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通学する子どもたちの安全を守る老紳士は、子どもたちに人気があり、警官にも慕われているが……
「おはようございます」の一言で 年収7200万円稼ぐ人、1円も稼げない人の格差
http://diamond.jp/articles/-/74078
2015年6月30日 吉田典史 [ジャーナリスト] ダイヤモンド・オンライン
今回は、働くことの厳しさ、尊さ、空しさを学ばさせてくれる、庶民の生活の1コマを取り上げたい。エピソードの主役は、筆者が暮らす地域に住む住人たちの間で、ちょっとした話題になっている「2人の男性」である。「黒い職場」という連載の枠組みに収まらないテーマにはなるが、本連載の趣旨である「労働のホンネとタテマエ」を考える上で参考になると思う。
仕事において、挨拶は基本中の基本である。「おはようございます」という気持ちのよい挨拶1つで、相手に好印象を与え、ビジネスがうまくいくことだってあるだろう。今回紹介する2人の男性は、周囲への挨拶を大切にすることは同じでも、その暮らしぶりに「恐ろしいほどの格差」がある。
1人は、毎日「おはようございます」という挨拶をするだけで、なぜか数千万円もの収入を得る男性だ。彼は会社員でもなければ、会社を経営するわけでもない。自営業でもない。一方で、定年までまじめに働きながら、その後も雨の日も風の日も、ひたすら「おはようございます」と周囲に声をかけ、1円も得ることができない男性がいる。この状況はいったいなぜなのか。この両極端とも言える2人の男性を取り上げることで、日本社会の暗部を炙り出したい。
■住人への挨拶だけで年収7200万円?女性に鼻の下を伸ばすオーナーの息子
午前7時50分、あの男が立った。雨の日も風の日も、雪が降る日も、男はここに立つ。この近辺においてはもはや“名物”となっている。
そこは、12階建ての賃貸マンションの入口付近。すぐ前には、8台の自動販売機が並ぶ。男は缶コーヒーを買い、右手に持ち、時折口にしつつ、じっと身構える。背は170センチほど。体重は、100キロ近い。顔は、30代後半とは思えぬほどに童顔である。
しばらくすると、マンションの住人たちが出てくる。会社に向かうのだろう。男は、それぞれの住人に声をかける。
「おはようございます……」
低く太い声に反応する人は、ほとんどいない。だが、しつこく声をかける。特に20〜30代半ばくらいまでの女性が前を走り抜けるときには、体をやや前にかがめて声を絞り出す。女性の香水の臭いを嗅ぐかのように、そばに寄る。
「おはようございます……」
男には、意中の女性がいる。どこの部屋に住んでいるかは不明だが、20代後半の女性が前を通るときには、目線を落としつつその姿にじっと見入る。
男は、このマンションのオーナーの1人息子である。独身で職がない。高校を卒業し、その後1日も会社員として働いた経験がない。いわゆる「自宅警備員」であり、ニートかどうかも区別がつかない。「少なくとも見事に仕事はしない」と、向かいに並ぶ喫茶店やクリーニング店、米屋、床屋の店主から聞く。
しかし、怠慢な男ではない。ほぼ毎日、マンションの入口付近で「おはようございます」と住人に声をかけて気遣うのも、オーナーとしての立派な仕事なのだ。この男、なんとたったこれだけで、月に600万円近くを稼いでいる。年収はざっと7200万円にもなる。
男の父は、マンションのオーナー。現在は70代前半。70年前の戦争の頃までは、いわゆる地主だった家の跡取りだ。終戦直後の農地改革でその広大な土地を手放したが、依然としてこのあたり一帯に土地を持つ資産家である。
オーナーは二十数年前に、この地に12階建てのマンションを建てた。一説には、土地を抵当に入れ、資金を工面したという。これも、近所の喫茶店やクリーニング店、米屋、床屋などで耳にする情報だ。
