
今回は、生活保護に支えられて6人の子どもと暮らすシングルマザーの「これまで」と今後への不安を紹介する。心穏やかに日々を過ごし、子どもたちを育てることは、許されないゼイタクなのだろうか?
■住宅扶助引き下げと転居に不安を募らせる6児の母
2015年7月1日から、生活保護の住宅扶助(家賃補助)引き下げが実施されている。引き下げ幅は、大都市近郊と地方の多人数世帯で特に大きい。東京23区内の単身世帯に対しては、これまでの上限5万3700円が維持されているが、2人世帯では6万9800円から6万4000円へと引き下げ(5800円減)。埼玉県熊谷市では、1人世帯で4万7700円から4万3000円へ(4700円減)、5人世帯では6万2000円から5万6000円へ(6000円減)と引き下げられた。
既に2013年8月から2015年4月にかけて、生活扶助(生活費分)の引き下げが行われており、子どものいる多人数世帯で特に引き下げ幅が大きかった。このことも考えあわせると、
「政府は、子どものいる生活保護世帯に対し、貧困を連鎖させたいのか? 低所得層には、子どもを生ませたり育てさせたりしたくないのか?」
という疑問を抱いてしまう。
千葉県A市に住むYさん(36歳)は、中学3年〜小学3年の6人の子どもを抱えたシングルマザーだ。Yさんは、今回の住宅扶助引き下げについて、
「まだ、担当ケースワーカーから聞いていませんし、通知も来ていません」
という。引き下げを知ったのは、さまざまな援助を受けている支援団体を通じてのことだった。現在の家賃は、6月30日までの住宅扶助上限額・5万9800円ギリギリだが、7月1日からはその住宅扶助上限額が2000円引き下げられる。
「ケースワーカーが、突然、うちにやってきて『家賃の安いところに転居してください、そうしなくては保護を打ち切ります』と言うのではないか、と不安になっています」(Yさん)
元夫からのDVで心身ともボロボロにされたYさんは、昨年、生活保護を利用して、子どもたちと一緒に現在の住まいに転居したばかりだ。現在は、精神科で治療を受けながら、家事と育児を辛うじて切り盛りしている。
「子どもたちは父親を失い、生まれ育った街での人とのつながりを失い、大切な友達とも別れることになりました。約1年が経って、やっと、子どもたちも私も、安心して暮らせるようになりました。それなのに……生活保護受給者を精神的に追い込み、苦しめて、その先にあるものは、何なのでしょうか? 希望がありません」(Yさん)
2015年4月14日、厚労省は都道府県の知事・特別政令市の市長に対して、通知を発行した。
http://665257b062be733.lolipop.jp/150414kyokucho.pdf
この通知には、
「世帯員が当該世帯の自立助長の観点から引き続き当該住居等に居住することが必要と認められる場合として1(2)アただし書(ア)から(ウ)までのいずれかに該当する限りにおいては、引き続き、旧基準額を適用して差し支えない」
という記述がある。「1(2)アただし書(ア)から(ウ)まで」の内容は
(ア) 医療機関は施設等への通院または通所
(イ) 就労または就学
(ウ) 高齢者・身体障害者等で、日常的に近隣に住む血縁者や地域などからの支援を受けている
である。転居によって支障が発生するこれらのケースでは、福祉事務所は転居や家賃引き下げを迫る必要はなく、引き下げ前の基準を適用することもできる。しかも、期限の定めはない。
Yさん一家の場合、この(イ)に「該当する」と福祉事務所が認めるどうかが、カギとなりそうだ。
■避妊に応じない夫、20代で6児の母に夫の浪費がきっかけで離婚へ
中学生のときに母親を失ったYさんは、主婦業・弟妹の育児を一手に担いながら中学・高校生活を送った。「とにもかくにも手に職を、そして堅実な仕事を」と考えたYさんは、高校を卒業した後、保育の専門学校に進学。保育士資格を取得し、公務員試験にも合格。千葉県B市の職員として、保育園で働き始めた。初任給は、手取り12万円だった。
「就職したころ、男性と付き合い始めて、その男性と結婚したんですが……今から考えると、最初からDVがありました。真面目に生きてきて、他の男性を知らなかったせいか、『おかしい』とも思わなかったんです」(Yさん)
付き合い始めて間もなく、元夫の車に同乗していたとき、元夫はスピード違反で8万円の罰金を請求された。元夫は『助手席に乗っていたんだから、君にも責任が』と言い、その8万円をYさんに支払わせたという。
「『ヘンだ』と気づかなきゃいけなかったと思いますが、気がつきませんでした。『公務員だから、お金あるんだろう』というようなことも言われましたし」(Yさん)
元夫は、避妊にも応じなかった。Yさんが避妊具を用意しておいても使用を拒み、妊娠すれば「ピルを飲まないから、自己責任」と主張。妊娠中絶せざるを得なくなったら、中絶することも費用もやはり「自己責任」だった。
