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1時間目
藤野英人先生に学ぶ「人生」と「投資」の話
お金ってなんでしょうか? 大人でもその実体をつかんでいる人は多くありません。ほとんどの人がお金を稼ぐために働き、お金を貯めるために生き、そして、お金を残して死んでいく――。人生をこんなにも左右する「お金」って、いったいなんなのでしょうか?そこで今回、ふつう学校では教えてもらえない「お金」の授業を開講することにしました。人気投資マンガ「インベスターZ」とのコラボ企画。最高の講師陣をお迎えして、お金の授業がいま始まります!!
取材・構成:岡本俊浩/写真:加瀬健太郎/協力:柿内芳文(コルク)
1時間目は藤野英人さん。投資信託の会社の経営者であり、星海社新書『投資家が「お金」よりも大切にしていること』はロングセラーとなっています。授業は「仕事をしたくない日本人」「不況の原因は大企業がアホだったから」「日本人ほど現金が好きな民族はいない」など、刺激的なフレーズがバンバン飛び出すエキサイティングなものとなりました。
給料は「がまん料」なのか?
(ふじの・ひでと)/1966年生まれ。レオス・キャピタルワークス取締役・CIO(最高運用責任者)。早稲田大学卒業後、野村証券、JPモルガン、ゴールドマン・サックス系の資産運用会社を経て、現職。成長する日本株に投資する「ひふみ投信」を運用し、高いパフォーマンスを上げ続けている。明治大学商学部では講師も務める。著書に『投資家が「お金」よりも大切にしていること』(星海社新書)、『日経平均を捨てて、この日本株を買いなさい。』『儲かる会社、つぶれる会社の法則』(ともにダイヤモンド社)がある。
みなさん、こんにちは。藤野英人です。
「お金」。この単語を聞いて、あなたは何をイメージしますか?
いま、日本に漂っているムードを見る限り、いいイメージを持つ人は決して多くないのではないでしょうか。たとえば、「汚い」「つらい」であるとか。こういう連想をする人もいるでしょう。
なぜ、こんなことが起きるのか。
ぼくはね、みんなが「働く」ことにマイナスのイメージを持っているからじゃないかと思っているんです。
それをよく表わしているのが、人気マンガの『闇金ウシジマくん』に出てくるワンシーンで、いまどきの労働の実感を捉えていると、いっとき話題になりました。
どういうシーンかというと、若いサラリーマンが大都会のド真ん中を車で走っています。仕事は営業職。顔つきは焦燥しきっている。脳裏に、こんなモノローグが響きます。
“俺の人生はいったいなんだろう?/病院に行って、医療機器を必死に売ってる、しがないサラリーマン/俺自身、会社に大切な時間を売っている/毎日悩んで迷って、少しづつ磨り減って、もう二度とない、かけがえのない人生を売っている。”
むろん、実社会でこういった焦燥感を抱えて働いている人は大勢いるでしょう。それは否定しません。
ただ、気にかかるのは「働くこと」が即、「悪」であるという思いこみが社会全体に広がっているように感じられて、これでいいんだろうかと感じます。
ぼくはファンドマネージャーをやるかたわら、明治大学で学生を教えています。授業の内容は起業家がいかにして資金調達するかをテーマにした「ベンチャーファイナンス」なんですが、学生を見ていると「労働は悪」である認識が霧のように立ちこめているのを感じます。
授業では、様々な起業家をゲストスピーカーとして招いています。レポートを書かせてみると、なぜ労働を「悪」と考えるのか。その論理が見えてきました。ある学生はこう書いています。
「授業で出会った人を見ていると、みんな楽しそうに働いていた。自分のなかで『働く』というイメージは、あまり楽しくはないが、お金のためにしかたなく行うことだと思っていたが、この授業で話してくれた人は、誰一人としてお金のためだけに働いてはいなかった。
彼らはみんな、大きな夢や社会を少しでもより良くするために働いているように思った。彼らはみんな輝いているように見えて、自分のなかでの働くイメージが、これまでのつらくてきついことから自分の夢を叶えるための素晴らしいものに変わった。」
こう書いた彼は、利益を上げることは、周囲から「搾取する」ことであると考えていたようなんです。