■「今どきの女性は……」 神妙な顔で囁く噂好きの店主たち
そびえ立つマンションは、小田急線の最寄り駅まで歩いて10分のところにあり、大きな通りに面している。そばには、コンビニエンスストアが数件あり、24時間営業のスーパーが3つもある。幼稚園や小学校が近所にあり、交番は数百メートル先にある。
5年ほど前に大幅に改修工事をして、建て替えもした。室内は陽当たりがよく、きれいだ。これだけの好条件が整うと「人気物件」となり、常に満室となる。間取りは2つの部屋と小さな台所。1つの階に5つの部屋があり、10階まで同じ造りとなっている。階によって違いはあるが、家賃は平均で月に14〜17万円ほど。「その男」と父親であるオーナーは、11階と12階に住んでいる。オーナーの妻、つまり男の母親は他界している。
住人の女性たちには、独身者が多い。デザイナーズ・マンションということもあり、女性が7〜8割を占める。喫茶店やクリーニング店、米屋、床屋によると、「そこそこの会社に勤務する女性が大半を占める」という。確かにここの家賃は、賃金の低い会社に勤務する独身者にとっては、やや高いかもしれない。
女性たちは職場で熱心に働いているらしいが、夜もエネルギッシュだという。男性を頻繁に宿泊させることはおろか、男性と暮らしては数ヵ月で別れる「プチ同棲」もしている。住人が50人ならば、女性は30〜35人ほど。その中で「プチ同棲」は、なんと8割にも及ぶようだ。
独身であるその男には、そんな女性たちと付き合う男性たちが羨ましく見えるのだろう。いつかは、自分もこの女性たちと――。そんな妄想も抱いているのかもしれない。
喫茶店やクリーニング店、米屋、床屋の店主たちは、近所の御曹司をこんな眼差しで見つめる。そして、住人である女性たちを指して、「今どきの女は昼夜ともお盛ん!」と、神妙な顔つきで語る。
今日もあの男は、賃貸マンションの入り口に立ち続ける。
「おはようございます……」
■オーナーの息子と対照的な老紳士 挨拶を続けても十数万円の年金暮らし
賃貸マンションから数百メートル離れたところに、小学校がある。周辺は高級住宅街。その街並みよりも、数メートル高い丘のようなところに校舎が建っている。
丘を上がったところに正門がある。すぐ前に、70代前半と思える男性がほぼ毎朝立っている。午前7時30分から8時30分までの、約1時間だ。
この男性は、「交通安全ボランティア」。地元の教育委員会が無報酬のボランティアを募集していることを知り、名乗り出た。通学する子どもたちの安全を守るため、緑の服を着て、緑色の旗を持ち、車などによる交通事故を防ぐ。交通費や謝礼などの支給はないという。
男は60歳近くまで会社勤めをして、その後は月に十数万円の年金で生活をしているという。「妻は5年ほど前に他界したようだ」と、クリーニング店、米屋、床屋の店主たちから聞く。
男はバリトンのように、低く、通る声で子どもたちに声をかける。
「おはようございます!」「グッド・モーニング!」
背は170センチほどで、脂肪がほとんどついていない。筋骨型でスマート。背筋はまっすぐで、姿勢がきれいだ。
雨の日も風の日も、台風の日ですら、正門付近に立つ。子どもからは人気があるようだ。パトロールをする警察官からも慕われている。学校が主催する「感謝会」に招かれて、数百人の子どもを前に挨拶をする。地元では、ちょっとした有名人だ。
午前8時30分を過ぎると、ボランティアを終え、そばにある喫茶店に寄る。そこで、500円のモーニングを食べるのが日課だ。カウンターの奥のほうに座り、ジャズを聴きながら、新聞を丁寧に読む。2時間近くもかけて、3〜4紙の新聞に目を通す。
周囲にいる40〜60代の常連客の輪には加わらない。じっと黙って、コーヒーをすする。そして、いつの間にかいなくなる。喫茶店の常連であるクリーニング店、米屋、床屋の店主たちは、こんな風に囁く。
■オーナーの息子と老紳士の「格差」はいったい何なのか?
