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〔写真〕峯竜也 〔構成〕小野塚久男 〔撮影協力〕BAR STING
第8回ゲスト:中谷巌さん (前編)「ピケティが叩かれるのは、強力な富の再分配なしに資本主義が永続できないことを指摘したからです」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43114
2015年04月29日(水) 島地 勝彦 現代ビジネス
■経済学の泰斗に、話題のピケティを解説してもらう
島地 あー、重たい。日野、本が分厚すぎてバッグがパンパンになったぞ。
日野 なんですかそれは。あ、トマ・ピケティの『21世紀の資本』じゃないですか。島地さんがその手の本を読むとは知りませんでした。
島地 本屋に行くと平積みになっていて、いやでも目に付くんだよ。話題になっている本が気になるのは、何歳になっても変わらない編集者の性だな。
日野 で、その分厚い経済学の本を読んだんですか?
島地 もちろん、ざっと見た。
日野 見た? 編集者の端くれとして気になるので、内容をかいつまんで教えてください。
島地 まかせておけ、といいたいところだけど、統計データが多すぎていま一つピンと来ない。そこで、今回は頼もしい助っ人をお招きしたぞ。私が最も尊敬し、かつ信頼している経済学の泰斗、中谷巌先生だ。
日野 島地さんの謎の人脈にはいつも感心させられますが、中谷先生ともお知り合いだったとは。畏れ入りました。
中谷 島地さんとのおつき合いはもう20年ぐらいになりますか。島地さんが集英社インターナショナルに移って、『痛快! 経済学』を出版した頃が懐かしい。
島地 あれはすばらしい本でした。初版3万部で、その日のうちに増刷が決まり、最終的には30万部以上のベストセラーになりました。ピケティの『21世紀の資本』が我々の『痛快! 経済学』よりすぐれているとは思いませんが、世界的なベストセラーとなったのは事実です。そこで、ハーバード大学でPh.Dを取得し、政府のブレーンを何度も務めた碩学に、この本の言わんとすることをご教示いただければと思った次第です。
日野 今回は贅沢な特別講義ですね。珍しくためになる内容を掲載できそうで、担当としてはうれしい限りです。中谷先生、どうぞよろしくお願いします。
■アダム・スミスの「神の見えざる手」は存在するか?
島地 以前、中谷先生からアダム・スミスが『国富論』で書いた「神の見えざる手」についてうかがいましたが、ピケティは「神の見えざる手」などは存在せず、資本主義によって貧富の差はどんどん広がっていると書いています。
中谷 ちょっと背景を整理しましょう。アダム・スミスが『国富論』を書いた18世紀後半は歴史的に大きな転換期でした。フランス革命を前にして、権力が貴族から新興ブルジョワジーへと移っていく時代です。アダム・スミスのバックには新興ブルジョワジーがいたわけですから、『国富論』は彼らの思想や行動を代弁するような立ち位置で書かれたと考えるべきです。
島地 そもそも、新興ブルジョワジーの思考・行動のもとになるのが資本主義だと。
中谷 その通り。一握りの貴族にだけ富が集中するのではなく、自由経済、自由貿易により多くの人に機会の平等をもたらすべきというのが資本主義のイデオロギーです。そして多くの起業家が生まれ、西洋諸国は未開拓の植民地を求めて海外に出て行った。近代化とは西洋世界が非西洋世界を支配する過程であって、それをサポートしたイデオロギーが資本主義であり、自由貿易なんです。
日野 なるほど。そうやって整理されると流れがとてもつかみやすいです。
島地 つまり、その近代化の流れのなかで『国富論』は書かれたと。でもアダム・スミスは、なんでも際限なく自由にやっていいとしたわけではありませんよね。
中谷 そこが良心的といいますか、昨今の軽薄な新自由主義経済主義者とは違うところです。資本主義、自由貿易を認めながら、アダム・スミスは一方で道徳の大切さも説いています。格差の拡大まで言及していないのは時代的に仕方がないことだと思いますが、西洋諸国が際限なく自由に、好き勝手にやっていると、やがてとんでもないことが起こるという危惧を、すでに持っていたんじゃないでしょうか。
島地 なるほど。その危惧をさまざまなデータで具体的に実証してみせたのがピケティの『21世紀の資本』なんですね。
中谷 そういう見方もできます。
■『21世紀の資本』は資本主義体制批判の書だった?
