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一度格差社会の底辺に落ち込んだ人間が、這い上がることは難しい――。それは固定観念に過ぎないのかもしれない。年収260万円の警備員から億万長者に成り上がった「伝説の男」を紹介しよう
年収260万円の警備員からなぜ億万長者に?格差社会に復讐した「伝説の男」
http://diamond.jp/articles/-/73269
2015年6月16日 吉田典史 [ジャーナリスト] ダイヤモンド・オンライン
この連載では、職場に潜むホンネとタテマエの狭間でもがく人々の姿を紹介してきた。労働の現場は、働く人々の失意とため息で溢れかえっている。しかし中には、そんな苦境をものともせず、どん底から自力で這い上がってくる強者もいる。
今回はそんな人たちの1人で、年収260万円の警備員から今や数億円の資産家になった、30代前半の男性を紹介しよう。職を転々として悲惨に見える人生を送りながらも、その実、メディアや有識者が唱えるような「弱者」ではない。むしろ相当に図太く、したたかな男だ。そんな男の素顔を炙り出すことで、「格差社会」にまつわる固定観念を覆したい。
■僕は何故こんなことをしてるんだ?職を転々とする年収260万円の警備員
2011年の夏、都内西部の郵便局。それは小雨が降る日だった。
通りを隔てたすぐ前にはパチンコ店がある。そこに出入りする人を、警備員の野村(33歳)は立ったままぼっーと見入っていた。無表情で、まるでろう人形のようだ。
しばらくすると、局の入口付近にあるキャッシュディスペンサーのコーナーに人がごった返し始めた。180センチ近い長身の野村は前かがみになり、小走りで近寄り、10人近い人たちを列に並べる。慣れた手つきで客を動かす。そして、また元の場所に戻り、パチンコ店を立ったまま見入る。
郵便局はこのあたりでは大きな局であり、人の出入りが激しい。野村が勤務する警備会社が、この局の周辺を警備するという仕事を数年前に請け負った。野村は入社3年目。本人いわく「正社員だと思うけど、正確にはわからない」。会社からの説明は曖昧だったようだ。
10年近く前、都内の中堅私立大学を卒業した。キャリアは、「年を追うごとにダウンしている」と本人も自認している。野村は1〜2年ごとに職場を変えてきた。介護機器の販売会社、特別養護老人ホームの職員、医療系出版社の総務部社員、介護関連のNPO職員、図書館の清掃や郵便局でのアルバイト、そして広告代理店での営業と、あらゆる職業に携わり、このときが警備員だった。この約10年間の年収を見ると、多いときで360万円ほど。それが職を変える度に徐々に減り続け、2011年には260万円前後まで落ち込んでいた。
「中堅の私立大学を卒業したくらいでは、いったん軌道から外れると、“大卒”としては認められない。新卒のときから、就職には苦戦した」と野村は語る。
4つ目の職場だったNPOを辞めた後、転職しようとして、20社ほどにエントリーしたものの、いずれも書類選考落ち。面接に進めない――。力尽きて、図書館の清掃や郵便局でのアルバイトをした。時給900円で、収入は1日数千円。アパートの家賃を払ったら、お金は残らない。「これでは生きていけないな」と思い、その後職を求めた広告代理店は、完全なブラックだった。
そんな野村が行き着いた先が、警備員だった。面接は1回のみで約20分。あっという間に「内定」を得た。1日8時間ほど、月に二十数日勤務する。毎月の給与は手取り20万円前後。
「中途半端に疲れる。ずっと立っているだけで、時折人の整理をするくらい。他の警備員は40〜60代で、リストラで職を失った人たち。30代前半は数人しかいない。数人は、みんな高卒とか高校中退。僕は、一応大卒だけど……」
野村は自嘲気味にそう笑った。
■社畜になるほど自分を落としたくない その一念でどん底から這い上がる
2011年のあのときから、4年が経った。
今野村は、人が羨むマイホームを持つ。さしたる仕事をすることなく、数億円の資産を握っている。本人いわく「そこそこ、リッチな自宅警備員」である。