企業は、従業員、仕入れ先、そしてお客さまから搾取をし、利益を上げていると。本当ならトントンでもいいはずなのに、それ以上に利益を上げているんだと。
そうでないと、企業も回っていかないのはなんとなくわかる。自分もお金をもらわなくちゃいけないから、結局は企業に就職せざるを得ない。つまり、これら搾取プログラムに加担するのを覚悟のうえで、就職するというんですね。
給料は「がまん料」。納得のいかないことがあっても、ともかく我慢。上司から降ってくるタスクもしょうがなくこなした末に、給料が降ってくる。こういう認識だったんです。
「とにかく仕事をしたくない」人が50%
また、ある進学塾でアルバイトをしている人の話なんですが、彼は、
「正社員の先生たちがかわいそうだ」
と言うんです。先生たちは新規の生徒獲得のためにビラ配りをしている。さらに、通っている生徒のフォローをするために親御さんに電話もかけている——。
「授業とは関係ない仕事を先生らに強いる会社に、憤りを禁じ得ない!」
こう言うんですね。
一見もっともらしく聞こえる。けれども、塾経営の観点からみれば、ビラ配りも電話も必要なことなんですよ。生徒が来てくれなきゃ、経営はやっていけないんだから。
ぼくらの業界でも、問題を感じることはあります。
当社の投資信託を、銀行や証券会社で販売して頂いています。彼らとコミュニケーションをとっていると、4つのタイプがいることが見えます。
タイプ1は、「お客さまをきちんと見ていて、どう仕事を進めたら、お客さまの資産を増やせるか」を考えている人。本当の意味で商売をやっていますし、ぼくらとしては一番ウェルカムなタイプ。でも、これは全体の5%にしか過ぎません。
タイプ2は、「最優先がお客さまではなく、まずは自分の会社。どうやったら自分の会社の収益になるか」を考えている人。20%程度いますね。……悪くはないんですよ。なぜかというと、自分の銀行が儲かることと、お客さまが儲かることはイコールですから。タイプ1とまったく別、というわけでもないんです。
一番の多数派がタイプ3。これは、身もフタもない言い方なんですが……「とにかく仕事をしたくない人」。これが50%います。お客さまの利益は考えないし、自分の会社の利益も考えない。ともかく、いまある仕事を増やさないこと「だけ」が行動原理。ぼくらが投資信託に組み入れている企業は他の投資信託が組み入れていない企業が多いんです。つまり、「これから」の潜在能力に駆けている企業を投資信託の商品に組み込んでいますから、業界的には「なじみ」がない企業だったりもします。商品として扱おうとすると、たくさん資料を準備しなきゃならない。上司への説明も必要になる。でも、これだとお客さまと自分の会社の可能性を自ら閉ざしちゃうんです。
タイプ4はさらに困りもので、「自分を接待してくれたら、動きますよ」。こういう思考回路の人です。要は、「自己利益だけが目的」の人で、これが残念なことに15%ぐらい、いるんです。
働くことをめぐって、お金はどう循環しているか?
いまお話した例から見えてくるのは、働くってなんなのか。そのことに対する知識の欠如なんですよ。
これを払しょくするためには、働くことをめぐって、お金がどうやって循環しているかを理解しないとなりません。
何も難しいことじゃないんですよ。
街を歩いていて、なじみのある商品やサービスを見てみればいいんです。例えばスマートフォンなら、まずはどうしたらお客さまの生活が楽しくなるだろう、役に立つだろうと想像して、企画を立て、設計を行う。その後、工場で生産をかけ、お店で販売しますよね。そこで初めてコストが回収され、利益が生まれる。利益は、仕入れ先や従業員や株主に分配されるわけですが、スマートフォンひとつとっても、実に数多くの人や企業が携わっている。
無数の人々の仕事がつながって、その間で、お金が循環しているわけですよね。お金というエネルギーを交換しているんです。「経済構造」と言い換えてもいいでしょうね。
労働ってね、単に「自分という機能」を切り売りしているだけではないんですよ。どんな仕事でも、ダイナミックな社会に接続されている。目を凝らしてみると、全部そうなっているんです。
なんでこれが見えなくなってしまったんでしょうか。
これはやっぱり、戦後の日本が歩んできた道のりに原因があるんじゃないか、とぼくは思います。
