2015年3月期決算発表で挨拶するトヨタ自動車の豊田章男社長。(写真:トヨタ自動車)

 トヨタ自動車が2015年3月期の連結決算で過去最高の営業利益2.7兆円を計上した。それ以外のクルマメーカーも増収増益が続き、日本の自動車産業は絶好調である。

 一方、電機産業では、シャープが2223億円の赤字に転落し経営危機に陥っている。またソニーは1259億円の赤字である上、今後の改革の方向が良く分からない。

 半導体産業では、えげつないリストラをやりまくったルネサスは7年ぶりに黒字化したが、売上高は減少を続け、世界売上高トップ10からは滑り落ちてしまった。ルネサスの唯一の強みだった車載半導体についても、NXP Semiconductors が Freescale Semiconductorを買収したため、世界シェア1位から陥落する見込みである。

 パナソニックと富士通セミコンダクターの合弁により設立されたSOC(System on Chip)専業のファブレス、ソシオネクストは、一体何をつくって行くのかすら分からない。そもそも、日本半導体産業の歴史から言って、SOCで成功した企業はなく、ファブレスで成功した企業もほとんどなく、合弁で成功した企業も1社もない。

『「タレント」の時代 世界で勝ち続ける企業の人材戦略論』(酒井崇男著、講談社新書)

 唯一、NANDフラッシュメモリで世界レベルの競争をしている東芝にも不安がある(いま問題になっている粉飾会計疑惑は別にして)。2013年から2014年にかけて世界の半導体売上高が9.4%成長したにもかかわらず、世界ランキング7位の東芝の成長率は−8.5%で、世界シェアトップ10の中では最低だったのだ(出所:米国の調査会社IHS)。

 半導体は、自動車と同様、日本人が得意な“擦り合わせ型”の産業である。ではなぜ、日本の自動車は世界最強であるにもかかわらず、日本半導体はこのような体たらくなのだろうか。これは、私の中では長い間、解決できなかった問題である。

 その問題の一端が、『「タレント」の時代 世界で勝ち続ける企業の人材戦略論』(講談社新書)という本を読むことにより、解らしきものが見えてきた。著者は人事・組織関係のコンサルティングを行っている酒井崇男氏である。本稿でその概要を示したい。

半導体は組合せ型産業という誤解

 酒井氏の本の内容に言及する前に、半導体産業に関する誤解を解いておきたい。その誤解とは、半導体業界外にいるジャーナリスト、学者、政治家の中で流付している次のような定説である。

・自動車は擦り合わせ型産業、半導体は組み合わせ型産業。
・日本人は、擦り合わせ能力が高い。
・故に、日本の自動車産業は強い。
・一方、半導体は、その製造技術が装置に体化されているため、装置を購入して並べてボタンを押せば、容易に製造できる。
・つまり、半導体は、パソコン製造と同様な組み合わせ型産業であるため、日本人の強みである擦り合わせが生かされない。
・故に、日本半導体産業は弱い。

 著名な社会科学者、ジャーナリスト、政治家などが、その著作の中で、堂々と、このような論説を主張していることがある。半導体の開発や生産現場をよく知っている人達からすれば、到底、信じがたい論説である。

半導体産業が誤解される原因

 半導体業界の外側にいる人々が、半導体製造の中身を正しく理解していない。これは、半導体製造が、外側から見ただけでは、非常に分かりにくいからである。外側から見えるのは、設備投資に莫大な資金が必要であること、その設備は年々高騰していくこと、その高額な設備を並べた量産工場では歩留まりが半導体のコストを左右すること、この程度であろう。

 では、正しい半導体の製造技術はどのようになっているのだろうか? 半導体の製造技術には、3段階の階層がある(図1)。

図1 半導体製造技術には3つの階層がある

(1)まず、半導体製造工程を構成する最小基本単位の要素技術がある。例えば、成膜技術、リソグラフィ技術、エッチング技術、洗浄技術などがある。

(2)次に、これら要素技術を組み合わせて半導体集積回路をシリコンウエハ上に形成するためのインテグレーション技術がある。例えば、DRAMでは、500工程以上からなる工程フローをインテグレーション技術により構築する。

(3)さらに、インテグレーション技術によって構築した工程フローに従ってシリコンウエハ上に目標とする性能および品質の半導体集積回路を作りこみ、大量生産する量産技術がある。量産技術においては、歩留りが重要な意味を持つ。

 半導体業界を外側から眺めた場合、高額な装置を買って並べている要素技術は見える。また、量産工場での歩留まりも見えるかもしれない。しかし、インテグレーション技術は見えない。このインテグレーション技術が見えないことが、“半導体は擦り合わせ型ではなく組み合わせ型産業だ”と誤解してしまう原因である。

 はっきり言えば、自動車産業と同様に、半導体は、高度な“擦り合わせ型”の産業なのである。では、同じように高度な擦り合わせ型の産業なのに、片や自動車は世界最強、片や半導体は見るも無残な状態であるのはなぜなのか?

