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シリーズ・日本のアジェンダ 崖っぷち「人口減少日本」の処方箋
【第1回】 2015年4月7日 ダイヤモンド・オンライン編集部
日本劣化は避けられるか?「人口減少社会」の誤解と真のリスク
――松谷明彦・政策研究大学院大学名誉教授
「日本で人口減少が始まった」と言われて久しい。先の国勢調査によると、足もとの日本の人口は約1億2806万人。国立社会保障・人口問題研究所の中位推計によると、この数が2030年に1億1522万人、さらに2060年には8674万人まで減ると予測されている。世間では、少子化、高齢化などの現象について、様々な角度から分析が行われている。しかし、全ての人が人口減少について、正しく理解しているわけではない。なぜ人口減少が起きるのか。その真のリスクとは何なのか。人口減少に詳しい松谷明彦・政策研究大学院大学名誉教授が詳しく解説する。(まとめ/ダイヤモンド・オンライン 小尾拓也)
「これまで」と「これから」では違う
誤解されている人口減少社会の実態
人口減少の原因としては、少子化の影響はまだ少ない?
少子化、高齢化、人口減少といった現象については、数多くの分析や提言が行われています。 ただ私から見れば、それらは必ずしも正しい議論ではない。誤解されて語られている部分も多いのです。人口減少はなぜ起きるのか――。それを改めて考えてみましょう。
そもそも西欧諸国を見ると、将来のある時期まで高齢化は進むもののその変化は緩やかで、さらに人口については、多くの国でむしろ増えていく傾向にあります。だから人口は、さほどの関心事ではありません。このあたりも誤解している人が多いですが、実は日本は大幅な人口減少に見舞われる珍しい国なのです。それはなぜか。日本には人口減少をもたらす独特な背景があるのです。
まつたに・あきひこ/1945年生まれ。経済学者。1969年東京大学経済学部経済学科卒、大蔵省入省、主計局調査課長、主計局主計官、大臣官房審議官等を歴任、97年大蔵省辞職、政策研究大学院大学教授、2011年同名誉教授。2010年国際都市研究学院理事長。『「人口減少経済」の新しい公式』『人口流動の地方再生学』(共に日本経済新聞社)、『人口減少時代の大都市経済 - 価値転換への選択』(東洋経済新報社)、『東京劣化』(PHP新書)など著書多数
それを考える際にまず理解すべきことは、一口に「人口減少社会」と言っても、「これまで」と「これから」、あるいは「少し先から」ではパターンが違うということです。そこを整理しないと、人口減少の真の原因と対策は見えません。
まず「これまで」の人口減少ですが、その主因は多くの人が思っているような「少子化」ではありません。主たる原因は、「死亡者の急増」なのです。日本が戦争に向かって突き進んでいた1920〜40年頃、時の軍事政府は兵士を増やそうと「産めよ、殖やせよ」を国民に強く奨励しました。
そのときのベビーブームで生まれた人たちが、1980年代後半以降、死亡年齢に達し、年を追って大量に亡くなっていることで、人口が減少しているのです。むろん、人口の増減は死亡者数と出生者数の綱引きですから、少子化の進行も関係してはいますが、その影響はまだそれほど大きくはありません。
日本の死亡者数は戦後から1980年代半ばまで、毎年おおむね70万人前後で推移してきました。それが1985年には75万人、90年に82万人、95年に92万人、2000年に96万人と急激に増え、2005年には108万人となり、ついに出生者数を追い越してしまった。つまり、超高齢化した「人口の塊」が一気に減っていることが、人口減少の原因です。
逆に言えば、戦争や疫病などの社会的事件によって若い世代が亡くなっているわけではないので、ある意味それほど深刻な人口減少ではないと言えます。
ちなみに、よく問題視される地方の人口減少も、「東京に若者がどんどん出て行ってしまうため」と語られがちですが、実は地方に大量にいる高齢者が次々と亡くなっている影響のほうが、よほど大きいのです。となると、現在の地方の人口減少は果たして問題なのかどうか、冷静な検証が必要でしょう。
これまでは「死亡者の急増」が主因
少子化が危機になるのは2030年代以降
では、「これから」の人口減少の原因は何なのか。2030年代前半までは、戦前のベビーブーマーに「団塊世代」と呼ばれる戦後の第一次ベビーブーマーが加わることで、高齢の死亡者は増え続けます。したがってその時点までは、人口減少の主因はやはり「死亡者の急増」です。それ以降は、死亡者数はピークを越えて横ばいになりますが、それまでと同様に出生者数が減少し続けるため 、人口はさらに減っていきます。そこで初めて「少子化」が人口減少の「主因」となるわけです。
