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2年に渡って県営住宅の家賃を滞納した43歳の母親は、強制退去の日、なぜ娘を自ら殺害せざるを得なかったのか
中2娘殺害へと母親を追い詰めた、強制退去という貧困刑
http://diamond.jp/articles/-/73510
2015年6月19日 みわよしこ [フリーランス・ライター] ダイヤモンド・オンライン
2014年9月、千葉県銚子市の県営住宅で、一人のシングルマザーが中学生の娘を殺害した。貧困状態にあった母親は、2年にわたって家賃を滞納しており、強制退去の対象となっていた。生活保護の相談に福祉事務所を訪れたこともあったが、利用には至っていなかった。
今回は、事件と判決に対する漫画家・さいきまこ氏の思いを紹介する。2015年6月12日、第一審で「懲役7年」の判決が言い渡された直後の今、改めて事件の実像を捉え直してみたい。
■「懲役7年」は重すぎる? 軽すぎる?漫画家・さいきまこ氏の複雑な思い
2014年9月、千葉県銚子市で、シングルマザーが中学生の娘とともに無理心中を試みた。母親は、娘を殺した後、自身も自殺する心づもりであった。しかし、自殺を実行する前に逮捕された。
この母親に対し、2015年6月12日、千葉地裁は「懲役7年」の裁判員裁判判決を言い渡した。求刑の「懲役14年」が半分にまで軽減されるのは、殺人では異例に近い。
事件当時43歳だった母親は、中学2年だった13歳の娘とともに、県営住宅に居住していた。しかし、2年にわたって家賃を滞納したため、明け渡しの強制執行が行われることとなった。
強制執行の日に、事件は起こった。千葉地裁支部の執行官らが室内に入ったとき、母親は、娘が体育祭で活躍している映像を見ながら、息絶えた娘の頭を撫でていたという(朝日新聞報道による)。
http://digital.asahi.com/articles/ASH6D7D1CH6DUTIL06B.html
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母親はパート勤務だったが、毎月の就労収入は4〜8万円程度。多重債務・国民健康保険料滞納などの困窮状態にあった。母親に、相談できる友人知人はおらず、生活保護を申請しようと考えたものの申請には至っていなかった。公的扶助論を専門とする吉永純・花園大教授(公的扶助論)は、行政側の問題を指摘した上で、
「困窮者は貧困から抜け出すために必要な情報を得る手立てを持てない。だからこそ行政側が積極的な情報提供やアドバイスをする必要がある」
と、アウトリーチの必要性を指摘している(毎日新聞報道による)。
http://mainichi.jp/select/news/20150612k0000m040154000c.html
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レディース・コミックを主な活動の場として、貧困問題、特に子どもの貧困をテーマとする作品を発表している漫画家・さいきまこ氏は、昨年9月、事件が報道されはじめた直後から、「他人ごとではない」と強い関心を抱き続けていた。さいき氏は、現在20代の息子さんを育ててきたシングルマザーでもあるからだ。まず、判決に対する思いはどうだろうか?
「求刑が半分になったのは異例だということですが……なんといっても殺人、しかも親による子ども殺しですから……『半分になって、よかった』と言ってよいのかどうか……微妙です」
と慎重に言葉を選んで語り始める。同じシングルマザーとしての立場から、
「心中を考えるところまで追い詰められてしまったお母さんの苦しさを思うと、『執行猶予がついてほしい』と思わなくもないのですが……殺された子どもの立場から見ると、『執行猶予では厳しいなあ』という気持ちになります」
と語りつつも、
「私、この事件のニュースを最初に見た時、『懲罰だ』と思ったんです。強制退去に対して」
という。「懲罰」とは?
