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鳩山一郎元首相(左)、鳩山由紀夫元首相(中央)、鳩山邦夫元国務大臣(右)(「鳩山会館 HP」より)
鳩山由紀夫、14歳にして超高額所得者だった!高額所得者の悲惨な末路
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150403-00010006-bjournal-bus_all
Business Journal 4月3日(金)6時2分配信
かつて国は毎年、長者番付を発表していた。「高額納税者公示」「納税者番付」などと呼ばれる制度で、1947年から2005年まで実施されていた。一昔前に新聞で全国ベスト10などが紹介されていたのをご記憶の人も多いだろう。
この長者番付の歴史が、このほど1冊の新書にまとまった。それが『日本の長者番付 戦後億万長者の盛衰』(菊地浩之/平凡社新書)だ。
今回は、同書著者の菊地氏に
・長者番付の歴史
・長者番付の社会的意義
・長者番付にみる当時の世相
などについて話を聞いた。
●長者番付の歴史
--そもそも企画は、どのようにして思い浮かんだのですか?
菊地浩之氏(以下、菊地) 雑誌の取材が元です。2009年に『日本の15大財閥』(平凡社新書)などを出版したところ、財閥や富豪関連の取材が増えました。やや畑違いな企画も頂くようになり、13年に「週刊東洋経済」(東洋経済新報社)から長者番付の取材を申し込まれました。私は原則、オファーは受ける主義なので、「企業集団の研究家であって、納税者番付の蒐集家ではありませんよ」と留保しながらお受けしたところ、「過去の新聞記事を集めてウラを取ってください」と編集部から指示されました。情報を集めたところで本にならないかと考え、終戦後から公示廃止の05年まで、上位十傑が一挙掲載された本というものはないのではないかと気づき、新書の担当編集者に打診したところ、出版が決定しました。書き上がった時点で、ページ数がやや足りなかったので、米経済誌「フォーブス」が特集する『日本の億万長者』のベスト10も98年度から現在まで収録しています。結果的には05年以降の最新状況が紹介できて一石二鳥でした。
--副題に「戦後億万長者の盛衰」とあるように、本当に多彩な富豪が登場しては消えていくという面白さを感じました。
菊地 そもそも公示制度には、脱税防止という目的がありました。事実、戦後の混乱期の上位十傑は、どさくさに紛れて急激に資産を築いた「新興成金」が多かったのです。当時は超インフレでしたから、物品を隠蔽し闇市に流して高値で売りさばくといった違法な商売で高い所得を得た者が多かったので、その摘発に公示制度が有効だったわけです。
--それが復興期を迎え、やっと普通の経済人がランクインするようになります
菊地 50年に朝鮮戦争が勃発。重工業が復興し、エネルギー需要を支えた炭鉱業者が長者番付に名を連ねました。54年から高度経済成長が始まりますが、同年から68年までを扱った第二章は『松下幸之助の時代』という章題にしました。戦後の新興巨大企業の創業者が株式公開によりキャピタルゲイン(創業者利益)やインカムゲイン(配当金)を手にします。パナソニック創業者の松下幸之助氏のほか、ブリヂストン創業者の石橋正二郎氏、大正製薬創業者の上原正吉氏、出光興産創業者の出光佐三氏といった顔ぶれが番付の常連となっていきます。
●番付を見ると、当時の世相が浮かび上がる
--ところが、田中角栄元首相が72年に「日本列島改造論」を唱えるなど、狂乱地価の時代を迎えていくと、また番付に変化が生じます
菊地 意外に思われるでしょうが、日本経済新聞が一面トップで長者番付の記事を報じたのは69年度が初めてです。そもそもは闇業者の脱税防止でしたし、その後に松下氏や石橋氏がランクインしても誰も驚きません。社会面で小さく扱われることも珍しくありませんでした。取り扱いが雑だった証拠に、終戦直後の番付は新聞記事でも間違いがありました。ところが、有名企業の経営者より土地を売った人のほうが上位に位置するようになると、ニュースバリューが出てきたのです。05年に公示が終了したのは個人情報保護という意味ももちろん大きいですが、ニュースとしての社会的役割を終えたという視点も重要だと思います。
--かわいそうな印象もあった“土地成金”も登場します