落ちこぼれだった野村には、たった1つの取り柄があった。女性へのアプローチが速いのだ。自身が深刻に見える皮膚病を患っていながら、臆することなく女性に声をかけた。
20代半ば、NPO職員だった頃に知り合った女性と深い関係となり、ずるずると半同棲を続ける。そして、2013年春に結婚した。
新婚旅行は、アメリカのグランドキャニオン。知人には、旅行の様子を撮ったはがきまで送り付けた。しかし、年収260万円の男にそんなお金はない。そのお金は、新妻の親が工面したのだという。野村が出したお金は10万円程度。ハネムーンを終えると、新婚生活が都内の賃貸マンションで始まった。礼金・敷金や引っ越し代も、妻の両親が払った。
夫婦の収入は、合わせても500万円に満たない。これでは、満足する生活ができない。2人は2014年の夏から、妻の両親が住む北関東の実家に転がり込んだ。野村に「妻を養うのは自分だ」という、数十年前の男のようなプライドはない。
「(サザエさんの)マスオさん? 妻の家に居候で肩身が狭い?(筆者のことを指して)時代感覚が古いですね。僕らの世代で、妻を養おうとする男はいませんよ。大企業で働くごく一部の人だけ。僕は、彼らみたいに自分を見失いたくない。社畜になりたくない」
こう言い残し、警備員を辞めた。数ヵ月後、「あの職場では、自分の力や才能が開花しない」というメールを筆者に送りつけてきた。その「力」や「才能」が何を意味しているのかは、理解していないようだった。
妻の両親は、義理の息子となった野村を可愛がるという。60代後半の両親は、60歳まで共働きで市の職員だった。退職金は併せて5000万円近いという。今は年金で暮らしているが、それだけで月に40万円を超える。その意味では、恵まれた老後だ。
しかも、150坪ほどの土地に6〜8部屋もあるマイホームを持っている。家のローンは1円もない。もともと父親が農家の後継ぎで、広大な農地を受け継いでいた。30年ほど前、その一角に家を建てたのだという。
夫婦の貯蓄や土地などは合わせると、野村いわく「1億と2億の間くらい」という。夫婦は、家や貯蓄、土地などを息子となった野村に譲ることを明言しているようだ。中堅私立大学を卒業し、職を1〜2年で転々とし、ビジネスマンとしての実績はゼロに等しい野村。年収260万円の警備員から、こんな家と広大な農地を手にする資産家になった。奇しくも同世代の中で、紛れもない「トップエリート」になったのだ。
■豪華なマイホームと広大な農地を入手 今や夫婦で月収10万円の「富豪」に
野村の妻は、コンビニでアルバイトをしている。収入は月に数万円。野村は自宅に残り、家を守る。本人いわく「自宅警備員」なのだという。朝から晩まで家にいる。掃除や洗濯はしない。それも「妻の仕事」なのだそうだ。趣味はネット。1日に8時間近くパソコンに向かう。同世代の会社員が懸命に働く姿を見ると、優越感を感じるという。
朝、昼、晩の食事は、妻や両親がつくる。ごく稀に、農家の仕事をする父の手伝いをやる。「今は、子づくりに専念する毎日。安直な仕事はしたくない。自分を落としたくない」――。こんな生活を恥じらうことなく、自信満々で説明する。
唯一の仕事はテープ起こし。かつて勤務した医療系出版社の編集者から、月に1〜2回依託を受ける。編集者たちが医師を取材し、録音した音声ファイルをメールで送ってくる。それを聞き、数日以内に書き起こす。これを「テープ起こし」という。
本来は、一定のスキルや技術を持つ専門家がやる仕事だが、この医療系出版社はネット上で話題のブラック企業であり、経営状態がよくない。プロに依頼すると、3〜5万円を支払わざるを得ない。そこで、1〜2万円で請け負ってくれる野村に依頼する。
野村は無表情で、ろう人形のような雰囲気で話す。表情はあるのだろうが、皮膚病のためかこちらからは見えない。
「どうしても、自分に……というお願いならば、仕方がないから(テープ起こしを)引き受ける。裏切ることはできない」
■前職ではもはや「伝説の人」扱い 格差社会でしたたかに生きる弱者の姿
後でこの言葉を聞いた医療系出版社の編集者は、笑いながら筆者に話す。
「(野村が書き起こした原稿を)読むと、滅茶苦茶な日本語で意味が掴めない。あまりにもひどいから、気が狂いそう」
