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国民の幸福度を1人当たりのGDP(国内総生産)ではなく「国民総幸福(Gross National Happiness、GNH)」として指数化しているブータン。写真は伝統衣装を着た女子生徒〔AFPBB News〕
お金では買えない幸せを手に入れるための方法 第23回 お金と幸福度の心理学
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43989
2015.6.12 藤田 耕司 JBpress
「金持ちは幸せである」
この言葉を聞いてあなたはどう思うだろうか。直感的に違和感を覚える方も多いのではないかと思う。
米国のプリンストン大学が45万人を対象に2008年から2009年にかけて行った年収と幸福度の関係に関する調査によると、年収が7万5000ドルまでは年収と幸福度とが比例したが、年収がこれを超えるとその比例関係は見られなくなった。
研究者たちによると、お金があればあるほど幸せになるというわけではないが、お金が少ないということと感情的な苦痛とは関連しているとのことである。
7万5000ドルを現在のレートで日本円に換算すると930万円ほどに、調査が行われた2008年のレートで換算すると770万円ほどになる。
■幸福度に比例しなくなる年収増
物価の変動、米国と日本の所得水準の違い、環境・文化の違いなどを考慮すると、この7万5000ドルに相当する金額を正確に日本円で算定するのは難しいが、770万円から930万円をおおよその目安とすることはできる。
参考までに、国税庁「平成25年分 民間給与実態統計調査」によると、平成25(2013)年の平均年収は414万円。
全所得者に占める年収が700万円以上の人の割合は12.3%、800万円以上の人の割合は8.3%、900万円以上の人の割合は5.6%、1000万円以上の人の割合は3.9%となっている。
一定の年収を超えると幸福度との比例関係が見られなくなったというこの結果に関し、いくつかの原因が考えられる。
まず、年収が高い仕事は、責任やプレッシャーが重く、長時間残業や休日出勤も当たり前など業務時間も長くなることが珍しくないため、幸福感が感じられなくなるということが考えられる。
また、人間の欲求について、米国の心理学者、アブラハム・マズローは下記の5つからなる欲求段階説を提唱している。
1.生理的欲求:食欲、睡眠欲など人間が生きていくうえで本能的に必要とする欲求。
2.安全欲求:生命を脅かされない安全・安心な暮らしをしたいという欲求。
3.社会的欲求:集団に属したい、仲間が欲しいという欲求。
4.承認欲求:認められたい、尊敬されたいという欲求。
5.自己実現欲求:自分の能力を発揮し、あるべき自分になりたいという欲求。
5に近いほど高次な欲求となり、生理的欲求が満たされると安全欲求を、安全欲求が満たされると社会的欲求を、といった具合に、低次な欲求が満たされると次の高次な欲求を満たそうとする。
このうち、生理的欲求と安全欲求はお金で解決できるが、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求は必ずしもお金で解決できるものではない。
■脳が持つ馴化作用も原因の1つ
そのため、ある程度の年収を得られるようになり、生理的欲求と安全欲求が満たされた状態になると、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求が満たされるかどうかが幸福度に大きく影響してくる。
しかし、それらの欲求が満たされるかどうかは、お金以外の要因に大きく左右されるため幸福度との比例関係が見られなくなると考えられる。
それから、脳が持つ馴化(じゅんか)という作用もその原因の1つだと考える。
馴化とはある刺激が繰り返し与えられることにより、その刺激に対して鈍感になり、反応が見られなくなっていくことを言う。
つまり、その刺激に対して慣れが生じ、当たり前の状態になることを意味する。
強い刺激より弱い刺激の方が馴化しやすいと言われるが、強い刺激に馴化した場合には少々の刺激には反応しない大きな馴化となる。
そして、人間の脳は馴化が起きるとより強い刺激を求めるようになる。
年収300万円の人の年収が400万円に上がった時、嬉しい、ありがたいと感じるだろう。そして、年収400万円の生活が始まり、年収400万円に対する馴化が生じる。
馴化が生じると次は年収が400万円では足りず、500万円を求めるようになり、年収500万円の生活を手に入れ、さらに馴化が生じると、次は600万円の年収を求めるようになる。
人間はいったん生活水準を上げると、その後に下げることは難しいと言われる。
■借金をしてもステーキを食べる人
倒産寸前の企業を立て直す企業再生の専門家から聞いた話であるが、高額な役員報酬を取っていた経営者は、会社が倒産寸前の状況に陥っていても、高額な家賃のマンションに住み続け、高級クラブやバーに通い続けようとすることもよくあると言う。
「金持ちだった人は借金をしてでもステーキを食べる」
ある講演会でそんな話を聞いたこともある。こういったことも馴化によるものであると考えられる。
幸せと感じることができる刺激の基準値を私は「幸せの基準値」と呼んでいる。馴化の度合いが高くなると、幸せの基準値が上がっていく。
幸せの基準値が高い人は幸せになりにくく、幸せの基準値が低い人は幸せになりやすい。
幸せの基準値が高い人はよほど素晴らしい体験や質の高い物が得られないと幸せと感じられない。
一方、幸せの基準値が低い人は些細な体験にも幸せを感じ、安価な物でも十分満足することができる。
例えば、舌が肥えた人は味に関して幸せの基準値が高く、美味しいと感じられるものが少ないため、食事をして幸福感を味わえる確率は低い。
一方、舌が肥えていない人は味に関する幸せの基準値が低く、美味しいと感じられるものが多いため、食事をして幸福感を味わえる確率が高い。
「足るを知る者は富む」
老子の言葉である。
満足することを知っている者は、たとえ貧しくとも精神的には豊かで幸福であるという意味である。
■幸せの基準値を上げないための工夫
いくらお金があっても、馴化の度合いが高くなり、幸せの基準値が高くなれば幸福感を味わうために高額なお金が必要になる。
結局、多くの収入があっても多くの出費が必要になるため、今の収入では満足できないことになり、その年収に対して不満を覚える。
その精神状態は貧しい者の精神状態と同じであると言える。そのため、幸福感を得られるかどうかは、収入の額もさることながら、幸せの基準値により大きな影響を受けることになる。
幸せの基準値が上がらないようにするための方法がある。
当たり前と思っていることを当たり前と思わず、現状に対して新鮮な気持ちで感謝することである。
これが続けられれば馴化は生じにくく、幸せの基準値も上がりにくい。
「当たり前」について突き詰めて考えてみると、実は「当たり前」と思っていることはありがたいことであることに気づける。失って初めてそのことのありがたさに気づけると言われるが、失ってからでは遅い。
そうなる前に気づけると、それを失う確率もぐっと下がる。
かく言う私もまだまだ未熟者ではあるが、自らを振り返り、現状に感謝する時間を1日4回取るようにしている。
生活をしていくうえではお金が必要になる。そして、将来の不安を軽減するためにもお金が必要になる。
しかし、生活ができ、将来の不安をある程度軽減できるだけの収入が得られたならば、馴化の度合いと幸せの基準値が高くならないように現状に感謝することが、幸福度の高い人生を得るためのカギを握ると言えるだろう。
冒頭のプリンストン大学の調査結果は、そんなメッセージを伝えているようにも思える。
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