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生活保護を受けているシングルマザーたちは、受給することが「権利」にもかかわらず、「申し訳ない」と思っている人が少なくない
「幸せになってはいけない」 生活保護シングルマザーを苦しめる罪悪感
http://diamond.jp/articles/-/73101
2015年6月12日 みわよしこ [フリーランス・ライター] ダイヤモンド・オンライン
2015年4月1日から施行された生活困窮者自立支援法のポイントの一つは、「伴走型支援」だ。多様な困難や問題を抱えた人々に対し、その人に適した支援を行いつづけるかたわら、支援者が「伴走」するというものだ。
しかし現実を見ると、民間有志による懸命の支援にもかかわらず、シングルマザーたちは“生活保護を受けている”というスティグマに苦しめられ続けている。
■生活保護シングルマザーを苦しめるスティグマ
「このごろ、『生きる』とは何なのか、考えさせられるんです。私、人間は幸せになるために生まれてくるんだと思います。その追求をするのが、福祉の役割です。でも、その福祉で苦しむ人たちがたくさんいます。『幸せになってはいけない』と思い込まされて……何なんでしょうか? この世の中は?」
こう語るのは、「大阪子どもの貧困アクショングループ(CPAO)」代表として、子どもの貧困問題に取り組む徳丸ゆき子氏だ。子どもの貧困は、すなわち親の貧困である。CPAOは、最も「しんどい」貧困状況に陥りやすいシングルマザーと子どもたちを主な対象として、親・子ども・周囲の大人を「まるごと」支える活動を展開している。
子どもに対しては、「待ったなし」で、すぐにサポートを開始することが必要だ。そのためには、母親と子どもを同時に公共または民間のセーフティネットにつなぎ、生活を安定させなくてはならない。数多くの困難を抱えた母子の場合には、生活を安定させる手段が、生活保護以外にないことも少なくない。
「でも生活保護を受けているお母さんたちは、とても慎ましく、申し訳ながっているんです。たとえば、ファミレスで少しごちそうすると『おいしいもの食べちゃいけないと思う、生活保護だから』と」(徳丸さん)
どういうことなのだろうか?
「そのお母さんたち、『幸せだと思うのは申し訳ない』と思っているんです。そこまで思いつめているんです。『いいじゃないの』と言って、一緒に食べてもらうんですけど」(徳丸さん)
生活保護だから、生活保護らしく。「恥ずかしい」と思うべき、スティグマ(烙印)を感じるべき。そういうプレッシャーは、私の接してきた生活保護利用者のほとんどが感じている。時に「働いたら損」「税金でラクする賢い選択をした自分」といった露悪的な言葉を口にする人々も、少し立ち入った会話をすると、強い自責の念や恥の意識やスティグマ感を持っており、その裏返しとして露悪的な言葉を口にしている場合が多い。
「でも、福祉スティグマは、日本だけにだけあるわけではないんです。欧米にも、公的扶助に対するスティグマはあります。でも、内容と程度が全く違うんです」(徳丸さん)
■生活保護を「権利」と言えない社会が子どもたちの夢や希望を奪う
2014年8月30日、前日に発表された「子どもの貧困対策に関する大綱」を受けて大阪市内で開催された集会「緊急アクション関西 〜子どもの貧困対策大綱できてんて? ほんで、どうすんねん?」で現状を訴える、徳丸ゆき子さん(大阪子どもの貧困アクショングループ(CPAO)代表) Photo by Yoshiko Miwa
徳丸さんは、英国滞在経験がある。当時の友人たちは、その後、さまざまな人生を歩んでいる。中には現在、日本の生活保護に相当する公的扶助を利用している人もいる。
「私、お母さんたちの『おいしいもの食べちゃいけない』を、その友達に話したんです。そうしたら、驚かれたんです。『どうして? 権利じゃないの』って」(徳丸さん)
私は徳丸さんの話を聞きながら、外国で公的扶助を利用して生活している低所得層の人々の表情を思い浮かべた。もちろん、「不幸そうに見える」「自分を卑下している」といった人も、いるにはいる。しかし多くの場合、教育を受けたり就労活動をしたりすることも含めて自分の人生を展開させることに喜びを持ち、生きることを楽しんでいる。
「……日本がどうなっているのか、どうしてこうなのか、私、説明できないんです。日本語でも説明できません。自分の頭の中で理解できないんです。まして、英語で言えるわけはありません」(徳丸さん)
お国柄や地域性、文化や風土は、影響を及ぼしてはいるだろう。しかし、それだけで説明できるだろうか? 説明できないだろう、と私は思う。
「日本の生活保護に対しては、『こんなに、生きていることが虚しくなる制度って、何だろう?』という気持ちになります」(徳丸さん)
生きることを虚しく「させる」側の論理は、何なのだろうか?
