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ギリシャ問題に見る預金と借金の教訓
http://diamond.jp/articles/-/74172
2015年7月1日 山崎 元 [経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員] ダイヤモンド・オンライン
■預金者は油断してはいけない!「決戦は金曜日」で行動を起こせ
ギリシャがいよいよデフォルトに向けて動き出したように見える。6月30日が期限のIMF(国際通貨基金)向けの返済ができない見通しだ。事態は目下まだまだ流動的だが、ここまでの推移での注目点を、特に日本人にとっての教訓の観点からいくつか指摘してみたい。
今後の日本の国家財政が、ギリシャのような事態を迎えるようには思えない。また、現在、経営が逼迫していて破綻の瀬戸際にあるような銀行が、今の日本にあるようには見えない(筆者が知らないだけで存在する可能性はあるが)。
しかし、数年後くらいに、日本の預金金融機関、例えば、地方銀行や信用金庫などが、資金運用の失敗から破綻することは、十分あり得るように思われる。
政府の中長期予想では、2018年度には長期金利が3%程度まで上昇すると予想されており、債券ポートフォリオの金利リスクが顕在化する可能性がある。また、現在の利ザヤがごく小さいかマイナスの状況で、運用に目下「相当な無理」(例えば、当面利回りを稼げるが、潜在的に大きなリスクを抱えたデリバティブ商品への投資)が積み上がっている可能性があり、このリスクが表面化するのは2、3年経ってからだろうと推測するからだ。
金融機関の破綻が起こった場合、預金が完全に保護されるか否かは、予断を許さない。
実は個人的に、ここしばらくギリシャの報道を見ていて気懸かりだったのは、特に先週の時点で、なぜギリシャの人々が銀行に殺到して、ユーロ建ての預金を下ろすなり、海外の銀行に送金するなりしないのかだった。
そして、案の定、週末には、銀行の預金引き出し制限が発表された。
ギリシャ国内では、一部の預金者が預金の引き出しを始めていることが十分報道されていなかったのかもしれないが、預金者は、先週、「週末」を迎える前に手を打つべきだった。
今回ギリシャで取り付け騒ぎが起こって破綻した銀行のニュースが無いということは、多くの預金者が「逃げ遅れた」ということを意味する。
かつて、わが国では、バブル崩壊後の銀行破綻や経営統合など、銀行に関する大きな動きは、資金決済の動きが止まり預金も引き出せない週末に行われるのが通例だった。今後、個別の金融機関の破綻が起こる場合も、処理は週末に行われる公算が大きい。
経営状態に不安のある金融機関と取引しないこと、預金保険の限度である「1人、1行、1千万円まで」を厳格に守ることが大事なのは言うまでもないが、現実には、今後経営が悪化するかもしれない金融機関に定期預金などを数千万円単位以上置いている、特に高齢者が少なくないのではないか。
近い将来、お金を預けている金融機関に不安を感じたら、ぼんやりと「週末」を迎えてはいけない。面倒でも、億劫でも、「銀行は週末が危ない」ことを思い出して、必要な処置を取ろう。ドリカムの「決戦は金曜日」をテーマソングとするといい。危険を感じたら、金曜日までに行動を起こすべきだ。
■借金の額が莫大になると借り手の方が強い!
