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右肩上がりを目指し続けることはなぜ、社員を潰すのでしょうか(写真 : ocsa / PIXTA)
現代人は仕事で、だいたい「無理」しすぎる 生物学の視点から見る「自然」なマネジメント
http://toyokeizai.net/articles/-/73798
2015年06月19日 長沼 毅 :広島大学大学院生物圏科学研究科准教授 東洋経済
6月もそろそろ下旬に差し掛かってきました。上場企業の場合で約7割を占める3月期決算の会社にとっては、早くも第1四半期の終わりが近づいています。まだまだ歴史の浅いベンチャーはもちろん、売上高が1兆円を超えるような大手であっても、企業は常に成長を求めています。会社全体にしろ、部門ごとにしろ、前年度の実績を上回れるかどうかはひとつの目安となります。
そんな「右肩上がりを目指し続けること自体、生物学的にそもそも無理がある」と指摘する生物学者がいます。「科学界のインディ・ジョーンズ」という異名を持ち、今春からは日本テレビの情報番組『スッキリ!!』でコメンテーターを務める長沼毅氏です。長沼氏はなぜそのように考えるのでしょうか。その答えを示す独自のマネジメント論とは――。
■自分を追い込む生物は人間だけ
理科の教科書で、こうした記述を目にしたことがあるかもしれません。
「人類の祖先は直立二足歩行を行うことによって、他の四足歩行動物と比べ、大きな脳を発達させた。そして自由になった両手を使い、高度な文明を築くことができた」
私たちは巨大な脳と器用な手を使い、文明を築き、自然をコントロールしてきました。そして、科学を生み出したのです。
ただ、これは人間の知性のいい面ばかりを切り取った認識なのかもしれない、と私は思います。知性を進化させてきた5万年の歴史で、私たちの脳は、同時に致命的とも言える進化をしてしまいました。私たちの脳は、「楽をする」ことを忘れてしまったのです。
あなたが一日の仕事を終えて、疲れた体で家に帰ってきた。そんなときでも、「なんとなく夜遅くまで起きている」ことがあるでしょう。何か見たいものがある訳でもないのにテレビをぼーっと見つめている、スマートフォンなどでネットサーフィンをしている、そうして夜遅くまで起きているのです。
普通に寝て、普通に次の朝に起きれば、日中に眠くならず、ストレスも溜まりません。それでもついつい寝られない。「何を当たり前のことを」と思われるかもしれませんが、生物学的に見ると、これはまったく当たり前のことではないのです。
他の動物はそんなことはありません。眠くなったら寝ます。疲れたら休みます。腹が減れば食べます。体の欲求に忠実に生きているのです。人間と他の動物との違いは、「脳」にあります。人間は、先天的に体の欲求に背いてしまう脳のトラブルを抱えているのです。「無理をする」「疲れる」「見栄を張る」「ストレスが溜まる」「我慢する」――。こんな困り事が生まれるのは、あまりに高度に発達した脳があるからです。
■原因は6000年前から始まった脳の劣化
人間の脳は、「メタ認識」という、抽象的なことを脳内宇宙で組み合わせ今までなかったものを作り上げられる能力を持っていて、最初は自然に対して有効に発揮されていました。
例としては、弓矢の発明でしょう。しなる枝と弦に、それぞれ役割を持たせて組み合わせるのは、メタ認識がなければできません。これは他のサルにはできなかったものです。ネアンデルタール人も石器しか作れませんでした。
ところが、文明が発達するにつれ、この能力が自然ではなく人間関係に対して使われるようになったことで、「悩み」や「不安」といった負のものが脳の中でグルグルと堂々巡りしてしまうような状態になってしまいました。
スタンフォード大学のある研究者によると、人間にとって脳という臓器がもっともいいコンディションだったときは、今から6000年前、文明ができた頃だったとされています。逆に言えば、文明の発達とともに人間の脳は、実は劣化しているということです。
脳だけに限らず、人間の体は不都合ばかりだと言えます。たとえば、人間の体の何がいちばんおかしいかというと、頭が1.3キロの脳を持っていること。これが重すぎるのです。四足歩行だったらまだいいものを、二本足で立ってしまったがために、こんな重いものを体のてっぺんに載せることになって、首や腰がおかしくなるのです。
「もともと体のつくりからしておかしいのだから、少しでも楽しませんか」
これが、私が言いたいことの趣旨です。私は、私たち生き物は普通の状態がいちばん楽だと思っています。30数億年に渡る生物進化の中で、環境に適応した体の進化と、環境に適応した「普通の生き方」が、遺伝子に刻まれてきました。逆に、無理に働いたりして体を壊したりするのは異常なのです。健康というのは普通の状態をいうわけです。
自分を鍛えて強くなりたいと思っても、脳がそう思っているだけかもしれない、体はそんなに負荷をかけてほしくないと思っているかもしれません。体が普通の状態でいたいと願うところを、なぜ人間はそうではないことをするのでしょう。わざわざお金と時間をかけてジムに行って、バーベルを上げます。私たち人類が進化し、生きてきた中でやったことのない運動なんてやらなくていいのではないでしょうか。
■右肩上がりは社員を潰す