繰り返しますが、そこまでは「少子化」は人口減少の「主因」ではありません。ですから、「これまで」と「これから少し先まで」の人口減少は、どうにも避けられないものなのです。人口政策を語るとき、忘れてはならないところです。
戦前と戦後のベビーブームによる2つの「人口の塊」が、日本に急速な高齢化をもたらし、その必然的な結果としての死亡者の急増が、人口減少を引き起こしました。西欧諸国には、そうした「人口の塊」はありません。それが、日本が大幅な人口減少に見舞われる珍しい国である理由です。
それでは、人口減少を引き起こす「高齢化」や「少子化」の背景を、さらに詳しく探ってみましょう。まず高齢化についてですが、世間で語られることには少なからぬ誤解があります。たとえば、高齢化の「主因」は少子化ではありません。主因は「長寿化」です。寿命が伸びて、個々人にとって65歳以上の人生の割合が増えているから、社会のなかで高齢者の割合が増えているのです。ですから、出生率が低下しなくても、高齢化は進行します。つまり、高齢化を止める手立てはないということです。
同時に、高齢化の根本原因は個々人にあるのだから、高齢化がもたらす問題を社会だけで、つまり政府の施策だけで解決しようとすることには無理があります。まずは個人の段階で、できるだけの解決を図る。個人ではどうにもならないところだけ、社会で解決すべく努力する。そうした姿勢が必要でしょう。
人口減少と異なり、高齢化は先進国共通の現象ですが、日本の高齢化の速度は明らかに異常です。その理由は主に2つ。先ほど述べたように、1つは「人口の塊」、いま1つは日本人のすさまじい長寿化です。たとえば、1950年の平均寿命は61.3歳(男女平均)でしたが、2010年の平均寿命は83.01歳と、たった60年の間に20歳以上も寿命が延びています。それだけ、戦後の先進国化が速かったということです。
少子化は出生率の低下にあらず
「生む年代」の女性が激減している
次に、2030年代半ば以降の人口減少の主因となる少子化の背景ですが、実はそれについても根強い誤解があります。「これから」の少子化の原因は出生率の低下ではありません。「これまで」の少子化の原因は確かに出生率の低下でしたが、「これから」子どもが減る原因は、子どもを生む年代の女性人口の激減です。
国立社会保障・人口問題研究所の中位推計によると、子どもを生む確率の高い25〜39歳の女性の数が、2010〜2060年の50年間で55.1%も減り、現在の半分以下となる44.95%まで低下すると予測されています。
他の先進国と比較しても尋常ではない減少ペースです。国連の推計では、同期間において、米国は23%、英国は5.2%、フランスは4.2%子どもを生む年代の女性が増えると予測されており、日本だけが激減しているのです。その結果日本では、少子化が世界に類を見ないレベルで進みます。19歳以下の子どもの数は、米国が21.9%増、英国が13.7%増、フランスが8.4%増と見込まれるのに対して、日本は53%減となります。
では、なぜそれほどまでに女性の数が減ってしまうのか。大元の原因は、日本政府が終戦直後に行なった大規模な産児制限にあります。当時の日本では、田畑の荒廃に加え、植民地からの大量の引揚者によって人口が急増し、その上子だくさんでは、国民全員が飢餓に陥るという懸念が高まっていました。
そのため、1950年4月に優生保護法が改正され、人工妊娠中絶が認められる要件に「(妊娠の継続又は分娩が身体的又は)経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」という項目が付け加えられました。それをテコに、大規模な産児制限が実施されたのです。
結果として、その後20年にわたり出生率が低迷します。年間出生者数は、それまでの260万人から最も低いときには100万人も減り、160万人となりました。このときの出生者数の大幅減が、さきほどの「子どもを生む年代の女性人口の激減」の原因です。そのとき生まれた女の子は少なく(もちろん男の子も少ない)、その女性が生む女の子も少なく……という負のループによって、子どもを生む年代の女性が急速に減少し続けるのです。政策によって人口をいじったツケと言えるでしょう。
政策によって人口をいじったツケ
必要のない産児制限で中絶大国に
歴史の皮肉でしょうか。実は、この産児制限は必要がなかったのです。なぜかと言うと、優生保護法改正直後の6月25日に朝鮮動乱が勃発し、国連軍の前進基地となった日本では朝鮮特需によって経済が急速に拡大し、国民は戦前よりもはるかに豊かになったからです。
