02. 2015年4月14日 04:01:55
: jXbiWWJBCA
不動産急落、ミャンマーバブルに陰り「最後のフロンティア」の実像 2015年4月14日(火) 白壁 達久 日系企業の多くが、製造拠点と市場の両面から注目するミャンマー。民主化から4年。世界的なカネ余りから過剰な投資が舞い込む。実体無き経済成長を続けるアジア最後のフロンティアの今後を探る。 ホテルは1泊5万円、携帯電話のSIMカードは1枚20万円で、オフィス賃料は東京の丸の内レベル。駐在員の住居は空きがなく200人待ちで、新築でもない1LDKのアパートの賃料が50万円を超える──。
こんな海外事情を聞けば、シンガポールか香港か、はたまた米ニューヨークのマンハッタンでの話かと思われるかもしれない。だが実際の舞台は途上国。それもつい数年前まで国を閉ざしていたミャンマーの話だ。 1962年のクーデターで独裁体制の社会主義政権が誕生し、88年以降は国軍が政権を掌握。民主化推進派の象徴であったアウン・サン・スー・チー氏が何度も自宅で軟禁され、欧米が経済制裁を強めて国際社会との距離が広まる一方だった。 転機が訪れたのは2010年の総選挙だ。大統領は依然国軍出身のテイン・セイン氏が務めるものの、ミャンマーは民主化にかじを切った。欧米の経済制裁の一部は解除された。 この「解禁」で、せきを切ったようにミャンマーに流れ込んだのが、行き場を失っていた投資マネーだった。米国の量的金融緩和政策によって供給されたマネーは、BRICsなどいわゆる新興国に流入してその成長を支えていた。だが、新興諸国の成長が鈍化するに従って、投資の関心は、リスクは高いもののハイリターンが期待できる「新・新興国」にも向けられるようになっていた。 ミャンマーはその受け皿の、典型の一つだったと言っていいだろう。 マネーの奔流は物価水準を急騰させた。オフィスビルやホテル、住居需要が急激に高まり、供給が追い付かずに、冒頭に紹介したような異常な価格高騰を招いた。 だが米国が量的緩和の縮小、終了に向かい始め、基軸通貨である米ドルの供給が減り始めた。流入していたマネーは逆流し、膨れ上がっていた「期待の経済」は実体経済の実力相当の姿に修正されつつある。 過剰なマネー供給によって生まれたミャンマーバブルの終焉。その最前線を歩いた。 名目GDPは10年で5倍に ●ミャンマー名目GDPの推移 1.ヤンゴン市内では商業施設やオフィスビル、ホテルの開発が相次ぐ 2.賃料が下がり始めた「サクラタワー」でも入居募集の看板が出る 3.資金難から建設途中で工事が止まる現場も 4.駐在員向けの高級住宅街が続々誕生している 5.未開発の土地を買う投資マネーも流入 6.スマホ普及率が急上昇。露天商は空き時間にスマホをいじる 7.中国から中古スマホが流入し、道端で売られている 8.一時20万円を超えた携帯電話のSIMカードが、今や約150円で投げ売り状態に 資金難で工事が止まる
ヤンゴン市内のダウンタウン中心部にそびえ立つ「サクラタワー」は、賃料が最も高いビルの一つとして知られる。2011年には平米当たり20ドル(約2380円)程度だったが、2年で100ドルを超えて東京の丸の内のオフィスと平均単価で並ぶレベルにまで上昇した。 ところが昨年後半から賃料が下がり始めた。現在は80〜90ドル近くまで下がったにもかかわらず、ビルの入り口には「入居募集」の看板が出ている。一等地でも空室が出始めた。 街を歩くと、大型クレーンの姿を目にすることが多い。大規模なオフィスビル、ホテル、高級レジデンスビルの建築は進んでいるように見える。開発するのはシンガポールやベトナム、韓国や中国などの資本だという。 だが、こうした建設現場も、つぶさに見るとその動きを止めているところも少なくない。多くの建設プロジェクトは、十分な資金の手当てがないまま起こされている。建設前、あるいは建設中の物件を小出しに売りながら、その資金で建設するという方式を取っているのだ。にもかかわらず、完成前販売で売れない。資金がショートして、建設が止まる。 投資マネーが殺到していた時には値上がりが半ば約束されていた物件も、今や利益を確保して再販売できるかどうか分からないうえ、賃貸収入も想定通り入るか分からない。結果、投資目的ではなく、実需を持つ者だけが買うようになった。需給のかい離が修正され、当初の予定価格を引き下げる物件もある。 ホテル業界はその典型だ。