「売れない商品=品質が悪い」

 酒井氏によれば、「品質とは、買い手のニーズを製品やサービスがどれだけ満たせているか」が重要であり、日本的品質管理とは「買い手の要求に合った品質の品物又はサービスを経済的に作りだすための手段の体系」、もしくは「もっとも経済的な、もっとも役に立つ、しかも買い手が満足して買ってくれる品質の製品を開発し、設計し、サービスすることである」という(石川馨『日本的品質管理』(日科技連出版)。

 そしてこのような定義に基づけば、「売れない商品=品質が悪い」のであり、「売れない商品を大量生産している企業は、社会を貧しくする。売れない商品を作るのは究極のムダである」と言い切っている。

 この品質の考え方は、私にとって斬新である。この考え方に基づけば、日本の電機や半導体産業が凋落した理由が簡単に説明できる。

 かつて日本半導体産業は、メインフレーム用に25年保証の超高品質DRAMを製造し、1980年半ばには世界シェア80%を独占した。これは、酒井氏の品質論に基づけば、「メインフレームメーカーが要求する25年保証という“良い品質”を実現したから、ビジネスに成功した」ということになるだろう。

 ところが、その後コンピュータ業界では、メインフレームからパソコンへパラダイムシフトが起きた。それと同時に、サムスン電子などの韓国メーカーが25年保証などは必要がない(せいぜい3年保証程度の)DRAMを安価に大量生産し、日本を抜いてシェアトップに躍り出た。そのとき日本は相変わらず25年保証の高品質DRAMを製造し続けてしまったため、コストで韓国勢に敗北し、撤退を余儀なくされた。

 私はこの現象を、「過剰技術で過剰品質をつくり続けた日本が、パソコン用DRAMを安価に大量生産した韓国の破壊的イノベーションに駆逐された」と解釈した。

 酒井氏の品質論を用いれば、「パソコン用のDRAMとして、日本製は“悪い品質”だったのに対し、韓国製は“良い品質”だった」と解釈できる。高品質が“良い品質”であるとは限らないのである。

ものづくりの本質は設計情報をつくること

 酒井氏は品質論を基本として、トヨタの生産方式を題材に、ものづくり論を展開する。まず、トヨタの生産方式とは、「売れるモノを、売れるときに、売れる順番につくる」ことである。ここで、「売れるモノ」とは、「設計情報」であり、それ故、トヨタの生産方式を次のように言い換えている。「売れる製品の設計情報が、売れるときに、売れる順番で、工場で製品(実体)に変換される」。

 つまり、お客さんが買っている肝心の価値は、工場で生産する以前の設計情報である。したがって、利益の大半を生み出すのは、設計情報を生み出す情報創造の工程(製品開発)であって、情報転写の工程(生産現場)ではないと結論する。

 例えば、iPhoneの裏面には、「Designed by Apple in California Assembled in China」と刻印されている。これは、アップルの本社が設計情報を作り出し、中国のフォックスコンなどがその設計情報を基にiPhoneを製造する。お客さんはiPhoneというモノを買っているように見えて、実は設計情報を買っているのである。

 図1に示した半導体の製造で言えば、インテグレーション技術で構築された500以上にもなる工程フローが設計情報ということになる。

 酒井氏は、「売れる商品は設計情報の質で決まる」ことを強調し、「設計情報を創造する能力を持った個人をタレント(才能ある人材)」と呼び、「タレントを見出し、組織的に彼らを生かす仕組みをどうつくるかが、現在の企業における最重要事項である」と論じている。

「主査」はすべての中心となる司令塔

 トヨタの主査制度は、1953年に当時トヨタの常務だった豊田英二氏が始めたもので、初代主査は、クラウンを担当した中村健也氏(後のトヨタ自動車技監)である。

 この主査制度のルーツは航空機製造にある。航空工学では、機械、電気、制御、流体、材料加工技術など、各分野の専門技術を駆使して、アナリシス(分析)し、シンセシス(統合)することにより、目標性能を発揮する航空機を開発する。この方法論を、自動車開発に持ち込んだのである。

 例えば、クラウンの主査ならば、クラウンに関する「すべての事項」に責任を持つ。豊田英二氏は、「主査は製品の社長であり、社長は主査の助っ人である」とまで述べている。実際に、1つの車種の売上が1000億〜2兆円になるので、主査は大企業の社長と同等の責任を持っているのである。