中谷 ピケティは資本主義も市場主義経済も、予定調和でみんなをハッピーに導くものではなく、格差を拡大させる構造的な仕組みを持っていると書いています。
ただ、それは経済学の世界では織り込み済みでして、資本主義が格差を拡大しても、民主主義が格差是正システムとして働き、富を再分配することで全体が豊かになり、社会が発展すると考えてきた。しかし、民主主義は必ずしも富の再分配を十分に行えない。ピケティはこのことをデータで示したのです。
島地 理屈としてはわかりますが、どうも釈然としません。戦後の資本主義社会ではみんなが豊かになったではないですか。
中谷 おっしゃる通りです。私がハーバード大学に在籍していた頃、ノーベル経済学賞を受賞したサイモン・クズネッツ教授に教えてもらう機会がありました。クズネッツ教授は資本主義経済が発展すると所得は平等化するという仮説を立て、これをデータを積み重ねて実証しています。
クズネッツが使ったデータは、第一次世界大戦から第二次世界大戦を経て1970年頃までの数十年間のデータなのです。確かにこの時期は2度の世界大戦や大恐慌があり、富裕層の富がほとんど失われてしまいましたから、平等な社会が実現した時期だったのです。
島地 ピケティの『21世の資本』でおもしろいと思ったのは、18世紀、19世紀までさかのぼっていろんなデータを積み上げているところです。私には経済学の知識はありませんが、バルザックの小説の背景はこういう時代だったんだと、新しい発見がありました。
中谷 この本の価値は、19世紀以降の所得や富のデータを丹念に掘り起こしたところにあります。富裕層の所有していた富が大きく毀損した2つの世界大戦前後という特殊な時期を除けば、フランス革命ぐらいから始まる長いスパンで見ていくと、資本主義経済は、富める者はますます富み、貧しい者はいつになっても貧しいままの歪な社会をつくってきた。そういう流れをデータ的に示したところにピケティの功績があるのです。
島地 なるほど。ピケティは体制批判の立場だったんですね。それが世界的な不況の時代に響いてベストセラーになったわけだ。
■人口の1パーセントが90パーセントの富を独占する社会
中谷 うーん、ピケティは資本主義体制を覆すべきだというようなことまでは言っていません。単に、資本主義は富を偏在させるから是正すべきだと言っているだけです。そのために、国際的な資産課税の強化を訴えていて、それが世界的に強い反発を生んでいるわけですが、その反発は想像以上に大きいようです。データの取り方が悪いとか、論旨が不明確だとか、経済学の世界でさんざん叩かれるのもそのためです。
日野 お話をうかがっていたらピケティを応援したくなってきました。ただ、現在、格差が拡大しているといっても、19世紀の貴族社会ほどではないわけですよね。
中谷 19世紀のヨーロッパでは、人口の1〜1.5パーセントの貴族が全体の90パーセントの富を独占していましたからね。
島地 1パーセントの人が90パーセントの富を独占! すさまじい格差社会ですね。
中谷 ほとんどの市民は資産なんて何も持たず、食うや食わずの生活ですよ。これは島地さんの得意分野ですが、バルザックの小説の多くは、何も持っていない市民階級の男が、いかにして大金持ちの貴族の未亡人をものにするか、というのが最大のテーマです。
島地 よくわかります。あの時代、貧しく有能な若者が富を手にするには、それしか方法がなかったわけですよね。永らく栄華を誇った貴族が没落したのは、先ほどもありましたが、2つの世界大戦ということになりますか?