急速に経済成長するなかで、日本は企業社会になりました。終身雇用が常識になるなかで、会社は家族にさえなった。その裏で自営業者はどんどんと減っていったわけですよね。
自営業者は、商売をやっていくうえで、会社は守ってくれません。自分の頭で考えて商売をしないとやっていけません。それでね、いま、起業している方を見ていて多く感じるのは、自営業者の子どもたちです。これは、彼らが幼いころから親の商売を見てきたから、自分の頭で考えて行動する癖がついていると思うんですよ。
対してサラリーマンは、ぼーっと働いているだけだと、労務を提供するかわりに自動的に給料が振り込まれる仕組みに絡めとられるから、ビジネスモデルをどう構築し、お金を回収するか——が見えなくなる。公務員的になっちゃうんです。
頭で述べた『闇金ウシジマくん』に出てくるサラリーマンは、経済構造が理解できていないから、自分の時間を切り売りしている感覚から抜け出せなかった。働く意味を見出せないから、お金の価値も見出せなかったんです。
働くことは「まるっと」いいことだ
では、どうやったらこれを取り戻せるのか。
経済構造を理解することに加えて、ぼくが必要だなと感じているのは、働くことを「まるっと」いいことだよねと捉えられるかどうかなんですよ。働いていると、いいこともあるし、悪いこともある。いいのか悪いのか、判断のつかないこともある。いろいろあるけれど、まるっと見て、判断ができるかどうか。
ここは注意して聞いて欲しいんですけどね、この「まるっと」は、不正義や不平等を視界から遠ざけることではありません。
たとえば、自分でも会社の同僚でもいいけど、誰かがなんらかの行動を起こしてミスをしたとする。そのとき、日本人は一気呵成に叩きますよね。まるっと見るには、ちょっとしたミスに絡めとられていては、始まらないんですよ。
これってね、日本特有の潔癖症というか「無謬性」(むびゅうせい:絶対的な正しさを求めること)ともつながってくると思うんです。
無謬性。
一見正しいように読める。けど、ここには「罠」も潜んでいるんですよ。そもそも、絶対的に間違いがなく、リスクもない行動に価値は生まれないからです。みんながわかりきっていることには価値はないわけで、行動原理に無謬性を置いていては、人は前には進めないんですよ。
『インベスターZ』には、象徴的なシーンが出てきますよね。
主人公の財前くんが、道塾学園・投資部に入って、部長からいきなり100億円の運用を任されるでしょう。投資経験ゼロ。そりゃ、戸惑ったでしょう。
でもね、やってみなきゃ何もわからないんですよ。やってみて初めて、何ができて、できなかったのか――学びのチャンスが生まれるわけです。無謬性の罠に囚われて、「経験豊富な人じゃなければ、任せちゃいけない」というんだったら、財前くんの才能は開花しなかったでしょうね。
しかし、ですよ。
ぼくはいま、楽観的になってきていて、政府や省庁が、これらの問題構造に気がつき始めたんですよ。去年8月、経済産業省からあるレポートが発表されました。
一橋大学大学院商学研究科の伊藤邦雄教授らのグループがまとめた「伊藤レポート」と呼ばれるものです。
読んで、ぼくは衝撃を受けました。日本が無謬性の罠から抜け出そうとしているんです。
「持続的成長への競争力とインセンティブ〜企業と投資家の望ましい関係構築〜」
こう題されたレポートなんですが、あまりに「まっとう」なことが書いてある。残念ながら、これまで政府および行政機関から出てきたレポートでまっとうに思えるものは何もなかった。メディアもふくめて、トンチンカンなことばかり書いてきた。
たいへんに長大なレポートですから、ざっくり要約すると、日本経済がダメになったのは、「大企業」および「機関投資家」(企業体として投資活動を行う。藤野さんの投資ファンドもこれにあたる)が「アホだったから」と書いてあるんですよ。
挑戦心を忘れた大企業は守旧派になりさがり、同じように機関投資家もサラリーマン化してしまって、大企業へのチェックを怠ってきたというんですね。お客さまから資金を預かって企業の株を買っている以上、機関投資家は経営の中身をチェックする責務があるんですが、それをやってこなかったんです。
だから、ダメになった。
日本の大企業は何がダメなのか?