■「貧困」という“罪”に対する懲罰としての強制退去
さいきまこ氏の作品「陽のあたる家〜生活保護に支えられて〜」(2013年12月発行)は、慎ましくも幸せな生活を送っていた夫妻と明るく健やかに育つ2人の子どもたちが、夫の病気をきっかけとして窮地に陥り、生活保護に支えられて再起へと歩み始める物語だ。この作品が残した「誰からも『救われるべき』とは思ってもらえない人々は、救われないままでよいのか?」という問いから、「神様の背中〜貧困の中の子どもたち〜」(2014年7月16日発売予定)が生まれた(c)さいきまこ
「『貧困な人たちは、問題のある人たちだから、差別してよい』という見方は、根強いですよね? 貧困状態にある人々の中には、確かに『困った人』も少なからずいます。ルールが守れなかったり、他人の話を聞かないで自分のことばかり言い続けたり」(さいき氏、以下同)
私自身も、その「差別に値する」かもしれない側面と、だから「差別してよい」という見方の間で、板挟みになることがある。たとえば、
「生活保護までになるような人たちは、『困った人』だから生活保護になるんでしょ? 差別されて当然でしょ? そう思わないなんて、おかしい」
という偏見をぶつけられる場面は多い。そういう時、私は可能な範囲で、世の中で思われているほど「困った人」ばかりというわけではないと伝える努力をする。また、その人々が生活保護に至った経緯の一つ一つは「道路に落ちていたチューインガムを踏んだ」と同程度にありふれたつまずきであることも伝えようとする。たいていは徒労に終わり、後には悲哀と消耗だけが残る。
一方で、貧困が誰の中にもある「困った」部分をあからさまにしがちであることも否定できない。貧困状態に陥った人々のすべてが「困った人」であるわけではないし、「困った人」も「困った」側面しか持っていないわけではない。しかし、貧困状態にある人々の問題点、「困った」側面は、実にたやすく可視化される。その「困った」側面をあからさまにしている人に対して「遠ざけたい」と思うのは、むしろ生き物として自然なことかもしれない。
貧困がもたらす困難やストレスは、人の心を簡単に壊す。人として「あたりまえ」の欲求の多くが満たされず、「ふつう」の感情を顧みられない状態が続けば、自分で自分を扱いかねる状態に陥るのは自然であろう。さらに、貧困に心を壊された人は、他人の心も壊すことがある。「原因は本人ではなく貧困なのだから、どんなに傷つけられてもイヤだと思ってはならない」とは、誰も言えまい。
「だけど、貧困に陥るのは、何らかの『ハンディキャップ』があるからです。ひとり親家庭、しかも貧困状態の中で育っていたり、あるいは、本人が何らかの障害を抱えていたり」(さいき氏)
生育状況に問題がなかったとしても、病気・事故・失職・DV被害など誰にでも起こりうる困難の一つ一つによって、人は容易に貧困状態に陥る。貧困状態から脱出できない状態が続けば、それまで築いて維持してきた人間関係が破壊され、社会と「つながっている」という感覚も失われる。結果として、心身の健康がさらに蝕まれる。この状況で、あらゆる場面で「困った人」と化さずにいられるほど強靭な精神力や卓越した思考力に恵まれていたら、そもそも貧困に陥りにくかったはずだ。
「何らかの『ハンディキャップ』という背景があったから「困った人」になり、その結果として貧困があるわけです。でも、現在の『困った状況』を見て、過去から続いている『ハンディキャップ』は見ずに『だから、あいつらは貧乏なんだ』と言う人……多いですよね。順序が逆なんですけど」(さいき氏)
時間的な前後関係は、実際に起こっている出来事の逆だ。因果関係も、原因と結果が逆だ。
「そこまで考えず、『あんな困った人間だから貧困に陥ったんだ』『困窮は、あの困った性根に対する罰だ。本人が悪いんだから、ああなって当然だ』と」(さいき氏)
自己責任で貧困に陥ったのだから、貧困状態の人々に対しては、その「自己責任」を問うべき。この考え方は、極めて分かりやすい。一見、筋道も通っているように見える。私は賛同できないが。
「この事件のお母さんに対しても、『家賃を滞納するほど貧乏なのは、問題のある人だからだ。追い出して懲らしめてやれ』という意識がなかったとはいえないのではないか、と思います。『ちょっと痛い目を見なければ分からないだろう、お灸を据えてやれ』という感覚だから、強制退去させることに躊躇がなかったんじゃないかと。私、事件を知った時、強制退去を『懲罰だ』と思いました。一部の福祉事務所で行われている生活保護の水際作戦も、そういう『懲罰』的な意識でなされているのではないかと思えてなりません」(さいき氏)
貧困に陥ったのは自己責任、自らの罪。公営住宅の家賃も払えないほどの貧困に陥った罪に対しては、さらに懲罰としての強制退去。そして母親は、「娘殺し」という罪まで背負うことになった。裁判で定められる刑に服した後も、母親が生きている限り、「娘を殺した母親である」という事実は消えない。
■「公営住宅」という救いが新たな差別と排除を生む構造
しかし問題は、母親と同時に、中学生の娘も強制退去の対象となったことだ。母親は、離婚した元夫を連帯保証人として、2007年、銚子市の県営住宅に娘とともに入居した。もちろん千葉県は、母親に娘がいることを把握していた(裁判資料による)。収入状況も把握されており、家賃の減額措置も取られていた。にもかかわらず、強制退去は執行された。なぜだろうか?