宿泊料金が1万円を切る割安なビジネスホテルが登場して、高級ホテルの宿泊料もあっという間に2万円台にまで低下した。ほんの1年前と比べても半額以下の水準だ。駐在員向けの住居も続々誕生しており、市街地から少し離れれば1LDKで10万円台の新築物件もある。 SIMカード、20万円が150円に 緩和マネーの逆流のほか、閉ざされていた市場が開放されることで競争が起きたことも、モノやサービスの価格を下げる一因となっている。 携帯電話のSIMカードの価格は下落の一途をたどる。2年前までは国営のミャンマー郵電公社(MPT)しか通信業者がなく、SIMカード1枚が約20万円と異常な価格で取引されていた。それが今ではたったの約150円。2013年、ノルウェーのテレノールとカタールのオレドーの2社に参入を許可し、価格競争が激化した結果だ。 通信サービスが安価になることで、携帯電話の普及も進んだ。2013年に10%だったのが、今や3割。中古のスマートフォンが中国経由で大量に入ってきている。ヤンゴン市内では路上で商いをする少年でもスマホを握っている。 自動車も増えた。経済制裁下では海外からの自動車の輸入がほとんどなく、10年以上前に発売されたモデルの「マークII」が2000万円近くしたという。 だが、2011年秋に個人の中古車輸入に関する規制が緩和されて、一気にクルマが入り込んでいる。主に中古車だ。昨年、日本から中古車の輸出先として、最も輸出数量が多かったのがミャンマーの16万437台。ロシアとアラブ首長国連邦(UAE)という長年の2強の牙城を崩した。中古車の価格はかつての10分の1、約200万円にまで下がった。 ロシアを抜きミャンマーがトップに ●日本からの国別中古車輸出台数の推移 出所:日本中古車輸出業協同組合 ヤンゴン市内中心部は慢性的に渋滞が発生している バブル崩壊は吉報だが… 実体経済からかい離した、いわゆる“バブル”が去りつつあることは、ミャンマーに進出する企業にとってはむしろ朗報だろう。高止まりしていたコストが落ち着くことを意味するからだ。しかも、殺到していた投資マネーが引きつつあるものの、実体経済が大きく傷んでいるわけではないので、その成長の潜在力は依然として高いままだ。進出の魅力はむしろ増す。 進出企業は4年で4倍強に ●ヤンゴンの日本人商工会に所属する日系企業の数の推移 出所:ヤンゴン日本人商工会議所(JCCY) ヤンゴン日本人商工会議所に登録する日系企業の数は4年前の51社に比べて4倍超の221社にまで増えている。だが、それらの会社の中で実際にミャンマー国内で事業を展開している会社はまだ少ない。 日本貿易振興機構(JETRO)ヤンゴンの高原正樹所長は「(進出しているのは)建設業が多く、縫製業を除く製造業はほとんどない」と現状を語る。その建設業者にしても、本業の建設事業でなく、コンサルティングなどサービスを提供するかたちで進出しているという。 出張者を送り込んだり、駐在員を置いたりという企業は多くても、ミャンマーの市場に根を下ろす企業や、本格的な製造拠点を置く企業はまだほとんどないというのが現状なのだ。 なぜなのか。 1番の理由として、電気などのインフラ網が未整備であるという点が挙げられるだろう。ミャンマーは水力発電が8割を超え、乾季で水量が減る3月から5月は都市部ですら停電することがあるなど、慢性的に電力が不足している。 一度の停電で仕掛かり製品のすべてが台無しになる半導体などの工場は進出が厳しく、また自動車部品に代表される生産計画に厳格な産業も進出に二の足を踏む。辛うじて、労働集約型産業の縫製業などが進出できているにすぎない、というわけだ。 第2に、ビジネスの基盤となる法制度の未整備が挙げられる。 国際金融公社(IFC)が毎年発表する「Doing Business」は、様々な指標から、世界189の国と地域における「ビジネスのしやすさ」を順位付けている。最新版で、「会社の設立」部門でミャンマーは何と最下位、それも2年連続だ。「契約の履行」で185位、「投資家の保護」では178位など、多くの部門で下位に低迷する。 会社設立のしやすさは世界最下位 ●世界189の国と地域における 「ビジネスのしやすさ」ランキング 出所:IFC「Doing Business 2015」 一部分野では緩和されつつあるものの、ミャンマーには依然として厳しい外資規制が残っている。一定規模以上の投資を伴う進出の場合には、ミャンマー投資委員会(MIC)から投資認可を得る必要がある。