いかに大企業がダメだったかは、株価にも現れています。
アベノミクスは、2012年11月に始まりますが、それまでの10年で、株価を下げている大企業はけっこう多いんですよ。これも自分の本で書いたことではありますが、わかりやすい例なので、改めてお話しますね。
有名な株価指数に「TOPIX CORE30」があります。
東証一部上場企業のなかから、時価総額や株式の流動性が高い30社で構成される株価指数です。要するに、日本経済の中核をなす大企業ばかりですが、2000年12月から2012年12月を見てみると、24%も株価が下がっているんです。東証一部全体を表す「TOPIX」で見ると、10年でたった2%しか上がっていない。
なるほど、これだけ見ていると、日本経済は相当ダメであるように思える。
しかし。データを正確に見ると、異なる実像が見えてくるんですよ。
同じ10年で、東証一部の2602社中1705社は、むしろ株価を上げている。全体の7割が、株価を平均で2.1倍にしていた。
TOPIXの株価が10年で2%しか上がらなかったのは、時価総額の大きい会社が株価を大きく下げたからなんです。つまり、ダメな大企業のせいで、全体がダメになったように見える。
伊藤レポートは、これをなんとかしようという提言で、国はこれをベースに動き出したんです。
大きなポイントは、まずはぼくらのような機関投資家に対してですよね。かいつまんで説明すると、
「あなたたちは、責任ある株主として、企業側ときちんとコミュニケーションをとる意志があるのかどうか。株主議決権を行使するのかもふくめて経営にチェックを入れるのかどうか、はっきりさせなさい」
ということです。
ぼくらの監督官庁は金融庁なんで、彼らに対し自分たちのやり方を「宣言」するんです。専門的には「スチュワードシップコード」と呼びますが、世の大手運用会社も、みんなこれをやりました。
対して企業は、情報開示、株主との向き合い方などの「コポレートガナバンスコード」を明らかにしないといけなくなった。
むろん、企業はその中身を公表する/しないの自由はあります。ただ、非公表にした場合、なぜ非公表なのかを説明しなきゃなりませんし、公表しなかったときの社会的評価もあるんです。投資を呼びこめないかもしれない。
機関投資家の立場に戻ってみると、企業と向きあったときにどこを評価するかというと、やっぱり、経営者がどれだけ頑張って利益を上げたか、なんですね。専門的には、収益性をはかる指標で「ROE」(自己資本利益率)といいます。投資家から見ると、これは「投下した資本に対して、企業がどれだけ利益を上げられるのか」を意味しています。
チャレンジするよりも保身に走る経営者
日本の大企業の場合、ROEを上げることをサボる傾向がある。
なぜサボるのか。答えは簡単です。
日本の場合、社長になった時点で「成功」という慣習がありますよね。ゲームにたとえるなら、最終ステージのクリア。こうなると、会社経営を頑張る必要がありません。無難な方向にどんどんスライドしていこうとする。
国に睨まれたくないから、官僚の天下り先を自社につくったりする。すると、政官財の癒着みたいなことが起きる。これで何が起きるかというと、経営から緊張感や競争意識がなくなる。ぬるくなるんです。
大きな企業のところには、これまでだって様々なアイデアが寄せられてきた。しかし、それを却下に次ぐ却下で、退けてきたのがこれまでです。
他社や機関投資家に迫られて、新たな事業に投資をするぐらいだったら、現金を内部留保に回せばいいじゃないの。なんか、そっちの方が安全そうだし。そういう思考回路だったんです。
いっとき流行った言葉で、「選択と集中」という言葉がありますよね。限られた経営資源を、強みのある部門に振り分けて、ダメな部門をカットする。こういう意味です。
伊藤レポートでは、これの問題点も指摘していて、選択と集中をやる時には、セットで新たな事業を加えないと、日本国全体では先細りになるだけというんですね。
新たな資金を投入し、事業を始めれば、なかには倒れる会社も出てくる。ただ、その一方では伸びる会社も出てくるんです。つまり、全体としてはパイが増えて、雇用が増えるんです。
これは経営者にとっては勇気の要る考え方で、2年なのか4年なのか、自分が経営者でいる間に、新事業がうまくいくかいかないのかは、わからない。自己利益だけを考えると、むしろやらない方がいい。ただ、この点を伊藤レポートは指摘して、選択と集中では全体で息苦しくなるからなんとかしなさい、と述べていて、機関投資家にそれをうながす役割を与えようとしている。
