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「敵」「味方」でしかものごとを判断しない社員が引き起こす問題は、組織にとって大きなダメージだ Photo:kelly marken-Fotolia.com
人を「敵」「味方」に分けて判別する輩は職場を殺す
http://diamond.jp/articles/-/71377
2015年5月13日 渡部 幹 [モナッシュ大学マレーシア校 スクールオブビジネス ニューロビジネス分野 准教授] ダイヤモンド・オンライン
どの職場でも蔓延している「好き嫌い」や「敵・味方」、そして「派閥」。この視点でしかものを見れない社員が増殖すると、組織は壊滅的なダメージを受けることもある。特に管理職以上は要注意だ。
本連載「黒い心理学」では、ビジネスパーソンを蝕む「心のダークサイド」がいかにブラックな職場をつくり上げていくか、心理学の研究をベースに解説している。
連休等の休みを除けば、新年度が始まってから、実質1ヵ月以上が過ぎた。新しい部署に配属された人や新入社員も、そろそろ慣れてきた頃だろう。そして新しい環境に慣れてくると、それまで気づかなかった職場のさまざまな「人間模様」がわかってくる。そして、それにすでに巻き込まれてしまっている人もいるかもしれない。
これは極端な場合、社内、組織内の「派閥争い」を知るということだ。そこまで行かなくても、職場の中で実質的に権力のある人は誰か、求心力のある人は誰かについて知ることになる。
知るだけならばまだよいのだが、問題はそういった人間関係に巻き込まれて、望みもしない面倒を背負い込まなくてはならない状態になることだ。だが、大抵の場合、そういった派閥争いなどには関わりたくない人も、気が付くと渦中にいる、という状況になる。
■1人の社員を巡って評価が真二つに割れた
先日、中堅企業に勤めている友人から話を聞いた。彼自身は人事部の副部長だ。2年ほど前、まだ友人が副部長になったばかりの年、年度末の人事査定の際、ある社員の査定で問題が起こった。
その社員は来年、係長昇進の時期になる男性だった。したがって、その前年の評価は彼の将来にとって大切な意味を持つ。その評価は2人の上司と同僚が行うことになっていた。その中でも上司の評価のウエイトが高い。
人事部副部長である友人が、その社員の評価表を見たときはいささか驚いたという。その社員の評価は、直属の上司(係長クラス)は、7段階中「7」で最高だったのに対し、もう一人の評価者として選ばれた、となりの課の課長の評価は7段階中「2」だったのだ。大抵の場合、評価は「4」以上であることが多く、相当問題がない限り「2」にはならない。過去に評価「2」の社員はいたが、ほとんどの場合一致して評価者のスコアは低く、誰が見ても頷くくらい、パフォーマンスが悪かった。
このように、片方の評価が極端に高く、片方の評価が極端に低いのは稀なケースだ。低い評価をした隣の課の課長も、その社員と仕事をしていた。もとよりその社員の課と評価者がいる隣の課は、常に連携して仕事をしているため、その社員の仕事ぶりについて、直属の係長も隣の課の課長もよくわかっている。2人の評価者が1人の社員について、同じように仕事を見ていても、評価は真二つに分かれていたのである。
私の友人は、それぞれの評価者から話を聞くことに決めた。まずは直属の上司である係長から話を聞いた。係長はプロジェクトの責任者だった。その係長は、彼の仕事についてはすべて自分が面倒をみた、彼は割り当てられた仕事はきちんとこなした、と主張した。プロジェクトは成功し、それは彼の功績が大きいと主張した。
そして、隣の課長が、彼に対して低い評価を与えたのは、不当だと訴えた。その係長は昨年隣の課長の部下を査定したとき、低い評価を付けた。今回の自分の部下への低評価はその報復だと説明した。
友人はその忠告に礼をいって、それを考慮して隣の課長のヒアリングに臨むと、係長には告げた。だが、係長のいうことを鵜呑みにはできない。友人は、判断を保留した。
翌日、隣の課の課長のヒアリングを行った。課長は理路整然と、その社員が携わっていたプロジェクトで、彼ひとりでは仕事がほとんどできなかったことを説明した。彼は、自分の担当の仕事ができず、後輩に頼んで代わってもらったり、自分の彼女に手伝ってもらったりしていた。
報告書も、かつて同じようなプロジェクトを手掛けた先輩が書いたものをほぼ丸写しにし、わずかに改変しただけだった。プロジェクトそのものは成功に終わったため、彼自身に割り当てられた仕事も、見かけ上は問題なく片付いた。だが、課長は、彼のプロジェクトへの貢献は、ほぼ皆無に近いという厳しい見方をしていた。
何よりも課長が心配していたのは、このまま彼に高評価を与えて責任ある仕事を回してしまったら、あとあと取り返しのつかないことになる可能性が高いし、彼にとっても良くない、ということだった。彼は、性格は悪くないし、仕事を理解するのは少し遅いが、努力家なので、辛抱強く見るべきだと話していた。
■言い分が通らなかった課長の逆襲 長文メールの驚くべき中身
友人の視点からすると、隣の課長の言い分のほうが説得力があった。それに課長は、係長のことには一切言及しなかった。
友人はもちろん、その社員自身にも、そして他の同僚からも聞き取りを行った。そのうえで、査定としては隣の課長に近い判断を下し、文書で、その社員の上司である係長に通達した。
その翌日のことだった、友人は部長に呼び出されて、印刷したメールを見せられた。それは、係長が部長あてに送ったメールだった。友人が下した決定についての不満と、それが間違いであること。隣の課長が個人的な怨嗟によって不当な評価を係長の部下にしていること、そして友人である人事部副部長もその片棒を担いでいることが長々とつづられていた。