しかしそうなっても、なぜか妊娠中絶件数は減少しませんでした。年間出生者数が最低水準となる160万人にまで落ち込んだのは、なんと1961年のことです。そのわずか3年後に、東京五輪が開催されています。「経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」に該当するケースは、おそらく皆無に近かったはずです。政府による人口妊娠中絶の奨励が、国民の生命倫理に重大な変化を引き起こしたのかもしれません。
現在の日本の中絶率は、医学界の推計によると52%にも上ると言われます。「日本は中絶大国」との国際的な批難に、厚労省も優生保護法から経済条項を外そうと試みましたが、女性の反対運動により、国会上程には至りませんでした。少子化対策を議論する前に、「子どもは誰のものか?」といった議論こそが必要でしょう。私は、子どもは子ども自身のものと考えます。
既婚女性が生む子どもの数は
実は1970年代から減っていない
最後に、出生率(合計特殊出生率)の低下にも触れておきます。合計特殊出生率とは、いわば1人の女性が一生の間に産む子どもの数であって、2.07が人口を維持できる水準とされていますが、日本では2013年時点で1.4台となっています。これについて世間では、「女性が子どもを生まなくなったせいだ」とよく言われますが、その考え方は正しくありません。
というのも、既婚女性(有配偶者女性)だけに限った出生率は足もとで2.0台で、1970年代から変わっていないからです。既婚女性は生涯に平均2人の子どもを産んでいる計算になり、中長期的に見てあまり変化がないどころか、むしろ微増傾向にあります。
なのに、なぜ女性全体の出生率が下がるのか。それは、女性が子どもを産まなくなったわけでも、家庭の子育てが大変になったからでもありません。結婚をしない女性や、「子どもを持たない」と決めた女性が増えていることが原因です。実際、2010年の国勢調査でわかった女性の生涯未婚率(49歳を越えて未婚の女性が対象)は10.61.%に上っており、私の試算では、2040年にこの比率は30%近くにまで達する見込みです。
日本政府は女性全体の合計特殊出生率を2.07まで上げることを目標としていますが、仮に私の試算通りに「2040年には3割の女性が未婚」という予測が現実となれば、残り7割の女性が1人平均で3人程度の子どもを生まなくてはならなくなります。これは非現実的な目標です。
既婚女性の出生率が40年間2.0台を続けて来たということは、彼らが考える「家庭」におけるちょうどよい子どもの数のバランスが、2人だったということです。それを無理に3人に増やそうと思えば、夫婦は人生の価値観を大きく変えねばならないでしょう。
ここまで説明してきたように、一口に「人口減少」と言っても、高齢化や少子化といった現象が複雑に絡み合って起きていること、そしてそれらを食い止めることが大変難しいことがわかると思います。もはやここまで来ると、日本人はこれから、人口減少社会を前提に考えて生きて行かなくてはならない。人口が減っても、子どもが減っても、引続き安心して豊かに暮らせる社会をつくっていくほうに、目を向けるべきなのです。
人口減少社会で起きるリスクとその対策については、稿を改めて述べたいと思います。
http://diamond.jp/articles/-/69539
日本の教育格差は50倍、首都圏に住むと大損する
日本人大リーガーはなぜ関西出身者ばかりなのか・・・
2015.4.7(火) 川嶋 諭
錦織、ユーズニー退け初戦突破 マイアミ・オープン
〔錦織圭がもし東京出身だったら・・・。これほど活躍しなかったかもしれないAFPBB News〕
たいした回数ではないが世界のいろいろな国へ行って感じるのは、東京が素晴らしい街だということである。安全で気候もよく食べ物も美味しく本当に住みやすい。また日本の田舎もいいけれど、欲しいものやサービスがすぐ手に入る東京の魅力は捨てがたい。
ところが、である。東京のこの住みやすさには大きな罠が潜んでいるという。
高齢化に向けて高度な医療を受けられる医療機関もあるし、東京大学を頂点として有名大学がひしめく東京は子供の教育を考えても非の打ちどころがないはずである。
しかし、この医療と教育で、「後進地域」と呼んでもおかしくない実態が、東京大学医科学研究所特任教授である上昌広さんの最新刊「日本の医療格差は9倍〜医療不足の真実」で明らかにされている。
孟子のお母さんだったら東京をどう見る?
