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消える三洋電機…消えないDNA ゴパンのヒット、エネループの挑戦 新天地で経験生かす
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150329-00000502-san-bus_all
産経新聞 3月30日(月)11時0分配信
個性的なヒット商品を次々と生み出した三洋電機が4月1日付で事実上、消滅する。直轄事業の売却を終えて全社員が親会社のパナソニックに転籍、残るのは法人格だけとなる。ただ、まだ世の中にない商品や技術の開発に挑戦し、既製品でも“プラスα”を追求する三洋のDNAは簡単には消えない。元社員の新天地であるパナソニックや転職先、事業の売却先で生き続ける。(松岡達郎)
■「超細プリッツ」企画を生んだ「ゴパン」のヒット
「三洋時代の発想で企画したんですよ」。江崎グリコのビスケットマーケティング部の伊藤千恵さん(32)は転職後、初めて一から企画した「超細プリッツ〈じゃがバター〉」を手に、こう話す。
同社史上最も細いプリッツで、濃厚な味を芯までしみこませると同時にカリっとした食感にこだわった。技術的な難しさを乗り越えるため、工場の担当者と何度も交渉したという。
伊藤さんは三洋時代、コメからパンを作れる「ゴパン」(平成22年発売)の販売促進を担当。発売前にコメのパンが試食できるゴパンカフェに参加するなどPRを担った。発売直後、注文に生産が追いつかず一時的に販売中止に追い込まれるほど反響を呼び、新ジャンルの強さを知った。
今回のプリッツ新商品の狙いは「焼き菓子としてポテトチップスなど油で揚げたスナック市場の客を奪うこと」。17日に発売されると、コンビニエンスストアなどのスナック売り場へも進出し、品薄状態が続く。
伊藤さんは言う。「家電で後発の三洋には他社と同じことをしていては勝てないという強い意識があった。まだない価値をいち早く消費者に届けたいと思う気持ちは、会社がなくなっても変わらない」。
■「エネループ」のチャレンジ精神で
貴志駅(和歌山県紀の川市)の三毛猫駅長「たま」で知られる和歌山電鉄と同じグループで、岡山地盤の両備ホールディングス(HD)執行役員、清水正人さん(56)は三洋で商品デザインを担っていた。
充電式ニッケル水素電池「エネループ」を中心にライフスタイルを提案する商品群を手掛け、「地球のため何ができるかを考える『Think GAIA』のビジョンのもと、おもしろい商品を作らせてもらった」と話す。
両備グループには26年に招かれた。三洋製太陽電池を利用した路線バスの運行などが縁だったという。いまはバスのデザインや会社案内、岡山地域の観光本などの製作を担当し、ともに働くスタッフ4人も三洋出身だ。
清水さんは「三洋はやりたいことを何でも挑戦させてくれた。三洋の経験を生かし、地元を盛り上げるというビジョンのもと、両備をおもしろい会社にしてみせる」と意気込む。
■パナの成長支える「電池」
三洋社員は最盛期に国内外で約10万人いたが、事業売却やリストラで減少し、パナソニックに転籍するのは約7千人。三洋の元人事部長、岡本浩之さん(53)=現江崎グリコ広報部長=は「人を切ると、次のメシの種をつくる人材まで抜けていく。苦しかった」と振り返る。
ただ、23年にパナソニックの完全子会社となる前の社内説明会で、三洋の佐野精一郎社長(62)=現パナソニック常任監査役=は「三洋製が、パナソニック製になっても三洋が死力を尽くして開発した技術や商品はさらに継続して発展する」と訴えた。そしていま、三洋の太陽電池や2次電池などがパナソニックの成長を支えている。
転籍するベテラン社員はこう力を込めた。
「パナソニックも転職先のひとつ。新しい会社に入ったと切り替えて三洋DNAを発揮するしかない」
【三洋電機】 昭和22年、松下電器産業(現・パナソニック)創業者、松下幸之助氏の義弟の井植歳男氏が、兵庫県加西市で創業。大手総合家電メーカーの一角を占めた。多角化を進めたものの経営難に陥り、事業売却などを経て規模を縮小。平成21年にパナソニックに買収され、23年には完全子会社となった。
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