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欧米メーカーの破綻劇まで起きた再編の中で、日本車ブランドはその荒波をどうやって乗り越えてきたのか Photo:Kadmy-Fotolia.com
世界大再編は「第五幕」へ 激動を生き抜く日本車のしたたかさ
http://diamond.jp/articles/-/71124
2015年5月8日 佃 義夫 [佃モビリティ総研代表] ダイヤモンド・オンライン
■あのベンツとクライスラーが合併!? 17年前のGW明けに始まった世界大再編
今から17年前の1998年5月7日、「ダイムラーベンツとクライスラーが合併に合意した」との外電が突然流れてきた。
日本ではゴールデンウィーク明けで、ビジネス街にもその連休の余韻が残っていた。当時国内景気の低迷が続き、産業界も日本車の各企業も、いつもの活気を取り戻すのが遅れていた。そこに、海の向こうから突然ビッグニュースが飛び込んできた。筆者が前歴の新聞社で総合デスクとして連休明けに出勤したこの朝に、外電が飛び込んできたのである。
「ベンツとクライスラーが合併?本当かね?」
ドイツの高級車メーカーとして知られるダイムラーベンツと、当時の米国のビッグ3の一角だったクライスラーが合併とは――。それは誰も予想するものではなく、欧州と米国の異質な企業体が合併に結びつく予兆は見えなかった。
欧米を代表する自動車メーカー同士が合併という形で結びつくことは、旧来考えられなかった。欧米において自動車は、基幹産業として「聖域」的な存在だった。産業構造が広く深い自動車は、国の威信をかけた国際的な自動車産業保護の観点からも、政治レベルの大きなテーマとされてきたからでもある。
しかし、現実に両社はこの大西洋をまたぐ合併を一気にまとめ上げ、その年の10月に「世紀の大合併」と言われたダイムラークライスラーが誕生した。
このダイムラークライスラーの合併・誕生は、世界の自動車業界に大きな衝撃を与えた。21世紀のグローバル市場と次世代車開発への生き残り戦略が、一気に表面化することになったのである。世界的な自動車生産の供給過剰への懸念、環境技術対応への競争・投資効率化・コスト競争といった、自動車産業が次の世紀へと向かうにあたっての大きな共通課題が浮上したのである。
「すわ、自動車世界大再編への新たなうねりか」
これを機に日本のマスコミも、自動車世界再編への取材活動に拍車をかけることになった。
■世界を巻き込む合従連衡が加速 日本メーカーはなぜ生き残れたか?
ダイムラークライスラーの誕生劇そのものについては、日本の自動車業界はカヤの外だった。しかし、この新たなグローバル合併図式は、日本車を巻き込む世界合従連衡の加速化を示唆するものとなった。
今年2015年5月の連休明けで、あれから17年が経過した。「クルマの世紀」と言われた20世紀末から21世紀へと時代が移行する過渡期に引き金が引かれた世界再編によって、世界自動車産業の波乱が予想されたわけだが、この21世紀初頭に自動車業界は目まぐるしい変貌を遂げた。
すなわち、大西洋をまたぐ大合併だったダイムラークライスラーの誕生を幕開けとした世界の自動車産業の構図は、2000年代のこの15年間で何幕もの転換があった。その渦の中に日本の自動車産業も巻き込まれながら、日本車ブランドの乗用車8社、トラック4社の12社は生き残り続けている。
21世紀に入りグローバル自動車市場では、中国を中心とする新興国市場の伸長がポイントとなり、一方で地球温暖化・環境規制対応への次世代車開発とクルマの宿命でもある安全対応技術が求められるようになった結果、グローバル合従連衡が進展していく。
それは、世界の自動車産業をリードしてきた米ビッグ3(GM、フォード、クライスラー)、クルマの先進文化を誇る欧州各国を代表するVW、ベンツ、BMW、ルノー、プジョー・シトロエン、フィアットの野望と、欧米メーカーに伍する力をつけてきた日本車ブランドの生き残りへの方向性が、激突するものだった。
ダイムラークライスラーの誕生は、実質的には当時豪腕と言われたシュレンプ・ダイムラー会長率いる独ダイムラーによる、クライスラーの買収だった。当時まだ元気だったGM、フォードは触発される形でグローバル合従連衡に動いた。
世界再編の「第一幕」では、日本車ブランドもそのうねりの中で、生き残りに動いた。
1999年3月、日産自動車が仏ルノーとの資本提携を発表。かつてはトヨタと共に日本自動車産業をリードしてきた日産だが、90年代の大幅な業績悪化から再建の必要に迫られて外資に助けを求め、ダイムラークライスラーやフォードとの交渉も経て、最終的にルノーとの提携を決断したのである。ちなみに、当時のシュバイツァー・ルノー会長が日産COO(最高執行責任者)として直ちに送り込んだのがカルロス・ゴーン現社長で、ゴーン日産体制になってから実に16年が経過することになる。
ルノー・日産連合の誕生に対し、トヨタはダイハツ、日野を子会社化してグループ強化を図った。また、GMはいすゞ、スズキへの出資比率を引き上げる一方で、日産グループから離れた富士重工業と資本提携。フォードは、ボルボ乗用車部門を買収すると共にマツダの出資比率を引き上げた。