業種によっては早く認められるケースもあるが、大型投資などは認可に時間を要し、長い場合は半年近く待たされることもある。 現地の法律事情に詳しい森・濱田松本法律事務所ヤンゴンオフィスの武川丈士弁護士は法整備の問題点を明かす。 「法律はできても、それに基づく下位の法令や行政機関の決定が発表されないことが多い。法の運用方針が示されないため、企業は身動きが取りづらい」 2013年に制定された最低賃金法を例にとると分かりやすい。企業に対して最低賃金の厳守を義務付ける法律だが、肝心の最低賃金がいくらなのかは2年経った今でも発表されていない。 海外からの投資や企業の進出を増やすべく大枠の法律は制定されたとしても、その運用方法について具体的に通達されないため、事実上使えないものが多いのだという。 法制度だけではない。現地企業との合弁事業の難しさも課題だ。外資企業の多くが現地企業と合弁会社を設立することで参入している。だが、現地のパートナー企業は国際的な会計基準を満たしていない場合がほとんどなのだ。「二重三重の帳簿は当たり前。登記簿を見ると土地の所有が経営者とは別の人だったこともある」(武川氏)。 このような会社が連結対象になると、コンプライアンス(法令順守)上の大きなリスクに発展する可能性がある。 ミャンマーは半世紀にわたって「鎖国」が続いていたようなものだ。国際社会が長い年月をかけて作り上げてきた合意──企業は社会的責任を果たすべきであり、投資家などステークホルダーに情報公開すべきだ、というようなグローバルスタンダードをすぐに取り入れろという方が無理な話だろう。 深刻な人材不足で人件費高騰 法律と双璧を成す課題がある。人材不足だ。中国やタイ、インドネシアでの人件費の高騰によって、さらに安い人材を求めてミャンマー進出を考える企業にとっては痛すぎる懸念材料だ。 今年2月、ヤンゴン市内にある中国系や韓国系企業の縫製工場で働く労働者約4000人が、待遇の改善を求めてストライキを行った。彼ら彼女らの給料は月額80ドル(約9520円)。物価が上昇するヤンゴンでは生活できないとして、超過勤務手当て17セントを倍にするよう求めたという。 ミャンマーで起業して17年、現地で進出企業のコンサルティングや人材紹介事業を営むジェイサットコンサルティングの西垣充社長が現状を説明する。 「工場で働く労働者の賃金も上がっているが、問題は現場を束ねる立場の人材がミャンマーにいない点だ。そもそもきちんとした会社で働いた経験がある人材がほとんどいない。そうした人材を採用しようとすれば、人材コストは必然的に上がってしまう」 加えて、ミャンマーでは、優秀な人材は早々に欧米やシンガポールへ留学してしまうため、トップ人材は国内にほとんど残っていないという事情もある、とも西垣氏は説く。 電気などのインフラ、法制度などの不備に加えて、人材も不足する三重苦のミャンマー。だが、それでも果敢に攻める企業もある。 機械設計を手掛ける豊橋設計(愛知県豊橋市)は、現地のずぶの素人を相手に高度な設計技術を教え込む。同社は自動車メーカーなどの工場の機械設計が主な業務だ。日本国内では、自動車産業の好調さもあって仕事は増えていたが、若い優秀な人材を思うように採用できない状況が続いていた。 「東海地区では自動車メーカーや系列企業に設計志望の有能な学生が集中し、中小には来ない。そこでミャンマーに懸けた」(内山幸司社長) ヤンゴン市内の中華街エリアにある雑居ビル。エレベーターのない古びたビルの6階にあるオフィスの扉を開けると、若い女性が3人、パソコンを前に座ってCAD(コンピューターによる設計)を用いた設計図面を作製している。 昨年入社したばかりの彼女らはCADの扱いはもちろん、日本語すら全く話せなかった。それが、今では図面を引き、作業指示を日本語で仰ぐまでになった。驚くべきは、豊橋設計のミャンマーオフィスには日本人が一人もいない点だ。出張ベースでスタッフが現地へ行くことはあるが、基本的には彼女たちのみしかいない。 現地オフィスにウェブカメラをつけて日本のオフィスとインターネットで常時つなぎ、遠隔でパソコンを動かせるよう環境を整えている。女性たちは日本語教室に通いつつ、日本からの遠隔教育でCADを使うすべを学んだ。 確かにミャンマーには経験豊富な人材も、日本語堪能な人材も少ない。少ないから高い。だから、一から育ててしまおう、というのが同社の戦略だ。 レッドオーシャンへの備え 横浜市に本社を置くソフトウエア開発のアクロクエストテクノロジーもまた、現地で一からSEを育成している。2012年に進出し、既に25人のスタッフを抱えるまでになった。 豊橋設計は現地に日本人スタッフをおかず、遠隔で社員を教育(左)。アクロクエストテクノロジーは25人の若手SEを育成中(右) 「もともとのITスキルは低いが、のみ込みは早い。たまたま環境に恵まれていなかっただけ」とアクロクエストの岡田拓也マネジャーは語る。OJT(職場内訓練)で教え込み、1期生で入社した若手がレストランの予約システムを開発。今は新人の指導係も兼ねているほどだ。
