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TPPがもたらす、医療による続出する貧困層、、、。救急車3回、カテーテルで3000万円!!
http://cpt-hide-cook.seesaa.net/article/419488573.html
2015年05月24日 「日本人」の研究!
TPPについて、いろんな人に意見を聞いてみると、
ほとんどの人が「農業問題」と思い込んでいる。
説明しようと思っても、なかなかみんなピンとこない。
しかし、確実に我々の生活に大きな影響を与える。
その一つが、医療だ。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/246060
この上のIWJの動画を見ると、最近、実際に大病を患った
岩上さんの話が紹介されていた
「二週間で、三回ほど救急車で運ばれ、カテーテルを入れられた。
専門家に、もし保険が効かず、自費で払ったらいくらになるか
聞いたら、3000万ほどになるであろうという。アメリカでは、
持病をもっていたりすると、医療保険に入れない。
そうなれば、すぐに自己破産となる」
と、このようなことを言っていた。
実際にあめりかでは、病気により、貧困層になった人が、どれほどいることか。
もし、日本が、誰でも何処でも医療が受けれる国民皆保険制度ではなく、
アメリカのように、一人一人が民間の保険会社と契約するような医療保険
制度になっていたら、その保険料とは莫大な額になる。
この間、ある保険会社の人と話していて、
「もし日本の皆保険制度がなくなり、民間の医療保険に
入らなくてはならなくなったら、その保険料とは
いくらぐらいになるの?」
と、聞いてみたら
「実際に、だいぶ前に、そのような保険を提供した
日本の保険会社がありました。しかし、日本では皆保険制度があるので、
すぐにつぶれました。しかし、それがなくなれば、医療保険料など
莫大に跳ね上がります」
と、、、。
その通りであろう。
安く設定されている日本の医療費でさえ、
しっかりと明細をみれば、それでも、とても個人では、
賄いきれなくなる。
たとえば、80歳近い、うちのオヤジが、昨年大腸の手術をして、
10日間ほど入院しただけで、保険が効かなければ100万円を超える。
TPPともなれば、もう病気などできない。
それに家族が病気になっても、大変なことになる。
実際に、自分の病気や家族の病気により、貧困層になってしまった人が
アメリカにはどれだけいることか。
日本の医療というのは、「共助」という思想をベースした
公共性が高く、誰でも何処でも、医療の恩恵を受けることができる。
では、国が変われば、その価値観も変わる。
アメリカの建国の理念とは、
「神は人間一人一人、幸福を追求する権利を与えている」
とされている。
それまで、階級や宗教的な縛りで、個人の活動にもいろんな
縛りがあった世界から、自由を求めて、新大陸に渡ってきた
人々が建国したアメリカ。
むかしから、狭い土地の中で、協力し合いながら
生きてきた日本とはまるで違うお国柄。
そして、最大のライバルソ連が崩壊し、その後経済も復活して、
世界唯一の超大国となったアメリカ。
「我々の思想が正しいんだ。我々の生き方こそ神の意志に沿っている」
というような感じになったのであろう。
では、人間一人一人に対する「幸福を追求する権利」というのが、
どうなっていくのか?