中谷 2つの世界大戦と大恐慌です。大恐慌が起こると資産価値が暴落します。戦争も同じで、国は貴族に課税したり、国債を買わせたりして戦費を調達しますが、国債なんて戦争に負けてしまえば紙くずも同然ですし、ヨーロッパは戦勝国であっても国土はボロボロでした。しかも、ドイツが象徴的ですが、凄まじいハイパーインフレによって貴族たちが持っていた戦時国債などの資産は、まったく価値がなくなってしまいました。
島地 それで期せずして貴族が没落し、平等といいますか、誰も何も持っていないまっさらな状態に社会がリセットされたと。
■資本主義の黄金時代に、アメリカで感じたこと
中谷 その通りです。日本もそうでしたが、戦後の荒廃から復興するための中心的な役割を担ったのは40歳代の中間層でした。想像もしなかったような要職を与えられて、みんな必死に働いた。その結果、経済は復興から成長に転じ、生活はどんどん豊かになっていった。それが1950年代から70年代にかけての時期で、資本主義の黄金時代といえるでしょう。
かなりざっくりした話をしていますけど、こういう内容でいいんですか?
島地 いやいや、難しい話をざっくり、ここまでわかりやすく話していただけるとはさすが中谷教授です。資本主義の黄金時代は1950年代から70年代ということですが、ちょうど先生がアメリカに留学していた頃ですよね。
中谷 そうです。正直「なんて豊かな国なんだ!」と思いました。日本がまだ、小さく切ったごわごわの新聞紙でお尻を拭いていた時代に、アメリカでは赤ちゃんのために、当時は高価だったティッシュペーパーを躊躇なくバンバン使う。びっくりですよ。
島地 テレビでアメリカのホームドラマが放映されていた時代ですね。あの頃のアメリカは、ほんとうに光り輝いていました。
中谷 どの家にもテレビがあり、冷蔵庫は人の背丈以上もある大きさで、庭には緑の芝が生え、プールまである。それが貴族ではなく中流家庭の暮らしですから、世界中が驚いて、アメリカはすごい、資本主義は素晴らしい、となったのも無理はありません。
日野 その素晴らしい資本主義がどうしてこうなってしまったのか、これからどんなことが起こるのかは後半のお題として、このへんでシガー・ブレイクにしましょう。
島地 そうしよう。こういう真面目な話の途中にやる一服も、またうまいものです。
〈後編につづく〉
中谷巌 (なかたに・いわお)
経済学者、大学教授、著述家。1942年、大阪府生まれ。一橋大学経済学部卒業後、日産自動車勤務を経て、ハーバード大学大学院に留学。同大学院で博士号を取得し、講師を務めたのち帰国。大阪大学経済学部教授を経て、一橋大学商学部教授に就任。そのほか、複数の企業での社外取締役、多摩大学学長、三和総合研究所(現・三菱UFJリットルサーチ&コンサルティング)理事長などを歴任する。2010年には、一般社団法人「不識庵」を設立し、日本と世界を考えるリーダー育成のため、私塾「不識塾」を開校した。主な著書に『入門マクロ経済学』『痛快! 経済学』『資本主義はなぜ自壊したのか』『資本主義以後の世界』など。
島地勝彦 (しまじ・かつひこ)
1941年、東京都生まれ。青山学院大学卒業後、集英社に入社。『週刊プレイボーイ』『PLAYBOY』『Bart』の編集長を歴任した。現在は、コラムニスト兼バーマンとして活躍中。『甘い生活』『乗り移り人生相談』『知る悲しみ やっぱり男は死ぬまでロマンティックな愚か者』(いずれも講談社)『Salon de SHIMAJI バーカウンターは人生の勉強机である』(阪急コミュニケーションズ)など著書多数。Webで「乗り移り人生相談」「Treatment & Grooming At Shimaji Salon」「Nespresso Break Time @Cafe de Shimaji」を連載中。最新刊『お洒落極道』(小学館)が好評発売中!
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