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“厄介者”社長の超異例経営 倒産寸前から奇跡の復活!元請けを買収、2年で黒字化
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150526-00010004-bjournal-bus_all
Business Journal 5月26日(火)6時1分配信
北陸新幹線の開業に沸く北陸地方。その地で、知る人ぞ知る存在ながら、斜陽といわれる繊維産業の再成長を牽引している地場企業がある。その名はセーレンだ。売上高1000億円あまり、1889年創業の老舗メーカーである。
30年ほど前まで、セーレンは染色加工事業が主力の繊維製品下請けメーカーにすぎなかった。14期連続の赤字を垂れ流し、業績はボロボロだった。地元では「ボロレン」と揶揄され、会社は危急存亡の秋を迎えていた。
そんな同社は、社員のやる気を引き出す「仕事の仕組みの変革」で窮地から脱却した。
さらに、入社直後に経営批判をしたことで「異端児」「厄介者」といったレッテルを貼られ、冷や飯を食わされていた社員が勝手に開発、ヒットした自動車内装材事業を軸に、事業構造改革を断行した。それにより、電磁波シールド、人工血管材、建材シートなどの機能性繊維を次々に開発し、繊維製品の産地・福井県を代表する、先端的な繊維総合メーカーに生まれ変わった。
同社を一躍有名にしたのは、05年のカネボウの繊維事業買収だ。
元請けを下請けが買収する異例のM&Aに、当時の繊維業界関係者は一様に驚いた。それだけではない。当時の産業再生機構が「不可能」とさじを投げていたカネボウ繊維事業の再建を、同社はたった2年で達成し、業界を再び驚かせた。
その後、同社はITを駆使することで、繊維事業を婦人服の製造小売事業に進化させるなど、今ではカネボウ繊維事業が成長エンジンの一つになっている。カネボウの化粧品事業を買収した資生堂の場合、13年に発生した「白斑問題」で被害者から集団訴訟を起こされるなど、カネボウ化粧品事業がお荷物と化しているが、それとは対照的だ。
同社は、なぜ不可能といわれたカネボウ繊維事業の再建を達成することができたのだろうか?
●ふてくされ社員に希望を与えた「川田再建」
それは、05年秋のことだった。
「カネボウからKBセーレン(セーレンの子会社)に変わって3カ月。みなさんへのあいさつが遅れて申し訳なかった」
長浜工場で、旧カネボウの全社員に初対面したセーレン社長(現会長)の川田達男氏は、そう陳謝した。旧カネボウ社員たちからどよめきが起こったのも無理はない。
長浜工場は、かつて「東洋一の綿布工場」と呼ばれた、旧カネボウの主力繊維工場だ。しかし、カネボウは80年代以降の経営不振で倒産、産業再生機構の再建計画で、同社の繊維事業は最下位の「第四分類」にランクされた。
つまり、繊維事業の再建は不可能と判断されていたわけだ。そんな繊維事業を買い取ったのが、旧カネボウ社員にとっては無名に等しい、福井の染色加工メーカーだった。旧カネボウ社員の誰もが、「田舎の染色屋に、上流の製糸・紡織ができるのか。買収は、カネボウの製造設備と技術の転売目的ではないか」と疑心暗鬼に陥り、「新会社に残れるのは、ほんの一握り。これから、どんな人員整理の嵐が吹き荒れるのやら」と不安に駆られていた。
ところが、初めて長浜工場の視察に来たセーレンのトップは、開口一番「あいさつが遅れた」と陳謝し、繊維事業再建の道筋を詳細に説明した。「話の意外な展開に、安堵するより唖然とする思いだった」と、旧カネボウ社員は当時を振り返る。
川田氏が、長浜工場で旧カネボウ社員に説明した繊維事業再建の道筋は、三つだ。
一つ目は、製品の高付加価値化だ。買収の目的は、製糸から縫製まで繊維製品の一気通貫生産体制の構築である。それにより、低コストで付加価値の高い製品を製造・販売する。したがって、心配しているような人員整理はあり得ないどころか、再建が軌道に乗れば増員が必要になる。
二つ目は、「カネボウが誇った、日本一の栄光を取り戻そう」というものだ。会社は倒産したが、優秀な人材が残っている。不幸だったのは、旧カネボウで自分たちの独自性を存分に発揮できる環境が与えられなかったということであり、それが倒産の一因でもあった。だから「栄光を取り戻すため、諸君の独自性発揮を尊重する」というわけだ。
三つ目は「変えよう」である。古い企業体質を変えることができるか否かが、再建の鍵を握る。社員全員が自分の役割と責任を自覚し、仕事への取り組み方を自ら変え、「会社を変えられるのは、自分たちだけだ」という気概で再建に取り組んでほしい、というものだ。
その後、川田氏は月に一度は長浜工場に足を運び、社員とマンツーマンで話し込み、「もう一度、みんなが夢を持てる会社に作り直そう」と語り続けた。倒産で意気消沈し、ふてくされていた旧カネボウ社員たちも、川田氏の熱意に打たれ、やがて競うように業務改善を提案し、率先して再建に取り組むようになった。