 主査は、すべての中心となる司令塔のような存在として、「市場の情報」「顧客・非顧客の情報」「競合の情報」「技術の情報」「原価の情報」などを踏まえて、商品の魅力と性能、価格(原価)、重量などを企画し、製品の構想を練り、コンセプトをつくる(図2)。そして、製品を企画し、開発する。つまり、クラウンの設計情報を創造する。

図2 トヨタ主査制度の製品開発組織
(出所:酒井崇男『「タレント」の時代』、講談社新書、217ページ 図3−1)

 酒井氏は、主査の要件を次のようにまとめている。「目的的に仕事ができる人材であり、優れた知識獲得能力・地頭力・洞察力を持つ。具体的には複数分野の専門知識に精通し、目的達成に必要となる知識の領域を短期間に拡張できる能力を持つと同時に、各分野の専門家集団を動かすための論理的思考能力とコミュニケーション能力を併せ持つ。広くて深い基礎知識と(もう一段上の)真の基礎の知識を持つ」。

 主査とは、あらゆる分野に精通したスーパーマンであり、また強力なリーダーであると言えよう。このような人物なら、本当に「タレント」と言っていい。このようなタレントが中心となって設計情報を創造し、売れるモノがつくられ、増収増益を実現しているわけだ。

日本半導体業界にタレントはいるか?

 半導体の製造技術には、要素技術、インテグレーション技術、量産技術の3段階あることを図1で述べた。しかし、半導体チップ(LSI)はこれだけでできるわけではない。その全体フローを図3に示す。

図3 半導体チップができるまで

(1)商品企画:スマホ、家電、クルマなどのセットメーカーが商品企画を行い、要求仕様書が作成される。

(2)システム設計:要求仕様に基づいて、システムのアルゴリズムがC言語で記述される。

(3)アーキテクチャ設計:どこまでソフトウエア化し、どこからハードウエア(LSI)化するか、それぞれの領域を決める。

(4)フロントエンド設計:ハードウエア化する領域について、論理設計と回路設計を行い、LSIをトランジスタの集積で表現する。

(5)バックエンド設計:トランジスタのレイアウトが決め、回路の原版となるマスクデータが作られる。

(6)フロントエンド工程:マスクを用いてシリコンウエハ上に回路を形成する。

(7)バックエンド工程:シリコンウエハからLSIチップを切り出しパッケージに収める。

(8)アッセンブリ及び組立:LSIが基板にアセンブリされ、商品に組み込まれ、商品が完成する。

 設計が4工程、プロセスが2工程ある。図1に示した要素技術、インテグレーション技術、量産技術は、フロントエンド工程(6)を詳しく分解したものである。

 もし、トヨタの主査に該当するタレントが存在するならば、(1)から(8)まですべてに精通していることになる。さらに、「市場の情報」「顧客・非顧客の情報」「競合の情報」「原価の情報」なども有している必要がある。果たして、そのような人物がいるだろうか?

 私の知る限り、日本半導体業界において設計とプロセスの両方に精通しているという人は皆無である。それどころか、設計においては、4段階のうち、1つしかできないという技術者が多い。特に、SOCなどでは上流のシステム設計が最も重要になるが、ルネサスにはシステム設計者がほとんどいないと聞いている。

 半導体製造(フロントエンド工程)においては、インテグレーション技術者が要素技術に精通しており、トヨタの主査にやや近い存在と言えるかもしれない。しかし、インテグレーション技術者で設計まで良く分かっている人がいるとは思えない。

 その上、日本の半導体メーカーはマーケテイングを軽視している傾向があるため、「市場の情報」「顧客・非顧客の情報」「競合の情報」に疎く、またコスト感覚に鈍感な人が多いため「原価の情報」も希薄である。

 つまり、日本半導体産業には、トヨタの主査のように、設計や製造などの技術全般に精通し、市場、顧客、原価など半導体ビジネスの全体像を理解している人がまったく存在しないと思われる。また、そのようなタレントを見出そうとか、育成しようという動きもなかった。

 その結果、日本は、半導体という製品について全体最適ができず、「売れるモノ」となる「良い品質」の「設計情報」を創出することができなかった。その典型例が、パソコン用に25年保証という的外れな品質のDRAMをつくり続けたことである。

 結局、トヨタと日本半導体産業を分かつものは、1つの製品において「すべての事項」に責任をもつタレントの存在の有無に帰着すると言える。日本半導体は(電機も)、トヨタ生産方式よりも、トヨタの主査制度を深く学ぶべきである。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43861  

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