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30年後、人工知能が人類を駆逐する?AIの進化で消える仕事と残る仕事
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150509-00010001-bjournal-sci
Business Journal 5月9日(土)6時0分配信
「人工知能(AI)」という言葉を耳にすると「一時、ブームになったけど、今はあまり聞かない」と思う人が多いだろう。筆者もその1人であり、NHK連続テレビ小説『あまちゃん』で女優の薬師丸ひろ子を見て、懐かしく思った気持ちと似ている。
しかし、実は今、AIが世界的に注目されている。ドイツが「第4次産業革命」、アメリカが「IoT(モノのインターネット)」を叫んでいるが、その中核技術の一つがAIだ。
その一方でAIは、あまりの革新性の高さに恐れられてもいる。2045年には、AIが人類の知能を超えるシンギュラリティ(技術的特異点)を迎えるといわれており、論理物理学者のスティーヴン・ホーキング博士、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏、テスラモーターズのイーロン・マスクCEOなどが、「このままAIが進化すると、人類に悲劇をもたらす」と警告している。
「人類の危機」は言い過ぎにしても、銀行の融資担当者、会計事務所の事務員など、AIの発達で消えるといわれるホワイトカラーのリストも出回っている。AIの技術革新によって、ビジネスにどういう影響が出るのだろうか。
●AIに訪れた、二度のブームと冬の時代
AI研究は、過去に二度ほど世間の注目を浴びたが、その後は期待された成果が出ず、ブームは終焉した。1960年前後の第一次AIブームは、コンピュータに「推論」する力を与えたが、それだけではたいしたことができず、「AI冬の時代」となった。
80年代の第二次ブームでは「知識」を与え、専門家のような判断を下せる「エキスパートシステム」が開発された。当時の通商産業省が約570億円をかけて「第五世代コンピュータ」の開発計画をリードしたが、思うように進まず、再び冬の時代が到来した。ちなみに、薬師丸ひろ子の主演映画『セーラー服と機関銃』(東映)は81年の公開だ。
そして、現在の第三次ブームでは、コンピュータが自分で「概念」を獲得する機械学習ができるようになった。背景としては、第一次ブームで限界だった推論能力が、半導体の進歩で飛躍的に高まったこと、第二次ブームで限界だった知識の面で、インターネット上の大量かつ最新の情報を使えるようになったことが挙げられる。
その成果が出始めたころ、12年にカナダのトロント大学が「ディープラーニング(深層学習)」によって、機械学習の効果を飛躍的に高めた。これが、50年に一度、あるいはそれ以上のイノベーションを起こしたが、同時にホーキング博士らに恐怖を覚えさせることになる。
現在、脚光を浴びている最新のAIは、技術革新によって2つのことが可能になった。人がデータを供給したり、特定用途のアルゴリズムを教え込まなくても、自分だけで能力を高める「機械学習」と、物事の特徴を自分で抽出、重層的に把握して概念化する「深層学習」である。
これは、幼児が短期間で爆発的に言語を覚えるのと似ている。幼児は、言葉を覚えて話し出す前に、さまざまなモノを触り、舐めたり、振ったりして遊んでいる。その時期に、柔らかい、固い、黄色い、赤いといったモノの特徴をつかみ、その特徴によって同種のモノと異なる種類のモノとの違いを理解している。つまり、すでに概念化ができているのだ。
概念化ができていることによって、大人が、「それ(=黄色くて丸くて柔らかくて食べるとすっぱいもの)は、みかんだ」と教えると、すぐに「みかん」という言葉を覚えてしまう。そして、次のモノについても、「みかんか、そうでないか」の判別ができる。幼児が短期間に大量の言語を覚えることができるのは、概念化ができており、その概念に対して発音という「ラベル」をつけるだけの状態になっているからだ。
機械学習、深層学習ができるAIは、幼児が言語獲得の直前に行うモノの概念化を自分ですることができる。グーグルは、自社のAIが「たくさんの猫の写真から、猫の顔の概念を獲得した」と発表して、世間を驚かせた。
