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孫正義氏に後継指名されたアローラ氏 米グーグルCBO蹴ってソフトバンクに人生賭けたその理由は?
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20150605-00000507-biz_san-nb
SankeiBiz 2015/6/6 11:15
ソフトバンクの孫正義社長が5月11日の決算会見の席上、米グーグルの最高事業責任者(CBO)から、ソフトバンクのバイスチェアマンに迎え入れたニケシュ・アローラ氏を、自身の後継者候補だと“電撃指名”し、驚きを持って受け止められた。孫社長が公の場で自ら後継者候補を口にするのは1981年の日本ソフトバンク(現ソフトバンク)設立以来、初めてのことだからだ。情報通信業界で輝かしい経歴を歩み、ソフトバンクの次期トップ候補に躍り出たアローラ氏は、出身地であるインドの財閥令嬢でモデル並みの美人と昨年結婚したばかり。カネも美女も手に入れたアローラ氏が孫社長の誘いを受け入れてソフトバンクに転身したのはなぜか。
■元グーグルのナンバー2
ソフトバンクで後継者問題は長年タブー視されてきた。証券アナリストや投資家などは「後継者問題がソフトバンク最大の経営問題」と懸念し、孫社長も2010年には後継者候補を見いだすべく「ソフトバンクアカデミー」を開校したが「この中から後継者が出ることはないだろう」(同社幹部)といわれていた。
アローラ氏がソフトバンクのバイスチェアマンに就任したのは2014年9月。アローラ氏が10年在籍したグーグルは、インターネット検索サービスで世界シェア6割以上を占めるほかウエアラブル、スマートフォンからネット自動車まで事業領域を拡大し、世界で最も注目される企業の1つ。入社後わずか5年でグーグルのナンバー2といえるCBO兼上級副社長に上り詰めたアローラ氏がソフトバンクに転身したことは米国でも話題になった。
当時、ソフトバンクは米携帯電話3位のスプリント・ネクステル(現スプリント)を買収後、4位のTモバイルUS買収に向けて米当局へのロビー活動を活発化。グーグル入社前にはTモバイルヨーロッパで最高経営責任者(CEO)だったアローラ氏のスカウトは、TモバイルUS買収への布石とみられていた。孫社長が、アローラ氏はTモバイルグループ出身だということを強く意識していたことは想像に難くない。それどころか、「TモバイルUS買収のためというより、買収後の布石として考えていた節がある」とソフトバンクグループ幹部はみていた。いずれにせよ、ソフトバンクによるTモバイルUS買収は米当局の強硬な反対によって頓挫。しかし、転んでもただでは起きないのが孫社長。付き合っているうちに「私より10歳若くて能力も人格も優れている」とアローラ氏を高く評価。空席だった後継者として事実上の指名を行った。
■通信業界のアナリストとして活躍
アローラ氏とは一体どんな人物なのか。
故郷はインド北部でネパールと国境を接するウッタル・プラデーシュ州。1968年2月に父親がインド空軍の家庭で生まれ、ヒンドゥー教の聖地で知られるバナラシのバナラシ・ヒンドゥー大学で電気工学を学んだ後、渡米して奨学金を受けてボストン大学で理学修士号、ノースイースタン州立大学で経営学修士(MBA)を取得し、さらに公認証券アナリスト資格も取得して、卒業後は通信業界アナリストとして活躍した。
1999年にはドイツテレコムに入社し、子会社のTモバイル・ヨーロッパで取締役、CEOを歴任。2004年にグーグルに転職した。グーグル時代のアローラ氏の年収は総額で5000万ドル(60億円)以上だったと報道されている。グーグル共同創設者でCEOのラリー・ペイジ氏は「グーグル社員はもとより、私にとっても類いまれなるリーダーだ」と高く評価しており、グーグルでは最高額の報酬を得ていたといわれる。
孫社長がアローラ氏に初めて会ったのは、グーグルのCBOに就任後の2010年だったようだ。ヤフー(以下、ヤフージャパン)が検索エンジンにグーグル製を導入する際に、孫ヤフージャパン会長と交渉したのがアローラ氏だった。本家の米ヤフーがマイクロソフトの検索エンジン採用を決めたのと反対に、ヤフージャパンは米ヤフーとライバル関係にあったグーグル製の採用に踏み切り、孫会長自らグーグルに乗り込んだ。当時、アローラ氏は「そんなことができるのか」と孫に問いただしたといわれるが、お手並み拝見のつもりが、即座に採用を決めた孫の手腕に驚いたらしい。孫会長は後に「交渉相手としては手ごわいし、相当な人物だ」と語っており、その後も何度か会ううちに、アローラ氏への評価は高まる一方だった。
■アローラ氏の固辞は想定内?
