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シャープが抱える「負の遺産」 なすすべもなく立ち尽くす“指示待ち社員”
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20150516-00000500-biz_fsi-nb&ref=rank
SankeiBiz 2015/5/20 06:24
3月10日、シャープの液晶事業を統括する方志教和専務は、東京都港区の東京支社で開いた事業説明会で「やはり『競合さん』が大変な勢いで営業をかけていたようだ」とうなだれた。「競合さん」とは、日立製作所とソニー、東芝の液晶部門を統合して誕生したジャパンディスプレイのこと。タッチパネル機能を液晶パネルの中に作り込む技術で先行し昨秋から、中国市場でシャープの得意先を切り崩していた。
だが、方志専務は今年2月に開いた大阪での説明会で「シェア下落は認識できていない」と発言。その頃には業績悪化が明らかなはずだったが、方志専務は「タッチパネルを仕入れている台湾メーカーの破綻で一時的に調達が滞り、こちらが生産停止に追い込まれた」という程度の認識だった。現場からは聞こえの良い情報ばかりが報告されていた可能性がある。
主力の液晶事業でリスク情報が上層部にうまく伝わらなかったことに最もショックを受けたのは、ほかならぬ高橋興三社長だろう。一昨年6月の就任以来、現場の声を上層部に直言できる企業風土づくりに心を砕いてきたからだ。
「社員が自らの判断で挑戦し、上からの指示を待たない。そういう企業風土に変えたい」。高橋社長は就任前の会見でこう力を込めた。背景には、トップダウンの傾向が強すぎた独特の社内の雰囲気が、経営危機を招いた液晶事業への過剰投資に突き進ませたとの反省があった。社内に経営トップの判断に意見したり、水を差す情報を報告したりできる雰囲気はなかったといわれる。
特に「液晶のシャープ」という一時代を築いた町田勝彦氏(現特別顧問)の社長時代に経営トップのカリスマ化に拍車がかかった。後継の片山幹雄氏(現日本電産副会長)の社長時代も続いた液晶事業への巨額投資に、社内から疑問の声は上がらなかった。逆にアイデアマンで明確にビジョンを示す片山氏の指示を待つ傾向が強まったとされる。
約4300億円を投じた堺市の液晶パネル工場が稼働した2009年には、前年のリーマン・ショックの影響でパネル需要が激減していたのにもかかわらず、計画の中止や修正を求める声はなかった。12年に販売不振を公表したが、その数カ月前には同社首脳が「大型テレビは好調」とアピールしていた。
高橋社長は、このような企業風土を「けったいな文化」と決別を宣言し、社内では役職ではなく「○○さん」と呼称する運動の旗振り役を務めた。自身を「高橋さん」と呼ばせるなどフラットな組織を目指した。
だが、今回の液晶事業で現場のリスク情報を上層部が共有できず、対応が後手に回った事態は、高橋社長のこれまでの努力が全くの空回りだったことを意味する。高橋社長は強権を伴う指示をできるだけ避けてきたが、カリスマ経営者の指示待ちに慣れていた社員の意識を変えることは簡単ではなく、「決断しない社長に物足りなさを感じる声が少なくなかった」(シャープ社員)という。
社員が自らの判断で挑戦する風土を重視する高橋流は、一方で「やる気のない社員や何をすべきかを分からない社員の放置」(関係者)につながり、急激な円安や競合他社の攻勢など経営環境の変化への対応を遅らせた。昨年末、社内では「社長が一人でもがき苦しんでいる」との情報が飛び交ったが、明確な指示を避ける高橋社長を前に、指示を待つ社員はなすすべもなく立ち尽くした。
過剰投資の揚げ句生産能力を持て余した液晶パネルの巨大工場だけでなく、それを生み出した社員の意識という「負の遺産」も、いまなおシャープにのしかかる。新中期経営計画では、世界の全従業員の1割を減らすなどの決断に迫られたことに対し、シャープ関係者はこう指摘する。「トップダウン経営を否定して変化への対応に遅れた揚げ句、自分が強いリーダーシップを持たざるを得なくなった。皮肉な話だ」
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