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スマホをタップしている間に人生が終わる…時間の細切れ化→仕事の生産性低下をどう防ぐ?
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150517-00010001-bjournal-bus_all
Business Journal 5月17日(日)6時0分配信
ひっきりなしにスマートフォン(スマホ)をタップしていて、ふと感じるときがある。
「こうしてスマホをタップしている間に、私の人生は終わるのかな」
50代に入った筆者だけの感覚ではないだろう。大多数の人は、スマホと向き合っている時間が人生の中で大部分を占めている。筆者よりももっと若い世代になればなるほど、毎日自分の時間がどんどん細切れになっていくことに気づいているはずだ。
メールの時代はまだ平和なことに、24時間以内にレスをすればOKというルールだったものが、LINEの時代に入ってからは、すぐ読んですぐにレスをすることが半ば義務化された感がある。LINEだけでなく、スマホのアプリにはひっきりなしにプッシュのメッセージが到着する。そのたびにそれまでの作業をやめて、スマホの画面を眺める自分がいる。別にスマホだけを悪者にするつもりはないが、生活のあらゆるところにこのような時間の細切れ化現象は広まっている。
筆者の取引先企業では、会議の時間設定はデフォルトが1時間単位から30分単位に変更されて久しい。この会社では比較的多忙な社員の場合、毎日十数個の会議に出席しているようだ。そのたびに彼ら彼女らは頭を切り替える必要がある。
外回りの移動方法も昔とずいぶん変わった。社外のアポイント先に移動する際にも、路線検索を駆使することでJRや地下鉄の乗り継ぎも数分単位の無駄はなく、取引先には魔法のようにいつも5分前に到着することができている。
アポの合間のひと時はスタバやドトールで時間をつぶすが、そこも憩いの場ということにはならない。20分ぐらいのわずかな合間を使って必死にスマホをタップしてメール返信をしているうちに時間は過ぎていく。財布の中に大量に入っている喫茶店のレシートは、コーヒー代というよりもメールを打つための席代といえる。
●生産性向上には限度がない
このような細切れ型の仕事のスタイルは、変えられないのだろうか?
残念な結論だが、基本的にはこれから先の未来を生きる社会人にとって、このようなワークスタイルが変わる可能性は非常に低いと断言できる。たとえスマホをやめたとしても、それはなんの解決ももたらさない。
その理由は簡単で、経済というものは常に生産性の向上を求めるからだ。
ビジネスが求める生産性向上に限度がないという事実を、筆者が人生で最初に学んだのは18歳のとき、アルバイト先であるマクドナルドの厨房でのことだった。
マクドナルドのハンバーガーは調理をするのに2分かかる。わたしたち店員はピーク時には、そのハンバーガーを2人1組で毎分12個生産していた。簡単に説明すると、2人がグリルでミートを焼く係と、ドレスといってバンズを焼いてそこにケチャップやマスタード、ピクルス、チーズなどを置いていく係に分かれる。ドレス役が準備したバンズの上に、ミート役が焼いたミートを置いていくことでハンバーガーが高速に生産されていく。
あるとき筆者が仕事をしていた厨房に、マクドナルドの正社員がやってきた。毎分12個よりも多くハンバーガーを調理する方法を本社で編み出したので、それを伝授しようというのだ。教わってみるとそれは何かアクロバットのような方法で、ドレス役がバンズを焼くプロセスをこなしながら、あるタイミングでミート役のポジションに移ってふたり同時に肉を焼きはじめる。その途中でこんどはミート役がグリルから離脱してドレス役に入れかわる。そうやってぐるぐると役割を入れかわって生産してみると、確かに以前よりもたくさんのハンバーガーが調理できるのだ。
その数年後、社会人として経営コンサルタントとなり当時を振り返って考えると、次のようなことだとわかった。
