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世の中おかしな事だらけ 三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』 第123回 おカネと経済力(前編)
http://wjn.jp/article/detail/1993001/
週刊実話 2015年5月7日 特大号
長期にわたるデフレーションが続き、日本国民はすっかり「おカネ至上主義」に陥ってしまった。
実は、経営(ビジネス)はともかく、国民「経済」においておカネの優先順位はそれほど高くないのだが、誰もそうは考えなくなってしまった。
おカネこそすべて。おカネが大事。そう思っているからこそ、日本国民は財務省から垂れ流される「国の借金プロパガンダ」に騙され、真の意味の「日本の経済力」がデフレで痛めつけられていくのを放置し、自らも貧困化しているわけである。
というわけで、今回は「おカネの正体」「経済力の正体」について書いてみたい。まずは、おカネとは何なのだろうか。
ハッキリ言うと、おカネとは「債務と債権の記録」なのである。読者がおカネを保有しているとは、もちろん「債権がある」という話だ。
とはいえ、読者がおカネという「債権」を持っているということは、反対側に必ず読者に「債務」がある誰かがいることになる。
読者の財布に入っている現金紙幣(1万円札など)という債権(資産)は、日本銀行の債務(負債)である。実際、日本銀行のバランスシート(貸借対照表)を見ると、左ページの図(本誌参照)の通り約98兆円の現金が「負債」として計上されている。
さて、読者が近所の店舗で1万円の商品を購入したとしよう。代金を支払う前、つまりは1万円の商品を読者が受け取った“瞬間”は、
「店舗が読者に1万円の債権を保有している」
「読者は店舗に1万円の債務がある」
という関係が成り立つことになる。
というわけで、読者は財布の中から「読者の債権=日本銀行の債務」である1万円札を取り出し、代金を支払う。
つまりは、
「読者が店舗に対する1万円の債務を、日本銀行に対する債権で弁済した」
というプロセスが進んだことになる。
元々は読者が保有していた「対日本銀行の債権(=1万円札)」は、今度は「店舗が日本銀行に保有する債権」となった。
イギリスのエコノミストであるフェリックス・マーティンは、自著『21世紀の貨幣論』において、おカネとは「貨幣単位」「記録システム」「譲渡可能性」という三つの基本要素からなる社会的な技術と結論づけている。
先の例でいえば、「円という貨幣単位」「債務債権を記録するシステム」そして「日本銀行への債権が譲渡可能であること」と、マーティンのおカネの基本要素が全て満たされていることがわかる。
逆に言えば、それら三つの基本要素が満たされているならば、現金紙幣以外もおカネになりうるのだ。というよりも、実際に我々は現金紙幣以外のおカネを大量に使っている。
例えば、銀行預金だ。銀行預金とは、読者にとっては「銀行に対する債権」になる。
当然、銀行にとっては「読者に対する債務」でもあるわけだ。債権者が存在した時、反対側に必ず債務者がいる。
読者が、同じ店舗で5万円の買い物をしたとしよう。5万円分の商品を受けとった瞬間は、「店舗が読者に5万円の債権があり、読者が店舗に5万円の債務がある」という状態になる。
読者はデビットカードを使い、銀行預金から代金を支払った。
読者が銀行に保有する5万円分の債権で、店舗に対する5万円分の債務を弁済したわけだ。読者の銀行に対する5万円の債権(預金)は、店舗の債権へと姿を転じる。
これらを理解すると、「支払手形」もまた、譲渡性があるならば“おカネ”の役割を果たし得ることに気が付くだろう。
例えば、読者が「1年後に10万円を支払う手形(支払手形)」で10万円分の買い物をしたとする。読者の債務が、人々の買い物の支払いに使用され、つまりは「債務が譲渡」されていった場合、これは普通に“おカネ”の条件を満たしてしまうのだ。
ところで、おカネとは債務と債権の組み合わせである以上、「債務を生み出さない形で、債権(おカネ)を生み出す」ことは、本来は不可能である。
だが、この世には一つだけ、「債務発生」なしでおカネを生み出すことができる存在があるのだ。もちろん、独自通貨国の「政府」である。
実際、日本政府は現時点で自らの債務にならない形で“おカネ”を発行している。すなわち、読者の財布に入っている「硬貨(コイン)」である。
1円玉、10円玉などの硬貨は、保有者の債権ではあるものの、誰の債務でもない。
資産としてバランスシートの借方(左側)に計上されている硬貨と「対」になる貸方(右側)の債務は存在しない。借方の硬貨と「対」になる貸方は、政府の純資産なのである。
バランスシート上の「純資産」とは、これは企業会計でも同じだが、損益計算書上の「最終利益」が蓄積されたものだ。政府はおカネを発行することで、無から利益を発生させ、バランスシートの純資産として積み上げることが可能な存在なのである。
おカネの発行利益のことを、シニョリッジ(通貨発行益)と呼ぶ。シニョリッジとは、フランス語で「封建領主」を意味するシニョールに由来する。
さて、まとめるが、おカネの正体は「債務と債権の記録」であり、かつ政府は「債務」にならない形でおカネを発行することができる。これらを理解すれば、「経済力」と「おカネの量」が必ずしもイコールにならないことがわかるだろう。
経済力とは、何なのだろうか。次週、明らかにする。
三橋貴明(経済評論家・作家)
1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、わかりやすい経済評論が人気を集めている。
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