「一言で言えば、『自己責任』ですよね、嫌な言葉ですけど。だから、『ゼイタクなんかするな』というプレッシャーになるんでしょう。そういう言葉を実際に言われても言われなくても、皆さん、感じて、萎縮していくわけです」(徳丸さん)
その影響は、若干でも人生を選びとる可能性を持つ大人たちだけが受けるわけではない。
「萎縮していく親のもとに子どもがいて、夢や希望を奪われていくんです。人は、幸せになるために生まれてくるはずなのに」(徳丸さん)
少子化が社会問題とされはじめてから、既に長い時間が経過している。しかし、問題にされるのは、子ども自身の人生や幸福ではなく、「社会を支える若い世代の人数が不足する」であることが多い。
「親は子どもを、社会のために産むわけではありません。社会にとって、子どもは『喜び』であるはずなんです。でも今の日本には、その純粋な喜びが……ないですね」(徳丸さん)
では、誰が何をすれば解決できるのだろうか? そのための費用は、どうすれば確保できるのだろうか? ボランティアが活躍して解決にあたるとしても、ボランティア活動の可能な状況を維持するために、結局は費用が必要なのだ。
■「伴走型支援」を実現させるために行政に何が可能なのか?
2013年12月、改正生活保護法とともに成立した「生活困窮者自立支援法」には、不完全ながら、いわゆる「伴走型支援」のメニューが含められている。徳丸さんやCPAOのスタッフたちが、シングルマザーと子どもたちに対して行っている活動は、まさに、この「伴走型支援」だ。
しかし、限られた人数・体力・気力・時間で可能な支援は、多くない。行政による伴走型支援が、最も望ましい姿ではないだろうか? そのための資源確保と支援の実施を行政に求めるのが、本来の筋なのではないだろうか?
「いいえ。あくまで、行政にできることは行政で、民間は民間でやるべきだと思います」(徳丸さん)
それでは、行政に「できない」ことは、何だろうか?
「まず、行政には『公平でなくてはならない』という制約があります。当然ですよね、税金で動いているわけですから。行政が何もかもを行うと、逆に民間を圧迫することにもなります。『行政はここまで』という枠は、必要です。『開庁時間は9時から5時まで』とか。でも、その枠がある限り、本当の伴走はできないんです」(徳丸さん)
生活の危機、場合によっては身体や生命の危機にも陥っているシングルマザーと子どもたちを支えるためには、「平日9時から5時まで」というわけにはいかない。しばしば、深夜、困難や問題が発生している場に行き、直接介入を行う必要も発生する。
「私たちCPAOでは、枠を作らないように努力しています。そういう支援が、必要とされていますから。もしも、本当の伴走型支援を行うというのなら、行政が私たちのような民間団体に予算をつけて伴走型支援を委託し、費用対効果を別途測定する……という形にしか、なりようがないのではないかと思います」(徳丸さん)
では、財源はどのように確保すればよいのだろうか?
2015年4月2日、政府は「子どもの貧困対策基金」を創設して民間資金を活用する方針を発表した。子どもの貧困率は、最新の2012年統計で16.3%と、過去最悪の状況となっている。基金は、生活や学習を支援する団体への資金援助や、才能ある子どもに対する教育に用いられるとされている。
「子どもの貧困対策基金は、『今、国にお金がないから民間で』ということなんだと思います。でもその前に、寄付文化を根付かせたり、税制を整備したりする必要があります。今、日本では、寄付には何のメリットもありませんから」(徳丸さん)
たとえばCPAOが認定NPOになれば、「寄付したい」という気持ちを持つ人に寄付金控除が適用され、寄付が得やすくなるのではないだろうか?
2014年8月30日「緊急アクション関西 〜子どもの貧困対策大綱できてんて? ほんで、どうすんねん?」で、問題を共有して解決策を話し合う参加者たち。「子どもを幸せにする」というテーマは、関わる大人たちを元気にするようだ Photo by Y.M.
