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Uターン転職によって人生が大きく変わることも… Photo:studiopure-Fotolia.com
Uターン転職が仇に!地方にはびこるブラック企業の酷悪
http://diamond.jp/articles/-/70573
2015年4月24日 池上正樹 [ジャーナリスト] ダイヤモンド・オンライン
地方都市に住む40代後半のAさんは、都会で優雅な生活を送っていた30代のとき、郷里にUターンして、デザイン会社に就職した。
長男でもあり、年老いた母親から、何度も「帰ってきてほしい」と懇願されたのが理由だ。40歳を過ぎたら、再就職が難しくなるだろうという判断もあった。
しかし、入社から数年経つと、その会社の経営が大幅に傾き、リストラを余儀なくされた。
それから1年ほど就活を続けたものの、専門技術を持っていても、40代のAさんを採用してくれる会社は、なかなか見つからなかった。
そんなとき、ハローワークで見つけたのが、零細の印刷会社の求人だった。
■手取りは月12万〜15万円 年収は以前の3分の1に激減
ところが、その会社は、絵に描いたような家族経営で、70代の父親が社長、Aさんよりも年下の30代の子どもたちが役員をしていた。
まず見習いで雇われた後、半年して、社長から呼び出され、こう言われた。
「おまえみたいな年齢じゃどこも雇ってもらえないからな。うちで働くしかないんだよ」
これまでも何社か働いてきたが、社長に「おまえ」呼ばわりされたのは初めてだった。それでいて、とくに驚いたのが、給料の安さだ。
残業代を含め、おおよそ手取りで月額12万〜15万円くらい。月に80時間ほど残業したこともあったが、そのときでも16万円ほどだった。
Aさんの印刷オペレーターという業務は、集中して計画的に効率よくこなせば短時間で作業を終えるため、とくに長時間残業をする必要はないという。
それでも社長は口癖のように、「もっと残業しろ!!」と叱咤した。
みんな言っても無駄だと思って、あきらめていた。
Aさんの収入は、都会にいた頃より、3分の1くらいに激減したという。
外食することがなくなり、昼は毎日、弁当を持って行った。夜、飲みに行くこともない。あらゆる娯楽と手を切った。
休日も、できる限り、お金がかからないよう、図書館で好きな読書をしたり、大型書店で立ち読みしたりして済ませた。
外に出ること自体、少なくなってきて、街を自転車で走り回った。
■若くて仕事ができる女性はパート、居眠り&ミス連発の女性が正社員の謎
Aさんが入社してすぐ、同時に3人が会社を辞めた。
1人は、気さくで仕事のやり方も丁寧な男性だった。しかし、曲がったことが嫌いで、間違っていると思うと、とことん理詰めで説得しようとする。従業員たちの上司に当たる役員の娘は、すぐに泣き出したり、父親の社長に助けを求めたりした。
社長は、娘から報告を受けると、男性にこう怒った。
「イヤならやめればいい!」
男性は、見切りをつけて辞めていった。
もう1人は、仮面をかぶった女性で、上っ面だけは役員の娘と仲良くしていた。しかし、きつい仕事を与えられ、残業時間もひどかった。結局、身体を壊し、午後から病院へ行くと言って早退した。
役員の娘は、帰宅した女性に、ものすごい剣幕で罵声を浴びせられた。その後、彼女も会社を辞めた。
もう1人は、冷静に物事を見る女性だった。その彼女も「私はもう少し勉強をし直します」という理由で辞表を出した。
そして、会社は2人の女性を新たに採用した。そのうちの1人、Bさんは、地元の国立大学を卒業したばかりの若い女子。頭の回転が速く、仕事も正確にこなすタイプだった。もう1人のCさんは、他の印刷会社からの転職だった。ベテランでありながら、おっとりしていてマイペースな女性だった。
ところが、半年後、Cさんは試用期間を経て正社員となっているのに、Bさんはいまだにパートの扱いだった。
Bさんは、仕事のスピードも量も半端なくこなしているのに対し、Cさんはかなり鈍くさくミスも多く、出社も遅刻ギリギリの毎日だった。