「だんだん、『自分のせい』と思うようになってきていました」(Yさん)
就職して2年目、Yさんは最初の子どもを出産することになり、産休・育休を取得。育休中に2人目を妊娠したため、結局、職場復帰は2年後となった。その後も、産休・育休・育休中の妊娠・育休明けの勤務を目まぐるしく繰り返しているうちに、元夫のDVが激化した。
「公務員でしたから、育休中も休業補償があって、10年以上、生活はなんとか回せていました」(Yさん)
Yさんが24歳のとき、元夫の強い希望で家を購入した。ローンはYさん名義だが、家は夫と共同所有であった。家のローンも含めて、家計のやりくりは辛うじて行えていた。しかし元夫は、Yさんのボーナスを当てにして30万円の大画面TVを購入したこともあった。元夫は「もう買っちゃって、届く日も決まっているから、口座にお金を入れておいて」と、悪びれもせずにYさんに求めたそうである。
「元夫はクレジットカードが大好きで、私にも日常の買い物をクレジットカードでさせていました。ポイントがたまるし、私が何をどれだけ買ったか一目瞭然でチェックできるから、と。私の銀行口座のネットバンキングのパスワードも、元夫が勝手に変更していました」(Yさん)
経済的DVである。
「食洗機など、共働きに必要な家電を買うのも好きでした。『買って、置いてやっているんだから』と言って、私が『家事を充分にやらない』と責めるんです」(Yさん)
そのうちに、元夫の精神状態は悪化していった。睡眠障害があらわれ、悪夢にうなされ、向精神剤が手放せなくなった。もともと、酒を飲むと手が付けられなくなることもあった元夫は、向精神剤と酒に依存し、「ラリった」状態で車を運転するようになった。たまりかねて別れ話を切り出したYさんは、「お前みたいな人間、誰が結婚してくれるんだ?」「お前に一人で子育てはできない」と攻撃された。
元夫はさらに、Yさんに肉体的な暴力を加えるようになった。さらに30万円の大画面TVで、激しい性描写や暴力が含まれる作品を大音量で再生し、10代の娘を含む子どもたちに「見ろ!」と迫ったという。身長160cmのYさんは、体重が39kgにまで落ちた。
ここで、元夫が「お前とは暮らせない」と言い、Yさん名義でローンを組んで家をもう一軒建てようとしたことから、事態は急激に動き始めた。困り果てたYさんが、支援団体に相談したところ、銀行に融資をストップさせることができたのだ。既に工事業者を手配していた元夫は、取り立てを恐れて失踪した。
しかしYさんは、そのまま退職することになった。保育士としての復職を望んだが、B市は事実上の復職拒否を行った。労働組合も「そういう前例はない」と動かなかった。
退職後、一家の生活を支えるものは、生活保護しかなかった。購入してローンを支払い続けてきた家も、夫との共同所有であったため、自己破産して手放すしかなくなった。そのタイミングで、支援団体から一家の事情を聞いた家主が、相場では家賃10万円前後の大家族向け物件を、住宅扶助の上限額である5万9800円で提供することを申し出た。一家は、その物件に転居して、生活を立て直しているところである。
「既に、毎月何万円も、家主さんに負担していただいているんです。さらに家賃を下げてほしいとは、とても言えません。生活は、これ以上何を節約すればいいのかというほど、ギリギリです。子どもたちが『また転校』ということにならないために、なんとか今の住まいに、今の条件で住み続けられれば、と思います」(Yさん)
ちなみに、A市の家賃相場はそれほど高くはないが、限度額の5万9800円で見つかる物件は、「良くて6畳3間」。母親と6人の子どもたちが暮らせる間取りではない。そもそも、10歳以下の子どもたちを含む7人家族は「うるさいから」と家主に嫌われる存在だ。まして母親がシングルマザー、しかも生活保護となると、入居できる物件を見つけることは非常に困難であろう。
■「色が見える、空気がおいしい」 支援団体への相談が救いに
元夫が失踪する直前の数ヵ月、Yさんはしばしば、近くのネットカフェに一人で宿泊していた。そのころ、Yさんから見ても、どういう職業に就いているのか不明な状況になっていた元夫は、家にいるとYさんに怒りの矛先を向けた。元夫に怒鳴られ、殴られ、時に家を追い出されていたYさんは、ネットカフェで一晩の休息を取り、朝、家に戻って子どもたちを学校に送り出していた。
「安全な場所は、一泊1500円のネットカフェしかなかったんです。市の女性相談センターでも相談はしていたんですが、『子どもが多くて、他の方の迷惑になるから』とシェルターにも入れてもらえなくて。公営住宅に子どもたちと入る相談もしていたのですが、非常に遠い地域にしか入れる物件がなくて……。相談するだけ、時間の無駄だったと思います」(Yさん)
元夫と子どもたちを一緒にしておくことに、不安はなかったのだろうか?