いま、国は、株主にパワーを与えました。
それでね、いま、株主と企業の間で、大きな潮流の変化が起きているんですよ。幾つか事例を出します。
山梨のロボットメーカーで「ファナック」という会社があります。
工業用ロボットで世界的なシェアを持っている大企業ですが、ここがまた、株主との対話を行わない体質で有名でした。
そのファナックに、株を買った機関投資家が、
「株主還元しなさい、対話をしなさい」
と要求をしました。これまでならつっぱねていたかもしれないところを、なんと今年、彼らが応じたんです。驚きましたし、ぼくらの業界でも大ニュースになりました。
あの任天堂でも同じ動きが起きています。みなさんご存じの通り、スマートフォン市場への転換に乗り遅れた任天堂の経営は、近年大苦戦です。
そんな任天堂が、DeNaとの業務提携を発表しました。これも機関投資家からの要求があったから。任天堂は大量の現金を持っているにもかかわらず、近年の経営に活かせていない。「なんとかしなさい」と言われて、応じたわけなんです。
大塚家具のお家騒動がありましたよね。
これも同じ流れでとらえることができます。会長の父と、社長の娘。血みどろのたたかいに見えて、実はこれ、投資の世界では「プロキシーファイト」(委任状争奪戦)といって、経営権を巡る民主的なたたかいなんですよ。
両者がよりよいと主張する経営のビジョンを掲げて、株主の支持を仰ぐ。これも「対株主」という目線で見ると、いいレッスンになったんじゃないかと思います。これからは、こういうことがどんどん起きていくでしょうし、株主もこのプロセスに参加できる機会が増えるんですよ。勉強になりますね。
いまいちばんリスクがある職業は「公務員」
大企業がたたかう場が本気になっていく。いよいよ本気にならざるを得なくなった。
この背景にあるのは、ぼくらが暮らしている国が置かれているシリアスな財政状況があります。
いま、日本国の負債は1000兆円あります。
毎年の税収はだいたい40兆円〜50兆円弱。さらに国債(国の信用を担保に発行する債券。市場から資金を集めている)を同じ額だけ発行し、毎年100兆円近い予算を組んでいます。
このペースだと、毎年50兆円前後の借金が積み上がるうえに国債の金利も加わりますから、借金はどんどん増えます。1100兆円、1200兆円となっていくと、いよいよもって、公務員の給料が払えなくなる可能性が高まる。
公務員の給料が払えなくなる――それは国家財政の破たんを意味します。
すでにこれは、絵空事では済まないリアリティを持っている。なぜなら、ギリシャでは起きたばかりですし、1998年にはロシアでも起きました。2013年にはアメリカでも予算が成立せず、公共機関がストップしました。
今後、同じことが日本で起きたとしても、もはやおかしくはないんです。
そうなるとですよ、いま一番リスクのある職業は公務員になるかもしれないんですよ。大学生が将来就きたい職業で公務員は依然トップではありますが、実は安泰でもなんでもありません。
高級官僚は、このことをもうわかっている。伊藤レポートが出てきた背景もここにあります。
世代間闘争みたいな話で、金融庁でも財務省でも、これまでメインストリームだったのは50代後半以降。定年まであと何年もないから、国の財政がどうなろうと——極論、彼らにはあんまり関係ないんです。「逃げ切れる」世代ですからね。だから、これまでやってきた施策もぬるかった。
一方、いま現在大企業に対して激しい攻撃を加えているのは、35歳から50歳ぐらいの「逃げ切れない」世代。彼らは、現役でいる間に仕事がなくなるかもしれないから、相当な危機感を持っています。
彼らはどうやって1000兆円もの借金を減らそうとしているのか。
方法は2つあります。
1つは「増税」。
2つめが「インフレにし、GDPに対する負債の比率を減らす」。
1の増税に関しては、すでに消費税が上がりましたし、これからまた上がります。しかしですよ、これ以上はもう大変だと。政権は倒れるかもしれない。
そこで2つめです。日本銀行にお金をどんどん刷らせて、市場に出回るお金(円)の価値を下げる。これが金融政策としてのインフレです。これを起こすことによって、1000兆円の借金を「薄めた」んです。日銀の黒田東彦総裁がやったことから「黒田バズーカ」と呼ばれる施策で、円の価値は実質「3割」は下がったと言われています。これによって、円安も起きました。いま、外国人観光客がたくさん来るようになったのは、これが一番の理由です。
「円の価値が下がる」ってどういうこと?