周囲の誰が見ても、一目瞭然、奇異な光景だったという。
Bさんは、正式に採用してもらうよう、役員の娘にも訴えた。
Bさんは、正社員にしてもらえないアンフェアな状況に泣きはらしていた。父親の社長の陰で、娘は「会社をつぶす気?」などとBさんを責め続けた。
こうして、Bさんは会社を辞めていった。
「仕事に信頼はあっても、自分に対してイエスマンに徹しない恐れのある、いずれは他に条件の良い会社に移るかもしれないBを切り捨てたのです。つまり、どんなに努力しても、結果を出しても、報われない。会社として、ダメだなと思いました」(Aさん)
一方のCさんは、仕事を覚えたり、ミスをなくしたりする努力をしない。空気を読まない言動や行動、作業を忘れて帰ってしまうことや、デジタル機器を乱暴に扱い、壊してしまうこともあった。
「仕事中に居眠りをする。注意をすれば逆切れする。そんなCさんが、いまも会社に残り続けているのです」
■社長と娘役員は遊び三昧なのに6年間、昇進もボーナスもなし
朝礼では、社長や娘の役員の機嫌の悪いときは、延々と社員に対しての叱責が続く。
それも、「業績が悪いのに定時に帰ろうなんて、良く考えられますね!」といった内容だ。
しかし、Aさんは言う。
「娘の役員は化粧も服装も派手で、頻繁に接待・営業と称して食事会に出向き、年に一回はデザイン展を見に行くと言って東京に遊びに行く。社長に至っては、付き合いと称してゴルフ三昧に海外旅行。接待と称してキャバクラで豪遊しているんです」
他の従業員たちは、あきらめて、社長の言いなり状態だった。
Aさんも、社長のことを「こういうものだ」と割り切って、怒らせないようにした。
役員の娘から、身体を密着され、指で尻をなぞられるなどのセクハラを受けた。
それでも、我慢すればいいとずっと思っていた。
そうかと思えば、仕事中に突然、従業員を呼びだし、お年玉袋に入れた1万円を『たばこ代だ』と言って配ったこともあった。
パワハラやセクハラを受けても、じっと我慢し続け、何とか自分のスキルを磨き、貢献すれば、会社も変わると信じてきた。
入社時、社長は「ウチでしっかり働けば、給料も上げてやるからな」とも言っていた。
しかし、勤めてきた約6年の間、ついに昇給もボーナスも一切なかった。
その理由について、社長は必ず、何かと震災の話を持ち出した。
■会社を見限る決心をさせた社長の「ある一言」とは?
「これはひどい。独立したほうがいいよ」
周囲からは、そうアドバイスされた。
それまでは、Aさんも独立する気など考えていなかった。
「ただ、社長のある一言で、会社を見限る決心がついたんです」
ある日、社長関係の書籍が梱包された箱を社長室に運び込もうとして、元々、痛めていた腰に激痛が走り、態勢がよろけて箱を床に落としてしまった。
しかし、社長室にいた社長は手伝おうともせず、ふんぞり返ったままタバコをふかし、こう言い放った。
「〇〇(実名)!もっと丁寧に置け!」
人間としての温もりが感じられず、従業員を虫けらのように扱う。いつか読んだ『蟹工船』の世界を思い出した。
自分のいる職場が、まるで映画かドラマを観ているのかと錯覚しそうになる。
辞め際の対応もひどかった。
“安くこき使える人材”を手放すことへの苛立ちもあったのだろう。
退社を打ち明けてからの1ヵ月間、集中して仕事を入れられた。あり余る有休も1日として使わせてもらえなかった。
「とにかく見切りをつけたかったんです」
その後、Aさんは自分の会社を立ち上げた。開業してから、まだ安定した固定客は付いていなくて、仕事もあまり入ってこない状況だ。とはいえ、いまのほうが精神的には自由を感じるという。
「死ぬまで残業させるとか、精神的ないじめのようなことで、病んじゃう人が多いように思います」
Aさんも、この会社に入って以来、ストレスによって体重が最大20キロ近く激減した。
このように地方で放置される「ブラック企業」の実態が、引きこもる人たちやその予備軍を潜在的に醸成し、輩出している社会だといえる。
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