この本の主題である医療についてもさることながら、最も衝撃的なのは背景にある教育格差である。東京都はまだしも、そのベッドタウンである埼玉県、神奈川県、千葉県では、子供に高度な教育を与える環境に大きな差別を受けているという。
もし、孟子のお母さんが現代の東京近郊に住み、この本を読んでいたら・・・。あり得ない仮定だが、とっとと引っ越してしまうに違いない。それほど格差が大きいのだ。
政治の世界における1票の格差は何度も裁判になってはメディアが繰り返し報道してきたため誰もが知る事実だが、教育格差の問題はほとんど知られていないと思う。
例えば、国立大学の運営費交付金というものがある。それを最も多く受け取っているのは東京大学であることは誰でも察しがつく。しかし、東京は人口も多い。そこでこれを都道府県別の人口当たりで割ってみると・・・。
上昌広教授たちが行った調査によると、1位は京都になるという。そして最下位は何と埼玉県。その格差たるや政治の世界の1票の格差とはけた違い。50倍にも達する。
埼玉県よりはほんの少しだけましだが、神奈川県も悲惨な状態。千葉県は千葉大学に医学部があることもあって埼玉、神奈川よりはいいものの、全国平均をかなり下回るレベル。
その中で東京大学を擁する東京都は健闘している。それでも京都府や宮城県、徳島県、鳥取県、石川県、島根県、高知県、佐賀県に及ばない。東京に神奈川、埼玉、千葉を含めると結局、全国平均を大幅に下回ってしまう。
ノーベル賞の受賞がこのところ京都大学や名古屋大学などで目立つことを考え合わせると、子供に良い教育を受けさせたいなら、関東にいては大損ということになる。
教育格差は縮まるどころか拡大中
「日本の医療格差は9倍〜医師不足の真実」(上昌広著、光文社新書、税抜820円)
戦後一気に世界一平等な社会へと変わってしまった日本では、格差に対する抵抗力が弱まったせいもあるのだろう、ファミリー、つまり家に対する考え方が希薄になっている気がする。
これに対して日本以外の多くの国がそうであるように、世代をつないで子供の教育に熱心に取り組むファミリーの存在は大きい。
自分の世代より子供の世代、子供の世代より孫の世代に豊かな生活が送れるようにするには教育がものを言うからだ。
そう考えると、東京圏が便利だからといって生活の基盤をここに置き続けるのは子孫に申し訳が立たないということになる。
上昌広教授の研究によると、この教育格差は明治維新後、意図的に作られたもので一朝一夕で変えられるような代物ではないそうである。格差の是正を目指して手直しが試みられたこともあったが、結局は失敗に終わり逆に格差を拡大する結果となってしまった。
日本は東京を中心に回っているというのがおそらく今の日本の常識である。しかし、それは「東京(関東)しか知らないメディアの人たちによる思い込みだ」と上昌広教授は言う。
この言葉には合点がいく。私はここ数年、九州から北海道まで改革を断行している地方自治体の取材に何度も足を運んできたが、そこから見えてきたのは地方の方がはるかに豊かな生活をしているという事実だった。
もちろん、財政破綻したり補助金に頼りっきりで改革に真剣に取り組まない自治体が苦しいのは事実だが、人口が多く収入がある程度ある大都市は問題が見えにくいだけとも言える。
日本はいま、長らく続いたデフレから脱却できそうなところまで来ている。そして、その変化は大都市よりも地方で顕著に見られる。
デフレ脱却は地方経済から
例えば、人口71万人の島根県の場合、2015年の県税収入は645億円を見込み、前年比14%増。企業の所得が増えたことで、法人税収の増加が寄与する。同じように福井県も2015年の県税収入が前年比で約10%伸びる見込みだ。