円の価値が下がった。これがぼくらの暮らしにどう関係があるかというと、「現金をたくさん持っている人が損をする」ということなんです。国の借金が薄まったのと同時に、当然、ぼくらの持っているお金も薄まったわけです。
よく、アベノミクスは、「金持ち優遇政策」だと批判をされますが、これは正しくありません。打撃を受けるのは、2000万円、3000万円の現金を貯めこんでいる人です。年収300万円で貯金がいくらもない人の打撃は、相対的に少ないけれども、たくさん持っている人の打撃は相対的に見て大きくなるんです。貯金100万円の人は30万円の損失ですが、貯金3000万円の人は900万円もの損失になりますからね。
インフレ政策は、膨大に貯蓄している個人・企業の内部留保にも向けられているんですよ。日本の個人資産は890兆円あると言われています。このうちかなりの額が現金であるにもかかわらず、これがまったく動かない。極端な話、これが木の葉になりますよといって、100万円までは非課税のNISA(少額投資非課税制度)で、放出をうながしているのがいまです。
もう一方で、企業も莫大な内部留保を抱えている。ざっと300兆円。本来ならこれは、従業員や株主に還元するか、設備投資に回すべきお金ですが、結局は抱え続けている。これも使わせたい。けれども、民間企業のお金に国が介入するのは困難です。なぜなら、日本は独裁国家ではありませんからね、権力で襟首つかんでどうにかするなんて、できないんです。
では、どうするか。
ここで、「伊藤レポート」や「スチュワードシップコード」「コーポレートガバナンスコード」が出てくるんです。この3つを「新3本の矢」として、企業に当てているのが現状なんですよ。
その目的は株価を上げること。財政という名の日本の金庫は、ストックが残り少なくなってきているから、株式市場を通じて海外から資金を呼びこんで経済を活性化させないといけない。批判の的にもなっていますが、法人税の減税も企業の株価を上げるため。株価が上がれば、現金の価値は下がって財政赤字が薄まるという論理です。
別にこれは、安倍(晋三)総理だけが旗を振っているのではなくて、脇を固める一握りの誰かだけが遂行しているわけでもない。政治家と官僚の間で、日本はいい加減にやばいぞ、という大きな危機感があって、市場からのプレッシャーも強くなってきた。その結果なんですよ。
かなり過激なことをやっていると思う。音楽で言うならハードロック。いや、ヘヴィメタルかもしれません。もちろん、この政策にはリスクがありますよ。
成功するかもしれないけど、失敗するかもしれない。でも、ぼくは現状これしかないと見ています。官僚が危機感をもってやっているように、それほど多くの時間は残されていないからです。
日本が本当にヤバくなるのは2025年?
実は、日本の内需(国内需要で回る経済)が厳しくなるのは、オリンピックが終わる2020年ではなく、2025年なんです。2015年からの2025年までの10年間は、現金を蓄積した団塊世代がお金を放出していく時期で、経済的には活気のある状況ですよ。株価の上昇、円安に伴う外国人観光客の増加に加えて、日本経済を上向かせている一因ですね。
しかし、2025年以降は、団塊世代が75歳以上の後期高齢者に突入します。消費の一大集団だった世代が、一転し、大きな社会保障費となって財政にのしかかっくるわけです。内需はここから本格的な縮小を始めます。
こう考えると、あと10年。
「消費/貯蓄主導」から、「投資主導」の社会に転換していけるのかどうか。インベスターZの財前くんのような人が出てこられる環境を、ぼくらがつくれるのか。問われているんです。
仮にこれで失敗すると、薄まった現金を抱きながら、衰退していくだけかもしれない。こんなシナリオも現実味を増してくるわけです。
だから、ぼくはこの政策しかないと思っているんです。
お尻に火がついて、日本の「政」「官」が、ようやく目覚めた。
「政官財のトライアングル」などと言われてきましたが、実はこの構造は壊れつつある。癒着なんてしていたら、みんなそろって沈没するだけですから、「政」「官」がそろって「財」を攻撃し、財は変革を迫られている。
そして、この構造は外国人投資家も理解しています。だから、海外からマネーが日本に集まって株価が上がる。
これまでにない景色が広がる一方、旧態依然とした見方もまだ残っています。
株価が上がっている意味も知らず、メディアでは日経平均が2万円だとか、現状、そんな見方しかなされていない。だから、個人で株を保有している人は、これで一定の成果があったとバンバン売っちゃっているんです。どの証券会社でも現預金が積み上がっている。3割も下がっているのに、みんな現金好きの呪縛からか逃れられていない。
もちろん、持っている現金を全部株式に移行するのがいいわけでもない。
