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停滞する大企業はここがダメ!ハズレの中途採用社員を放置、ムダなコンサル会社に億単位払う…
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150621-00010001-bjournal-bus_all
Business Journal 6月21日(日)6時1分配信
少し前に世間をにぎわせた大塚家具の経営権をめぐる騒動ですが、結局は株主総会で大塚久美子社長が経営の舵取りを任されることになりました。久美子氏とその父・勝久会長の両陣営が株主総会へ向けた票集めに奔走している当時、「週刊文春」(文藝春秋)記事にあった古参役員の「これからの方針や会社の運営方法が間違っていようがなんだろうが、親父とは心中できるが、娘とは心中できない」というコメントが印象的でした。
著者は業績が悪くなったワンマン企業をたくさん見てきましたが、多くの場合、ワンマン社長が辞めると、慕っていた古参幹部たちも一緒に辞めていく……わけではなく、何事もなかったような顔をして普通に仕事を続けます。そんな著者の常識からはすがすがしく逆をいくコメントでしたので、印象に残った次第です。人を率いる力を持った親と、論理的に考える力を持った子――。歩調が合えば最高の組み合わせに思えますが、人間と企業とは、なかなか難しいものですね。
本連載では前々回、前回とダメな中小企業に共通してみられる現象についてみてきましたが、今回と次回は、立派な大企業でもどこか停滞した、働いている社員があまり生き生きとしていないような大企業に共通してみられる現象について考察していきます。
(1)採用が手段でなく目的になる
高齢化社会が本格化し生産人口が減っていくにつれ、順調な企業であっても社員不足という問題が深刻になってきました。就職氷河期に採用を絞った世代が今30代後半〜40代になり、組織の中心として働くべき世代が不足している企業は多々あります。
そこでここ5〜10年くらいの動きとして、新卒採用を中心にしていた企業が初めて中途採用を本格的に実施するようなケースが増えてきました。こうした企業は、過去に数多の不況下でも採用について画一的に対応し、おおよそ財務状態は立派なケースが多いです。ただしコインの裏返しのように、組織は硬直化していることも多いです。それでも企業は成り立つことができ、安泰だったからです。
そうした企業がよく打ち出す求人内容は、「変革者・リーダー募集」というものです。事業を一段成長させるためにどうするかということを議論して、さまざまな方策などを立て、最後に「やはり新しい血を入れよう」「停滞した組織を活性化させよう」と展開されたと推測されます。
ただ、そこで「では、どういう人材が良いか?」という話になると、それまで中途採用で取引先や縁故関係で採用したことはあったとしても、本格的な中途採用は初めてなので、人事担当者含めていろいろな想像を膨らませます。「うちの事業を知らない人間を入れていいのか」「組織の和を乱されたら本末転倒だ」「高い給料を要求するのではないか」などです。
すると、表だった応募条件には書けないものの、裏の条件がいくつかつくことになります。著者が実際に聞いた例で最も多いのはやはり、「転職は2回まで」や「偏差値●以上の大学出身」など、転職回数と学歴についてです。極端な人事担当者になると、大学別に学部まで指定してくるそうです。ほかには「男性は30代中盤以降の独身者はNG」「男性で健康な親と同居しているのはNG」などを指定したりと、実に細かいこだわりを持つそうです。しかし、表だった応募条件、求める人材像には一切そうした内容は出しません。「既成の概念に捉われず、考えながら臨機応変に行動できる人」などと書かれます。実際にNG条件に合致した人が応募してきた場合は、書類審査で即落とします。
こうした企業は、いつまでも青い鳥を求めて人材を探し続けるわけではなく、社内のカルチャーをくみ取ったようなおとなしい人を採用し、結局、淀んだ空気はそのままであり続けます。
さらに、周囲の人間の誰もが “ハズレ”だと思ってしまうような人を採用してしまったと気づいた時には、何か別の生産的な業務への異動や退職勧奨を模索するわけでもなく、放置して知らないふりをしがちです。知らないふりをするのはそのハズレ採用者を推薦した部門長ですが、自分が採用した人間がハズレだったことを認めてしまうと自分の失点になりかねず、「責任をもって適切な部門への異動や退職勧奨をするように」などと人事から言われても面倒です。そこで、放っておくのが一番という発想になります。ただし、それには過剰な人材を抱えていても大丈夫なほどの業績が前提となります。
(2)責任のアウトソース
大企業特有の現象ですが、有名コンサルティング会社が計画作成やさまざまなプロジェクトに関与しているケースがあります。著者だけの感覚かもしれませんが、コンサルティング会社の使い方が、10年くらい前から大きく変わってきたように思えます。
それより以前は、大きな費用をかけるのだから多少なりとも社運を賭けるようなプロジェクトを立ち上げ、市場や自社のデータを改めて自社とコンサルティング会社とで頭をひねりながら分析し、見えてきた課題に真剣勝負を挑んでいました。絵を描くフェーズと結果を追求するフェーズを合わせて取り組んでいたのです。
ところがこの10年くらいの傾向として、絵を描くフェーズと結果を追求するフェーズは別物となり、また、大企業が有名コンサルティング会社を、中小企業は中規模以下もしくは個人で活動するコンサルタントを雇うようになりました。当然、報酬は前者のほうが1桁も2桁も上です。
一見すると、絵を描くだけのために数千万〜数億円の報酬を払ってコンサルティング会社を使うことにどれほどの意味があるのかと思われますが、そこには内部の人間にとっては大事な意味があります。何か大きなことに取り組まなければならない時に、社内で提案する側にとっても、それを受けて社内で決裁する側にとっても、責任を回避できます。将来的に何か不都合な事態が起こったとしても、その時点ではすでにいないコンサルティング会社のせいにできるからです。また金融機関などに対しても、「私たちだけでなく、外部のプロもそう言っています」という錦の御旗を振ることができます。
よって、起用するコンサルティング会社は、担当コンサルタントの力量よりも、誰もが認める看板かどうかのほうが重要になってくるため、必然的に単価は高くなります。それでも幹部や社員は自分の懐が痛むわけでもないので、「コンサルティング会社への報酬をケチって、安かろう悪かろうになってしまうことは避けるべきです」と主張して、有名どころを起用する方向で進めます。
コンサルティング会社のほうもそうした背景をわかっていますので、あんまり大胆な提案なり分析はしません。今までの経営方針を否定するようなことは「天にツバする」行為になってしまうからです。基本的に今の方針を肯定しつつ「でもここに一部改善の余地があるかも」という具合にほどよく場を収めることが、次のリピート受注にもつながるからです。あるいは「リストラが必要です」という提案によって汚れ役を引き受け、経営陣に恩を売るようなかたちにします。
そうして、名のあるコンサルティング会社には億単位でも発注する一方で、名のあるコンサルティング会社から独立して個人で活動する安くて有能なコンサルタントがいたとしても、発注しません。結果をどう出すかどうかは、第一の優先順位・判断基準にならないからです。
以上、立派でもどこか停滞した大企業に共通してみられる現象を解説しましたが、次回はそこから垣間見えるカルチャーや社員の感情についてみていきたいと思います。
(文=中沢光昭/経営コンサルタント)
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