川田氏は、現場の社員とのコミュニケーションと並行して、90億円の設備投資を断行した。当時は、セーレン本体の設備投資額が年間120億円だったが、生産設備を一新することで、川田氏は再建の本気度を旧カネボウ社員に示したのだ。
カネボウ時代、設備投資は修繕レベルの年間数億円だったため、彼らは活気づいた。「カネボウ時代は雲上人だったトップが現場へ来て、一対一で自分たちの意見に耳を傾けてくれる。さらに、あり得ないと思っていた最新設備まで入るのだから、再建意識が高まるのは当然でした。今では、新規事業創出にチャレンジするまで士気が上がっています」と、前出の社員は語る。
●カネボウ買収で完結した、セーレンの一気通貫事業モデル
セーレン自身にとっても、旧カネボウ繊維事業再建は、斜陽の繊維産業で自社が生き残るための必須条件だった。
90年代、自動車内装材事業に参入した同社は、製品の低コスト化と品質向上を図るために一気通貫の生産体制構築が不可欠と考え、織り・編み、染色加工、縫製の内製化を進めた。しかし、製糸の内製化だけが未解決だった。
上流工程の製糸を、非製糸メーカーがゼロから立ち上げるのは、無理に等しい難題だった。そこで、製糸メーカーの買収先を物色していた矢先の04年に、カネボウが倒産した。事業再建が不可能と判断され、買い手がなかったカネボウ繊維事業を、セーレンは運良く買収した。
したがって、カネボウ繊維事業の再建は、同社の至上命題だった。再建に失敗すると、製糸工程の内製化が頓挫し、一気通貫生産体制の構築が不可能になる。しかし、再建に時間がかかれば、それだけコストが膨らみ、品質向上も中途半端になる。
このため、川田氏は優秀だった旧カネボウ社員を「再建に巻き込んで、自主的に動かそう」と考え、潜在能力を引き出すための環境整備に腐心した。指示待ち意識を払拭し、自主性、責任感、使命感を植え付けることに注力したのだ。
そうした努力の結果、KBセーレンは設立2年目の07年3月期に営業利益14億円を達成、長年の赤字から脱却した08年3月期に、営業黒字が約17億円の増益となり、再建が確定的となる。同時に、セーレンは自動車内装材を製糸から販売まで一気通貫で行う、現在の事業モデルの原型も確立させた。
●再建を妨げる問題をあぶり出せ
カネボウ繊維事業再建成功の秘訣は、実はセーレン自身の経営再建体験にあった。
セーレンは、繊維製品メーカーの染色工程を下請けして加工賃を稼ぐだけの事業に安住し、80年代の繊維不況で倒産寸前に陥った。その時、創業家の指名で、末席取締役から社長に抜擢されたのが、子会社の自動車内装材の開発・販売で唯一売り上げを伸ばしていた川田氏だった。「異端児」「厄介者」といったレッテルを貼られ、社内で冷や飯を食わされていた社員というのは、川田氏のことである。
しかし、危機感をあらわにして、社員に自主性、責任感、使命感の大切さをいくら訴えても、彼らはまったく動かなかった。そこで初めて、川田氏は「かけ声や説教では、長年染み付いた意識は変わらない。仕事の仕組みを変えなければ、意識は変わらない」と気付いた。
その後、具体的な経営再建方針を示すと同時に、目標と実績のギャップから、再建を妨げている問題を顕在化させる仕組みと、問題が起きたら管理職が責任を持って解決し、再発を防ぐ仕組みを導入した。その一方で、染色加工メーカーとして蓄積した技術を水平展開し、新製品開発や新事業創出につなげていった。
そうした「仕事の仕組みの変革」の中から、現在の主力事業の一つとなっている、デジタル染色システム・ビスコテックスが開発され、オーダーメード婦人服の製造小売事業が誕生した。
経営再建の柱となり、現在は売上高の54.7%(15年3月期)を占める自動車内装材は、国内シェア約40%、世界シェア約15%の事業に育っている。
まず「目標ありき」の計画経営ではなく、「問題点を顕在化させる」ことを重視し、さらに既存技術の水平展開で新事業を育てる「逆転の発想の経営」が、同社再建の要因となった。
それにより、社員が仕事に自信を持ち、ユーザーと直接接触する製造小売事業モデルがユーザーを意識したモノ作りを促し、社員の意識は完全に変わった。
●「ファッション流通革命」への挑戦
その後、同社はビスコテックスをオーダーメード婦人服のオンデマンド販売システムに進化させた。これにより、大量生産から1着ずつの個別生産が可能になった。同社は、消費者が買いたい時に、自分だけのオリジナル婦人服が買える「ファッション流通革命」を起こそうとしている。狙いは、需要創出だ。
それに向けた、オリジナル婦人服専門店「ビスコテックス・メーク・ユア・ブランド」1号店を、4月1日に福井市の本社で開業した。今後は、実需ベースでシステムの改善を続け、1〜2年で全国の有名百貨店を中心にチェーン展開する計画だ。
同社にとって、経営不振は「経営者の怠慢」、成長は「需要創出」を指すようだ。
文=福井晋/フリーライター
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