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WHILLモノづくりに執念を燃やす人々が掲げた理想のプロダクト。高齢化社会に向けて、駅や遊園地など、公共機関での活躍が見込まれている(撮影/写真部・松永卓也)
95万円の車いすに予約殺到 背景にエンジニアの決意〈AERA〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150605-00000010-sasahi-ind
AERA 2015年6月1日号より抜粋
人との出会いは時に化学反応を起こす。エンジニアの志が育んだ人脈が、ものづくりへとつながったケースを紹介する。
車いすの概念を覆す、まったく新しい車いすを開発したい──。そう考えるようになったきっかけは、ある足の不自由な20代の若者との出会いだった。
WHILLのCEO杉江理(33)が、健常者であればさして気にもとめない数センチの段差を、既存の電動車いすが克服できない事実を知ったのは5年前。杉江は日産自動車のデザイナー出身。当時杉江は、中国・南京で日本語学校の教師として働いた後、途上国でのボランティアを体験。自身の次なる活躍のステージを探していた。そんな矢先、車いすユーザーにとって「第2の足」であるはずの車いすは、当事者にとってポジティブにとらえにくいものであるという現実を知る。
「社会に存在する段差や傾斜といった物理的な要因とはまた別に、車いすに乗ることは、周囲から『病人みたいでカッコ悪い』と思われてしまうのではないかという恐怖心がある。そんな当事者たちのイメージを払拭するような、スタイリッシュで、機能的な、これまでにない車いすを開発しようと決心したのです」
この時、技術者魂に火がついた。この思いを実現するために杉江が頼った人脈こそ、創業メンバーである福岡宗明(32)と内藤淳平(31)だった。
福岡と内藤は名古屋大学大学院工学研究科の同期生。内藤はソニーで車載カメラの開発に従事し、福岡はオリンパスで医療機器の研究開発に携わる、共にエンジニアだった。当時、2人は同窓の仲間とアパートの一室を借り、会社の垣根を越えて同世代のエンジニアが集うサークルを主宰していた。杉江も、そのサークルのメンバーの一人だった。
意気投合した3人は、それぞれの会社に勤める傍ら、プライベートな時間を見つけては開発に没頭するようになる。
転機となったのはその1年後。2011年に開催された東京モーターショーだった。コンセプトは、「健常者にも乗ってみたいと思わせるカッコよくてクールな車いす」。試作品を展示したところ国内外から予想以上の反響があった。
12年5月。3人は勤めていた会社を辞め起業。ハードウェアを開発するベンチャーの成功は困難という業界の常識をよそに、次世代パーソナル・モビリティーの開発・販売を行う現在の会社を設立した。翌年には市場規模が大きい米国に本社機能を移転。杉江は本社のあるシリコンバレーと日本を往復する生活を続けている。
同年、杉江のもとに心強いメンバーが合流する。大手自動車メーカーでエンジニアとして働いていた坂東一夫(67)だ。坂東は、前職の会社の新規事業で工業用ロボットや電動車いすの開発に携わっていた。
坂東はロボット工学で使用されるオムニホイールを採用することで坂道を自由に上り下りできる機能性を実現した。
こうして14年9月、米国で1100万ドルの資金調達にも成功したWHILLは、満を持してその製品第1号となる「WHILL Model A」を発売。1台95万円(当時)。先行予約の50台はたちまち売約済みとなり生産を委託していた台湾のメーカーでは、すぐに増産に追われた。
(文中敬称略)
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