●人間にできて、AIにできないこと
人間の例をもう一つ挙げると、深層学習は大人になってから教養を身につけることに似ている。まずは、日頃から文学や歴史をよく読み、個人の心や組織がどう動くのか、概念的に理解する。そうすると、現実に個別の事象に直面した時、身につけた教養に照らし合わせることで、すぐに正しい判断が下せる。
原理的には、自分で概念化までできるのであれば、コンピュータの性能が上がり、インターネットなどから大量にデータが入れば、AIが人間を追い越すのは時間の問題となる。その技術的特異点が、45年だと騒がれているのだ。
この実例は、コンピュータの将棋ソフトでも見ることができる。05年に彗星のごとく登場した将棋ソフト「Bonanza」は、棋力11級という「へぼ将棋指し」の技術者によって開発された(もちろん、技術者としては名人級の天才だ)。「Bonanza」は、過去6万局の棋譜から、評価関数のパラメータを自動生成することで学習し、プロ棋士と対等に戦えるまでになった。
この「Bonanza」がブレイクスルーとなって将棋ソフトの性能が飛躍的に向上し、今ではプロ棋士のほうが分が悪いとまでいわれている。機械学習によって、ソフトの実力が上がっていけば、あと10年もすれば、人類が勝てない将棋ソフトも誕生するだろう。
それでは、人間にできてAIにできないことはなんだろうか。
AI研究を行っている松尾豊氏は、著書『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』(KADOKAWA/中経出版)の中で、「AIは人間の持つ本能、つまり快不快の感情を持たないことが決定的に違う」「『人間=知能+生命』であり、いくら知能を作ることができても、生命を持つことはできない。AIが自らの意思を持ったり、AIを設計し直したりすることは、今のAI研究のレベルからはかけ離れている。人工知能が人間を征服したりしない」と語っている。
確かに、生存のための本能というのは、進化の過程で蓄積されたものであり、完全に同じものを学び取るのは難しいだろう。例えば、寒冷地に住む民族が、これまで見たことがない熱帯の蛇を見て、とっさに逃げることがある。これは、人間の遺伝子に「蛇は危険だから逃げろ」という本能が、進化の過程で入っているからだろう。
また、人間に共通する利他行動や道徳心などは、そういう遺伝子を持った人で構成される社会が続いてきたから存在する、ともいえる。AIがいくらネット上の膨大なデータを読み込んだとしても、このような生存の本能をすべて獲得することはできない。
そもそも、AIにとって持続のために重要なのは、食事や蛇ではなく、電源やネットの接続状況だろう。持続のための方法を学習しても、例えば「停電」に過敏に反応するような、人間とはまったく違う「本能」が生成されるに違いない。
この違いは、後述する「人工知能ができる仕事とできない仕事」にも関係してくる。
●AIが提供する「ぶりっこ的あざとさ」
人間は、顧客のニーズを探ったり、組織を運営する時、コンピュータほど多くのサンプルデータを参照することはできない。しかし、「自分がその状況に置かれたらどう行動するか」ということは考えられる。
つまり、その場でサンプルデータを一つ生成できるということで、人間は脳の中に、人間行動に関するデータ生成器を持っているのだ。この共感力ともいえる力で、人間は社会に適応したり、社会全体を円滑に運営することができているのだろう。この共感力は、人間がみんな同じあるいは似た本能を持っている、という前提に基づいている。
AIは人間の本能を持っていないため、この共感力を持つことはできない。AIがやっていることを人間に例えると、「自分はまったく共感できないが、経験上、こうすれば相手が喜ぶのでやってあげている」という感じだろう。
話はそれるが、人間同士の身近な例でいえば、男女の関係などがそれに近いかもしれない。なぜ相手が喜ぶのかはよくわからないが、そうすると喜ぶのでしてあげる。記念日を覚えている、髪型が変わったことに気づいてあげる、などがそれだ。