編集部では、野村は「伝説の人」になっているという。野村の収入は、月に3〜4万円。夫婦合わせて10万円にもならない。それでも、豪華なマイホームを持ち、広大な農地を併せ持つ「富豪」である。あらゆるものを手にした野村は、まさに「伝説」になったのである。ただし、皮膚病は治らないという。
ここ10年ほど、メディアや有識者は20〜30代前半までの働き手の収入が少ないと煽ってきた「若者が……、若者が……」といった言葉が独り歩きしてきた。そんな空気を寄せ付けることなく、したたかに生きる「弱者」がここにいる。これもまた、企業社会の語られないホンネではないだろうか。
■タテマエとホンネを見抜け!「黒い職場」を生き抜く教訓
今回登場した野村は、職場のホンネとタテマエを見抜くことができている。筆者がこの男性から感じ取った教訓は、次の通りだ。似たような境遇にいる読者は、参考にしてほしい。
1.年収260万円は本当に「弱者」か?エリートばかりが勝ち組ではない
30代前半で、警備員として年収260万円。ここ7〜8年、メディアや識者はこういう人を「格差で苦しむ可愛そうな若者」と決めつけてきた。確かに、悲惨な生活に見えなくもないが、野村はその境遇を受け入れなかった。自ら仕事で頑張ることはしなかったが、結婚によって人生を浮上させた。
筆者は、この男性と2006年に知り合った。冒頭で描いた郵便局のシーンは、彼と待ち合わせた際のものである。少なくとも、筆者が知る30代前半の会社員とは、話す内容も行動パターンもまるで違う。
世間ではこういう男性を、会社員として働き妻などを養う男性よりも「下」の存在として扱う。しかし、その捉え方はある意味でタテマエであり、ホンネのところでは、野村のような男を羨ましいと思っているのではないだろうか。野村の姿は、資本主義社会の1つの「上がりの姿」であり、否定するものではないと思う。
シビアな見方をすると、この男にはこうするしか、他に生きる道がなかったのだ。これもまたホンネである。中堅の私立大学を卒業し、短い期間で職を転々として、30歳前で転職回数が3〜4回に及ぶ。これでは前途は暗いだろう。警備員の仕事をすることさえ、この男には難しかった。それならば発想を大胆に切り替え、条件のよい女性を捕まえて結婚することに労力を傾けることは、誤りではない。
現在、会社員として働き、苦境にいる人には、世の中にこんな男もいることを知ってほしい。会社という小さな枠の中で、あらゆることを判断せざるを得ないのが会社員というもの。やはり視野は狭くなり、判断力も鈍る。野村のようになることはできないとしても、「こういう生き方もあるのだな」と心の隅に置いておくだけでも、多少は気が楽にならないだろうか。
2.継続こそ環境を変える力 「弱者」はそれほど弱くない
野村の皮膚病は、深刻に見える。だが、この男はためらうことなく、女性にアプローチができる。これもまた、1つの「能力」と言えまいか。聞く限りでは、当初はなかなかうまくいかなかったようだが、くじけることなく女性にアプローチを続けた。
この「継続」が大切なのだと思う。年収260万円の警備員であろうとも、打開策を繰り返し試みることで、目の前の現実がいつしか変わっていく。「弱者」には、これしかないのだ。この男がさらに転職をしたところで、浮上することはあり得なかっただろう。
野村の人生が一時期泥沼化したのは、本人の責任である。会社や社会などの責任ではない。要は、本人が企業社会に向いていないのだ。基礎学力、仕事への姿勢、意識、考え方などを見ても、同世代の会社員よりも大きく劣る。こんな男が社会で何をしたところで、浮かばれないだろう。これも、メディアが伝えないホンネである。
こういう指摘をすると、早速「それは自己責任論だ」としたり顔で批判をする者がいる。その捉え方こそが、働き手をバカにしたものなのだ。野村のように、したたかに生きる「弱者」から教えてもらうべきなのではないか。
野村に「それは自己責任論だ」などと、薄っぺらな言葉を投げかけたところで、意味はない。本人にはそんな感性も感覚もない。「弱者」は、インテリが思い込むほど「弱者」ではないのである。
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