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鈴木修会長兼社長は2007年2月、主力車「スイフト」の生産拠点となったインド工場の開所式に出席した=インド・ハリアナ州
日本式経営、カースト制をものともせず 鈴木修会長兼社長 浜松物語・スズキ
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20150505-00000500-biz_san-nb&ref=rank
SankeiBiz 2015/5/5 10:43
−−2001年ごろ、インドのマルチ・スズキの工場を訪ねたことがある。カースト制で大丈夫か、と思っていたら、オフィスは大部屋、役員も管理職もブルーカラーも同じ大食堂で食膳を並べていた。現場ではみんな平等の立場で「カイゼン」案を出し合っていた。どこにもゴミ一つ落ちていない典型的な日本の工場だった
「進出した1981年当時は、もう、野原だった。満州の荒野と一緒だよ。周りは牛臭くて、クジャクやサルがたくさん動き回っていた。今は交通渋滞。もう10階建て、5階建て、8階建てのビルができちゃって、町になっちゃってね」
−−今、マルチ・スズキは年産100万台を維持している
「去年は110何万台。この6年ぐらいは100万台前後で、中だるみなんですね。ちょっと安心感っちゅうか、2番バッターがヒュンダイ(韓国の現代自動車)で国内販売は45万ぐらいですから」
−−トヨタとは競合しないようだ
「トヨタはレクサスを中心に売ってますからね。高級車を中心に。小さいやつはスズキに勝てそうもないということで、皆さん大型を中心にやってますね」
−−インド最大財閥のタタもずいぶん意気込んで超低価格の自動車に参入した
「タタ・ナノっていうのがね、マルチ800に対抗すると。つまりアルトに対抗する800をね。ナノも800だったな」
−−問題にしなかった。
「マルチ800に対抗するもっと安い車を作るということでナノ800を売り出したんだけど、人気がなくて。『あれは車じゃないよ。力車だよ』って言ったらタタのほうは、『こんちくしょー、今に見ていろ』って言ってたけど結局駄目だったね。今、年間2000台ぐらいじゃないかな」
−−中国での事業はどうか
「中国は細々とやってるわ。うちは中国が遅れたんですよ。それでインドに行った。だから、結果的にインドに重点を移したのが花が咲いたということで、中国は今まで最高20万台ぐらいかな」
−−海外展開はインド、ハンガリーというふうに、他の大手が目をつけないような所で真っ先に進出の決断をしている。そのときの判断基準は
「やっぱりオートバイからスタートしましたから、軽自動車というより小さい車をまず手がけたということがありますね。だから、実力に分相応の車を作って、海外へ出たということで、もう大きい車作ったらうちはとても無理でしたよ。軽自動車に毛の生えたようなものを作るということで、インドネシアに1974年に進出。75年にはパキスタンで工場作って、それで政府と一緒にやったんです。インドと一緒ですよね」
−−随分早く、パキスタンに進出した
「だから、パキスタンはシェア1位だよ」
◇
他民族、他宗教のうえに身分制度が厳しいインド。鈴木さんが以前、「カースト制ってあったっけ」と名言を残したほど、日本化に成功している。イスラム文化のパキスタンでも、ものづくりに成功する。鈴木さんは「表には出せないような失敗をさんざんしてきた」とも言うが、日本型経営の普遍性を身をもって実証してきたに違いない。(聞き手は産経新聞特別記者田村秀男)
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