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大塚家具よりエグい? 「パナソニック」創業者の娘婿をめぐるドロドロ人事抗争の歴史(リテラ)
http://www.asyura2.com/15/hasan95/msg/743.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 4 月 27 日 17:47:05: igsppGRN/E9PQ
 

               『ドキュメント パナソニック人事抗争史』(講談社)


大塚家具よりエグい? 「パナソニック」創業者の娘婿をめぐるドロドロ人事抗争の歴史
http://lite-ra.com/2015/04/post-1057.html
2015.04.27. リテラ


 記憶に新しい大塚家具のお家騒動。高級路線を進む創業者で当時会長の大塚勝久氏と、カジュアル路線を進める勝久氏の長女・大塚久美子社長が経営権をめぐって対立、3月の株主総会で勝久氏が会長から退任し、久美子社長に軍配が上がるかたちとなった。

 会社組織において、権力闘争は決してめずらしいものではない。大塚家具の場合は、実の親子が真っ向から対立したということでセンセーショナルに取り上げられたが、誰もが知るような大企業でも「人事抗争」が繰り広げられているのだ。

 それは、日本を代表する総合電機メーカー・パナソニックでも同様だ。パナソニックで起きていた知られざる権力闘争を元役員たちの証言をもとに明らかにするのが、『ドキュメント パナソニック人事抗争史』(岩瀬達哉/講談社)だ。

 パナソニックの創業者といえば、ご存知の通り松下幸之助である。日本の経済史に名を刻むカリスマ経営者だが、実は幸之助の“遺志”こそが、パナソニック混乱の大きな要因だったという。

 1973年、幸之助の後を継いで松下電器の2代目社長に就任したのは、松下幸之助の一人娘・幸子の婿である松下正治だった。その後、77年に正治は会長となり、3代目社長には当時末席の役員だった山下俊彦が抜擢された。

 この山下社長に対し、幸之助は会長の正治をできるだけ早く引退させるように命じていたという。前述の『ドキュメント パナソニック人事抗争史』には、元副社長の水野博之の証言が掲載されている。

「幸之助さんは、山下さんに、ポケットマネーで50億円用意するから、これを正治さんに渡し、引退させたうえ、以後、経営にはいっさい口出ししないよう約束させてくれ、とまで言うとるんですな。この話、私、山下さんから直接聞きました」

 ところが、山下は正治に対し、引退勧告をすることはできなかった。というのも、そもそも山下を社長に推したのは正治である。そんな恩人をクビにすることなど簡単なことではない。

 また、正治が山下を推した裏には、自分の権力保持に向けた謀略的側面も大きかったという。正治の元部下の証言だ。

「当初、幸之助さんの頭の中には、電池の責任者だった副社長の東國徳さんを社長に昇格させるという案があった。だから本社の役員、幹部連中は、すべて“東シフト”で、みんな次の社長は東さんだと思ってたんですね。ところが、正治さんと東さんは、性格的に合わんかったうえ、年齢も正治さんが64歳で、東さんが63歳と1歳しか違わない。かりに、東さんが社長になれば、自分の出る幕は無くなるというんで、正治さんは、山下さんを幸之助さんに熱心に売り込んだんですね。そして幸之助さんの人事案をひっくり返してしまった」(同書より)

 そして山下は大胆に組織の若返りを図り、幸之助の番頭役とも言えるベテラン役員をバッサリ切っていく。この改革に喜んだのが正治だ。幸之助の側近たちがいなくなったことで、自由に動けるようになったというわけだ。

 急進的な組織改革を行った山下だったが、幸之助から託された正治への引退勧告のミッションは実行できず、結局、後継社長の谷井昭雄に引き継がれることになる。

 そして幸之助が逝去してから約2年後の91年、谷井は正治に直接引退勧告をする。しかし、正治はまったく受け入れなかった。それどころか、その後も経営における大きな影響力を発揮し、谷井を追いやっていく。

「正治さんは谷井さんをいびり倒していた。毎日のように、会長からいびられるわけですから、ほとほと嫌になりますよ。だから最後は、谷井さん、一種のノイローゼみたいになって、何言うてるかわからんかった」(谷井の元側近・同書より)

 そんななか、なんとも不可解な事件が発生する。俗に「欠陥冷蔵庫事件」と呼ばれる事件──92年5月、松下電器の子会社で冷蔵庫を専門に製造していた松下冷機の決算発表会で、冷蔵機能が低下する故障が多発していると発表されたのだ。

 この発表を行ったのは、当日に松下冷機の次期社長への内定が決まった高木博男だった。高木は、松下電子応用機器の社長を就任からわずか9カ月で退任したのち、3カ月の本社顧問を経て、松下冷機にやってくるのだが、なんとも急な人事であることは否めない。また、正式には6月の株主総会で松下冷機の社長に就任する予定だったが、内定後の初仕事として、この決算発表を任されていたのだ。