「日本企業が進出し始めたばかりの、20年前のタイを思い出してほしい」と、ジェイサットの西垣氏は語る。 ミャンマーは、かつてタイがそうであったように、まだビジネスの土壌が整っていない状況にある。「整うまで待つ」というのも誤りではない。 だが、基盤が整う頃には、世界中から競合が集まるレッドオーシャンになっているかもしれない。ミャンマーをはじめ東南アジアへの投資や進出のブームは今回が初めてではない。1980年代後半から90年代にかけて投資・進出ラッシュが起こった。 だが、97年のアジア通貨危機で欧米・中韓資本が一斉に投資を引き揚げた。そんな中でも、インドネシアやタイなどでは多くの日本企業が撤退せず、現地の企業や人とともに経済復興の道を歩み、信頼を勝ち得て事業を拡大した。 ミャンマーへの投資バブルは終焉を迎え、一過性の利益を求める対象ではなくなりつつある。だが、東南アジア諸国連合(ASEAN)の経済統合を控えており、成長の芽はまだある。等身大のミャンマーでいかに利益を得るか。進出企業には長期的な視点と忍耐力が不可欠だ。 総選挙の結果次第で、さらなる制裁緩和も ミャンマー経済の今後を見るうえで最も注目すべきは、今秋に予定されている上下両院の総選挙だ。2010年に実施された総選挙を機に民主化路線を歩み始めたミャンマー。テイン・セイン大統領の4年間の実績を国民がどう評価するか。結果によっては、今後の民主化路線やそれに伴う改革のスピードに変化が起こる可能性がある。 注目すべきは、ミャンマーの民主化の象徴的存在とも言えるアウン・サン・スー・チー氏が率いる国民民主連盟(NLD)が総選挙でどこまで躍進できるかだ。 軍出身のテイン・セイン大統領(左)と、民主化の象徴として知られるアウン・サン・スー・チー国民民主連盟(NLD)書記長(写真=左:代表撮影/AP/アフロ、右:AP/アフロ) ただし、現行のミャンマーの憲法は家族が外国政府の影響下にある人物には大統領の資格を与えないと定めている。子供2人が英国籍であるスー・チー氏は、たとえ総選挙で大勝して第一党となっても、現行法では大統領になれない。 ミャンマー国内でも憲法改正を支持する声が少なくない。テイン・セイン大統領は今年1月、年頭の演説において「時代の要請があれば健全な憲法に改正される必要がある」と発言。改憲を否定しなかった。選挙前に憲法の改正が行われるかも焦点となる。 テイン・セイン大統領は軍出身とはいえ、この4年の間に民主化とともに貿易も拡大して市民の暮らしは確実に豊かになった。まだ残ってはいるものの、官僚による汚職、政治の腐敗防止策を打ち出した点も国内外で評価が高い。そうした実績もあり、現政権を批判する声は少ない。 NLDは現状よりは躍進するとはみられているものの第一党となるまでの支持は伸ばせないと見る向きが強い。NLDはこれまで、軍事政権による「不自由」を感じる国民の改革意識を後押しに支持を伸ばしてきた。だが、政権への強い反発がない以上、現状路線を望む声が多勢を占める可能性がある。 与党と野党のどちらが勝っても民主化路線はこのまま継続される見込みだ。想定される最悪のシナリオは、野党が勝ったもののスー・チー氏が大統領になれず、第三者がトップとなって混乱が生じ、軍部によるクーデターが起こること。こうなると、民主化路線が後退しかねない。 選挙の結果によって「民主化が進んだ」と欧米が判断すると、現状残る経済制裁が緩和される可能性がある。これまでは進出を控えてきた欧米企業が本格的にミャンマーへ進出してくることも考えられる。 (香港支局 白壁 達久) このコラムについて Special Report 『日経ビジネス』の解説記事から、読者の反響が高かったものを厳選し、『日経ビジネスオンライン』で公開します。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20150413/279872 |