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インタビューに答える鈴木修・スズキ会長(野村成次撮影)
「敵はVW、世界で競争 本社浜松のハンディなし」鈴木修会長兼社長
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20150502-00000501-biz_san-nb
SankeiBiz 2015/5/2 14:15
東京一極集中と地方の人口減少問題の解決策として注目されている「地方創生」。地方の企業には、地域の資源・人材の積極的な活用や、海外企業との競争に勝つための戦略が求められている。中でも、浜松市に拠点を置く企業には「やらまいか(やってみよう)」精神が脈々と受け継がれ、野趣あふれたトップが健在だ。浜松の魅力や可能性などについて、縦横無尽に物語ってもらおう。トップバッターは、自動車大手スズキの鈴木修会長兼社長だ。
−−浜松ほど名だたる企業家が輩出しているケースは、地方にはない
「なぜ浜松がそういう環境になったかというのは、いま一つ分からんけどね。浜松は『やらまいか』という、ものづくりの中心だったな。非常に発奮する環境があった。気候温暖、その気になれば寒い東北でやるよりも専念できる。明治維新の頃は何かやろうとした努力はあるんですけど、戦後は旧制浜松高等工業学校という静岡大学の今の工学部の前身。あれがあったからですよ。勉強ができたということね。学問ができた」
■よそ者受け入れる所
−−浜松市内およびその郊外からスタートした主な発明家、創業者(いずれも故人)を挙げると、豊田佐吉(トヨタグループ)、鈴木道雄(スズキ)、本田宗一郎(ホンダ)、鈴木政次郎(エンシュウ)、山葉寅楠(ヤマハ)、河合小市(河合楽器製作所)、堀内平八郎(浜松ホトニクス)など。いまなお「テレビの父」と世界から称賛される高柳健次郎も地元の旧制浜松高等工業学校で教鞭(きょうべん)をとり、本田や堀内らの企業家を育てた
「浜松という所はよそ者をものすごい受け入れてくれる所だね。一般的に排他的な印象が強いといわれる名古屋と全然違いますよ」
−−スズキ4代目のトップ、修氏は岐阜県出身で、2代目、3代目に続く養子。浜松にどっしりと腰を落ち着けている背景には養子ならではの、地元への気遣いがある
「ホンダさんが1953年に東京に移られた。私は58年に2代目社長(鈴木俊三)の養子になった後、『うちもホンダ並みに東京に本社移して、アンテナ張り上げてやりませんか』って言ったら、おやじがなんて言ったか。 『お前ね、俺もお前も養子だぞ』とね。『そんな東京に行ったって鈴木家から何言われるか分からん。それはやめとかないか』と。うまく逃げられちゃったね」
「東京はチャンスがあるっていうことですね、情報収集のね。その気になれば東京というのは奥深く情報収集ができて、いろいろなウオッチできますよね。だけど、今は東京でも浜松でも情報の収集っちゅうのは全然変わらないからね」
■ハンディ気にならず
−−東京ではなく、浜松という地方にいなければ、出てこない発想もある
「東京なんかで軽(自動車)乗ってないでしょ。山奥の人が軽を使ってる。小型車が欲しいんだけれども、お父さんが乗ってるから2台は買えないっていうことでお母ちゃんが子供の用事だとか、ご両親の、おじいちゃんおばあちゃんの使い走り、病院へ行くとかね。そういうことに使ってらっしゃる」
−−地方で高齢化が進めば、軽の運転もままならなくなる
「だから、今の時代はいいけども、10年先に広い意味における自動車というもの。それから、狭義における軽の将来というものをどう考えるかということ。今の若い人はそういう経営感覚がないからね。頼んでりゃ給料もらえると思ってる。俺なんかいつ辞めてもいい。退職金はなくなったしね。皆さん退職金はもらわないかんでしょ。退職金もらう寸前につぶれちゃったら困るもんね」
−−クルマは電気自動車、水素自動車、自動運転車などと技術革新が進む。官民合わせ、膨大な情報、技術と人材が集中する東京に比べ、地方にいるハンディは気にならないのだろうか
「全然関係ないね、うん。ドイツのフォルクスワーゲンと戦っとるだけだから。地球の裏側でも戦ってる。東京に居るのと浜松に居るのとあんまり関係ないじゃないか」
「浜松という地方の目線で国内、そして世界を見ていくのか」と念を押すと、「それしかない」と鈴木さんは言い切った。その立ち姿は野武士然としていながら、フェアであり、どことなく優しい。本連載の次回以降で明らかになるが、それは、「弱い者いじめをするな」という渾身(こんしん)の経営哲学、あるいは中小企業型ビジネスモデルに通じる。地方のニーズに合った車づくり、さらにカースト制特有の身分・階層差別に代わる平等主義を浸透させて大成功を収めたインドでの生産などが、その証しだ。(産経新聞特別記者 田村秀男)
■鈴木修(すずき・おさむ)中央大法卒。1958年、鈴木自動車工業(現スズキ)入社。常務、専務を経て1978年に社長就任。2000年、会長に就任し、社長職をいったん退いたが、08年12月から現職。85歳。岐阜県出身。
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