 さらに、高木は決算発表から約半年後に松下冷機の大型冷蔵庫の4機種40万台について、「予想以上に不良品が多かったため、全面交換に踏み切った」と発表。その10日後には、交換対象の冷蔵庫を約56万台に上方修正している。そのうえ「人体に危害を加える性質のものではない」との判断から、これまで消費者に積極的に説明をしてこなかった、などと新聞の取材に答えていたのだ。

 こんな高木の言動に社員たちも不信感を抱いていた。

「高木社長は、冷蔵庫事件を治めるためにお越しになったと思っていたら、逆に、どんどん問題を複雑にし、大きくしていった。社長の会見を見ながら、あれは、事前に渡されたペーパーを棒読みしているなと感じたものです。でなければ、社長が、あんな不正確な説明をしたり、わざを消費者の怒りを買うような発言はしないでしょう」(松下冷機元幹部社員・同書より)

 この欠陥冷蔵庫事件では、松下冷機製の冷蔵庫だけでなく、松下冷機がコンプレッサーを提供していたシャープ製の冷蔵庫でも欠陥が見つかっている。しかし、こちらについては「原因は、冷蔵機能の容量とコンプレッサーとの組み合わせにあった。要するに、シャープ製の冷蔵庫の設計に問題があった」(松下冷機元役員・同書より)とのことだが、高木の不正確な説明ゆえに、それらすべてが松下冷機のせいであるかのような印象を与えてしまった。

 そして、この不祥事は親会社である松下電器にも波及。その結果、当時社長だった谷井が辞任することとなる。

「通常、どのメーカーでも不良品の販売が判明すると、テクニカルサービス部門の修理技術者が、購入者の家を一軒一軒、個別訪問し、部品の無償交換などで、その問題を消していく。対応を誤った場合は別として、いちいち社長のクビが飛ぶような性格のものではなく、谷井の辞任は実に不可解な決断であった」(同書より)

 そもそも「欠陥冷蔵庫事件」は、高木の松下冷機社長内定から始まった不祥事だ。それが最終的に親会社松下電器の谷井社長辞任にまでつながったのだ。その辞任が“不可解な決断”であったことを考えると、もしかしたら最初から谷井の失脚こそが目的で、誰かが高木を送り込んだのでは……という想像も膨らんでしまう。正治と谷井との対立が激しかったことを考えれば、なおのことだ。

 谷井の後任として松下電器の社長に就任したのは森下洋一。もともとは谷井に忠誠を尽くしていたが、社長就任後は正治派に鞍替え。正治の意のままに動いていたという。そして森下自身もまた、社長としての決裁権と人事権を存分に行使していたという。

「なかでも驚かされるのは、副社長の村瀬が、苦労してソニー、フィリップスとともにまとめ上げていたDVDの規格を、営業上の判断からではなく、単なる気まぐれから、一方的に変更してしまったことだろう」(同書より)

 東芝が提唱していたDVD規格に乗り換えた森下。最終的には2つの規格の折衷案が採用されるのだが、もし松下、ソニー、フィリップスの3社で規格をつくっていたのなら、「松下電器だけでも、ディスクの規格料(特許料)が年額50億円転がり込む計算だった」(同書より)という。

 いうなれば、会社が損をすることになるというのに、わざわざDVDの規格を乗り換えた森下。その裏には正治の長男である松下正幸を社長に就任させるという大きな目的があったと言われている。

「当時を知る者の言葉を借りれば、『正治会長が望んでやまなかったとはいえ、正幸君を社長にするには、誰もが文句を言えない雰囲気をつくる必要があった。だから森下は、やたらと人事権を振り回し、間違った経営判断と気づいても、途中で修正することなく強引に推し進めた。いわば“絶対君主”ぶりを演出することで、存在感を示そうとしたのです』」(同書より)

 しかし、正幸の社長就任は元社長の山下からの批判などもあり実現することなかった。2000年、森下が社長を辞任し会長に就任するタイミングで、正幸は副会長という役職に就任している。

 創業者と娘婿の争い、権力闘争の背景にした不祥事、人事遂行を目的とした誤った経営判断……そんなパナソニックの人事抗争史を見ていると、大企業にとっては利益を追求することよりも、個人の権力を保持することこそが大きな目的になっているのではないかとさえ思えてくる。

 これがドラマや映画だったら、スリリングで楽しめるのかもしれないが、実在している大企業で日常的に繰り広げられていると考えるとなんとも恐ろしい。どうやら大塚家具のお家騒動など、だいぶ可愛いらしいものだったのかもしれない。

(田中ヒロナ)

 