バランスの問題で、持っている現金のうち、2割か3割は換えてもいいという話です。価値が下がっているのに、全部現金で持っておこうなんていうのは、ぼくには無責任過ぎるように思えます。
いまの世の中、年収200万円や300万円台の世帯も多い。家計としては苦しいかもしれない。それでも、共働きなら、400万円、500万円台にはなる世帯はあるでしょう。年間5%〜10%を投資に回すことは可能だと思うんです。これって、資産防衛に限らず、日本人が社会にコミットするチケットになるんじゃないかと思うんです。
「投資」で社会も歴史も変えられる
木の葉のように価値が目減りする現金を、抱えるだけ抱え込むのはどういうことなんでしょうか。もっと、自分のお金を社会にコミットさせる考え方もあるんじゃないかと思います。
コミットさせるとはどういうことか。株式とは、みんなが働いている価値を体現したものですから、そのプロセスにもっと参加しようよ、と言いたいのです。
いまこれだけ現金が積みあがっているのは、自分のことしか考えてないともいえる。みんなまだまだ、投資を「虚ろ」なものとしてしか見ていないんじゃないでしょうか。だから、お金に対してマイナスのイメージが強い。みんなどこかで後ろめたいからです。
お金の使いかたをもっとアクティブにすれば、見えてくるものが変わります。
たとえば、企業の株を買うとします。
よほど鈍感な人でない限り、その企業がどういうプロセスを経て、利益を生み出し、社会にどのような価値を還元していくのか。そこを見るようになるんです。これがなかったら、数字の乱高下だけを見る「投機」と変わらないんですよ。
でもね、日本人のなかには、知的で情熱的に、お金と付きあってきた人もいるんですよ。
歴史的にいえば、日本人は過去にダイナミックな投資をやってきた経緯を持っているんです。大作家の司馬遼太郎さんは、基本、軍人や政治家のことばかり書いてきたけれども、もっと商人のことを書いてくれていたら、先人の知恵はもうちょっと引き継がれたんじゃないかと思うんですよ。
明治維新一つとってみても、商人の影響力は確実にあったわけです。討幕側に投資したのは誰かという話ですよ。
あの時、仮に幕府側に巨額の資金が流れこんでいたら、歴史は変わっていたかもしれません。それでも商人たちは、討幕側を選んだ。薩長や勤王の志士たちが、料亭や宿で議論にふけっている。襖1枚をへだてた隣室なのか、どこかに商人たちが控えていたかもしれない。ぼくも同じ商人ですから、容易にこういう想像ができます。彼らはこう考えていたでしょう。
どこの、誰に、いくらを投資すべきなのか。そして資金はどうやって調達すべきか。
日本の大変革期。商人の側にも熱の入った議論があったに違いありません。少し前のNHKの大河ドラマ『龍馬伝』では、商人・岩崎弥太郎(三菱財閥の創始者)の活躍が描かれてはいたけれど、膨大に描かれてきた歴史もののなかで、これは稀なケースですよね。
「日本のウォーレン・バフェット」本多静六
すごい人は他にもいるんです。
本田静六(1866年〜1952年)という人がいます。日比谷公園(東京)や大濠公園(福岡県)を始め、名だたる公園を設計した人で林学博士。「公園の父」とも呼ばれていて、ビジネスマンとしても超一流。実はこの人が、日本のウォーレン・バフェット(アメリカの投資家)だったという評価があるんですよ。
東京帝国大学(現在の東京大学)の教授だったというから、安月給だったと思いますよ。それでも本田静六は、質素倹約に勤め、収入の1/4を長期投資に回し続けました。東大を退官するときには、莫大な資産を築いていたという話ですが、彼が素晴らしいのは、巨額資産のほぼ全てを教育・公共機関に寄付をした点です。
寄付を受けた先は、匿名ですごい額が振り込まれてきて、大騒ぎになったそうです。
いや、本当の「インベスター」(投資家)ってこういう人のことを言うんだなって思います。財産を、格差是正や社会福祉のために使った。
本田静六は、自分の資産を未来に託したんです。
ぼくはね、未来は選べると思っています。より正確に言うなら、未来は選ばなきゃならない。
これまで滔々と述べた話で、暗い将来シナリオもありました。しかしですよ、これから大人になり、社会を歩いていく人たちには、そのとき立ちはだかっている課題を解決する責任があるんですよ。むろん、ぼくもそうで、簡単に「日本はダメだ」なんて言えないんですよ。解決するために知恵を振り絞らなければならない。
そのときに大事なのは、心構えです。
ぼくはいま、日本には2つのグループがいるような気がしていて、それはこうです。
自分の価値観を「希望最大化」に持っていくのか、「失望最小化」に持っていくのか。