孫社長はスプリント買収後、米国に事業拠点を設置し、アローラ氏とも頻繁に会うようになった。当初からアローラ氏を後継者候補と考えていたかは不明だが、孫社長がアローラ氏をソフトバンクに引き抜こうと考えたのもその頃らしい。アローラ氏は当然ながら、当初は孫社長のラブコールを断っていた。
しかし、孫氏の電話攻勢は業界では有名である。イー・アクセスの千本倖生社長がKDDIへの売却を検討していた当時、孫社長は千本社長に「うちとやりましょう。リストラはしません」と電話攻勢に打って出て、デューデリジェンス(資産・リスク査定)もそこそこに即断即決で買収にこぎ着けた。
インターネット商用サービスの先駆け企業が経営難に陥った際にも、社長に「一緒にやりましょう」と1日何十回も電話して、その社長を「ストーカーみたいだった」と辟易(へきえき)させた。ヤフージャパンの井上雅博前社長は会長の孫氏からの電話攻勢に嫌気がさして携帯電話をバッグに入れたままだった。ヤフージャパンの社長交代会見で孫会長が「だからいつも井上さんは電話にでなかったのか」とあきれたのも笑い話だ。
そんな孫社長にとって、アローラ氏が固持したのは想定内のことだったかもしれない。電話口で熱い夢を聞いたり、さまざまな相談を受けたりするうちに、IT業界で確固たる地位を築いていたアローラ氏も次第にほだされたことは容易に想像できる。とはいえ、名だたる企業で経営トップを経験し、十分過ぎる報酬を得ていて、冷静かつ頭脳明晰なアローラ氏が孫社長の熱弁に単純に心を動かされたとは思えない。孫社長は権限や報酬で相当の条件を提示したと思われるが、詳細は残念ながらいまのところ不明だ。
■孫社長の説得工作が実る!?
一説によると、孫社長がアローラ氏に提示した年俸は約5億円。伝えられるグーグル時代の年俸の10分の1にも満たないが、「かなりのオプションが用意されているのが普通」(証券アナリスト)とみられている。
2014年9月にソフトバンクのバイスチェアマンに就任したアローラ氏は同時に、米国に設立した「ソフトバンク・インターネット・アンド・メディア(SIMI)」のCEOにも就任。アローラ氏はSIMIで瞬く間にその手腕を発揮。わずか3カ月の間に、8件の買収や資本参加を決めた。相手企業は米国やインド、中国、東南アジアと広域にわたり、投資総額は2400億円に上った。ソフトバンク幹部も「入社試験としては出来過ぎ。無駄のない動きとリスクを洗い出す頭の良さは尋常じゃない」と舌を巻く。
6月19日にソフトバンク副社長に就任し、名実ともにソフトバンクのナンバー2になるが、その前日の18日には孫社長と出会うきっかけになったヤフージャパンの会長職を孫氏から引き継ぐ。
■奥さんは財閥の「超絶美人令嬢」
アローラ氏は2014年7月、ソフトバンクに転職する直前に再婚した。相手はアエシャ・タパールさん(37)でアローラ氏より10歳年下。インドの中堅財閥「タパールグループ」の令嬢で、インターネットにアップされている写真を見る限り超絶美人だ。女性実業家としてインドの社交界では有名らしい。2人の結婚式には、グーグル幹部やザッカーバーグフェイスブックCEO、ブラッド・ピット夫妻、そして孫社長などそうそうたるメンバーが招待された。
孫社長は「ソフトバンクが成長の次の段階に踏み出すに当たって、その方向を定めるのをアドバイスしてくれる人物としてニケシュ・アローラ以外は考えられなかった」と絶大な信頼を寄せる。その証として、株式上場以来初めて「英語表記のプレジデントをニケシュに与える」と表明。CEOは当面、孫社長が維持するが、CEO禅譲も意外と早いかもしれない。
ただ、そのためには「第2のアリババを探さなければならない」と多くの市場関係者がみている。孫社長が投資したアリババが米市場に上場したことで得た含み益は約5兆円。アローラ氏の使命は、孫社長が今後の重点事業として掲げたインターネット市場でアリババクラスのカネのなる木を探し出すことだ。結果が出なければ「最有力」とはいえ後継者に届かないこともありえる。
ある中堅社員は冷ややかにみる。
「後継者の最有力候補といってもそのまま社長になるかどうかはまだ分からない。孫さんが世界のソフトバンクになるとはいっても、大多数の社員を含めて意外に日本的な会社だけに、アローラ氏が本当にこの会社を引き継げるのかは疑問。孫さんのことだからもう一波乱あるでしょう」
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