「認定NPOにすることも考えてはいるのですが、そうすると、膨大な事務作業が必要になるんです。事務担当者を雇って、その人の給料を稼ぐための仕事を増やすことになります。そこまで考えると、認定NPOにすることに大きな意味はないので、今の形のままでどこまでやれるか探っているところです」(徳丸さん)
寄付以外の選択肢は、行政からの委託だろうか?
「すると、単年度なので、事務担当者の身分や待遇を安定させることが難しくなるんです」(徳丸さん)
社会的に必要とされる活動を、安定して支えるための資金を確保する仕組みは、現在の日本には存在しない。
「だから結局、『公的な税金で』ということになるんです。安定していると言えるものは、日本には、税金しかありません。キリスト教のように『収入の1/10を献金として社会に捧げる』という文化があるわけではありませんから、個人や企業の寄付に頼るわけにはいかないんです。すると、税金しかありませんが……公的資金を十分に子どもたちに回していただくためには、時間がかかります」(徳丸さん)
その間にも、CPAOは困難を抱えた数多くの親子に伴走しつづけるしかない。
「公的資金が子どもたちに回ってくるまでの何年間かを待つわけにはいきません。今、目の前の子どもはどうなるのでしょうか? 貧困の連鎖が既に生まれていたり、不登校になって貧困が連鎖しかけている子どもたちは、どうなるのでしょうか? 目の前のことで、精一杯です」(徳丸さん)
■「目先」のことだけを考えず人と人のつながりを
「保育園や公園の周辺で、子どもの声が『うるさい』といって抗議する高齢者が話題になりました。そういう話を聞くと、『日本は、子どもはいらないんだな、国がなくなってもかまわないんだな』と思うこともあります」(徳丸さん)
日本で子どもが生まれなくなるということは、日本に人がいなくなるということ、日本という国がなくなるということに他ならない。
「世代で分断することは、したくありませんが、公的資金は今、総額で『高齢者11:子ども1』の比率なんです。選挙権を持っている、人数の多い、高齢者の意見が通りやすいせいなのでしょうか? すべてが『目先』です。長い目で見た政策は、何もありません。もしかすると、そのメンタリティが日本人なのかもしれませんが、長期的に考える人がいないから、『今』『今』『今』で、若い人たちにシワ寄せが来てしまいます」(徳丸さん)
CPAOの活動目的は、設立当初から、
「短期的なサポート/緊急介入、中期的な『養育の社会化』モデル事業、長期的な視野での政策提言と制度改変を目指し、活動を展開」
となっている。遠からぬ将来、政策提言が行われるだろう。さらに、制度改変につながるかもしれない。しかし現在のCPAOは、やはり「今」にこだわらざるを得ない。8歳の子どもの「今」を支えるために、たとえば5年後の予算確保を待つわけにはいかないからだ。
「子どもたちは、本当は希望のはずなんです。その希望である子どもたちを、日本の社会は、なぜ、こんなに大切にしないのか? と思います。でも、私たちは本当に、何もできません」(徳丸さん)
そんなことはない、と私は思う。しかし、日本で貧困状態にある数多くの子どもたちと親たちすべてに働きかける力は、CPAOにはない。
「とにかく、『子どもたちに、暖かい気持ちを伝えられれば』と思っています。生きていれば、いろいろなことが起こります。その時、人や社会を信じていればサバイバルできるんじゃないかと思います。できることは、そのくらいです。子ども時代の、たった一度の暖かい経験で生き延びてきたというシングルマザーの証言を、いくつも聞いています。それぐらいなら、私たちにもできる。実際に、関係した子どもたちから、私たちに『SOS』の連絡が来るようになってきています」(徳丸さん)
とはいっても、子ども時代の健全な生育を支えられる家庭環境も、社会に接続されるために充分な教育も、「気持ち」だけで実現できるわけはない。
「でも、最後は『人と人』です。困った時に『助けて』と言えない、人や社会に絶望した人が、自殺や餓死を選ぶんです。人や社会を信じて、声を上げ続けてくれたら、生き延びる確率は高くなるはず。活動を通して、『世の中、捨てたものではない』と感じています」(徳丸さん)
そうあってほしい。私も、自分自身のために、そう信じたい。
次回は、7月から施行される生活保護の家賃補助(住宅扶助)削減に関して、誤解されやすいポイントを中心に、何が起ころうとしているのかをレポートする。日本の「住」の最低ラインは、どのように変化するのだろうか?
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