要はふたりとも忙しそうに見えて、実はドレス役の仕事に十秒程度のアイドルタイムがあるのだ。バンズをトースターに入れてからそれが焼き上がるまでのほんの十数秒の時間、たしかにバンズ役はぼーっとトースターをにらんでいる空き時間がある。その時間の隙間を新しいミートを焼き始める時間に転用することによって、ハンバーガーの調理効率を上げられる事実を本社の正社員が発見したということなのだ。
そのように無駄な空き時間の隙間をどんどん埋めていくことで企業の生産性向上を追求していくことこそが、経済全体が成長していくためにとても重要な要素だということも、経営コンサルタントになってすぐに筆者が教わったことだ。
企業にとってみれば人件費というのは非常に大きな資本の投下項目になる。ゆえに同じ人件費投資でいかに昨年よりも生産性を上げることができるのかということが、資本主義経済下では非常に重要な要素になる。だから、私たちの時間はこれまでもどんどん細切れになってきたのだし、今後もその細切れ化の動きに歯止めがかかる可能性は小さいということなのだ。
●アテンション
さて、当然のことながら、このように細切れ化した時間の使い方のデメリットを訴える方も多いだろう。特に筆者のようにクリエイティブにものを考える業務の比率が多い場合は、自分の時間が細切れになることで、仕事の生産性が逆に壊滅的な状況になるという場合も少なくない。
つまり生産性という尺度以外に、もっと重要な別の要素があるのではないか。そしてそれを特定することができれば、時間の細切れ化になんらかの歯止めがかけられるかもしれないという期待も持つことができる。
1980年代にアメリカの経営コンサルタント、ジョージ・ストーク・ジュニアが、それまでのヒト・モノ・カネという経営資源の捉え方に加えて、時間を経営資源の重要要素に加えるべきだという考え方を提唱した。21世紀に入って同じく経営コンサルタントのトーマス・H・ダベンポートは、時間要素の中でもアテンションを経営資源の要素として重要視すべきだと説いた。アテンションとは「注意がどこに向いているか」という意味で、あることをじっくり考えることに集中できている場合はアテンションがその業務に集中できているし、次から次へと新しいことに注意が移ってしまう場合はアテンションが浪費されていることになる。
筆者も何かを調べようとインターネットを立ち上げたとたんに、画面上のニュースに目がいってしまい、先にそのニュースをチェックしようと読み始めると、いつのまにか何を調べるつもりだったのかを忘れてしまう。そこで「何をしようとしていたんだっけ」と必死に思い出す時間が、実は仕事の生産性上はとても無駄なのだ。だからアテンションが次から次へと細切れになってしまう働き方は、実は作業の堂々巡りを起こして生産性を下げてしまうというのである。
●自衛策が唯一の防御法
では私たちは、この問題とどう付き合っていくべきなのだろうか。今のところは自衛策が唯一の防御法だと思われる。なぜなら、社会全体でまだこの問題に対する問題意識はそれほど高くはないのだ。だからどうすれば自分の思考がなるべく中断されないようになるのか、その仕事術に磨きをかけるのがこの段階では重要だ。
例えば、一日の一定時間は「ものを考える」時間に設定して予定表に書き込むだけではなく、本当に外出して近所の喫茶店など身近な他人がやって来られない場所にデスクを移す。その際にスマホが鳴っても我慢をして画面を見ない。「誰からの着信かな」などとチラ見した瞬間にアテンションが移ってしまうからだ。とにかく自分の仕事術の中で、アテンションという資源をどう確保し、どう集中するかを意識すべきなのだ。
こうして十分な自衛策を実行することで初めて、スマホをタップすること以外の人生の使い方ができるようになってくる。
最後に管理職の方に一言。「職場でヘッドホンで音楽を聴きながら仕事をしている部下にイラっとくる」という話を聞くことがあるが、これは実は逆かもしれない。その部下の行為は実はアテンションを確保するための自衛策で、ことあるごとに遠くから部下を呼びつけて彼らのアテンションを分断しているあなたの仕事法に対する、抗議のヘッドホンなのかもしれないのだ。
(文=鈴木貴博/百年コンサルティング代表取締役)
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