円安が定着してきたことによって製造業の過度な海外移転に歯止めがかかり、国内生産へ少しずつ回帰し始めているのだ。こうした変化が定着してくると、子供や孫の将来を考えた場合、地方の方が有利とも言えそうである。
それだけではない。「日本の医療格差は9倍」によれば、医師不足が深刻なのは地方ではなく首都圏だという。歳を取って病院の厄介にならなければならなくなったとき、困るのは首都圏のお年寄りなのである。
そして上昌広教授は地域差を示す非常に興味深い事例をこの本の中で紹介している。日本を飛び出して大リーグへ行く選手は、大半が関西出身で首都圏からはほとんど出ていないというのである。
ヤンキース田中、復帰戦を勝利で飾る
〔ニューヨーク・ヤンキースの田中将大投手AFPBB News〕
この衝撃的な事実は、上昌広教授の知人で元京都成章高校主将として松坂大輔を擁する横浜高校と甲子園の決勝戦で戦った澤井芳信さんの話として紹介されている。私も上昌広教授のオフィスで一度お目にかかったことがあるが、澤井さんは現在、様々なスポーツビジネスを展開しており、日本人大リーガーのマネジャーも務めている。
現在大リーグで大活躍しているダルビッシュ有投手は大阪府羽曳野市、田中将大投手は兵庫県伊丹市、上原浩治投手は大阪府寝屋川市と関西の出身。時計の針を戻しても、日本人大リーガーの道を切り開いた野茂英雄元投手は大阪市、亡くなった伊良部秀輝投手は兵庫県尼崎市出身など関西出身者ばかりが目立つ。
イチロー選手は関西ではないが愛知県出身で関東でもなく、むしろ考え方は関西に近いようである。松坂大輔投手のように関東出身で大リーグへ行った人は珍しいという。
関東出身の野球選手は、大リーグよりは日本の球界を選び、選手を引退した後はコーチから監督への道に進みたいと考えているようだと上昌広教授は見る。その代表例としてジャイアンツの原辰徳監督や彼の甥っ子である菅野智之投手を挙げる。
可愛い子には旅をさせる習慣を身につけた関西
これは単なる偶然ではないという。
関西の野球少年たちは大リーグばかりではなく、チャンスを求めて国内留学にも積極的。例えば、ダルビッシュ投手は宮城県の東北高校、田中投手は北海道の駒澤大学付属苫小牧高校、伊良部投手は香川県の尽誠学園高校・・・。これに対して関東の人たちは地元にこだわる傾向が強いという。
野球少年に如実に表れている地域差こそ、教育環境の差だと上昌広教授は見るのである。誰だって可愛い我が子に苦労はさせたくない。しかし、関西では苦労が目に見えている留学を親たちは平気でさせる。その理由は、どの家でも留学させているから――。
小さい頃から異文化を経験させ、違った環境の中で切磋琢磨する力を育む。活躍が目立つ日本人大リーガーはこういう環境が育てたと言える。そう言えば、テニスで活躍中の錦織圭選手は島根県松江市出身で、米国にテニス留学している。
この本は、日本の医療格差を主題としているが、教育とは何か、地域とは何か、歴史とは何かを深く考えさせられる内容になっている。
この多岐にわたる重要なテーマを1つの本に興味深くまとめられているのは、様々な種類の人たちと広く深く交流を持っている上昌広教授ならでは。人を惹きつけて離さず、人格あふれる上さんだからこそ生まれた1冊と言えるだろう。
一度読み終わってもカバンに常に入れておきたい1冊である。なお、上昌広教授に関しては以下の関連記事を参照していただけるとより一層理解が深まると思う。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43441
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