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コメント
 
01. てんさい(い) 2015年4月27日 19:07:00 : KqrEdYmDwf7cM : 0kUGInjLpY
https://eliesbook.co.jp/review/2015/04/%E3%80%8E%E3%83%91%E3%83%8A%E3%82%BD%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E6%8A%97%E4%BA%89%E5%8F%B2%E3%80%8F%E5%B2%A9%E7%80%AC%E9%81%94%E5%93%89%E3%83%BB%E8%91%97-vol-3916/

本日の一冊は、日本を代表するグローバル企業、パナソニックがなぜ凋落したのか、その原因を人事に求め、その裏面史を明らかにした一冊。

和歌山県生まれのジャーナリスト、岩瀬達哉さんが元役員たちの証言をもとに取材して書いたもので、もともとは「週刊現代」の連載「人事はこんなに難しい──パナソニックの場合──」(2013年2月2日号〜3月16日号)をベースに追加取材したもの。

どんな人事の因果関係で同社が凋落したのか、その軌跡を丁寧に追っており、お家騒動が世界的大企業のチャンスをいかに潰し、グローバル化、コンテンツビジネスの芽をつんだのかがわかる内容となっています。

さまざまな事情・感情があったことは理解しますが、日本を代表するパナソニックが世界で勝つ機会を潰した経営陣の責任は重い。

あの「経営の神様」松下幸之助でさえも、情に勝てなかったことを考えると、いかに私情を排した後継者選びが難しいかがわかります。

婿養子である松下正治と、その忠実な下僕だった森下洋一、恐怖政治を蔓延させた中村邦夫…。

なかでもパナソニックが世界に飛躍するビジネスモデルの鍵となるはずだったMCAを売り、ワッサーマンの予言通り、パナソニックに多大な損害を与えた森下洋一に対しては、厳しい記述が続きます。

―――――――――――――――–

<森下に沁みついた本能的な保身は、谷井たちが仕掛けてきたビジネスモデルの鍵となるMCAを失わせ、ワッサーマンの予言通り、松下電器に多大な損害を与えることになった>

<「客員会」のメンバーは、いかにも残念そうな表情を浮かべながら回顧した。「MCAの買収は、その膨大なソフトに魅力を感じたからですわ。映像ライブラリーだけでなく、音楽著作権などソフトの宝庫やからね。ところが、森下には、その事業の奥深さが理解できなかった。加えて、全米の誰もが知るMCAのオーナーになることで、アメリカ国民から尊敬される地位を手に入れた感覚もない。その辺のセンスがないから、苦労して買ったものを叩き売ってしまった」>

<インタビューの中で、佐久間は「失速」の原因をいくつか挙げているが、なかでもMCAの売却が大きかったと嘆いている。「MCAを生かせば、MCAを中核として世界のソフト、特にアメリカのそれに深くかかわることができた。惜しかったですね。あれを失ったのは実に惜しかった」

―――――――――――――――–

本書を読んでいて、先日ご紹介した松下幸之助の『事業は人なり』のこんな言葉を思い出しました。

◆「人を使うのは公事」
「人を使うのは、それによってよりよく社会に貢献するためである。そう考えるところから、叱るべきは叱り、ただすべきはただす信念も生まれてくる」(『事業は人なり』より)
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4569824161/asyuracom-22

思わず「そうだったのか」と声が漏れてしまいそうなほど衝撃的。
ひさびさに面白いビジネスノンフィクションでした。

これはぜひ、読んでみてください。
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4062194708/asyuracom-22


02. 2015年4月27日 22:52:23 : Q4a2FyM5hw
MCAと言うと、アメリカのブラックコンテンポラリーの総元締めと言うべき存在でした。あのモータウン・レコードも傘下に入れて、スティービー・ワンダーやらダイアナ・ロスとか、もうそうそうたるアーティストを擁していました。もう音楽好きには、たまらないレーベル。それがMCAだったのです。

MCAを手に入れたナショナル・パナソニックは、いよいよソニーに本気で対抗するのかと、毎日がワクワクでした。ところが、あっけなく売却。それも、ユダヤ資本のシーグラム。聞くところによると、べらぼうに安い価格で売り払ったとか。

そのあと、中村社長がパナソニック総特攻とも言える、プラズマテレビジョンに膨大な投資を行ない、パナソニックは投資どころか「凍死」寸前の状態まで追い込まれました。最初から無謀な投資だと思っていましたが、社内でこれに反対した人は左遷されたり退職に追い込まれたのでしょうね。

ブランド名の問題もありました。松下幸之助氏が創業した頃から、松下電器は「ナショナル」でした。戦後、アメリカに輸出することになったとき、アメリカに「ナショナル」が既にあった。このため使用できません。そこでパナソニックを名乗って、輸出先ではパナソニックを使用しました。

これを日本国内でも使用することになりましたが、長年慣れ親しんだナショナルが使えなくなり、高齢者の間で混乱があったようです。高齢者は、今でも「ナショナル」と呼んでいます。「ナショナル」と言うのは、ユーザーに安心感を与えるブランド名です。


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