「……眠れませんでした。子どもが、とても心配で。でも、どこにも相談できなくて。『とにかく、明日の朝まで』という気持ちでした」(Yさん)
元夫は、Yさんの携帯電話の連絡先リストを勝手にコピーし、Yさんの友人・知人たちに連絡しては、いかにも自分が被害者であるかのごとく、「子どもを置いて出て行くなんて、ひどい」などと訴えていたという。
「誰にも、頼れませんでした。同じ女性であればあるほど、共感は得られないと思いました」(Yさん)
追い詰められ、孤立させられ、シェルターにさえ入れない状況の中で、Yさんは思い切って、支援団体を訪れ、Nさんに相談した。
「元夫とは離れるしかなかったのですが、子ども6人を、私が1人でこれから守っていけるのかどうか、不安でした」(Yさん)
Nさんへの相談は、Yさんの世界を一変させた。
「初めて相談して帰るとき、色が見えました。それまでは、見ているものが何もかもモノクロのような気持ちでした。でも、その時は、風景がきれいで、空気がおいしくて。『私、息をしてる、生きていける、明日も生きていける、こんな自分だけど、明日も生きていいんだ』と、泣きながら帰りました」(Yさん)
どうしても自己肯定できなかったYさんが、生まれて初めて、自己肯定した瞬間だった。
このとき相談を受け、現在もYさん一家に対する支援の中心となっているNさんは、
「支援団体ではなく、社会の中、行政の仕組みの中に、こういう機能があるべきなんです。でも、公的なセーフティネットが壊れてしまっているのを、今、やっと、支援団体や反貧困運動がつないでいる感じなんですよね」
と語る。民生委員として、市会議員として、その後は支援団体の立場で、長年にわたって困難を抱えた人々の支援にあたってきたNさんは、行政を「悪者」と決めつけたいわけではない。
「行政の職員の方々も、ギスギスした職場で働いていて、余裕がないんです。でも、長い時間をかけて接して働きかけていくうちに、職員の方々も『福祉の仕事は、市民を救う重要な仕事』という意識になってきた感じがあります。今回の住宅扶助の削減についても、ある職員の方が『国は、何という酷いことをするのか』と言っていました」(Nさん)
そしてYさんは、Nさんの支援を受けて、生活保護を申請した。なんとか保護開始となった次は、転居と子どもたちの転校。そして自己破産と離婚。
「人と話をするのが怖くて、閉じこもるようになっていたんですが、一つ一つの『壁』を越えていくうちに、少しずつ元気になっていきました」(Yさん)
Yさん一家は現在も、数多くの課題と格闘している。子どもたちが学校で、生活保護によって差別を受けずに教育を受けられるように。そして、自分の将来を切り開いていけるように。何よりも、Yさん自身が心身の健康を取り戻し、いずれ子どもたちが自立を遂げた後は、自分自身の人生を歩めるように。一つ一つのチャレンジを、生活保護が辛うじて支えている。
次回は引き続き、住宅扶助削減についてレポートする予定だ。「住まい」という生活の根幹への影響は、生活保護利用者たちに、どのような影響を及ぼしているだろうか?
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