ギリシャを巡る報道を見ていて、多くの日本人が違和感を覚えたのは、チプラス首相、バルファキス財務相などが交渉の席上で見せる堂々とした態度ではなかったか。「借金をしている側のくせに、何と偉そうなのか!」と憤慨された方も少なくなかろう。
しかし、借金の額が小さい間は債務者の立場が弱く「借金は借り手にとっての問題」だが、借金の額が返済不能なレベルに膨らんだ場合、「借金はむしろ貸し手にとってこそ問題」だという状況に入れ替わる。
欧州のギリシャに対する債権国諸国は、少なくとも短期的にはギリシャに対する債権を100%回収することは難しいだろう。また、ギリシャ経済を苦境に追い込みすぎると、債権の回収率は低下することになる。
国際金融における常套手段は、デフォルトに至った債務国に対して、債権国側が一部債権を放棄するか、債務の返済スケジュールを超長期に再編するかの、いずれかまたは両方を行い、ローン契約を修正して結び直して、「デフォルトではない」という状況に持ち込むことだ。
この場合、もっぱら頭を使わなければならないのは債権者の側だ。
そもそも借金は損だし、個人が負う債務は生活を圧迫するから、個人は借金をしないに越したことはないが、不本意にも大きな借金を負ってしまった場合、「命までは取られないだろう。何故なら、命を取ると、債権が回収できなくなるから」といった割り切りを持って債務と明るく付き合うべきだ(もっとも、余計な生命保険に入っていると、この限りでない場合があるので、要注意だ)。
日本の債務者は、気分だけでも、チプラス、バルファキス両氏の明るさと堂々たる態度を時に思い出すといい場合があるのではないか。
他方、債権者側の教訓は、借り手が返せないような額のお金を貸さないことに尽きる。
■「ある程度の債権放棄」が落とし所だがドイツ国民を納得させるのは難しい
ギリシャの現政権が強気な交渉態度を取ることができたのは、曲がりなりにも国民による支持を得て成立した政権だという立場があったからだろう。しかし、同時に、彼らはEUが求める緊縮策に対して、簡単に同意することができなかった。
しかも、妥協点を見つけるのではなく、7月5日には国民投票が行われ、EUの緊縮策の要求を呑むか否かが、国民に丸投げされることとなった。同意にせよ、拒否にせよ、国民による多数決に責任を任せるのだから狡いとも言えるが、EU各国はこの投票の行方を気にしているようでもあり、場合によっては、ギリシャ政府側の作戦勝ちとなる可能性もある。
他方、例えばドイツのメルケル首相のような債権者側の代表も、国民の納税者感情を考えると、ギリシャに対して厳しい態度で臨む必要があった。仮にギリシャ向け債権の一部放棄や追加支援が得策だと考えても、これを国民に納得させることは容易ではない。
仮に、債務国と債権国が共に強力な王権の成立している王国同士であれば、あるいは、個人と個人とのやり取りであれば、感情やプライドの問題はさておき、債権者・債務者双方にとって最も好ましい合意内容を交渉によって見つけることができた可能性がある。
債権国が妥協ゼロで決着した場合、ギリシャは国際金融の世界から孤立し、銀行システムが崩壊し、経済が混乱し、生産力が損なわれて、ギリシャ国債をはじめとする債権の将来価値は大きく損なわれる公算が大きい。この状況は、債権国にとっても損だ(少なくとも経済的最適ではない)。
逆に債務国が妥協ゼロで決着した場合も、債権国は多額の債権放棄か追加の金融支援を余儀なくされて損を拡大し、債務国側では債務返済に向けた規律が確立されない可能性がある。
どちらもある程度は誠実に振る舞う(その後に仲間外れにされないためには合理的だ)という前提付きでだが、ある程度の債権の放棄と、債務の再編成を行うことが、経済的には合理的な落とし所になる公算が大きい。だが、これが「最適な落とし所」であることを交渉に当たる政権が国民に説明するには、事実上不可能に近い多大な努力を必要とするように思える。
なお、両者の立場から見て、「債権を部分的に放棄するが、これが得なのだ」という妥協案を提示できるのは債権国の側だろう。ギリシャ問題にあって、もちろんギリシャに原因とリスクの源があることは間違いないが、現状で、問題が速やかに決着・解決しないことの原因はむしろドイツを中心とする債権国側にあるようにも思える。「ギリシャ・リスク」だけでなく、「ドイツ・リスク」にも注目することが重要なのではないか。
■「民主主義のコスト」問題は日本国民にも他人事ではない
ともあれ、ギリシャ側でもドイツをはじめとする債権国の側でも、政府が国民を代表しながらも、代表として自由には交渉ができない状況に陥っている。いわば「民主主義のコスト」が掛かっている状況だが、民主主義の発祥の地ともいえるギリシャを舞台にこの問題が顕在化していることは皮肉だ。
政府は国民からの人気と合意の手続き無しに機敏に行動することができないし、さりとて、国民は、政府にフリーハンドを与えることに対して多大な抵抗感を持つ。ただし、「民主主義のコスト」が、健全なブレーキの役割を果たすこともあるから、物事は単純ではない。政権に物事の判断と行動の全権を委任することが常に適切であるとは限らない。
この問題は、日本国民にとっても他人事ではない。
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