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リストラ部屋にも誇りはある! 都合6度、目標削減数8万人。ソニーのリストラ地獄の中で、リストラ部屋の人々はいかに生き抜いたか。講談社ノンフィクション賞受賞作『しんがり』の著者が追ったビジネス巨編!
なぜソニーは終わりのない「リストラ地獄」に陥ったのか。『しんがり 山一證券 最後の12人』の著者が描く、会社人の苦しみと誇りと再生の物語
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42999
2015年05月03日(日) 清武英利 現代ビジネス
社長はリストラ部屋を見たか
(文・清武英利)
苦しくてもその仕事に目的や意味があれば、人は耐えることができる。残業や徹夜続きでも、サラリーマンは何とか我慢して生きていくものだし、時には、「楽しくてたまらない」という者も現れる。
では、「ここで君にはやるべき仕事はない。辞めるまで給料は出す」と上司に告げられたらどうだろうか。
「頑張る必要はない。努力するとしたら、この会社を出ていく努力だよ」と。
「リストラ部屋」の人々はそんな通告を受けて、「キャリア開発室」という名の部屋に収容されている。表向きは「社員がスキルアップや求職活動のために通う部署」と説明されていたが、実際は仕事だけでなく働く意味や目的を奪われ、会社から出ていくことを期待されている面々だ。
そんな彼らを訪ね、聞き取りを始めたのは2012年秋のことである。
ソニーの友人たちが次々にリストラの対象になっていくのを見て、私は不思議に思っていた。ソニーは、創業者の一人である盛田昭夫氏が、「わが社はリストラをしない」という趣旨の宣言をしていた会社だったからだ。
これは近著『切り捨てSONY リストラ部屋は何を奪ったか』にも記したことだが、志の高い大企業経営者が従業員に寄り添う時代があったこと、そして後継者はその創業者が亡くなると、時として十分な説明もなく終身雇用の方針を大転換することを思い起こしていただきたいので、あえてここにも書く。
盛田氏は欧米の経営者を前に、しばしば「経営者はレイオフの権利があるか」と訴えた。その講演の一部を、彼の著書『21世紀へ』(WAC)から引く。
「あなた方は、不景気になるとすぐレイオフをする。しかし景気がいいときは、あなた方の判断で、工場や生産を拡大しようと思って人を雇うんでしょう。つまり、儲けようと思って人を雇う。それなのに、景気が悪くなると、お前はクビだという。いったい、経営者にそんな権利があるのだろうか。だいたい不景気は労働者が持ってきたものではない。なんで労働者だけが、不景気の被害を受けなければならんのだ。むしろ、経営者がその責任を負うべきであって、労働者をクビにして損害を回避しようとするのは勝手すぎるように思える。われわれ日本の経営者は、会社を運命共同体だと思っている。だから、いったん人を雇えば、たとえ利益が減っても経営者の責任において雇い続けようとする。経営者も社員も一体となって、不景気を乗り切ろうと努力する。これが日本の精神なのだ」
これは2000年に、石原慎太郎氏や小林陽太郎元経済同友会代表幹事、キッシンジャー元米国務長官の推薦を受けて出版された本だ。小林氏はその後、ソニーの取締役会議長にも就いている。
だが、そのソニーは出版の前年の1999年3月から現在まで計6回、公表されただけで計約8万人の従業員を削減している。
若い新聞記者や忘れっぽい記者はリストラに寛容だが、少し前までは日本経済新聞でさえ、無計画な採用の末、人減らしに狂奔する大企業の姿勢を厳しく批判していたのだ。
ソニーは「理想工場」を目指した会社として知られている。普通の感覚ならば、そんな会社がなぜ、17年間も延々とリストラを続けるのか、後継者たちは何をしていたのか、最近の経営陣が厳しいリストラの一方でどうして巨額の報酬を取れるのか、疑問に思わない者はいないのではないか。
