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「他人よりも抜きんでた何か」を手に入れないとならない時代
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2015-05-25 ダークネスDUA
これからさらに苛烈になる弱肉強食の資本主義社会では、会社に依存して生きることは、もう許されない。会社は世界的な競争にさらされて、ひとつ間違えるとすぐに淘汰される。
シャープの惨状を見て分かる通り、大企業であっても、経営を間違うと屋台骨が吹き飛んでいく。場合によっては再起不能に追い込まれるような悪夢もあり得る。
どんな会社でも来たるべき不景気に備えて、コスト削減を追求するので、よけいな社員は常に切り捨てられる。もはや終身雇用は過去の話になった。
そうなると、すべてのサラリーマンは、リストラされることを前提として人生を構築しなければならなくなる。
それが「グローバル社会の掟」だ。世界中の労働者は、その前提で生きている。日本人もここ10年で状況が変わったことを肌で感じているはずだ。
もう会社に依存して生きられない。真面目に勤めていても、会社が苦境に追い込まれたら、すぐにリストラの嵐に巻き込まれていく。
■他人よりも抜きんでた「何か」が必要になる
会社が自分の将来の安泰に役に立たない時代になった。
そうすると、必然的に「自分の持っている能力」を武器にして生き残るしかなくなる。
「他人よりも抜きんでた何か」がないと、無能だと見なされて捨てられる。そして、いったん捨てられたら能力がないので誰も拾ってくれない。
つまり、自分の持っている「特殊能力=スキル」だけが自分の存在価値になる。
これから生き残るには、何らかの専門家(スペシャリスト)になって、その専門を究めなければならないのである。いったん専門家になると、自分の雇っている会社が駄目になっても、どこかの会社が自分の能力を即戦力だと考えて雇ってくれる。
ちなみに、スキルとは資格のことではない。資格を山ほど持っていても実務に活かせなければ意味がない。実際の業務に裏打ちされた「実務能力」を持っていなければならない。企業側の即戦力になる能力でないとならない。
仮にもし自分の「実務能力」を使ってくれる企業がない、条件に合う企業がないのであれば、その能力を元に起業することも検討する必要もある。
そうなると自営で生きることになるが、その際にも必要になって来るのは、その仕事への深い専門知識である。
自営は生やさしいものではない。少なくとも、趣味で取ったような資格では、まったく何の意味もない。生き残るために、実際に役に立つものでなければ身を助けてくれない。
■「他人よりも抜きんでた何か」は後天的なもの
生き残るには、「他人よりも抜きんでた何か」が必要だが、そもそもそんなものはないとが考えるかもしれない。
生まれつき、天才的な何かを持つ人もいることはいるが、そうでない人の方が多い。
「他人よりも抜きんでた何か」がないとこれから生きていけないというのであれば、普通の人は路頭に迷うしかないということなのか。
もちろん、そうではない。「他人よりも抜きんでた何か」は、先天的なものばかりではなく後天的なものの方が多い。つまり多くの人は何もないところから、どうにかしてその専門性や特殊技能を手に入れているのである。
どうやって手に入れたのか。
それは、ひとつのことに打ち込み、長い時間をかけて努力することによって手に入れてきたのだ。誰かが与えてくれたものではない。自分が取りに行かなければならないものだ。
早い話が、「他人よりも抜きんでた何か」は、地道な努力の結果その人の身についているのである。
特殊な能力は、懸命にひとつのことに打ち込み、長い時間をかけて経験を得た結果である。
何年も何年もそれに打ち込み、その分野で熟練し、経験を積んだから人は専門家になれるのだ。
とすれば、自分で自分の人生を切り開くには、結局のところ「必死になってひとつのことに打ち込む」ことを、まず最初にしなければならないことであるのが分かる。
人生は長いので、小手先だけのテクニックで乗り切れるようなものではない。努力を回避し続けて楽して生きていけるほど世の中は甘くない。
「他人よりも抜きんでた何か」は努力を繰り返すしか手に入らない。誰も見ていないところで、必死で努力することによってしか手に入れることができない。
■「小さな一歩」がなければ結果を生み出さない
それは泥臭いことでもあり、古臭いことでもあり、面倒なことでもある。
この怒濤のようなスピードで転がっていく時代に、こつこつと努力するというのは、「馬鹿げている」と思う人も中にはいるはずだ。
しかし、その泥臭い「小さな一歩」がなければ結果を生み出さない。その小さな一歩に取り組めるかどうかが、生き残れるかどうかに結びついていく。
これから国も会社も自分の面倒を見てくれない可能性があるのだとすれば、ますます自分で自分を助けるしかなくなる。
競争は、時代が未来に向かってどんどん苛烈になっている。最初は国と国の競争だったものは、次に企業と企業の競争となり、最後には個人と個人の競争になっていく。
競争がどんどん上位から下位に展開していき、生き残れるかどうかは個人の能力によって決まるような時代になる。だからこそ、「弱肉強食の資本主義」なのである。
景気が良くなったら楽になると勘違いしてはいけない。もう今までの「寄らば大樹」の時代はとっくに終わっている。
国も莫大な累積債務を抱えて身動きができず、社会保障も福祉も切り捨てにかかる。企業も景気の動向に関わらず、常にリストラをするようになっていく。
「要らない人間を捨てる」のが、次の時代なのだ。
誰もあてにできず、誰も助けてくれず、自分で自分を生かすしかない。真剣に生きないと見捨てられるのだから、生きる残るのに必死になる。
だから、「他人よりも抜きんでた何か」を手に入れることが、ますます重要な時代になり、必死で努力している人だけしか生き残れないような時代となる。
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