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エネルギー革命が起ころうとしているときに無理にインフレを起こす必要はない。安倍政権の下では豊かになるチャンスを逃すことになりかねない(撮影:尾形文繁)
なぜ安倍政権は間違った政策をやめないのか 「エネルギー革命の果実」を享受できない日本
http://toyokeizai.net/articles/-/65960
2015年04月10日 中原 圭介 :経営コンサルタント、経済アナリスト 東洋経済
私はこれまで拙書や連載記事等で「デフレと不況の関連性はない」と繰り返し主張してきましたが、前回のコラム「デフレになると、本当に不況が来るのかhttp://toyokeizai.net/articles/-/65656」でも、私と同様の主張をしているアンドリュー・アトキンソン氏とパトリック・J・キホー氏の論文「デフレと不況は実証的に関連するのか?(2004年1月発表、原題DEFLATION AND DEPRESSION:IS THERE AND EMPIRICAL LINK?)」を紹介しました。そして歴史的な視点から「デフレと不況の関連性はない」ことを明らかにしました。
■BISも「デフレと経済成長率の関係性は低い」と結論
実のところ、前回のコラムを書いた後、私は国際決済銀行(BIS)が3月18日に公表した論文「デフレのコスト:歴史的な展望(原題 The costs of deflations : a historical perspective」の内容を知って、経済学の世界の古い体質が徐々に壊れつつあるという事実を実感することができました。この論文の中では、長い経済の歴史を検証したうえで、「デフレと経済成長率の関連性が低い」と、私の主張と同じ結論を導き出しているからです。
この論文をきっかけにして、アメリカ主流派経済学の唱える「デフレ=不況」という間違った学説について、正しい分析に基づく議論がされることを切に望んでいるところです。というのも、間違った常識を信じ込んでいた人々もそのような状況になれば、無理にインフレを起こすことがいかに愚かな政策であるのか、理解できるようになっていくと思うからです。
いずれにしても、歴史的な視点でデフレを眺めると、アメリカ経済学の主流派が主張する「デフレ=需要不足=不況」という学説とは全く異なる姿が見えてきます。
18世紀後半から19世紀終わりにかけての英国の産業革命隆盛期では、実は、そのほとんどの期間が長いデフレの時代でした。当時の卸売物価の統計を見ると、物価は1810年代前半をピークとし、1890年代半ばまで断続的に下落していることがわかります。
19世紀の英国は、このようにデフレが恒常化した時期だったのです。ところがその間、不況で労働者の生活が苦しくなっていったかというと、これが全く逆の状況だったわけです。
■デフレだったが、実質賃金が8割も上がった英国
というのも、19世紀後半の50年の間に、労働者の実質賃金は8割も上がっているからです。実は、19世紀の英国では、当時の主要なエネルギー源であった石炭の生産が、採掘技術の向上にともなって飛躍的に伸び、その価格が大きく低下しています。「エネルギー革命」が起きたのです。
それ以外にも1846年に、穀物の輸入を制限し食料価格の高止まりを招いていた「穀物法」が廃止されたことで、日々の食べ物が安くなり、物価安を後押ししたという要因もありました。
石炭が安くなり、暖房や移動に潤沢に使えるようになった上に、食料価格まで下がったのですから、この時代、人々の生活は格段に便利に、そして豊かになりました。経済は物価とは逆にしっかりと成長し、1人当たりの実質GDPや実質賃金が伸び、平均寿命も大きく延びたのです。
とりわけ1870〜1890年代、19世紀の中でも特にデフレの幅が大きく「大デフレ期」と呼ばれた期間、イギリス人の1人当たり実質GDPや実質賃金は飛躍的に増えています。
さらにこの時代、労働者の社会的な権利も確立されています。1832年に第1回の、1867年と1884年に第2回、第3回の選挙法改正が行われ、1871年には労働組合法で組合活動の合法性が認められるなど、労働者階級の政治的な権利が次々と拡大されていったのです。
産業革命初期の段階の英国では、資本家が利益を追求し、労働者を劣悪な環境の下で長時間労働に駆り立て、子供を工場で働かせるといった問題も見られました。
カール・マルクスがエンゲルスとともに『共産党宣言』を発表したのは、1848年のことです。マルクスが目にしたのは、そうした初期の労働の現場だったわけです。
しかしその後、エネルギーコストが暴落したことで、工場の機械化も進み、労働条件は改善されていきました。その意味ではマルクスが見て資本主義の根本的な欠陥と感じた、19世紀前半の英国の労働者の問題はその後、共産主義革命が起きる前に、一部は解決されていたのです。
19世紀の後半、なかでも1870〜1890年代にかけて、経済が大きく成長していた時期のアメリカもデフレの状態でした。石油王のジョン・ロックフェラーや鉄鋼王のアンドリュー・カーネギーが活躍し、トーマス・エジソンが蓄音機や白熱電球を発明し、アメリカの科学と産業が先進国である英国をキャッチアップしていった時期です。
実のところ、この時期のアメリカにも、19世紀の英国と共通する出来事が起きています。それはやはり、エネルギー革命です。英国で石炭の価格が下がったように、アメリカでは1859年のペンシルベニアの油田で原油の大量生産が始まり、エネルギー価格が飛躍的に下がり始めたのです。
エネルギーコストが飛躍的に低下する時期は、それまで人力で賄われていたような作業が機械に代替され、食料から工業製品まで生産性が高まって、物価全体が下がっていきます。そうした時期、人々の暮らしは豊かになり、便利になっていきます。これが、典型的なデフレ下での好況であるわけです。
■「デフレ=不況」を広めた経済学者には責任がある
一方、エネルギー価格が高騰すると、その逆の現象が起こります。その典型例が1973年からの第一次オイルショックです。
1973年10月、イスラエルとエジプト、シリアなどの中東アラブ諸国との間で起きた第四次中東戦争をきっかけに、石油輸出国機構(OPEC)に加盟するペルシャ湾岸の産油国が、原油公示価格を大幅に引き上げることを表明します。最終的には、1バレル3.01ドルから11.65ドルまで引き上げることが決定されました。
石油価格の大幅な上昇は、エネルギーを石油に頼ってきた先進諸国の経済に大きな打撃を与えました。日本では、折からの列島改造ブームによる地価上昇にオイルショックが加わったことで、1974年には消費者物価指数は23%上昇するという「狂乱物価」が発生しました。
この年、経済成長率はマイナス1.2%と、戦後初のマイナス成長を記録しています。このときは日本だけでなく、世界中の先進国で高率のインフレと同時にマイナス成長となる不況が発生し、スタグフレーションと呼ばれる経済状態に陥りました。
ところが、なぜか経済学を学んできた人たちの頭には「デフレ=不況」というイメージが刷り込まれてしまっているようです。それが間違った認識であるということは、19世紀以降の英米の歴史をざっと見ただけでも一目瞭然であるというのに、こうした理解が十分に広まっていない背景には、「デフレ=不況」という誤解を広めてしまった経済学者たちの大きな過失があるといわざるをえないのです。
デフレやインフレは、あくまで経済現象の「結果」にすぎません。シェール革命やそれに続くエネルギー革命が起ころうとしている今、「原因」と「結果」を取り違えて議論する経済学者の方々は、その土台を一回壊してから議論を始める必要があるのではないでしょうか。
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