その「幸福を追求する権利」というのが、経済活動とほぼ
同義語になってきている。
そのため、個人が技術や知識をつけて、
お金儲けすることが、悪いことではなく、
神様も認めてくれている人間一人の権利であり、
その考えが公共性など、度外視されてくる。
医療がここまで発達する為に、どれだけ多くの人が
心血を注いできたことか。
それを、その技術をより多くの人にいきわたるようにするのか、
それとも一人の人間の「幸福を追求する権利」とし、
命までも金儲けの対象にされるのか。
たとえば、若い頃から、一生懸命勉強をし、
奨学金などをかれて、必死になって大学の医学部を卒業したとする。
その技術と知識を、個人の幸福の為に使うのか、
それともより多くの人の病気で苦しんでいる人の為に遣うのか、
アメリカと日本では大きく違ってくる。
例えば、盲腸の手術など、アメリカでは200万円ほどかかる。
日本では、政府がその費用を決めるので、10万円ほどらしい。
個人主義が強いアメリカでは、
「ほんなん、自分が必死になって勉強してきた技術を
何でそんな安い報酬で我慢しないかんのじゃ〜」
ということになるのであろうし、民間の活動を圧迫するような
政府の制度をなるべく削除する、という考え方になってくる。
では日本の医者であると、
「そうなっているのだから、しかたがない。それよりも
患者を救うこと、その方が大事」
という風になるのであろう。
アメリカのお医者さんでも、病気で苦しんでいる子どもが
目の前にいても、制度上、莫大なお金がかかるのであれば、
諦めるしかなくなる。
人間は、有史以来、病気と戦ってきた。
そして、医療がここまで進んでいた現在、
その医療技術を人類の為に使うのか、それとも
「自由」を最重要視し、命まで金儲けの道具にされるのか。
TPPとは、巨大なグローバル資本家たちに大権を与えるようなモノ。
ほんの一握りの超大金持ち、その他大勢の貧困層、、、。
こうなれば、もう成り立たない。
まだ、キリスト教的価値観が強く、繁栄していた頃のアメリカは、
そのお金持ちの中にも、「公共」という概念も強かった。
上田篤氏の著書「都市と日本人−「カミサマ」を旅する-」の中に
こんなことが書いてあった(P15〜16)。
そういえば、私の友人がニューヨークのさる経済人の集まりで講演をしたとき
「私は金のためでなく、世の為、人の為に働いている」といって、
なんと聴衆の顰蹙(ひんしゅく)を買った、という話をおもいだした。
「日本なら大受けするはずなのに、アメリカではさっぱりだ」
とかれはぼやく。
そこで彼が現地に長く住んでいる日本人の友人に
「どうしたらいいのか」と尋ねたら、その友人は
「神様のために働いている、といいなさい」
と言ったそうである。
社会学者のマックス・ウェーバーは、
人間は神の恩恵によって与えれてた財貨の管理者にすぎない。
(大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)
といった。確かにアメリカでは、大学や病院の多くの建物が
功なり名とげたひとたちの寄付によって建てられているが、それが聖書の、
「あなたがたは地上に富を積んではならない・・・富は、天に積みなさい
・・・あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。
(「マタイ伝」6.19-21)」
によっている。
したがって死ぬときは「財貨は多くの子孫に残さず神の下に返す」
という気風がある。つまり、社会の福祉施設などに寄付していく人が多いのだ。
となると、アメリカの大都市のスカイスクレーパー(摩天楼)も「神のために働く人々」に
とっての「現代のカテドラル(大聖堂)」なのかもしれない。
我欲が強すぎる社会になってしまえば、社会が狂ってきてしまう。
何でプロテスタントが発展してきたか、何でアメリカが発展してこれたのか、
資本主義の中に、このような考えが根本にあったからではなかろうか。
プロテスタントでは、「カミサマの為に働け」としている。
日本的思想の場合は「世の為、人のために働け」ということになる。
結果的には、同じこと。「社会の為に、、」ということになる。
もし、その箍(タガ)が外れてしまったら、どうなるか?
今のアメリカを見れば分かる。
資本主義が、ドンドン尖鋭化していって、新自由主義へと進んできた米国。
アメリカは明らかに傲慢になりすぎた。
ある仏教の教えでこんなのがある。
地獄でも極楽でも、大きな釜でうどんをゆでている。
そのうどんを食べるのに、1メートルほどの箸が用意されている。
地獄では、各々が競って、うどんを食べようとする。
結果、誰もがうどんを口にすることが出来ず、餓死してしまう。
極楽では、助け合いながら、1メートルの箸を使って、
隣人にうどんを食べさせる。
結果、みんなうどんを食べることができ、幸福感に満たされる。
今、TPP問題にゆれる日本、、、。
もう一度、我々の生き方を考え直す必要があるのでは、、、。
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