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自治体が地方創生で成果を出すためには何が必要なのか?(写真はイメージ)
自治体の地方活性化はなぜ失敗の山になるのか? 地方創生に必要なのは先進事例よりも「失敗学」だ
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43967
2015.6.15 西村 健 JBpress
「地方創生」の取り組みが全国の自治体で本格化している。
・地元の高校生とワークショップをする、
・地方創生の戦略策定会議に若手経営者や女性・外国人を招き参加してもらう、
・ワールドカフェなどの方法で住民同士や職員たちが対話を重ねる、
・愛郷心に訴えかけるイベントを開催する、
・地元出身の大学生にインタビューをする、
・地域を出ていった出身者からアドバイスをもらう、
・ネットで今後の意見を考える投票行動をする、
・NPOや若者を中心にライフスタイルをデザインする取り組みを考える、
・ふるさと納税の営業先を拡大させる・・・・
などなど、地方創生の総合戦略策定に向けて自治体はそれぞれ工夫をしようと頑張っている。
こうした活動は若者に様々な気づきを与えることができる。例えば、実は地元には尊敬できる大人が(結構)いること、大人がいろいろと考えて苦労してこの地域社会を支えていたこと、一生懸命匠の技を磨く後ろ姿は格好いいこと、皆がそれぞれ素晴らしいアイデアや意見をもっていること、なんだか将来頑張ればまちも活性化できるように思えること・・・などに気づき、地域で生きることのイメージや希望を持つことができるようになるかもしれない。
■反省がなければまた同じ失敗を繰り返すことに
しかし、自治体がすでに策定した「地方版総合戦略」を見ていて気になったことが2つある(注:政府は自治体に、地域活性化と人口減少克服のための「地方版総合戦略」を2015年度中に策定するよう求めている。内容は、自治体が取り組む地方再生計画や長期的な人口目標など)。
第1に、過去の施策や事業の焼き回しに過ぎない文章が続くことである。
構想日本の加藤秀樹氏が紹介しているように、地方創生に関する国の今年度の事業の総予算7200億円のうち約85%の事業が前年度からの継続事業だという指摘がある。確かに、総合戦略に記載されている内容には、「看板を変えただけ」に見えると思われる事業がいくつも見受けられる。
第2に、過去に実施された政策・施策・事業の結果に触れられていない点である。目標達成度、目標未達成時の理由、成果指標の変化、総合評価などの考察がほとんどなされていないのだ。
これまで似たような施策や事業を行ってきたことの反省がなければどんな結果を招くのかは、容易に想像がつく。そう、近い未来、失敗を繰り返してしまうということだ。
これまで地方自治体は定住促進、子育て支援による若者移住、企業誘致、新産業おこし、イベント開催など「地方創生」的なことを熱心に行ってきた。多くの自治体のホームページを開き、「行政評価」のページで、施策評価シート・施策評価表を見てみればそれが分かる(参考:「地方公共団体における行政評価の取組状況等に関する調査結果」総務省)。
ちなみに、「行政評価」とは自治体の施策や事業・事務を評価するシステムで、北川正恭知事時代の三重県で始まった。三重県と、私が以前勤務していた日本能率協会グループが共同で開発したものである。
現在、都道府県及び特例市以上の市ではほぼ全団体、またその他の市区でも8割以上の団体が行政評価の手法を導入している。また、行政評価を導入している団体のうち、約7割が評価結果を予算要求等に反映しており、そのうち9割以上が予算査定等においても評価結果を反映している。
しかし、残念ながら行政評価には失敗の分析がない。地方創生の総合戦略には、特に過去の反省や失敗の検証結果をきちんと反映させるべきであろう。
■「行政の無謬性」という神話
地域ごとに、その失敗の原因や、そこからの「教訓」は様々だ。施策や事業の特性ごとに失敗の解釈も様々だ。つまり、各自治体はそれぞれの事情、特殊性に応じた「失敗学」に挑戦すべきである。
以前ブームを巻き起こした「失敗学」。畑村洋次郎・東京大学名誉教授が唱えた考え方である。失敗を肯定的に利用し、失敗を生かすことが個人や組織の成長に貢献することを実証している。
畑村先生をさかのぼると、『失敗の本質─日本軍の組織論的研究』という社会科学のスタンダードとなった本もある。ノモンハン事件を皮切りに日本軍がなぜ失敗したかを丁寧に実証している。
ただし、この失敗を研究するという動きは、行政経営には取り入れられなかった。
確かに、行政にとって「失敗」はありえない。これまで、わが国には「行政の無謬性」という神話がまかり通ってきた。日本の行政は先史以来、そこそこうまくやってきたことも確かだ。安土桃山時代に日本を訪問した外国人の記録や江戸時代を見れば、その社会の安定に貢献してきたことも事実だろう。だから、行政は間違わないという神話も一定の賛同を得て、広がってきた。
しかし、どうだろう。過去100年、第2次大戦後に「アメリカに勝てるとは誰も思っていなかった」と告白した政治家や軍幹部たち、様々な公害、原発事故など大きなレベルから、誰も使っていないハコモノなどの小さなレベルまで、「行政は失敗しない」ことのありえなさを国民や住民は今ではよく知っている。
■「責任追及」と「批判」はしない
では、具体的に地方活性化の「失敗学」をどのように進めていけばいいのか。
まずは失敗の定義を明確にすることが前提だ。目標数値を達成できなかったこと、大きな外部要因が働かなかったことなどが条件になるだろう。
失敗の分析の進め方としては、事象、経過、推定原因、対処、原因や外部要因の整理と総括、さらに条件の抽出が必要だ。特にポイントとなるのが、原因の追求である。トヨタ自動車やコマツのように徹底的に「なぜなぜ分析」を繰り返し、外部要因や自己能力を正しく見極めていく。
地方自治体では、そもそも目標設定があいまいだったり、希望的観測で目標が設定されたりしがちである。そのため、目標設定時にさかのぼって「なぜそうした目標を立てたのか? そう思うようになったのはなぜか?」と深堀りしていく必要がある。
また、心しておくべきなのは、「責任追及」と「批判」をしないことである。批判をすると、真相追及に至らなくなる。「失敗学」は失敗から学ぶことが最大の目的であって、誰かを批判するためではない。関わった人の感情にも気を配る必要があるだろう。
■失敗は「仕方がなかった」は本当か
これまでの自治体には、一度立ち止まって徹底的に考える姿勢が欠けていた。だから、ついつい安易に新しい「先進」事例や「カッコいい」提案に飛びついてしまうのだ(地方活性化コンサルタントはそういった提案をしてくる)。そして、職員や住民が熱心に頑張っても空回りに終わり、数年後に疲弊してしまうケースが出てくることになる。
私が2年前まで行政改革コンサルタントをしていたとき、地方自治体の幹部会議・評価会議に出席し、「失敗した」施策や事業を議論する機会が多かった。その際、「うちの市じゃしょうがないよ」「景気が悪かったから」「目標が高すぎた、というか目標を設定する能力がなかった」という意見をよく聞いた。「仕方がなかった」「予測が外れた」という言葉を聞いて、私は「本当か?」という疑問をずっと感じていた。
確かに、1つの事象だけをとっても複合的な要因が絡み合っている。しかし、そこを追及しないのはどうなのか。税金で雇用が安定的に保障されている、公共的な立場だからこそ、それは責務だと思うのは私だけだろうか。
地方創生に取り組むにあたって、過去の検証や「失敗学」的な考察をしないで、単なる人口分析、戦略立案だけをしているだけでは不十分である。ぜひとも「失敗学」を実施してみる自治体が出現することを期待したい。
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