部長にはことの経緯の説明を求められた。彼は正直にすべてを話し、自分はどちらの味方でもなく、ヒアリングに基づいて、正確と思われる判断をしただけだといった。
部長はその旨を納得してくれたようだが、それ以来、その係長は友人を避けるようになったという。その後しばらくしてから、友人は取締役の1人から、その係長のことを聞かれた。
「○○課係長の××君って、管理職としての能力はどうだと思う?」
いきなり、そんなことを聞かれて面食らった友人は「質問に質問を返して申し訳ないのですが、どうしてそんなことを尋ねるのですか?」と思わず尋ね返してしまった。
取締役は「すまない。実は彼の直属の上司の○○課長から、彼は管理職としてはよくない、特定の部下をひいきしてる、という話を聞いたんだよ。それで君ならいろいろ知っていると思ってね」と続けた。
友人は、それは守秘義務も発生する業務上の話なので、インフォーマルな場での返答はできないことを取締役に伝えた。彼も「すまなかった。確かにそうだね」といってそれ以上は聞いてこなかった。
■「敵」「味方」でしか人間関係を見ない 有名東大教授も陥った“罠”
この例でわかるのは、この係長はどうもすぐに「敵」「味方」という区別をしたがっているらしいということだ。自分の部下に対する隣の課長の厳しい評価も、中身を吟味するよりも「個人的怨嗟」と決めつけてしまっている。係長自身、悪い人ではないのだが、そういった目で社内組織を見てしまい、それ以外の視点が持てないでいる。
現在係長は会社を辞めてしまったそうだ。理由は「人間関係に疲れてしまって、鬱症状になった」というものだった。だが、周りの人にいわせると、それは彼の「独り相撲」で、友人のことを「○○さんのグループに味方する人」のように話したり、自分と対立する意見を言う同僚に「お前は俺の味方じゃないのか」という言い方で攻撃したりと、すべてが「敵」「味方」という視点だったという。
似たような話は、私たち学者の業界でもよくある。相当昔の話だが、東大の社会学には2人の大御所A教授とB教授がいた。世界的に見れば大した業績はないものの、日本の社会学会では2人ともいわゆる重鎮で、有名な著書や訳書もあった。その2人は長年にわたり大変仲が悪く、それはもう名物になっていた。
あるときA教授の授業で、学生が批判めいた質問をした。その時A教授は、「お前はBの回し者かっ!」と怒鳴ったという。つまり、その学生の批判をまともに聞くことをせず「敵」「味方」でものを見てしまっているのである。
有名な東大教授でさえ、そういった見方にとらわれるのだ。事実社会心理学の実験では、こういう見方は実はかなり人類普遍であることがわかっている。
イギリスの心理学者、タジフェルらが1971年に発表した論文の実験は衝撃的だった。彼らは、数人のお互いに知らない参加者をランダムに2つのグループに分け、その2つのグループのそれぞれのメンバーに、実験参加の報酬の分配を行わせた。参加者は、自分のグループの誰か(誰かは知らされない)と相手のグループの誰かとの間で、金額を分けるように言われる。それだけである。
参加者は、グル―プの分け方に意味がないことを知っている。ならば、どちらのグループのメンバーだったとしても、平等に分けるべきである。しかし結果は、違った。彼らは何の根拠もないにも関わらず「自分のグループのメンバー」に多く金額を与えた。つまり、えこひいきしたのである。
■人間は「派閥」「えこひいき」に満ちた生き物 「半沢直樹」はなぜヒットしたのか
この現象は、内集団ひいきと呼ばれる。彼らの実験は、グループ分けするだけで、すでに人が「敵」「味方」という観点で人を見るし、そのように行動しがちであることを示したのである。
実際、政治は派閥の世界だし、派閥のない組織はたぶんないだろう。しかしそもそも派閥とは同じ価値観やヴィジョンを共有したもの同士のグループのはずで、派閥間の関係にトレードオフが生じることはあるが、それは切り離して考えねばならない。「敵」「味方」のようにレッテル貼りをしたくなる気持ちはわかるが、そのような観点を持つのはフェアではない。
そしてご存じのように、この観点は組織をボロボロにする。さらに悪いことに、上記例の筆者の友人のように中立にいるようにしている者にも、「敵」「味方」のレッテルを貼ってしまうのだ。知らないうちに、誰もが「派閥」に巻き込まれ、「派閥」の一員になり、知らないうちの本当に「敵と味方」に分かれてしまう。
上記の例はまだ係長クラスだったからよかった。取締役レベルの管理職がこの観点で決定をし始めたら、組織全体の存続の問題になっていただろう。組織自体は潰れなかったとしても、遺恨は残るし、その後の組織運営が非常に難しくなるのは明らかだ。
先日、社長と会長の間にコンフリクトが生じた大塚家具の場合は、まだいいケースだ。対立をオープンにして、第三者の目、特に株主の目に触れる機会を増やしたのはよいことだと思う。
問題は水面下で行われる派閥争いである。知らないうちに組織を蝕むからだ。
昨年大ヒットしたドラマ『半沢直樹』の主人公たちは、身体を張って派閥にくみすることを否定していた。それは見ていて痛快だが、逆に現実世界ではいかにそれが難しいかを物語っている。
その意味で、現時点で私たちができることは、できるだけ「敵」「味方」の視点で組織を見ないようにすること、そしてそういう視点でものを見る人には警戒することだ。この点は特に管理職になるほど、気をつけなくてはならないと筆者は考えている。
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