まず、過半数を占めているのは失望最小化の戦略。将来には、必ず失望が待っている。つまり、失望が「デフォルト」(初期設定)だから、行動原理もリスクを最小化する方向でなりたっている。
いまの会社は好きではないけど、転職するともっとダメなところにいくかもしれないから、しょうがないからいまのところで我慢しよう。友だちも増やすと打撃があるかもしれないから、増やしません。フェイスブックもツイッターも、同じ理由でやりません。投資も失敗のリスクがあるから、やらない。インフレが起きて、お金が減ってしまっても、減った分よりも貯めておけば何とかなるかもしれないから貯めておこう。こういう考え方です。
対して、戦略としての希望最大化は、挑戦してどれだけ希望を最大化するかにあります。でも、これが、いまの若者言葉で言うと、「イタイ人」「意識高い系」になってしまうんですね。
失望最大化戦略をとる人は、嫉妬にとりつかれているから、自分の水準まで他人を引きずりおろそうとする。いまの世の中には、嫉妬という負のエネルギーが蔓延していて、社会の不活性化につながっているところがあります。これに絡めとられずに、生きていけるかが大事になってきます。
いまの高校生って、挑戦することが嫌いで、同調圧力に負けているなんて、言い方をされています。
これ、彼らが元からそうだったわけではなくて、親世代、社会のムードを受け継いできただけなんです。日本の場合、デフレが20年も続いたから、親世代がそうなったのは仕方がない面もある。投資ではなく、現金をたくさん持っておくことが正しかったんですから。
でも、それは覆せる。
まず、若さがあれば、その分、変化も可能でしょうし、これからの社会は経済や社会構造、政治もさらに大きな変化に見舞われていくわけです。そうなると、「何もしないこと=リスク」になっていくわけですよ。そのままで生きていくことが難しくなるんです。
そのとき、単にお金を貯めこんでいるのではなくて、たとえば投資という手段がありますよね。これは、自分が望ましいと思った価値を生み出している企業に一票を投じることでもあります。
人生も投資も、挑戦しなければ変わらない
実は投資って、差別がない世界なんですよ。学歴や容姿、性別や出身、年齢、縁故の優劣などは一切関係ない。
上場している株だったら、「許可なく」誰でも買える。なおかつリターンは平等。
こんな世界って、よく考えたら他にはないんですよ。極めて民主的な世界ともいえるし、実はとても反政府的な世界でもあるんですよ。その根拠はこれまでお話した通りで、これは政治や行政と一蓮托生ではないんです。なにも、のべつまくなしに対立しているわけではないし、ぼくは政治家や官僚とコミュニケーションをフツーにとります。ただ、立ち位置としては別のところにいて、協力できるときは一緒にやる。そういう独立性を持てるんですよね。それは個人株主だって同じです。投資って、独立して生きていくための術、なんですよ。
いまの若い子たちを見ていて、希望を感じることが増えてきました。
東証で小中高生を対象にした起業セミナーをすることがあるんですが、すごい子がごろごろしているんですよね。高校1年の男の子で、ITの会社を2つ経営している子に会いました。グーグルやヤフー、楽天に商品を納品し、年間億単位の売り上げを出していると言います。その子の話を聞いて、たまげましたよ。
「まあ、ぼくはエンジニア上がりの経営者ですから」
まだ高校1年生なのに、経験を積んだ一人前の経営者のようです。
そういう子には、周りの目も早くて、このあいだLINEの社長を退いた森川亮さんが、会社の顧問に就任していました。目立たないけど、高校や大学の一角では地殻変動も起きているんですよ。
チャレンジや挑戦。
こう聞くと、身構える人もいるかもしれない。でもね、挑戦して失敗したとしても、そもそも命までとられるわけじゃないし、失敗したときは誰かが助けてくれることもあるでしょう。
実際、起業してみるとね、そりゃ、ひどい目にも遭います。ぼくらの会社だって、悪戦苦闘の連続でした。一度、破たんしかけていますし、給料がほとんどなくなっちゃったとか、そんなこともあった。新しい資本が入ってきて、会社の中身も変わって、そんななかで、守るべきものと変わらなきゃいけないものがあって、そのバランスをどうするかとかね。人間関係で衝突することだってありましたよ。
機関投資家として、他の企業も見てきましたが、どこも同じなんです。やっぱり悪戦苦闘。苦しいときもあれば、いいときも同じだけある。短期的に株価が変動するのと同じで、中長期でならしてみると実は等分。何かに似ていると思いませんか?
人生そのものですよ。
http://diamond.jp/articles/-/72805
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