菊地 79年度には渋谷駅近くの商店街でタバコを販売していた小売業者が2位になりました。土地の急騰で固定資産税が上がり、まかないきれずに売却したのです。しかし高額の所得を得ても、所得税、住民税などが重なり、手元に残ったのは4分の1程度だったそうです。日本の税制の歪みを一身に背負ったような話ですが、この時代は類似のケースが続出しました。
--「大衆社会」の到来でマスメディアが発達すると、作家の森村誠一氏や赤川次郎氏、作曲家の小室哲哉氏がランクインしました。価格破壊の元祖としてダイエーが躍進した際には中内功氏、バブル期にゴッホの落札で話題を集めた大昭和製紙(現・日本製紙名誉会長)の齊藤了英氏も名を連ねました。消費者金融(サラ金)やパチンコ企業の経営者、ゲーム業界の興隆に乗ってゲーム制作企業の創業者、「デフレ時代の寵児」と呼ばれたファーストリテイリングの柳井正氏など、番付が世相を映し出す鏡となっているのには、あらためて驚きました。
菊地 巨大企業の創業者など、表の経済史を担った人々だけでなく、裏に近い世界も現れるのが面白いですね。80年度には暴力団組長が5位に入っています。その一方、日本経済団体連合会(経団連)会長などの要職を務めた、いわゆるサラリーマン社長としての財界人は出てきません。一流企業の社長は、もちろん私たち庶民にとっては資産家ですけれど、十傑に入るほどではないのです。高額納税者公示制度でも、フォーブスの調査でも、創業者一族の「株長者」や不動産売買による「土地長者」が大多数です。大金持ちで有名な鳩山由紀夫元首相は「株長者」の一人で、60年度に祖父の石橋氏が長者番付トップになった時、14歳にして北陸銀行常務より所得が多かったくらいです。
●大学教授とは異なる視点の研究
--丁寧な調査・研究が反映されていますが、菊地さんは普段、ソフトウェア会社に社員として勤務していらっしゃるんですよね。どういう経緯で研究、執筆を始めたのですか?
菊地 試験勉強が嫌いで受験勉強はほとんどせず、反動で大学では勉強しました。在籍した経済学部の授業には出ず、日本史の勉強ばかりしていました。たまたま入った歴史サークルが「大学院生養成所」のようなところで、レポートの作成や発表を鍛えられました。3年生の頃、ゼミ選びでは日本史に関係のある財閥のゼミが見つからず、企業集団を扱うゼミを見つけました。卒業論文を学術雑誌に投稿して採用されたものの、大学院に行くつもりはなく就職しました。卒論への批判を受け、定時退社して帰宅後に研究を続けていました。ある日、東京大学助教授の論文に違和感を覚えて反論文を送ると、その助教授が私を大変評価して下さり、学術団体に参加させてもらえました。論文の執筆を重ねると、さらに評価をして下さる方が増え、当時の明治学院大学学長から非常勤講師を依頼され、勧められるままに学術書を出版。06年に博士号も取得しました。また当時は新書ブームで、財閥の企画を持ち込んで上梓すると好評を博し「次も何か書いてください」と言われ、現在に至っています。
--文字通り、「在野の学者」ですね。
菊地 「在野の学者」だから、普通の研究とは違った視点で本が書けるのかもしれません。アカデミズムの世界では「狭く深く」が基本なので、財閥史の研究なら、1つの財閥を詳しく突き詰めて新たな知見を世に問うといった研究になりがちです。しかし、一般人から見れば、いくつもの財閥を「広く浅く」知ったほうがためになります。また、財閥研究はだいたい終戦までで終わり、現代までどのようにつながってきたのかは扱いませんが、実は就職活動でもビジネスでも、そこが一番役に立つのではないでしょうか。私が日本史や企業集団に興味を持ち始めたのも、一般書や雑誌から入っていったので、同じように一般読者に知識の橋渡しすることができればいいですね。
--類書のないユニークな内容ですが、これまでの著作との共通点や一貫性も感じました
菊地 なるべく長いスパンで、現在に続く記述にしようと心がけています。江戸時代から現代まで一気通貫で書けるのが私の強みだと思っています。そういう目で見ると、誰もが歴史に翻弄されていると痛感します。庶民だけでなく、資産家も金策で苦労を重ねています。かつては目の付け所などに感心した実業家でも、いつしか番付から消えていきます。「盛衰」という副題の通りですが、精査の結果が読みどころにつながっていると嬉しいですね。
編集部
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