■「再編第一幕」から10年を経ずして起きた自動車業界の動乱
2000年代初期は、米GM、フォードがまだ元気であり、日本車ブランドも「寄らば大樹の陰」で、GMグループ、フォードグループとの関係強化を目指した。しかし、それが北米市場での需要構造の変化についていけなかったことなどで、GM、フォードの収益大幅悪化が表面化した。これが「第二幕」である。
ここでダイムラークライスラーも合併効果を出せず、欧米の企業文化の違いもあり、2007年に合併解消という「短期離婚」に終わってしまった。
フォードは、ボルボ乗用車ブランドを中国・吉利自動車に、ジャガー・ランドローバーをインド・タタ自動車に売却。一方、GMは日本車のスズキ、いすゞ、スバルとの資本提携解消に動いたわけである。
つまり、世界再編の幕開けから10年を経ずして引き金となったダイムラークライスラーの離婚、GMとフォードの経営悪化・グローバル戦略の「暗」が、浮き彫りにされてしまったのだ。
そして、日本車ブランドも大いに振り回されるなかで、「第三幕」に移ることになる。
2008年秋に勃発した米リーマンショックは、瞬く間に世界の実体経済に深刻な影響を与え、世界の自動車産業に大転換を促すことになった。弱っていたGM、フォード、クライスラーが実質経営破綻に追い込まれ、フォードは自主再建によって前述のように傘下のグループブランドを売却するなどしたが、GMとクライスラーは米オバマ政権の救済支援による再生を選んだ。クライスラーはその後、伊フィアットと合併し、フィアット・クライスラーオートモービルズ(FCA)として新たな歩を進めている。
一方、日本の各自動車メーカーも、世界市場の急激な落ち込みで軒並み業績を悪化させた。特に、2000年代に入りグローバル市場で拡大路線を進めていたトヨタは、リーマン直前の2008年3月期に営業利益2兆2700億円を叩き出したのに2009年3月期には一気に赤字転落という事態に陥った。
■世界に躍り出た日本メーカー 「第五幕」で浮き彫りになる課題
このリーマンショックが1つの大きな転機となった。クルマのモノづくりの立て直し、品質・コストの見直し、市場の構造変化への対応などを含めて、低炭素社会化への技術革新・コスト革新がスピードアップされる要因となったのである。
加えて言うなら、日本の自動車産業にとって「第四幕」となったのが、2011年春に発生した3・11東日本大震災と、同年秋に発生したタイの大洪水である。これの天災は、クルマ産業にとってサプライチェーンや生産体制のフレキシブル化など、大きな教訓を与えてくれた。
そして現在、自動車業界は「第五幕」に入ったと言える。この連休明けに本格化する3月期決算発表に見られる自動車各社の好業績の背景には、超円高是正、原油安、北米市場好調といった追い風に加え、リーマン以降に進められたコスト革新などの体質強化策が実ってきたことがある。
だが、今期以降になると課題も多い。日本の国内市場の先行きは厳しく、グローバルでも北米は好調を持続できそうだが、新興国ではタイなどの主要市場の回復が遅れ、最大市場の中国は伸び率が鈍化するという状況のなかで、競争が激化している。
環境対応への次世代車戦略においても、内燃機関(ガソリン・ディーゼル)の進化も含め、HV、PHV、EV、FCVとパワートレインが多様化するなか、戦略面での競争力が問われる。安全対応技術でも、自動運転などの技術進化が注目されている。
■変貌を続ける世界再編の荒波を雄々しく泳ぎ続ける日本車ブランド
ともあれ、ダイムラークライスラー誕生から20年を経ずして、世界の自動車産業の構図は変貌を遂げてきた。その中で日本車は、乗用車8社、トラック4社の12社が変わらずに存在し続けている。
整理整頓が済んでいない中国を除くと、世界を見渡してもこれだけの自動車メーカーブランドがあるのは、日本だけである。
だが、その中味は変わってきた。トヨタグループ(トヨタ、ダイハツ、日野、スバル、いすゞ)にホンダ、スズキ、マツダ、三菱自が、現状で外資と距離を置いている。それに対して、明確に外資系となったのが日産(仏ルノー連合)、三菱ふそう(独ダイムラー)、UDトラックス(スエーデン・ボルボ)だ。
トヨタグループとしては、ダイハツ・日野の子会社化に加え、スバルがグループとして連携しているが、いすゞは微妙な関係にあり、むしろ復活気味のGMとの復縁を模索しているようだ。
また、ホンダは自主独立を貫きそうだが、VWと資本提携解消後のスズキ、フォード離れから復活したマツダ、クライスラーからダイムラー、さらに三菱グループ支援で再生してきた三菱自の今後の動向に、関心が寄せられている。
いずれにせよ、日本車ブランドの強みはきめ細かな市場対応力である。国内では軽自動車などの小さいクルマづくりから技術力を鍛え上げ、トラックにおいても小型から中型、大型へと高い環境対応技術力が受け継がれている。世界の合従連衡の方向も、包括的な資本提携から技術提携、生産提携へと変わりつつある。
そうしたなかで、今後も日本車ブランドはしたたかに生き抜いていくことだろう。
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