「何がいいのかわからないけれど、男性に受けがいいからこの仕草や服装をする」というのが、いわゆるぶりっ子だ。未来のAIが行うであろう「おもてなし」も、「ぶりっ子的あざとさ」に行き着くのではないだろうか。それは現在、EC(電子商取引)サイトなどで出てくる「おすすめ商品」や、ターゲティング広告を目にした時の感覚に近いものがある。
●AI研究のこれから
AIがビジネスに与える影響に話を戻すと、すぐに考えられるのは、各種異常の検出である。機械の故障の予兆をとらえる、万引きを発見する、医療用画像からがんを見つける、などだ。漏水の場所を音で探し当てるという名人芸のような作業も、AIで代替できるかもしれない。
また、「知的単純労働」と評される仕事も、大半は代替可能だろう。士業の事務、融資や預金対応などの銀行業務、役所の書類受付業務などだ。テレビのスポーツ中継から選手の背番号を読み取り、該当データを抽出するといった技術は、すでに実現している。こういった働きは、アナウンサーや新聞記者、雑誌の編集者などの仕事もサポートするだろう。作家の村上春樹氏が「文化的雪かき」と表現したフリーライターのような仕事も含まれる。
AIの活躍が予想される仕事では、それに伴って従事する人間が減ることになるが、なにも完全にゼロになるわけではない。おそらく、人間とAIが協働することになるだろう。プロ棋士とコンピュータが戦う将棋電王戦において、コンピュータが奇策やハメ手にひっかかり敗北したことがあるが、これはコンピュータのバグを突いたものである。ソフトウェアエンジニアの間では「バグのないシステムはない」という言葉があるが、バグの発生を避けることはできないという事情を考えると、重要な作業ほど人間のチェックが必要になるだろう。
AIの活用は、短期的には既存の仕事のサポートなどが多く、大きなビジネスに直接結びつく可能性は高くない。前述したように、人間の「共感力」と「本能」を持ち得ないこと、また、現時点では「時間」をうまく扱えないため、動画やストーリーが処理しづらいことが要因だ。
とはいえ、長期的には、現時点では誰も思いつかないような大きなビジネスに使われるかもしれない。
最新のAIがこれまでと違う点は、学習する段階と、その学習した成果を使って実際に判断・予測する段階が分かれていることである。学習には、巨大なシステムでビッグデータを読み込み、長時間をかけなければならない。しかし、実装化の際は、学習結果のエッセンスを取り出す小さなセンサーと、簡単な論理処理機能だけがあればいい。安価で小さなモジュールをつけるだけで機能するため、IoTとの親和性が高い。
また、AI研究と深層学習の発想が、ほかのビジネスを生み出すヒントになるかもしれない。そもそも、グーグルはAIで巨額の利益を得た最初の企業ともいえる。起業当時、AIをそのまま使ったわけではないが、数学モデルのニューラルネットワークに発想を得て、ウェブサイトのリンクの量と質で重要性を決めるシステムを開発し、巨大企業に成長した。AIのモデルを参照しながら、そのエコシステムの理解を進めれば、新しいサービスや収益モデルのヒントになるだろう。
AI研究が提示するモデルは、企業経営や組織論にも影響を与える。組織として、重層的に概念を形成して組織的学習を進めていくには、どういう組織をつくり、どのように情報を流していくのがいいのか。AI研究は重要な示唆を与えてくれる。
また、実はAI研究は科学的方法論としての意味が一番重いかもしれない。AI研究は、従来の実証科学のように、厳密に真偽を確かめる分析的アプローチではなく、新しいものを創造するのに役立つモデルを提供する構成的アプローチである。そして、単純化した法則を見つけようとするのではなく、多様性、重層性、冗長性、再帰性を持つ複雑系を前提として、実践的予測をしようとしている点で、最先端の科学らしいといえる。
これまで、AIはブームと冬の時代を繰り返してきた。AIを研究しているのは、機械ではなく生身の人間である。これ以上、過剰な期待をしたり、理不尽な批判を行うと、研究体制が壊れかねない。過不足ない期待を持ち、明るい声援を送りたいものである。
文=小林敬幸/『ビジネスの先が読めない時代に 自分の頭で判断する技術』著者
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