「片方は1日中、仕事をしない。変質者のように女を見つめ回して、月収600万円。片方は妻をなくし、1人身の寂しい老後。しかも収入は十数万円の年金だけ。毎日子どもたちの安全のためにボランティアをしているのに、収入はゼロ。おかしな世の中だよね……」
「収入が少ないから、生活が苦しいみたい。だけど、働くところがないのだろうね。あの年齢では……。まだ元気なのに。奥さんもあの世で泣いているよ」
「ニートかなんだか区別ができないような、あんなヤツがぬくぬくと年収7000万円を超えているのに……」
と、真剣に考え込む雰囲気を醸し出しつつも、向かいの賃貸マンションに住む女性の住人たちの生活について語るときは、より熱心になる。
「あの女は、最近、男を変えた……好きだよな」「あいつも、好きそうだな」「俺だったら、この前の女だな……」
モーニングを食べながら、こんな談笑が続く。
「おはようございます」と言うだけで、年収7200万円の男がいる。その一方で、何千回、何万回と「おはようございます」と声を出しても、1円も得ることができない男もいる。そして、女たちに目を奪われて妄想を抱く男たちもいる――。
■タテマエとホンネを見抜け!「黒い職場」を生き抜く教訓
今回登場した2人の男性から筆者が感じ取った教訓は、次の通りだ。働くことに疑問を抱いている読者は、参考にしてほしい。
1.「働けば報われる」は幻想
今なお、世の中では「働けば、報われる」と信じ込んでいる人が多い。しかしそれは、100年も前の考え方ではないだろうか。今のように成熟化した社会では、そこまで単純に物事を判断することはできない。たとえば、資産家の家庭に生まれた人は俄然有利であるし、貧しい家に生まれ育った人は大きなハンディを負う。今の世の中は、それほどまでに格差が生じやすい。
また、仕事が高度化し専門化している以上、その人の仕事への適性や才能、運などが、人生を相当大きく左右する。時代はもう、変わり果てたのだ。つまり、平々凡々とした人が漫然と仕事をしていたところで、浮かばれるような社会構造にはなっていないのだ。にもかかわらず、「みんなで頑張ろう」的な精神論を今なお信じ込んでいるから、働くことが苦しくなるのではないか。
残念な言い方かもしれないが、本文前半で登場するマンションのオーナーの1人息子のように生きていくのも、立派な生き方なのだ。こういう人を「異端扱い」し、あたかも「毎日出社する会社員」こそが「まっとう」と捉えるのは、時代錯誤でしかない。「毎日出社する会社員」は高学歴ではあるのかもしれないが、研究者になれる頭脳や学力、知識を持っているわけではなく、資産家でもない。特別な才能もスキルも財産もないのである。
このように、たとえ大企業に勤めている会社員でも、実はその多くは「ないない尽くし」であり、弱い身なのだ。そうした会社員が高く評価される社会は、時代遅れと言えないだろうか。逆に言えば多くのビジネスパーソンは、古い価値観や職場の枠組みに囚われているからこそ、息苦しくなるのではないか。働くことのタテマエとホンネを知らな過ぎるのだ。
2.人は生まれながらにして不平等
「人は生まれながらにして不平等」であり、それだからこそ資本主義社会が発展してきたと言える。真剣に「人は生まれながらに平等であるべき」という理念を追い求めるのは、究極の理想としては尊いのかもしれないが、今の企業社会においては危険すぎる考えだ。貧富の差や能力の差、運・不運などがあり、そこに妬みや嫉妬が芽生え、対立や衝突、争いなどが生じ、ダイナミズムが生まれるからこそ、社会が発展し、繁栄するのである。
その意味では、企業内で起きる労使紛争もある意味では必要悪ではないか。労働法などを守らない会社は否定されるべきだが、労使紛争の芽を完全になくそうと考える一部の組合員の考え方には、あまりにも無理がある。労使が争うのは、互いに真剣に仕事をして、会社のことを思うがゆえのこと。その姿勢そのものは、むしろ企業社会の「財産」として捉えたい。
翻って、「人は生まれながらにして不平等である」ということの象徴とも言えるのが、今回紹介したマンションの1人息子である。周囲とのコミュニケーションの取り方についてはかなり稚拙な印象があるが、「仕事なんてしたくない」「好みの女性を見つけて伴侶にしたい」といった姿勢は、人間の性(さが)に極めて忠実であり、誠実な男である、ということもできる。実は、彼らの生き方は何ら否定されるべきものではない。一方で、本文後半で紹介した男性の生き方を見ると、苦しい生活を強いられるのも仕方がないとも思えてくる。
■日本人の暮らしや働き方をしたり顔で論じる識者の不見識
しかし、なぜか世間(この事例では店主たち)やメディア、有識者、インテリたちは、はるか以前から後者のような人を指して、「日本は社会保障が遅れている」「こんな国は誤りだ」と嘆いてみせる。そして、前者のような人を「社会から取り残された可愛そうな若者」と続ける。
まるで嘆くことで、自らの無知や見識の狭さ、偏りのある知識などを覆い隠すことができると信じ込んでいるようだ。そうした考え方こそが、今回紹介した男性たちのような人をさげすさみ、差別しているのである。
それでは、時代の変化に疎すぎるのではないか。メディアは、こんな人たちを今なお「有識者」と称えている。これも、ホンネとタテマエのからくりに気がつかないからだ。人は生まれながらにして不平等である――。現在の日本人の暮らしや働き方を論評する際に、こうした事実に目をそむけた意見に価値はないと、筆者には思えてならない。
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