リストラの渦に巻き込まれた中には以前、ソニー広報部からも「ソニースピリッツを持ったエンジニア」と紹介され、私自身が取材した社員も含まれている。「リストラをしない」はずの会社で、その会社のお墨付きを受けたエンジニアたちが早期退社していくのを見て、「なぜだ?」と問いかけをしない記者はいないに違いない。
ほかにも私を取材へと引き寄せたことがある。
私は、リストラ部屋の取材を始める前に、「辞めても幸せ」という、今から考えると何とも曖昧なテーマで、ソニーの元サラリーマンたちを取材していた。
会社を辞めてなお、「私は幸せに生きている」という元サラリーマンたちに、「あなたは会社のなかで何を支えに生き、組織を離れた後、本当に幸せに暮らしているのか」と聞き歩いていたのだった。ソニーを選んだのは、そこに友人が多く、実際に「辞めても幸せ」と答える人が多かったからだ。
そのうちに、彼らのトップだった人物にも聞いておかねばならないと思い、2012年9月、ソニーの6代目社長だった出井伸之氏にインタビューをお願いした。会長兼CEO(最高経営責任者)を務め、最高顧問を経て、ソニーのアドバイザリーボード議長を務める人物だ。彼は当時、東京・丸の内の東京銀行協会ビル16階にビジネス開発・支援会社「クオンタムリープ」を構えていて、そのオフィスで快く応じてくれた。率直で逃げない人である。
出井氏はソニー時代の思い出や引退後の生き甲斐だけでなく、リーダー論や社長時代の権力抗争についてもかなり長い時間を割いて語ってくれた。そして、「会社や人間社会は基本的にシェイクスピアで終わっていますよ」と言った。
「シェイクスピアの物語はよくできている。権力を持った人の物語が多いじゃないですか、裏切りとか、密告とか、人を殺すんだったら、首を抱いたまま、うしろから刺しちゃうとかね。会社も組織である限り、全部が清く正しく美しくなんていうことはあり得ないんですよ」
そして、トップというものは経験した者でないとその苦しみはわからないのだ、と力説した。
「清武さんが読売グループで経験されたようなことっていうのも、ソニーでは何度も起こっています。それは組織である限り、3人集まれば意見も違うし、権力を得る人もいれば、そうでない人もいれば、裏切り、密告もあるわけですよ。それに(社長として)10年も耐えていると、もういい加減、疲れてくるっていうかね。顔つきが悪くなりますよね。副社長なんか全然駄目だよね。トップはやっぱり一人なんですよね。辞めるとほっとするっていうか、顔つきが良くなりますよ」
顔つきが良くなったという出井氏はそしてインタビューから2ヵ月先の11月に、六本木ヒルズクラブで取り巻きが開いてくれる75歳の誕生パーティを楽しみにしているのだと言った。それまで毎年、誕生日ごとに7〜8組がパーティを開いてくれていたが、それをまとめてやるのだという。
私はがっかりした。そのパーティの模様をテレビで見て、もっとがっかりした。早稲田大学の同期生である森喜朗元総理を招き、ベンチャー起業家や元部下ら約200人に紹介していた。会場にNHKの取材クルーを入れ、大はしゃぎに見えた。パーティ開催には何の問題もないが、その時期は「管理職の3割削減」の号令のもと、ソニー本社の中堅社員までが大量にリストラされ、会社を追われた時期である。
私はこう考えた。トップにしかわからない苦しみはきっとあるのだろう。だが、そのトップが理解しようとしない社員の呻吟があるのだ。丁寧に取材してそれを描こう。
もう2年半以上も前のことである。
(きよたけ・ひでとし ジャーナリスト)
読書人の雑誌「本」2015年5月号より
* * *
清武英利(きよたけ・ひでとし)
1950年宮崎県生まれ。立命館大学経済学部卒業後、75年に読売新聞社に入社。青森支局を振り出しに、社会部記者として、警視庁、国税庁などを担当。中部本社(現中部支社)社会部長、東京本社編集委員、運動部長を経て、2004年8月より、読売巨人軍球団代表兼編成本部長。2011年11月18日、専務取締役球団代表兼GM・編成本部長・オーナー代行を解任され、係争中。現在はジャーナリストとして活動。著書『しんがり 山一證券 最後の12人』で2014年度講談社ノンフィクション賞受賞
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