そういう意味では、世の中のほとんどの会社組織が目指している「右肩上がり」も、本来無理のあることだと私は思います。絶対に右肩上がりの売上目標を立てる必要性があるのかということから考え直したほうがいいのです。ルーチンである程度うまく回っていて、社員にそこそこの給料を出せているのなら、「このまま維持していこう」とやっていけばいいのであって、今以上の目標なんていらないのではないでしょうか。
新しいことをやるときや計画を変えるときには、何か理由がないとおかしいと思います。問題が発生したら、それを解決するために何か別のことをやるというのは自然でしょう。赤字だったら、「赤字を抜ける」ことが目標になりますが、そんな問題も存在しないのに、わざわざプロジェクトやプログラムを作り始めるのは不要なこと。なぜ今問題がないのに、無理にでも仕事を作ろうとするのでしょうか。
去年100%の力を振り絞って出したはずの成績を「今年はその2割増しで達成せよ」、それがクリアできたら来年、再来年もまた、というように右肩上がりを要求し続け「とにかく頑張れ」「残業をしてでも働け」と言う。こんな状態が続けば、会社は社員の体にとって「きつい場」であり続けることになります。そうなると、社員が潰れていきます。これは経営者やマネージャーの管理能力のなさと目標設定への勘違いを露呈しているに過ぎないと私は思うのです。
■ダイバーシティは当たり前
以上を踏まえた上でマネージャーの仕事は何かと言えば、「社員が定時で帰れるような仕事の分配をすること」に尽きると思います。どこに何人、誰を配置すればそうなるのか、それを考えるのが上司の仕事で、逆に上司の仕事はそれ以外にはあまりありません。
そのためには、ユニフィケーションなる考え方が必要です。最近ではダイバーシティという言葉がトレンドになっていますが、人間は生まれながらに誰しも遺伝子レベルでの多様性を持っているのだから、人間の集まりである会社にダイバーシティくらいあるに決まっています。むしろ大切なのは、ダイバーシフィケーションではなく、ユニフィケーション。異なる遺伝的背景を個性として認め束ねることこそ、マネジメントの肝と言えるでしょう。
たとえば、名前を認めることがその第一歩です。「課長」「部長」という役職名ではなく「〇〇さん」と呼ぶわけです。すると、「課長だから偉い」「部長だから敬う」ということが生じません。逆に、「平社員だから駒のように使っていい」ともなりません。あくまでも役職は、まとめるのが得意な人、動かすのが得意な人、動かされるのが得意な人といったように、単なる役割分担として機能していきます。
同じ意味で、上司が部下に指示をする際も、「やっておけ」ではなく「お願いします」とつける。「なんでこんなこともできないんだ」ではなく、「君はこういうところが苦手らしいから、こうしたほうがいいんじゃないかな」という言い方にするのがいいでしょう。それだけで部下のストレスは減り、パフォーマンスは上がるはずです。
ダイバーシティという言葉が持つのは、むやみやたらと違う人種の社員を招き入れることではありません。遺伝的に大きな差がある人間を集めるということでもありません。会社という不自然な場を、ダイバーシティを持つ社員に押しつけると必ず不自然なことが生じてきます。これは生物的に人間がそうできていることに由来するので、マネジメントが目指すことは、社員が不自然にならないように場づくりをすることなのです。
■暴力性か協調性か
ユニフィケーションのコツとして「会社に上下関係をつくらないこと」が挙げられます。指揮系統の上下関係はあっても、人間的な上下関係は一切ない。ただ一緒に稼ぐ仲間がいるだけ、という構図です。これを地で行っている経営者のひとりに、日本航空(JAL)の経営再建で知られる京セラ創業者の稲盛和夫さんがいます。
以前、稲盛さんは「我が社の企業理念は全従業員を幸せにすることだ」と発言されていました。私はそれを聞いたとき、会社は英語で「company =仲間」だということを改めて思い起こしました。そう、カンパニーとは元々「仲間」なのです。
この宣言は、社員の心に響いたはずです。本来、生物が自分事として認識できるのは、自分とその周辺の仲間までのことです。会社の朝礼で「我が社が日本のイノベーションを牽引する」なんて言っても、社員の肚の底までは響きません。こんな浅い言葉では脳の表層で止まってしまいます。
私たちの遺伝子には、愛情と暴力性という二つの相反する要素がありますが、一方が他方を抑えているように見えることがあります。その場にいる複数の個体がお互いを仲間だと思うか、敵だと思うかで、どちらが発揮されるかが決まります。
チンパンジーの社会のように、暴力で地位が決まるような会社にすることもできます。他人を蹴落としてはい上がった人間が評価を得る、地位を得る。またそのリーダーを追い落としたものが、次のトップになる。そういった仕組みで動いている会社も少なくありません。
しかし、協調性を活かすマネジメントもあります。愛情を仲間に向けられる仕組みを作る。そういったことでも人のやる気は上がります。稲盛さんは、「この会社に集まった人は仲間です」と、そういう宣言をしたわけです。人のどちらの面を引き出すのかは、リーダー次第というわけです。
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