「……私の印象では、『やっぱり、貧乏人は嫌われるんだな』に尽きます。『公営住宅に住んでいるほど貧乏』というだけで、差別の対象になりますし。複数の公立学校教員から、公営住宅に住んでいる子どもを差別する発言を聞いたことがあります。公営住宅に住んでいて差別発言をされた側からも、聞いています」(さいき氏)
正直なところ、その差別発言の内容は想像がつかない。私が小学校から高校までを過ごした福岡県では、1970年から1980年代初頭にかけてのその時期、日教組が強い勢力をもって活動していた。組合活動に熱心なあまり授業を放棄する教員がいた一方、日教組は差別の撲滅に関する取り組みに熱心でもあった。学校で差別事件が起こるたびに、教員たちは児童・生徒たちに「差別は悪」と教えることを繰り返した。隣町には大規模公営住宅があったけれども、その公営住宅の子どもたち・その校区の公立小中学校に関して、特別な問題を聞いた記憶はない。そもそも、公立学校の教員が露骨な差別を口にするという状況そのものが、想像しにくい。
首を傾げる私に、さいき氏は、
「たとえば、『前任校の校区内には、公営住宅がたくさんあって、大変だった』とか。小学生の犯罪が報道されたら『あの地域、公営住宅はないのにね?』とか。公営住宅から小学校受験をして別の地域の小学校に通っていた20代の方から、教師がクラスの生徒に『あの団地の子どもたちとは遊ばないように』と言い聞かせた、という話も聞いています。その公営住宅は、ネットで『DQN団地』と書かれているそうです」(さいき氏)
と、数多くの実例を語る。居住地による、露骨なレッテル貼りである。驚いて言葉も出なくなった私に、さいき氏は
「結局、『低所得層の子どもだから、何をしでかすかわからない、気をつけろ』ってことなんです。『低所得層の子どもだから、配慮すべきことが多いはず、気をつけて見ていてあげよう』ではなくて……生活保護世帯の子が万引きを疑われやすかったり、何か問題があると貧困家庭の子が犯人扱いされやすかったりするのと、同じだと思います」(さいき氏)
と言う。
公営住宅の住人たちは本当に、そこまで憎まれ、嫌われ、差別され、排除されるべき存在なのだろうか?
「そもそも貧困を理由に差別すること自体がおかしいわけですが、その中でも公営住宅に入居している人たちは、まだ状況の良い方だと思います。『お金がなくて、民間賃貸では家賃の支払いが厳しい』というときに、『公営住宅に入る』という選択をする知識と知恵があったわけです。公営住宅の存在さえ知らず、入居できずにいる人たちもいるわけですから」(さいき氏)
この事件の母親は、公営住宅に入居することにより、娘が小学校・中学校に通学して学校生活を楽しむことのできる基盤を手にし、7年にわたって維持することができた。
さいきまこ氏の作品「神様の背中〜貧困の中の子どもたち〜」(2014年7月16日発売予定)より(雑誌「フォアミセス」(秋田書店)掲載時)。不登校で保健室登校を続けている貧困家庭の子どもは、喘息を抱えている。持病を抱えながら働き続ける親は、子どもを病院に連れて行く余裕もない。不登校のきっかけは、ゲーム機を買ってもらえずイジメに遭ったことだった。「育児放棄?」と見られがちな親ともどもの苦境が描かれている (c)さいきまこ
「このお母さんは、知識があり、知恵も働いて、やっと『県営住宅』という福祉につながっていました。本来なら、行政がアウトリーチしなくてはならない対象であるはずです。その、せっかく福祉につながっていたお母さんを、強制退去によって切るなんて……本当に許せません。子どもまで追いだそうとしたのは、親と『一蓮托生』ということだろうと思います。結局、大人であろうと子どもであろうと、『貧乏人には人権を感じない』ということではないでしょうか? 『しょせん、公営住宅住まいの子どもでしょ?』ということで、子どもともども、排除につながったのではないかと思えてなりません」(さいき氏)
貧困による差別や排除を「悪」と考えない大人たちの中で育つ子どもたちは、「貧乏人は排除してよい」と刷り込まれながら成長し、大人になっていく。大人になった後は、さらに次世代の差別を生み出し続けながら、老いて死んでいく。貧困の連鎖と表裏一体の差別の連鎖は、このまま維持され続けるしかないのだろうか?
「その流れを食い止めることができるかどうかは分かりませんが……とにかく、『貧困には背景があるんだ』ということを、丁寧に、丁寧に、世の中に知らせていくしかないと思います。私が貧困を題材にした漫画を描くのも、貧困の背後にあるものを知っていただきたいからです」(さいき氏)
さいきまこ氏の作品「陽のあたる家〜生活保護に支えられて〜」と「神様の背中〜貧困の中の子どもたち〜」には、深刻な貧困状態にある数多くの子どもたちが登場する。数多くの困難が、子どもたちとその親たちを襲う。しかし、希望の光が射す結末へと結びつく。
この希望を「フィクションだから」で終わらせず、貧困状態にある子どもたちの現実に変えることこそ、国家や政治、さらに国家や政治を形作る大人たちすべてに求められる責務であろう。
次回も引き続き、この事件の背景を伝える予定である。誰の行動にどのような問題があり、制度と運用にはどのような「綻び」があったのだろうか? 誰が何をしていれば、悲劇的な結末は避けられたのであろうか?
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